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白狐の唄

作者: 秋雨 夜

 

 また、いらしたのですか?

 作家デビューの件なら前にもお話した通り、僕には無理な話ですよ。

 ・・・今回は違う?

 では、何のご用でしょうか。

 え?貴方の先輩が、僕の話を聞いてこいと言ったのですか?

 あぁ、この間の人は、貴方の先輩さんだったんですね。

 この手の話に興味がおありで?

 おかしな人ですね、それこそ僕の原稿を読めばいいでしょうに。

 ・・・・読んでいないんですか?

 いえ、構いませんよ。

 どうぞお掛け下さい、今お茶をお出ししますから。

 丁度家内も娘もいなくて、退屈しているところでしてね。

 話すくらいなら別にいいでしょう・・・・。




 毎年、夏が来ると思い出します。

 彼女と初めて出会ったときのことを。

 僕は少し忘れっぽい性質でしてね、昔の記憶はあまり覚えていないことが多いんですよ。

 ですが、あの時のことは、今でも鮮明に覚えています。

 当時の僕が何を言ったのか、彼女が何を話したのか、一字一句全て。

 ですから、話すとなると時間がかかるかもしれません。

 僕は中学一年生の頃、お恥ずかしい話ですがいじめられていましてね。

 えぇ、酷いものでしたよ。

 毎日サンドバッグの代わりにされますし、使い走りは当たり前。

 挙げ句の果てにはお金まで要求されまして、学校に行けなくなってしまったことがあるんです。

 今で言う登校拒否ですね。

 とにかく外に出たくなくて、ずっと家に居ました。

 そのときの夏休みに、父から田舎の祖父の家に行くように言われたんです。

 引きこもっていた僕を心配してか、もしくは何かしらの変化を僕に求めたのか。

 最初は嫌でしたが、ふと考え直しましてね。

 だって誰も僕のことを知っている人なんて、そこにはいませんよね。

 家に居ることで、父や母に負い目も感じていましたし、僕は首を縦に振りました。

 数日後、僕は一番大きな鞄に服や何やらを山ほど詰めて、父の車に揺られていました。

 祖父の家は大きな農家で、古い造りの建物が珍しく思えまして、父を見送ってすぐ、井戸や畑を見て回りました。

 祖父も祖母も仕事で忙しそうにしていましたから、僕一人で色々遊びましたよ。

 蛙を捕まえたり、ザリガニを釣り上げたり、トンボを追い回したり。

 最初の数日は、そんなことをして過ごしました。

 何せ久しぶりの外でしたし、ビクビクすることもありませんでしたしね。

 家の周りでふらふらすることに飽きてくると、少し遠出するようになりました。

 ある日散歩をしていると、祠を見つけたんです。

 近くの山の入り口付近で見つけたんですが、その祠はひっそりと建っていました。

 鳥居の両脇にある狐像から、その祠がお稲荷さんを祀っているものであることが解りましたよ。

 所々苔むした狐像は、少し不気味に見えたでしょう。

 ですが僕にはとても神秘的に見えましてね。

 その祠に近寄って、周りをまじまじと観察しました。

 そろそろ夕方に入りかけた時間で、そこは薄暗くて雰囲気が出ていましたね。

 辺りには陶器で出来た小さな狐像が沢山置かれていまして、それらの像が一斉にこちらを見ているような、そんな感じがしました。

 僕は不思議とその場所が気に入ってしまいまして、祠の近くに根を下ろす大きな木に背を預けて、一つ一つ狐像の表情を眺めていました。

 今から思えば、随分と変な子供ですね。

 そこからどれ程時間が経ったのか解りませんが、不意に声をかけられて僕は文字通り飛び上がりました。

「何をしてるの?」

 とても綺麗な声でした。

 何と言えば良いのでしょうね。月並みですが透き通るような声、というのが一番しっくりくるでしょうか。

 声も出ず、口から心臓が飛び出そうになっている僕の目の前に、少女が一人現れたのです。

 いつからそこにいたのか、僕は全く気づかなくて。

 年の頃は僕と同じくらい、市松人形の様な髪型をしていて透けるように肌の白い少女でした。

 服装は至って普通で、白いワンピースに、半袖で桜色のカーディガンを羽織っていました。

 少女はもう一度、口を開いてさっきと同じ事を繰り返しました。

「何をしてるの?」

「べ、別に、何にもしてない。ここが珍しいから、見てただけだよ。」

 おっかなびっくり、僕はそう言いました。

 少女は僕に近寄りながら、くすくすと笑っていました。

「珍しい?どうして?」

 近くで見れば、本当に美人な娘でしたよ。

 少し釣り上がり気味の目が、キラキラしているように思えて。

「おれ、普段こんなものがないトコにいるから。山とか、あんまり見たことないし。」

 半ば少女に見惚れていることに気づいて、僕は視線を逸らしながらそう答えました。

「そう。」

 少女は軽く頷いて、物珍しそうに僕を眺めていました。

「・・・・君は、何でこんなトコにいるの?」

 あんまり見られるものですから、流石に居心地が悪くなりまして、今度は僕から少女に尋ねてみました。

 かなり恐る恐るでしたよ。

 女の子と話すなんて、当時の僕にはとても勇気のいることでしたね。

「私は、貴方がここにいるから見に来たの。貴方の名前は何?」

 答えにならない答えを返して、少女は小首を傾げ僕を見つめてきます。

「・・・藤咲 成海。君は?」

「私は燈子。」

 にっこり微笑んで、少女・・・いえ、燈子さんは僕に手を差し出して来ました。

 僕が躊躇っていると、燈子さんは不思議そうな顔でこちらを見ていました。

「貴方達が出会うとき、こうするんじゃないの?」

 変なことを言うんだな、と思いました。

 握手なんてする人、滅多にいませんからね。

 ですが、取りあえず僕は手を伸ばしました。

 燈子さんの手は白くて細くて、触れれば壊れてしまうのではないかというくらい華奢でしたよ。

 そっと握れば、その手は思いの外冷たくて、しかしとても柔らかでした。

 女性に触れたのは、この時が初めてでした。

 辺りが薄暗くて本当によかったと、ほっとしましたね。

 僕の顔は、トマトみたいに真っ赤だったと思いますから。

「そろそろ、帰るよ。じいちゃんとばあちゃんが心配してたら困るし。」

 パッと手を離して、僕はしどろもどろに言いました。

 恥ずかしいやらかっこ悪いやら、もう本当に情けないですよ。

「じゃあ、さよならね。成海は、明日もここに来てくれる?」

 少し残念そうに燈子さんは俯いて、僕を見上げてそう言いました。

 思わず、「はい?」と聞き直していました。

 考えてもみてください、僕みたいな冴えない奴に、美人な女の子がまた会えるかどうか聞いてくるんですよ。

 動揺するなというほうが、無理な話だと思いませんか?

「明日、また会える?」

 もう一度、燈子さんは繰り返して尋ねました。

「う、うん。」

 何とかそれだけを答えると、燈子さんは嬉しそうに笑って言いました。

「本当?なら明日、ここでね。」

 そう言って、燈子さんはふわりと身を翻して、山の木々の間に消えていきました。

 ひらひらと舞うワンピースの白が見えなくなるまで、僕はポカンとそれを見送っていました。

 そしてやっと我に返りました。

 もうほとんど日も沈みかかっていて、僕は慌てて帰り道を急ぎました。

 遅くなって心配していた祖父のお説教を聞きながら、不思議な娘だな、どこに住んでいるのか聞けばよかったなと思っていました。

 そして次の日。

 はやる気持ちのままに、僕は祠へと急いで向かっていました。

 手には台所からくすねてきたスモモを数個、持ってね。

 祠の目印である大きな木が見えると、もうそこからは走っていましたね。

 燈子さんはもう、祠の前で僕を待っていました。

「燈子ちゃん!」

 大声で彼女を呼ぶと、微笑んで手を振りかえしてくれました。

「成海、大丈夫?二本足だとそんなに早く走れないんだから、無理しちゃ駄目。」

 息を切らして傍まで行くと、苦笑しながらそう言って、僕の汗を白いハンカチで拭ってくれました。

「ごめんね。おれ、遅れた?」

 何時に行けばいいのか、それを聞いていませんでしたし、燈子さんが僕を待っていましたから、てっきり家を出た時間が遅かったのかと申し訳なく思いました。

 しかし燈子さんは首を横に振り、はにかむように言ったんです。

「遅れてない。私がね、早く来たかったの。」

 その時は彼女なりのフォローだと思って、また会うときは絶対に先に来ていようと決意を固めましたが、結局実現することはなかったですね。

「ほんとに待たせてごめん。あの、これ。家から持ってきたんだ。一緒に食べよう。」

 僕は袋からスモモを取り出して、燈子さんに渡しました。

「これ、スモモ?わぁ、綺麗な色。」

 燈子さんは顔を輝かせて、スモモを受け取ってくれました。

 嬉しそうな様子から、持ってきて良かったと僕は思いましたね。

「ちゃんと水も持ってきてるよ。食べた後、手がべたべたになるからね。」

「成海、準備いい。べたべたのままだと困るもの。」

 二人で笑いあって、木の根本に座り込んでスモモにかじりつきました。

 冷蔵庫で冷やしてありましたから、いい具合に冷たさが残っていて、とても美味しかったですね。

 燈子さんも喜んで食べてくれて、四つ持って来ていたスモモがあっという間になくなってしまいましたよ。

「これ、家でできたスモモなんだ。他にもトマトとか、トウモロコシとか一杯あるよ。」

 水で手と口元を濯いで、僕たちは他愛もない話が始まりました。

「成海の家は、野菜や果物が沢山あるのね。成海は、野菜や果物が好き?」

「うん、好きだよ。でも三つ葉が嫌いかな。あの匂いがちょっと。」

 ・・・今は好きなんですけどね、三つ葉。

 野菜の話から始まって、燈子さんは興味深そうに僕の話を聞いてくれました。

「燈子ちゃんは、好きな食べ物はある?」

「ええと、あれが好き!ご飯をお揚げで包んだのが好き!」

 頬を少し赤らめて勢いよく言いますから、本当に大好物なんだなと感心しました。

「・・・それって、稲荷寿司?」

 燈子さんは何度も頷き、両手をぎゅっと握りしめて熱く語り始めました。

「そう、そう!あのね、お揚げはとっても甘いのがいいの。それでね、ご飯は胡麻が沢山入っているのがいいの!」

 その様子から、半端ないこだわりを感じましたよ。

「それでね!形は絶対三角じゃないと駄目!三角じゃないと、稲荷寿司じゃないの!」

「それじゃあ、今度晩ご飯で余ったやつ、持ってきてあげるよ。」

 あんまり食べたそうにしているものですから、そう言ってあげると輝かんばかりの笑顔で身を乗り出して来ましてね。

「本当に?嬉しい、ここのところ食べていないの!」

 そんなに喜んでくれるなら、沢山持っていこうと思いました。

「なるべく燈子ちゃんの言った通りに味付けしてくれるよう、ばあちゃんにお願いしてみるよ。」

 僕はそういって立ち上がり、手を差し伸べました。

「ありがとう、成海!」

 燈子さんに手を貸して、僕たちは遊びに熱中しました。

 それから、ほぼ毎日のように僕は燈子さんと会って、色んな遊びをしましたね。

 木登りをして、小鳥の巣を覗いたり。

 小川に行って、川遊びをしたり。

 次第に活発に、明るくなっていく僕を、祖父や祖母は安心したように見ていました。

 それほど、燈子さんは僕にとって大切な友達だったのです。

 ある日、前々からお願いしていた稲荷寿司が食卓に上りまして。

 いつもより量が多かったんで、祖母が気を効かせて多めに作ってくれたんですね。

 お昼ご飯にそれを食べて、アルミの大きな弁当箱に一杯になるまで稲荷寿司を詰めて、家を飛び出しました。

 燈子さんに早く会いたくて会いたくて、ずっと走りました。

 油揚げだって甘くしたし、ご飯も胡麻を一杯振ったし、ちゃんと三角にしたし、きっと喜んでくれると、知らず知らずのうちに笑っていましたよ。

 燈子さんが待っているのが見え、大きく手を振って名前を呼びました。

「成海、いつも走ってくる。慌てなくてもいいのに。」

 困ったような顔を見せて、燈子さんは言いました。

 僕は半分咳き込んでゼイゼイいってたので喋れませんでしたが、傾けないように細心の注意を払って持ってきた包みを彼女の前に突き出しました。

「こ・・・これ。前に言ってた・・・稲荷寿司・・・・。」

 あのときの燈子さんの顔といったら、今でも鮮明に思い出せますよ。

「やった!こんなに早く持ってきてくれるなんて、思ってなかった!これ、とっても重いけど、全部稲荷寿司?」

 大はしゃぎで包みを抱きしめて、燈子さんはじっと穴が開くほどそれを見ていましてね。

 早く開けたい、という気持ちがヒシヒシ伝わってきました。

「開けてもいいよ。一杯あるから、一度家に帰って冷蔵庫の中に入れておいたほうがいいんじゃないかな。暑いし、腐ると困るし。」

 僕がそう言うやいなや、燈子さんは大急ぎで包みを開け始めました。

 そんなに慌てなくても、稲荷寿司は逃げませんのにね。

「凄い、こんなに沢山入ってる!これ、全部貰っていいの?」

 期待に満ちた目に頷いてあげると、燈子さんは何度もお礼を言いながら、早速一つ口に放り込んで食べ始めました。

「どうかな?」

 少しばかりの緊張を交えて尋ねれば、燈子さんはにっこりと笑ってパチパチと手を叩いてくれました。

「美味しい!こんなに美味しい稲荷寿司、久しぶりに食べた!」

「礼ならばあちゃんに言ってよ。おれは運んだだけだし、何にもしてないんだから。」

 僕が友達に持っていってあげたい、と祖母に言ったとき、祖母は嬉しそうに目を細めて、特別美味しい稲荷寿司を作ってあげると言っていましたね。

「おばあちゃんに、ありがとうございましたと、とっても美味しかったって必ず伝えてね。」

 燈子さんはお弁当の蓋を閉じると、丁寧に包み直して立ち上がりました。

「ちょっとだけ、待っててくれる?これ、お家に置いておきたいの。」

 僕は最初から待つつもりでしたから、素直に頷きました。

「うん。このままだと食べられなくなっちゃうからね。どれくらいかかる?」

「すぐ戻る。そんなに時間、かからないから。」

 そう言い、燈子さんは僕に背を向けて走っていきました。

 残された僕は、木の日陰でぼうっとしながら彼女を待っていました。

 正直、あんなに喜んでくれるとは予想していませんでしたから、それはもう嬉しくて、大げさに聞こえるかもしれませんが天にも昇る気持ちでしたよ。

 数分もしない間に燈子さんは帰ってきて、その早さに少し驚きました。

「早いね。家、ここからすぐのところにあるの?」

「・・・・そんなところ、かな。」

 曖昧な微笑みを浮かべる顔は、いつもの燈子さんらしくありませんでした。

 しかしそれも束の間、一瞬のうちにその表情を消して、僕に話しかけてきました。

「成海は、ガッコウに行っているんだよね?」

 今度は僕が曖昧に頷く番でした。

 あまり触れられたくない話題でしたしね。

「あのね、私ガッコウを知らないの。どんなところ?何をしているの?楽しい?」

「知らないって、どういうこと?」

 驚いて尋ねれば、燈子さんはきょとんとした表情で小首を傾げていました。

「知らないの。私、行ったことないから。」

 家庭の事情か何かかと思ったので、あまり深くは聞いてはいけないと思いました。

 しかし、確実におかしいとは思いましたね。

「ええと、簡単に言えば勉強するところだよ。国語とか、数学とか。」

「・・・・成海、怒ってる?」

 おずおずと燈子さんに言われ、ハッとしました。

「なんで、おれが怒ってるんだよ。」

 取り繕うような言葉が飛び出して、目に困惑したような顔の燈子さんが映りました。

「だって、いつもと違うから。」

「怒ってない。嫌いなだけで。」

 僕は吐き捨てるように言いました。

「嫌い?ガッコウは成海の嫌いな場所?」

「おれは嫌いだ!」

 思い出すたびに、腹が立ちましたね。

 ほら、いじめたほうは忘れても、いじめられたほうは忘れないというでしょう。

 悔しくて惨めで悲しくて、僕は拳を強く握りしめていました。

 女の子の前で、実はいじめられているなんて口が裂けても言えません。

「勉強が嫌い?」

「うるさいな、どうだっていいだろ。関係ないじゃないか!」

 半ば八つ当たりで、僕は語気も荒く燈子さんに苛々をぶつけていました。

「関係なくない!成海、いつもあの家になんか帰りたくないって思ってる!ずっとここにいたいって思ってる!私と遊んでるときだって、どこか遠くを見てるときがある!何が怖いの?何がそんなに苦しいの?」

 負けじと燈子さんも声を張り上げて、僕をキッと見据えてきます。

 普段はキラキラと楽しげな輝きで満ちている彼女の瞳が、今は鋭い刃物の切っ先のように思えて、思わず息を呑みました。

 まるで心の奥底まで見透かそうとしているような、そんな瞳でしたね。

 何より、田舎に来てからずっと思っていたことを言い当てられ、苛々は消え去って困惑が残りました。

「当たってるでしょ?成海はそう思ってる。それってどうして?」

 燈子さんはきっぱりと断言して、更にじっと見つめてきます。

 深い泉のような視線に僕はとうとう負けて、小さな声で燈子さんに言いました。

「・・・・いじめられてるんだ、おれ。同じクラスの奴らから。」

 泣きたくなりましたよ、本当に。

 父にも母にも、どうして僕が学校に行かないのか、話したことはありませでんでしたから。

 そんな理由なのか、と冷たく言われるのを覚悟して、僕は顔を上げました。

「良かった、やっと成海、言ってくれた。」

 そこには、安堵の表情を浮かべている燈子さんがいました。

「無理矢理聞いちゃうようなことして、ごめんなさい。でも、どうしても気になったから。」

 申し訳なさそうに眉根を寄せて、燈子さんは頭を下げてきました。

 驚いたのは僕です。

「え・・・?格好悪いとか・・・思わないの?」

 燈子さんは目を丸くして、勢いよく首を横に振りました。

「思わない!だって成海は闘っているんでしょう。どうしてそんなこと言うの。」

「闘う?」

 燈子さんの口から出た言葉に、僕はそれを繰り返していました。

「弱い生き物は群れる。群れるから安心する。安心するから、群れる相手のいない生き物を襲う。でも、群れない生き物でも強いものは沢山いる。」

 何が言いたいのか、さっぱり解りませんでした。

「つまりね、成海は強いってこと。」

「・・・意味、わかんないんだけど。」

 どう反応したものか、混乱の嵐が吹き荒れて、僕はポツリとそれだけ言いました。

 呆れこそすれ、褒められるなんて考えてませんでしたからね。

「わかんなくてもいいの。でもね、どんなに強い生き物でも、何かに頼らなくちゃやっぱり生きていけない。独りで誰にも頼らずに、生きていけないの。頼ること、少しも悪いことじゃない。だからね、私に言ってくれたこと、成海のこと一番大切に思ってくれている人に話してあげて。皆もそう言ってる。」

 燈子さんはそう言い、僕の手を握りしめました。

 そして慌てる僕を見て、優しく微笑んでくれたのです。

 何と言いますか、それだけで肩の荷が下りたような、そんな気がしましたね。

 燈子さんの言葉がするすると染み渡って、心が楽になるような気が。

 何でそれだけで、と思うでしょう?

 不思議なものです、今まで幾ら両親に似たようなことを言われても、僕の心は頑なに拒否し続けていましたから。

「本当に・・・わかってくれるかな?怒られたりしないかな。」

 しかし不安はまだ消えずに、僕は燈子さんに尋ねました。

「怒られたりしない!今までの成海の気持ちをちゃんと伝えれば、絶対大丈夫。」

 僕はその言葉に応えるように、燈子さんの手を握り返します。

「でも、今すぐに話さなくてもいいと思うの。自分の気持ちにちゃんと整理をつけてから、話してみて。」

「・・・・うん、わかった。おれ、帰ったら父さんと母さんに話してみるよ。」

 燈子さんの話を聞きながら、次第に僕は決意を固めていきました。

 このままではいけないというのは、常に感じていましたからね。

「ありがとう、燈子ちゃん。話、聞いてもらって、ちょっとだけ楽になった。」

「私こそ、聞かせてくれてありがとう。ガッコウって大変なのは勉強だけじゃなくって、人と人との関係も複雑なんだね。」

 深刻そうに言う燈子さんの知ったような顔がおかしくて、ようやく僕は小さく笑いました。

 さて、僕の悩みは一つ消えたわけですが、もう一つ重大な悩みを思い出したんです。

 それは学生なら誰もが抱えるもので、解決方法はとにかく頑張ることしかありません。

 ・・・・答えは、夏休みの宿題です。

 毎日遅くまで燈子さんと遊んでいるせいで、この厄介者の始末をすっかり忘れていたんですね。

 普通忘れるか、とお思いでしょうが、なんというかその時は、本当に頭の中からすっぽりと抜け落ちていたんです。

 気付いたときは血の気が引きましたよ。

「・・・・この世の終わりだ。」

 呆然とそう呟いていました。

 八月も二週目に入っていましたが、まだ宿題は半分しか出来ていません。

 後半分じゃないか、大丈夫だ、なんて思えませんでした。

 この危機的状況を何とか脱退するため、僕はしばらく燈子さんには会えないと伝えなくてはなりませんでした。

「・・・・と、いうわけで・・・宿題を片づけないといけないんだ。だから、明日からここには来れない。」

 次の日の僕の顔は、苦虫を噛み潰したようなものでした。

 燈子さんは呆れたような苦笑を浮かべて言いました。

「成海、そんな大切なものをずっと忘れてたの?ある意味凄いよ、それ。」

「う、うるさいなっ。すぐに終わらせるよ!」

 僕はそう豪語して、その日は速めに彼女と別れ直様宿題に取りかかりました。

 唸るようなプリントの山、ポスターの制作、そして僕が最も頭を抱えたのが読書感想文でした。

 え?今とは本当に違う、ですか?

 そうですね、あの頃は文章を書くのがあまり得意ではありませんでしたから。

 本を読むのは好きでしたが、読書感想文だけはどうしてか筆が進まなくて苦労しました。

 雰囲気だけでも良くしようと、僕は図書館に足を運びましてね。

 小さな図書館でしたが、シンと静まりかえった感じがなかなか好きでしたよ。

 そこで原稿用紙を広げて、悩み続けること一時間。

「駄目だ・・・まだ一枚もいってない。」

 溜息をつき、背もたれに上半身を預けてぼんやりと本棚を眺めていると、とある本で視線が止まりました。

 その本は、その土地の伝説や言い伝えを集めたもので、何故か僕はそれに興味を持ちました。

 黒く分厚いその本を手に取り、パラパラと適当にページを捲っていると、ふと手が止まりました。

 そこには、ある狐の物語が書かれていました。


 昔、この辺りに一匹の白い狐が住んでいたそうです。

 その狐は心優しい狐で、村の子供に化けて遊びに加わったり、山で迷子になった子供を家まで道案内したり、何かと人間に友好的でした。

 そこで村人達はその狐に感謝の意を示し、小さな造りながら祠を建てて、狐を祀ることにしました。

 狐は闇の中で輝かんばかりの純白の毛を持ち、その姿はまるで暗い山の中でポツリと灯る白い火のように見えたそうです。

 村人達は狐の容姿から、「燈火稲荷」と呼び、ささやかながらも大切に祀ったようです。


 僕はその話を、食い入るように読んでいました。

 この狐と燈子さんは、あまりにも似ていましたから。

 ですがすぐに、きっと偶然だと思い直しました。

 いくら燈子さんとその「燈火稲荷」が似ていると感じても、狐が化けるのは昔話の中だけの話で、ありえるはずがないんだ、と。

 僕はその本を閉じて棚に戻し、未だ白いところが目立つ原稿用紙と闘いを繰り広げました。

 そうして宿題を片づけること数日間。

 ・・・まぁ、完璧ではありませんでしたよ。

 隙間が目立ったことは言うまでもありませんでした。

 それでも何とか安心出来るくらいまで減らして、一息ついていたある日。

「お祭り?」

 祖母が持ってきてくれたスイカをかじり、僕は聞き返します。

「そう。四日後にね、お祭りがあるんだよ。場所は知ってるね?」

 祖母の言葉に、僕は頷きました。

 毎年、お盆が来ると、家の近くの河原でお祭りがあるんです。

 そして、そのお祭りが終わった次の日。

 その日が、僕が家に帰る日でした。

「友達と一緒に行っておいで。お別れも言っておかなくちゃあ、いけないね。」

「・・・・そう、だね。」

 あの家に帰らなくてはいけないと思うと、僕は心が重くなるのを感じました。

 ですが嫌だとダダをこねるわけにもいきません。

 いじめられていることを両親に話してみる、と燈子さんと約束しましたからね。

「あ、そうそう。成海、浴衣は着ていくかい?」

「ゆ、浴衣?」

 何でそんなものが、というような視線を感じたのでしょう。

 祖母はニヤッとした笑みを浮かべて言いました。

「お祭りと言えば浴衣だろう?女の子誘って行くんだ、それなりに渋いカッコして行ってきな。」

「何で女の子って知ってんだよ!」

 びっくりして祖母に喚くと、ますます祖母のニヤニヤ笑いがひどくなりました。

「本当に女の子だったのかい。成海、あんたもなかなかやるねぇ。」

 そのとき僕は頭を抱えました。

 まさかカマをかけられるなんて思ってもいませんでしたし、易々とのってしまった自分にも腹が立ちました。

「まぁ、とびきりいいやつを仕立てておいたから、それ着て行くんだよ。」

「ばあちゃん・・・何でそんなに生き生きしてるんだよ・・・・。」

 楽しそうに笑う祖母を、僕はげんなりと眺めていました。

 それはさておき、僕は早速お祭りのことを燈子さんに話しました。

「お祭りなんて久しぶり!私も一緒に行きたい。」

 燈子さんは喜び、僕は内心でガッツポーズをしていました。

「久しぶりって、燈子ちゃんはお祭りに行ってなかったの?」

 お祭りは夏の一大イベントでしたから、久しぶりというのが少し引っかかりましてね。

 僕がそう尋ねれば、燈子さんは少し慌てたように言いました。

「う、うん。あのね、誰も一緒に行く人がいなかったから。だから、あまり行かなかったの。」

 確かに、燈子さんから友達の話を聞いたことはありませんでした。

「じゃあ、おれが一番最初の友達・・・ってこと?」

 はにかんで頷く燈子さんを見て、妙な優越感を感じ口元が緩みました。

 一番最初、という言葉のステータスの大きさが、胸に染み渡ります。

「成海はお祭りの日、どんな格好で行くの?」

「・・・・一応、浴衣みたいだけど。」

 祖母の強制で浴衣に決定してしまいましたが、本当のところを言うと、少し恥ずかしかったものです。

 ほら、あまり着慣れていないものを着るというのは、落ち着かないものでしょう?

「なら私も浴衣で行く!成海とお揃いね。」

 嬉しそうに燈子さんに微笑みかけられ、僕はとぎまぎしながらも頷きました。

 さて、そこからが問題です。

 僕の帰る日を、彼女に話さなければいけないのですから。

「あのさ、燈子ちゃん。」

「どうしたの?」

 真っ黒な瞳に見つめられ、僕は何でもない、と言いそうになるのを懸命に堪え、ようやく言葉を吐き出しました。

「お祭りの、次の日・・・・おれ、家に帰らなくちゃいけないんだ。」

 燈子さんはハッとしたような表情になり、じっと僕を見つめてきます。

「そう、なんだ・・・・。成海、頑張ってね。私との約束、忘れないでね。」

 儚げな笑みを浮かべて、燈子さんは僕の手を握りしめてきました。

 その手を握り返して、僕は静かに頷きます。

 しばらく二人とも無言のまま、そこに立ち尽くしていましたが、どちらからでもなく手を離して笑いました。

「しんみりしてるヒマなんて、ないよね。」

「残りの時間、いっぱい成海と遊ばなきゃ。」

 そうして、僕と燈子さんはお祭りまでの時間を一緒に過ごしました。

 やがて、お祭りの日がやってきました。

「ほら成海、あんたの浴衣だよ。」

 そわそわと落ち着きのない僕の目の前に、祖母は浴衣を広げてくれました。

 色は濃紺、柄は千鳥格子で、帯は薄い灰色でしたね。

 思ったよりも地味で、安心しました。

「ほら、さっさと着てしまうよ。それからね、明日の昼頃に、父さんが迎えに来るってさ。」

「昼頃、か・・・。」

 ポツリと零れた呟きに、祖母は何か言いたそうにしていましたが、口を閉ざしたまま、下駄を準備しに行ってしまいました。

 僕は服を脱ぎ、浴衣に袖を通して前を整えます。

 そうして大体着てしまうと、紐やら帯やらを祖母に締めてもらって完成です。

「行っておいで。少しばかり遅くなってもかまやしないからね。」

「うん、わかった。ばあちゃん、ありがとう。」

 祖母にお礼を言って、足早に燈子さんの元へと向かいました。

 待ち合わせの場所は言わずもがな、いつもの祠前です。

 落日の薄闇に、ぼんやりと見えるのは白い浴衣。

「燈子ちゃん!」

「成海!」

 お互いの名前を呼び合い、僕はまじまじと燈子さんの浴衣姿を眺めました。

 白地に桃色の蓮を描いた、少し変わったデザインの浴衣でした。

「成海、その浴衣良く似合ってる。かっこいいね。」

 真っ先に燈子さんは僕の浴衣を褒めてくれ、頬に血が昇るのを感じました。

「あ、ありがとう・・・・。燈子ちゃんも、その・・・可愛い、よ。」

「本当?嬉しい、頑張って作ったの!」

 おずおずと褒め返せば、嬉しそうに燈子さんは笑ってみせます。

 いつものワンピース姿とはまた違った雰囲気に、僕はぼうっと彼女に見惚れました。

「行こう、成海。お祭りに出遅れちゃう。」

 僕は頷いて、差し出された燈子さんの手を取り、お祭りの場所である河原へと向かいました。



 賑やかな太鼓や笛の音色と、さざめく喧騒が耳を打ちます。

 鮮やかな浴衣がヒラヒラと目の前を通り過ぎて、僕は燈子さんに視線を移しました。

「凄く賑やかね。それに、ヒトもたくさんいる。」

 そう呟いた燈子さんの目は、どこか遠いところを見ているようでしたね。

 しかし、すぐにそんな表情を消して、僕の手を引っ張りました。

「どこから見る?成海は何が見たい?」

「え、えーっと・・・・林檎飴でも食べよっか。」

 燈子さんは頷き、僕たちはお祭りの中に入り込んでいきました。

 赤い林檎飴を片手に、おめん、金魚すくい、あてもの、ヨーヨー・・・・たくさんの出店を、片っ端から攻略していき、しばらくすると僕たちの手には山のような戦利品が抱えられていました。

「もうじき花火があがるよ。場所、とりにいこうか。」

 はぐれないように手を繋いで、僕は燈子さんに言いましたが、彼女は首を横に振ったのです。

「ここより、あの祠のあたりで見たほうが綺麗に見えると思うの。」

 確かに、と僕は納得しました。

 ゆっくり花火を見るのに、あの場所はうってつけの場所でしたから。

「そうだね。じゃあ行こうか、急がないと。」

 こうして僕たちはお祭りの場所から離れて、いつもの祠へと急ぎました。

 少し小走りになりながら祠に到着すると、丁度最初の花火が打ち上げられたところでした。

 ドン、という爆音と、黒い夜空を鮮やかに彩る花火はとても美しく感じられたものです。

「誰もいないね。」

「成海と私の二人だけ。」

 顔を見合わせ、今頃狭い河原でひしめき合いながら花火を見物している人々を想像して、湧いてきた優越感にクスクスと笑い合いました。

 次々に上がる花火の音、そして辺りの静寂。

「あのさ、燈子ちゃん。」

「何?」

 目を空に向けたまま、僕は口を開きました。

「おれ、燈子ちゃんに会えてよかった。いじめのこと、聞いてもらえて嬉しかった。燈子ちゃんに会えなかったら、きっと帰っても何も変わらなかった。人に自分の思ってることを話すのがどれだけ大事なのか、わかったよ。」

 言葉が何の抵抗もなく、するりと出てきました。

 いつもなら、こんな台詞をあっさり言えるわけがありません。

 それが、最後の日だからか、素直に伝えることが出来ました。

「私、何もしてない。全部、成海が一人で乗り越えたんだもの。」

 苦笑するような響きを含ませて、燈子さんは言いました。

「でも、燈子ちゃんのお陰だから。ありがとう。」

「・・・・・うん。こちらこそ、ありがとう。」

 燈子さんが寄り添う気配を感じて、僕は息を呑みます。

 そのまま、一言も言葉を交わすことなく、僕たちは花火を見続けました。

 最後の花火が空に消えると、僕はやっと空から目を離しました。

「綺麗だったね。」

 そう言って、隣にいる燈子さんを見れば、そこには誰もいません。

「・・・燈子ちゃん?」

「成海、こっち。」

 振り向けば、祠の前で燈子さんがじっとこっちを見ていました。

 彼女の後ろには多くの狐像が並んでいて、時間帯が時間帯なだけに、若干の不気味さを感じました。

「あのね、成海。私、成海に言っていないことがあるの。」

 唐突にそんなことを燈子さんは口にしました。

「言っていないこと?」

 オウム返しの言葉に、燈子さんは深く頷きました。

「成海は、不思議なことを信じるヒト?」

 ザアッと辺りに風が吹き、僕と彼女の浴衣をはためかせます。

 急に、今まで聞こえていた虫の音色がふっつりと止んでしまいました。

「不思議なことって・・・・何言い出すんだよ、いきなり。」

「例えばね、私が成海達とは違うモノだとか。」

 僕はそのとき、初めて気が付きました。

 燈子さんの後ろに並ぶ狐像達の頭が、全て僕の方に向いていることを。

 そんなことはどんな偶然でもあるはずがありませんよね。

 無数の像に見つめられ、僕は体が凍り付いたようになりました。

「ど・・・どういう、こと?おれ達と違うモノって、何?」

「私はね、成海。ヒトじゃなくて、狐なんだよ。」

 ユラリと燈子さんの傍らに青い火が灯り、次々に増えていきました。

 多分、狐火だと思います。

 その火が辺りをぼんやりと明るくして、燈子さんを照らし出しました。

 冗談だとは思えませんでした。

 燈子さんの顔が、ふざけているようにはとても見えませんでしたから。

「私が怖い?気持ち悪い?」

 彼女の問いかけに、僕はともすれば震えそうになる声を必死で抑えて、叫ぶように言いました。

「怖いわけ、ないだろ!おれが逃げるとか思ったのかよ!関係ないよ、燈子ちゃんが狐でも幽霊でも!変なこと、言うなよ!」

 目を閉じ、無我夢中で腹の底から声を出しましたね。

 ここで怖がったりしたら、燈子さんを裏切るような、そんな気がして。

「・・・・・・信じてくれるの?」

 しばらくの間の後、呆気にとられたような燈子さんの声が聞こえて、僕は目を開きました。

「さっき言ったよね、燈子ちゃんがどんなものでも関係ないって。燈子ちゃんがおれの友達だってことに変わりはないんだ。だから、燈子ちゃんが信じてほしいっていうなら、おれは・・・・信じるよ。」

 そう言いながら、いつか図書館で見た「燈火稲荷」の話が頭をよぎりました。

 燈子さんは黙りこみ、しばらく僕を凝視していました。

「・・・・もっと、怖がるかと思ってた。」

 ようやく口を開いた燈子さんの言葉に、僕は笑いがこみ上げてきました。

 普通なら、信じることは出来ません。

 彼女が狐だということはあり得ないと、一笑に付せてしまえます。

 ですが、僕は信じました。

「怖がらせるつもりだったの?」

「違うよ、試したの。ここで成海が逃げたり、怖がったりすれば、私、もう成海に二度と会わないつもりだった。」

 燈子さんは淡々とした声で言い、振り向いて後ろの狐像達を眺めました。

「そういう話だったの。ね、みんな。」

 にわかに無数の狐像がぼんやりと光ったかと思うと、そこから人魂のようなものが次々と飛び出してきました。

 そしてその人魂のようなものが、狐の姿に変わったのです。

「な、何だこれ・・・・?」

 目を白黒させて、僕は狐像から飛び出してきた狐達を見ていました。

「これとは、失礼な。見てわかるだろうに。」

「喋った!」

 すぐ近くにいた狐の一匹が、いきなり僕の言葉に反論して、僕はついにその場で座り込んでしまいましたよ。

 まったく、どこの御伽噺だと呆れられても仕方がありませんが・・・全て事実なんです。

「成海、驚きすぎ。皆、私を助けてくれているんだよ。」

 燈子さんに苦笑しながら助け起こされ、僕はとんでもない光景を改めて見渡しました。

 白い狐、茶色い狐、黒い狐、大きいもの、小さいもの、尻尾が二股だったりそれ以上だったり・・・・。

 とにかく色んな狐が、前足をきちんとそろえて座っていました。

「燈子様、我ら全て出揃いました。」

 茶色の狐がこう言うやいなや、一斉に狐達は燈子さんに向かって一礼して見せたのです。

「ありがとう。無理を言ってしまったね。」

「いいえ、燈子様にも事情あってのこと。謝罪の必要なぞございません。」

 僕はどうしたらいいのか解らずに、忙しなく燈子さんと狐達とを見ていました。

「改めて紹介します。こちらの方が藤咲 成海様です。」

「な、成海様?」

 いきなり様付きで紹介されて、僕は顔が引き攣るのを感じました。

「と、燈子ちゃん、これってどういうこと?」

 堪らなくなって彼女に助けを求めると、燈子さんはクスクスと笑って言います。

「あのね、私はこの山を治めてる狐で、皆は私の下で働いてくれているの。ここに成海を呼んだわけは、稲荷寿司のお礼なんだよ。」

 僕は耳を疑いました。

 一度稲荷寿司を持っていっただけで神様に会えるものなら、皆そうしていますよね。

「あの稲荷寿司は、まっこと美味いものだったな。」

「ほんに、あのような美味い稲荷寿司は久しぶりに食ったぞ。」

「この頃ヒトはまったく供え物をしない故、有り難いものだった。」

 口々に狐達が僕に話しかけ、ますます僕は混乱するばかりです。

「えっと・・・・そ、それは、よかったです。」

 そう言うしかなくて、恐る恐る僕は頭を下げました。

「成海には感謝してるんだよ。もうこの祠は、ほとんどヒトには忘れられているから・・・。だから、あの稲荷寿司は本当に嬉しかったの。もう成海は帰ってしまうんでしょ?だったらお礼をしようって、皆で決めたの。」

 燈子さんはにっこりと微笑んで、狐達を見渡しました。

 お礼、と聞いて、僕は何だか申し訳ないような気持ちになってきましてね。

 だってそうでしょう、稲荷寿司を作ったのは祖母なわけで、僕はそれを運んだだけに過ぎないんです。

「そんな!お礼だなんて大袈裟だよ。おれ、何もしてないんだよ?」

「だが、成海様のお陰で好物にありつけたのは事実。そのように遠慮なさるな。」

 黒い狐がもっともらしく僕に言い、他の狐達もうんうんと頷くのが見えました。

「成海には、「狐の嫁入り」を見せてあげる。普通、ヒトは見ることを許されていないんだよ。」

 燈子さんはそう言って、手を差し伸べてきました。

 にわかに煙る雨が、雨雲一つない空から降り注ぎ始めます。

 僕はどうしたらいいのか困りきって黙ったまま彼女の手を見つめていましたが、人間が見ることを許されない「狐の嫁入り」に興味を惹かれました。

 そして、ついに僕は恐る恐る手を伸ばして、彼女の手を握ったのです。

 その瞬間、祠から強烈な光が溢れ、僕は体がグイッと引っ張られるような感覚に襲われました。

 光の強さに閉じていた目を開けば、瞬間移動とでもいうのでしょうか・・・・。

 僕の目の前には見たこともないような景色が広がっていたのです。

 本来ならば真っ暗で何も見えなかったでしょうが、隣に一つ灯った青白い狐火のお陰で、今自分が深い山中にいることがわかりました。

 いつの間にか燈子さんや狐達の姿が見えず、混乱しかけましたが・・・・何やら前方から灯りが近づいて来るのが見えます。

 狐火がふらふらとその灯りに近寄っていき、僕は慌てて後を追いかけました。

 近くまで行くにつれて、チリーン、チリーンという鈴の音色や、カン、カンという拍子木の音が聞こえてきました。

「・・・・ぎ、行列だよね、あれ。」

 僕は懸命に目を凝らし、不思議な行列を見ようとしました。

 そして、ようやくその行列が何なのか解りました。

「燈子ちゃん・・・・?」

 列の先頭で、火炎宝珠の紋が描かれた提灯を持っているのは、巫女装束姿の燈子さんでした。

 僕は道の端に寄り、目を丸くしてゆっくりと進んでくる行列を眺めましたよ。

 先頭を行く燈子さんの後ろには、艶やかな打ち掛けを纏った花嫁と袴姿の花婿。

 その後ろには、彼らが雨に濡れないように赤い番傘を掲げる男、そしてさらに後ろには多くの付き人が従っていました。

 無論、人間ではなく狐の顔をしていましたよ。

 列の左右にはまるで松明のように狐火が灯って、とても美しい眺めでした。

 行列は目の前でピタリと止まると、先頭に立つ燈子さんは僕を手招きしました。

「成海、こっちに来て。」

 言うとおりにすると、火の灯っていない提灯が渡され、今まで僕の傍らを漂っていた狐火がその中に入りました。

 ぼうっと明るくなった提灯を感心して見ていると、燈子さんに浴衣の袖を軽く引っ張られて、僕は顔を上げました、

「成海も参加するんだよ。言ったでしょ、狐の嫁入りを見せてあげるって。」

「でも、本当にいいの?おれなんかが参加しちゃって。」

 しつこいようですが、僕はもう一度尋ねて後ろを振り返りました。

「だから大丈夫だってば。見かけによらず、心配性。」

「そういう問題じゃないよ!」

 参列する狐達は控えめに笑いながら頷き、僕もやっと決心が固まりました。

「わかった。それじゃあ、おれで良いなら喜んで参加させてもらいます。」

 提灯の柄をぎゅっと握りしめ、僕は歩き始めたのです。

 ほの暗い山道、時折聞こえる衣擦れの音。

 二、三歩歩いては止まり、また歩いては止まる。

 僕は隣を歩く燈子さんをそっと盗み見ました。

 黒く長い髪は、うなじの辺りで白い紙と水引で結わえられ、薄く化粧をしているように見えました。

 提灯の明かりに照らし出された姿は、それは綺麗なものでしたよ。

 どれだけ歩いたのか、やがて赤い鳥居が見えてきました。

 行列は鳥居の前で一度足を止めると、燈子さんが前に歩み出てきました。

 何をするのかと思って見ていると、彼女は鳥居に向かい深々と一礼して手を三度、打ち鳴らします。

 一礼、三拍を何度か繰り返した後、再び列に戻り、また歩き始めました。

 今のは何だったのかと考えていると、それを見透かしたかのように燈子さんが耳打ちしてきました。

「今のはね、合図なの。」

「合図?何の?」

 僕の問いに、燈子さんは悪戯っぽく笑うと、すぐにわかるとだけしか言ってくれませんでした。

 いったい何なのだろうかと不思議に思ったまま鳥居をくぐった瞬間、ザッと景色が変化して僕は驚きの声をあげました。

 今まで暗い山中を歩いていたのに、今度は木々の開けた、月明かりが煌々と降り注ぐ場所にいたのですから。

 とにかく、あのときの自分が居た場所をどう話せばいいのかが難しくて、解り辛いですね。

 草原のような広いところでしたが、一カ所だけ明るくなっていて、灯籠のようなものが置かれていていました。

 そこには赤く大きな毛氈が敷かれており、どうやら行列はそこに向かうようでした。

 涼しい風が吹き抜け、それに乗って柔らかな音色が聞こえてきました。

 見れば、楽士の姿をした狐達が雅楽を奏でています。

 毛氈が敷かれてある場所まで辿り着くと、新郎新婦は前の方に、参列者は後ろの方に座りました。

 僕と燈子さんは新郎新婦より少し離れたところで、二人並んで座っていました。

「誓いの杯を今から交わすの。ほら、あれが杯。」

 左右から巫女姿の少女が二人、金色の水差しを持って現れました。

 勿論、少女と言っても狐ですよ?

 新郎新婦は朱色の杯を出して、注がれる御神酒を以て誓いの盃を交わします。

 それから参列者も次々に乾杯していきました。

 かなり荒削りですが、人間の結婚式とあまり変わりませんよね。

「これで終わりかな?」

 そろそろこの厳かな空気が疲れてきて、僕は燈子さんに尋ねると。

「あと、この山に舞と歌の奉納を済ませたら終わり。」

「この山?」

 燈子さんは立ち上がり、しずしずと前に歩み出てきます。

 草を踏み分け、少し離れた場所で燈子さんはピタリと足を止めました。

 そして膝をついて座り込み、いきなり深々と平伏をしたのです。

 新郎新婦、参列者の狐も一斉に平伏して、驚いた僕も急いでその通りにしました。

 頭を上げると、燈子さんが立ち上がる姿が見えました。

 そして、今まで演奏を止めていた楽士達が楽器を奏で始めました。

 旋律に合わせて燈子さんはゆったりと舞い、彼女の口からは聞いたこともないような歌声が流れます。

 ・・・・・何と言っていたのか、ですか?

 さて、それは僕にもわかりません。

 人間の言葉ではなかったのですからね。

 どう表現したらいいんでしょうか・・・・獣の鳴き声とはとても思えない程に、その声は音楽的でした。

 くわーん、くわーんというような感じでしょうかね?

 すみません、やっぱり上手く言うことが出来ませんね。

 最初は燈子さんの声だけだったのですが、だんだんと他の狐達の歌う声も混ざってきましてね。

 僕は呆然と彼らの歌声に聞き惚れていました。

 そしてそれも終わりに近づいた頃、一つだけ僕にもわかる言葉が流れてきました。

「遠神恵賜」

 中学生だった僕に、その言葉が一体何を意味するのかはわかりませんでしたが、今になって調べてみた結果、「遠くにおられる神様が微笑まれますように」という意味、「遠き先祖の神よ、御覧下さい。」という意味など、色々な意味があるみたいですね。

 この言葉を三回繰り返したところで、歌は終わり、燈子さんも舞うのを止めました。

 しばらく物音一つ聞こえませんでしたが、燈子さんがやや疲れたような顔をして戻ってきました。

「お、おかえり・・・・なんか、なんか・・・凄いんだね、結婚式って。」

 いつの間にか喉が乾ききっていて、僕の声は掠れていました。

「そうかな?あんまりそんな実感はないけど・・・・。」

 一つ息を吐いて、燈子さんは狐達の方に向き直りました。

「皆、お疲れさま。稲穂、神楽、幸せになってね。」

 稲穂と神楽と呼ばれた新郎新婦は微笑みながら頷きました。

「主様も、どうか健やかにお過ごし下さいませ。いつかまた、お会いできると祈っております。」

 三つ指をついて二匹は頭を下げ、今度は僕に視線を寄越してきました。

「成海様、いつぞやは美味しい稲荷寿司をありがとうございました。神楽様と美味しく頂きましたよ。お婆様にもお礼を申し上げてくださいね。」

 どうやら新婦の名前が稲穂、新郎の名前が神楽というようです。

 人間に近い姿に化けてはいるものの、肌は真っ白、目は狐らしく釣り上がり、口元は鋭い牙が見え隠れしていました。

 ですが本当に綺麗に思えて、僕は頬が赤く染まるのを感じました。

「あの、はい。ちゃんと伝えておきます・・・・稲穂さん、神楽さん、おめでとうございます。」

 つっかえながらも祝福の言葉を伝えれば、二匹は・・・・いえ、二人は何とも幸福そうな笑みを浮かべて頷いてくれました。

「では、堅苦しい式はここまでにして、宴に入ろうぞ。」

 親族である狐の一声で、たちまち場は騒がしくなりました。

 毛氈の上に、魔法のように食べ物やお酒が現れ、楽士達は今までの雅な音楽から一転、賑やかな音楽を奏で始めたのです。

「さ、成海も食べて、飲んで、楽しんで!」

「えぇ!?おれ、お酒なんて飲めないってば!」

 燈子さんに手を引っ張られ、僕は宴の輪の中に入っていきました。

 そこからはもう、どんちゃん騒ぎですね。

 変化を解いた狐が踊り、僕はやれ喰え、それ飲めと食べ物や飲み物を次々と渡され、燈子さんと踊らされ、質問責めにされ・・・・。

 今までの張りつめた空気は何だったんだ、と言いたくなりましたよ。

「成海、ちょっといいかな?」

 果物を食べていると、燈子さんが肩を叩いてきました。

「どうしたの?」

「・・・話したいことがあるの。」

 僕は果物を置くと、立ち上がって宴の輪から離れました。

 宴の場が見えなくなるところまで来ると、僕達は足を止めました。

「話って何?」

 そう言うと、燈子さんは言い辛そうに眉を寄せて僕を見つめています。

「成海、もう私、成海に会えない。私達の居る場所が、なくなってしまうから。」

 そのとき、僕は頭を何かで殴られたような気がしました。

「な・・・何で?どういうこと?居る場所がなくなるって、あるじゃないか、ここに!」

 こんなにも広く大きな山があるというのに、何故彼女がそんなことを言うのか全くわからず、僕は大声で燈子さんに詰め寄りました。

「もうすぐ、なくなってしまう。だから、ヒトが決して見ることを許されていない「狐の嫁入り」を成海に見せてあげようって、決めたの。」

「だから何で!?ちゃんと教えてよ!」

 手を伸ばして、僕は燈子さんの薄い肩を掴みました。

 しかし燈子さんは弱々しく首を振るばかりで、何も答えようとしませんでした。

「・・・言えないよ。成海に言ってしまえば、私はヒトを憎んでしまう。」

 燈子さんは俯いて、ただ一言「ごめんなさい」とだけ言いました。

 それで、僕は一切の追求を諦めました。

 もう何をどうしようと、彼女が口を開くことはないと直感したからです。

 そういうことだったのか、と僕はこれまでのことを納得しました。

 もう会えないとわかっていたから、燈子さんは多くの狐達と話をして、この場所に僕を招いてくれたんだと。

「好きでいたいの。たとえ住む場所をなくしても、私はヒトを好きでいたい。」

「もう、いいよ。ちゃんとわかったから・・・・。」

 じわりと溢れそうになる涙を必死で堪えて、僕は無理矢理笑ってみせようとしましたが、どうしてもできなくて、涙が頬を濡らしていきます。

「ごめんね、成海。ごめんなさい、泣かないで。」

「・・・・一緒に、いたい。」

 泣き顔を見られたくなくて、僕は俯き小さく本音を漏らしていました。

 普通の人間なら聞き取れないような声ですが、狐である燈子さんにはしっかり聞こえていました。

「・・・本当に?私が狐でも?」

 僕は嗚咽を噛み殺しながら頷きました。

 叶うなら、人間を辞めて狐になってもいいとさえ思いました。

 燈子さんのことが、僕は好きでした。

 恋愛的な意味なのかと聞かれれば、正直なところわかりません。

 恋愛的のようで、友愛的なようで。

 燈子さんはしばらく黙っていましたが、やがて何かを決意したように僕の顔を上げさせました。

「ここを出たら、皆バラバラになる。私も山を治める必要がなくなる。私、貴方の傍にいてもいい?」

 僕は目を瞬かせ、燈子さんを見つめました。

「いてくれるの?」

 燈子さんは頷いて、僕の涙を指先で拭ってくれました。

「少し時間はかかる。でも、嫌じゃないなら。」

 僕は勢いよく首を横に振りました。

「嫌なわけないだろ!」

 燈子さんは嬉しそうに笑うと、僕の手を握って戻ろうか、とだけ言いました。

「成海、ありがとう。」

 ぽつりと呟いた燈子さんの言葉に、僕は何も言わずに手を握り返すことで応えました。

 宴の場に戻ると、心配そうな顔で狐達は僕達を眺めていました。

「お話はお済みのようですね。」

 一匹の狐がそう言えば、燈子さんは僕から手を離して狐の一団に加わりました。

「成海。」

 その瞬間、僕はお別れの時なんだと悟りました。

「燈子ちゃん、今までありがとう。」

「私も、楽しかった。これ、受け取って。」

 燈子さんが懐から取り出したのは、小さな鏡でした。

 手にとって見てみれば、黒い漆塗りで後ろには火炎宝珠の紋が描かれていました。

「これは?」

「それね、あの祠の中にあった鏡なの。御神鏡ってやつかな。本当はただの鏡だけなんだけど、それじゃあげるのに忍びないでしょ。だからちょっと加工してみたの。」

 僕は驚いて、もらった鏡をまじまじと眺めました。

「勝手に持ってきていいの?」

 心配になってそう聞けば、燈子さんは笑いながら頷きます。

「いいのいいの。だってあの祠、私の祠なんだから。成海は気付いていなかったみたいだけど。」

「えぇ!?あの祠がそうなの!?」

 まさか本で見た「燈火稲荷」の祠があの場所だとは。

「もう随分古くなってるし、鏡が消えても誰も変に思わないよ。だから受け取って。」

 狐達も傍に寄ってきては、白くつるつるした貝殻や木苺、綺麗な花なんかをくれましてね。

「どうぞお受け取りください。」

「このようなもので申し訳ありませんが。」

「お気に召して頂けるなら幸いです。」

 あっという間に僕はお土産を抱えて、目を丸くしていました。

「あの・・・・どうして僕にそこまでしてくれるんですか?貴方達は人間に住処を追われてしまうのに・・・。」

 憎まれこそすれ、こんなに親切にされるなんておかしいと思いました。

 狐達は顔を見合わせて、口々に言いました。

「貴方様は我らの姿を見ても怯えず、逃げ出さなかった。」

「それに我らの存在を信じてくれた。」

「信じる者を無下に扱ってはならない。」

「貴方様は主様の「友達」だ。」

「ヒトはあまり好きではないが、貴方様は別だ。」

 見つめてくる狐達の目はどれも優しくて、僕はまた泣きそうになりました。

「ありがとう、ございます。」

「成海、そろそろ時間。」

 燈子さんの声に頷いて、僕は一歩後ろに下がりました。

「また・・・会おうね。」

 その声を最後に、僕の意識はそこで途切れてしまいました。

 次に目が覚めたとき、僕は家のすぐ側で壁にもたれるようにして座っていました。

 夢だったのかと思いましたが、お祭りの品と一緒に抱えている花や木苺、そして小さな鏡に、今までのことは全て現実だったのだと思いました。

 家に帰ると、祖母が出迎えてくれました。

 そこでもう一つ、驚くことがありました。

 かなり長くあの場所に居たと思っていたのに、時間があまり過ぎていなかったのです。

 祖母にもっと遅くなるのかと思っていた、と言われましたよ。

 その日は何だかとても疲れてしまって、気絶するように寝入ってしまいました。

 次の日。

 僕は荷造りに忙しくしていました。

 何せ昨晩はさっさと寝てしまいましたからね。荷造りをするヒマなんてありませんでしたから。

 服や宿題、お祭りで手に入れた物や狐達にもらった物を入れると、僕は鏡を静かに眺めました。

「・・・・おれ、頑張るよ。だから絶対にまた会おうね。」

 ついに、聞き慣れた車の音と、祖母が僕を呼ぶ声がしました。

 荷物を背負い、僕は玄関に向かいます。

「ばあちゃん、ありがとう。」

「気をつけて帰るんだよ。またおいで。」

 車に乗り込むと、僕は不思議な出来事があったこの場所が徐々に離れていくのをじっと見ていました。

「・・・成海、ここにいる間、何かあったのか?」

 僕の雰囲気が変わっていることに気が付いたのか、父がそう言ってきます。

「うん。凄く大切な友達が、出来たんだ。」

「そうか・・・良かったな。」

 こうして、僕はその場所を後にしました。


 これで話は終わりです。

 え?その後どうなったのかですか?

 ああ、そうでしたね。

 家に帰ってすぐに、僕はいじめられていることを両親に話しました。

 両親は驚いて、学校が始まってすぐに担任の先生と連絡をとりましてね。

 そこからの対応の早いのなんの、あっという間にいじめのグループはお縄頂戴となり、たちまちいじめはなくなってしまいました。

 よく言ってくれた、今まで辛かっただろうに、と両親からはひどく心配されました。

 燈子さんの言った通りでしたよ。

 そこから僕を取り巻く環境が変わりました。

 友達が出来て、好きなことができるようになって、勉強にも身が入りましたね。

 そんなある日。

 祖母から、元気にしているかという手紙が届いたんです。

 学校は楽しいか、今度はいつ来るのかという内容を読みながら、とある一行が目に入った瞬間、僕は我が目を疑いました。

 そこには、あの祠が潰されたと書いてあったのです。

 古くなっているし、開発のために撤去されてしまったと。

 僕が帰って、ほんの数日後のことだったようです。

 燈子さんの言っていた「居る場所がなくなる」というのはこのことだったんです。

 知らず知らず、深い溜息が洩れました。

 あの狐達はどこに行ったのだろうか、燈子さんは今、どうしているんだろうか。

 そんなことばかりが頭の中に浮かんでしまいます。

 しかし、僕は燈子さんの「また会おう」という言葉をずっと信じていました。

 で、どうなんだ、結局会えたのかと言いたげですね?

 答えは・・・・そうですよ、会えました。

 というより、今も僕の傍にいます。

 意味がわからないですよね、僕も最初言われたときは貴方と同じ気持ちでした。

 もう何年前になるでしょうか。

 僕が大学に入学したころ、講演会に参加したことがあるんです。

 その帰りでしたかね、とある方に出会ったんです。

 紺色の着物を着た女性の方でした。

 その方がいきなり僕を呼び止めましてね、こう言ったんです。

「あなたは、狐神を祀っておられるのですか。」

 唐突すぎて二の句が継げない僕をその方はじっと見つめて、何やらうんうんと頷いています。

「狐神って・・・・そういうのは、祀っていませんけど。」

 僕がそう答えると、女性は感心したようにほう、と言い、僕の背後の辺りを見ています。

「白くてとても綺麗な狐が、あなたの傍にずっと寄り添っている。余程あなたが大切らしい。」

 僕は雷に打たれたような感覚がしました。

「狐・・・・ですか?」

 震える声で、僕は女性に尋ねました。

「いい護り神になってくれている。過去に何か、狐に関わる出来事でもあったようですね。」

 女性は微笑んで僕を見つめ、更に驚くべきことを言います。

「何かあなたに言いたいことがあるようです。」

「・・・・教えてください、お願いします。」

 目頭が熱くなるのを感じながら、僕は女性に懇願しました。

 たとえこれがイカサマだろうとしても構わない、と思いましたよ。

「では僭越ながら、伝えさせて頂きます。「こんな形で伝えることになってしまって、ごめんなさい。もう成海に私の姿は見えないだろうけど、約束は守ってるから。皆はあの後、京に行きました。あの場所には、全国から集まった狐が沢山いるところがあるから、心配しなくて大丈夫。これからもずっと、一緒ね。」とのことです。」

 間違いない、と僕は確信しました。

 燈子さんがすぐ傍にいる、見えないけれどいてくれている。

「狐は古来より情の深い生き物と言われています。今では人を化かすという印象が深いようですが・・・・成海さんと仰るんですね?この狐神を大切にしてあげてください。」

 女性はそう言い立ち去ろうとしました。

「ちょっと待ってください!もしよろしければ、お名前を教えて頂けませんか?」

 僕は慌てて女性を呼び止めました。

「・・・・御崎、弥子ともうします。」

「御崎さん、ありがとうございました。」

 僕は深く頭を下げ、顔を上げたときには、もう御崎さんの姿はどこにもありませんでした。

 あの後、もう一度御崎さんに会いたくて探したんですが、決して見つかることはありませんでした。

 ・・・人間だったのか、狐だったのか、はたまた別のモノだったのか。

 時々ね、見えるときがあるんですよ。

 熱を出して倒れたときや、ふとした拍子に、ぼんやりとですが白くて細い、四つ足の影が。

 たまに娘が言うときもありますよ、「犬みたいな白い影が見える」とね。

 恐怖は感じていないみたいです。

 ・・・・ところで、僕と燈子さんの話は「貴方達」の世界では有名なんですか。

 何の話だ、ですか?もしかして、お気づきになっていないんですか?

 ええと、その、大変言い辛いんですが・・・・尻尾、出てますよ。

 ああ、そんなに慌てないでください。

 何時から出ていたか?さぁ、僕にもそこまでは・・・・ですが、綺麗な尻尾でしたね。

 稲穂のような色合いで、僕は好きですよ。

 そうだ、実は昨日の夕食が稲荷寿司だったんですよ。

 残り物で申し訳ありませんが、もしよろしければお食べになりませんか?

 僕ももう少し、貴方と話してみたいのですが・・・・。

 はい、全然構いませんよ、貴方が何であれお客様であることは変わりません。

 それとも、正体がばれては何かあるという決まりがあるんですか?

 ・・・・今はもうないんですね。

 で、どうします?






「それでは・・・お言葉に甘えて。」

「わかりました。では少しだけ温めてお持ちしますね。」


この話に興味を持って頂いた人がいましたので、うpしましたー。

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