聖女の隠し子
窓から差し込む朝日で目が覚めた。
「うーん。良く寝たわね」
ベッドから体を起こして修道服を身にまとう。
そう。私マーヤは教会で働く修道女だ。
床に跪いて手を握り合わせる。
この修道女用の女性宿舎の自室で祈りを捧げるのは毎朝の日課。
ただし祈りの対象は神様ではないけど。
「ライナー様は本当にイケメンだわ~♥」
私は壁に貼ってあるライナー様のイラストに向かって祈りを捧げた。
最近流行の小説『はにかみ王子ライナー』は若い女性に大人気。
その主役ライナー様推しである私の中での優先順位は──
ライナー様 >>>>> 神様
──であるのは言うまでもない。
「ライナー様は尊すぎるわ。いえ、むしろライナー様が神よね」
祈りを終えると立ち上がって本棚に近づいた。
はにかみ王子ライナーの棚には同じ巻が三冊ずつ並んでいる。
間違って購入してしまった訳ではなく、使用用、保存用、布教用とそれぞれ用途が異なる。
使用用の一冊を抜き出して目を通し始めた。
「マーヤ」
振り返ると、修道女長が開けたドアの向こうから私を見ていた。
「そろそろ朝食の時間になりますよ」
「あ、すみません」
いつのまにか読み耽ってしまっていたらしい。
私は慌てて本棚へと本を戻した。
「小説を楽しむことは大いに結構です」
修道女長は老齢に差し掛かっている。
娯楽の禁じられた戒律の厳しい時代から教会に務めてきた人だ。
にもかかわらず考え方に柔軟性があって若手にも優しいので尊敬している。
「でも小説を買う代金はちゃんとお給金から工面しているの? あのブローチを売ってお金に替えてしまったりはしていないでしょうね?」
私は慌てて首を横に振った。
「いえいえ! そんなことはしていません」
私は部屋の隅の戸棚に向かった。
引き出しを開けてブローチを取り出して修道女長にかざして見せる。
「大事にしなさいね。あなたの肉親の唯一の手掛かりなのだから」
修道女長が微笑んでドアを閉めた。
一人になると手の中のブローチを見つめた。
銀色の金属の中に赤い宝玉が埋め込まれている。
これは赤ちゃんだった私が身に着けていたものらしい。
聞いた話によると──。
約15年前、ある猟師が鳥の怪物コカクチョウを見つけた。
その片足にはなんと人間の赤ちゃんが握られていたのだという。
コカクチョウは雛の餌にするために時として人間の子供を攫う。
猟師はコカクチョウを射止め、なんとかその赤ちゃんを救出した。
その赤ちゃんを包んでいた布には、赤い宝玉が埋め込まれたブローチが付けられていたのだという。
赤ちゃんは最寄りの街で保護されたけれど、結局身元は分からずに孤児院で育てられた。
それが私。
だから15歳くらいなのだろうけれど正確な年齢は分からない。
マーヤというのも孤児院で付けられた名前だ。
孤児院では大事に育ててもらったと思う。
でも肉親がいない寂しさをまったく感じなかったわけでは無い。
「いつかお母さんやお父さん会える日がくるのかしら。ひょっとして兄弟とかもいるのかな」
手掛かりはこのブローチだけだ。
私はしばらく眺めてからブローチを引き出しにしまって部屋を後にした。
食堂に着くとテーブルには料理が並べられており、もうほとんどの席に修道女たちが座っていた。
「マーヤ。こっちこっち」
仲の良い友達に手招きされて隣の席に座った。
その直後、
「食事を得られることを神に感謝しましょう」
修道女長の合図で全員が手を握り合わせて祈りを捧げた。
それからすぐに食事が始まった。
「今日は食事の当番じゃないからと思って『はにかみ王子ライナー』を読んでいたら、遅れそうになっちゃったの」
「あはは。マーヤはライナー様推しだもんね」
祈りの時こそ厳粛な雰囲気だが、その後はにぎやかなものだ。
私たちだけでなく、みんなが談笑しながら食事を楽しんでいる。
趣味、そして恋愛や結婚の話も耳に届いてくる。
私にとっては当たり前のことだけれど、こういう会話が交わされるようになったのは近年からのことらしい。
「私たち修道女が趣味や恋愛の話ができるようになったのも、聖女エヴェリーナ様のおかげだよね」
「うんうん」
友達の言葉に深くうなずいた。
修道女には禁欲、清貧、貞潔が求められ、かつては一切の例外は認められなかった。
それを変えたのが聖女エヴェリーナだ。
聖女は邪悪な魔を祓う神聖な能力を有した女性にだけ与えられる称号だ。
国中の18歳以下の修道女の中から敬虔で魔力に優れた者が数十人選ばれる。
そして厳しい修行を経て最も優れた一人だけが聖女となる。
聖女になると王都の大聖堂で暮らしながら国の祭祀を司る仕事に従事する。
だが聖女エヴェリーナは、積極的に各地を巡行して魔物を寄せ付けないための結界を張ったり土地の呪いを祓ったりと民衆のための善行に勤しんだ。
それ以外にもエヴェリーナが力を尽くしたことがある。
女性の社会的地位の向上だ。
その中には修道女に課されていた極端な禁欲、清貧、貞潔の緩和も含まれていた。
おかげで修道女にも国から一定の給金が支払われるようになり、恋愛や結婚も許可されるようになった。
「本当に残念だなぁ。エヴェリーナ様が亡くなってしまって」
友達が沈んだ声で言った。
同感だった。
3か月前に聖女エヴェリーナが病没したという訃報が国中に発せられ、多くの人が涙を流した。
「もうしばらく喪に服したら次の聖女の選出が始まるみたいだけど、マーヤも志願したら?」
「ええっ!?」
友達の言葉が意外過ぎて私は思わず食事の手を止めていた。
「マーヤはせっかく強い魔力を持ってるんだからさ」
「いやー。無理よ、無理無理」
確かに私は相当に魔力が強く魔法は得意な方だ。
だけど厳しい戒律が課せられる修行なんて願い下げだ。
「小説が読めない生活なんて耐えられそうにないもの。……まあ、恋人がいたことなんてないからそっちは問題ないけど」
それを聞いた友達は苦笑し、それからちょっとうっとりしたような目になった。
「エヴェリーナ様は生涯独身を貫かれたそうだけど、絶対に好きな人がいたと思うんだよね」
修道女の恋愛や結婚の禁止を撤廃に尽力した理由として確かにしっくりくる。
「かもしれないわね」
そんな会話を楽しみながら朝食を終えた。
食器を下げて二人で自分の部屋に向かう。
「今日の私の仕事は孤児院のお手伝いなんだ。マーヤは?」
「病院から頼まれている仕事があるの」
修道女は教会での礼拝や葬儀に関する仕事以外にも、孤児院や病院の手伝いも行っている。
私が修道女になったのも孤児院時代に修道女の人たちのお世話になった影響だ。
だからなのか、あまり信心深くはないけれど人を助ける修道女の仕事にはやりがいを感じている。
「病院に行くの?」
「その前に森に行くの。薬草を取ってきてって頼まれているのよ」
「そうなんだ。獣とか怪物には気を付けてね」
「大丈夫大丈夫。出てきても魔法でコテンパンよ」
友達に手を振って自分の部屋に戻った。
バスケットかごに外出に必要なものを入れて行く。
休憩時間に読むために『はにかみ王子ライナー』も一冊入れたのは言うまでもない。
それから引き出しを開けてあのブローチを取り出した。
デザインからするとお守りのように見える。だから危険が伴いそうな仕事のときは身につけるようにしている。
私は修道服の胸元にブローチをつけてショールをまとった。
◆
薬草採取は無事に終わった。
私は森を出ると街道近くの木陰に腰を下ろした。
「さてと。一休み」
バスケットかごから取り出した軽食と飲み物を口に入れる。
それから『はにかみ王子ライナー』のページを開いた。
そよ風を感じながら読書を楽しんでいると──。
「あれは」
街道を走る少年の姿に気付いた。
街とは逆方向から必死に走って来る。
そして少年の背後上空には巨大な鳥の怪物の姿があった。
「いけない!」
少年はコカクチョウに追いかけられている。
私は立ち上がると少年に向かって駆け始めた。
少年が私に気付いた。
「そのまま走って!」
叫んだ。
少年と馳せ違う。
コカクチョウが迫って来る。
大きい。
翼を広げた大きさは5メートル近くありそうだ。
私は魔法を使おうとしたが、手に本を持ったままだと気付いた。
街道の石畳に急いで本を置き、両手を前にかざした。
その両手に魔力を集中させる。
手の平の少し先に直系1メートルほどの燃え盛る火球が出現した。
コカクチョウが怯んだ様子を見せて前進をやめた。
距離を保ったまま、翼をはためかせながらこちらの様子を窺っている。
「それ以上近づいたらヤキトリにしちゃうわよ!」
コカクチョウが悔しそうに鳴いて飛び去って行く。
だいぶ遠ざかるのを見届けてから火球を消した。
「ふう」
軽く息を吐いて後ろに振り返ると少年が立ち尽くしていた。
旅装のマント姿。
私よりも背が低く、年齢は11、2歳くらいだろうか。
「君、大丈夫?」
声を掛けると少年はハッとした様子を見せた後で横を向いた。
「礼なんて言わないぞ。助けてもらわなくたって僕は逃げ切れたんだからな」
意地っ張りというよりは、どうも屈折したところがあるようだ。
こういう子は孤児院で何人も見てきた。
別に腹は立たない。
「ふふ。怪我は無さそうね。元気があって何よりだわ。大丈夫よ。君みたいな子供に怒ったりしないから」
そう言うと少年は頬を赤らめた。
余裕のある対応をされて気恥ずかしさを覚えたらしい。
「こ、子供扱いするな! なんだよ、もう」
少年は視線を彷徨わせていたが、街道に置いてある本を見つけて目を止めた。
「はにかみ王子ライナー? こんな下らなそうな本を読んでるくせに大人ぶって──」
「あ゛あ゛ん゛?」
ブチっ!
私の中で何かが切れた。
***
「……ライナー様が下らないですって?」
ドスの効いた声で問い掛けながら上空に向けて両手をかざす。
「そうさ。そんな低俗そうな本なんて、下らないに決まって──、っっ!」
少年が口を止めて息を呑んだ。
私が上空に作り出した魔力の火球に目を奪われたからだ。
先ほどの10倍以上、優に直系10メートルはある。
「はわわわわ」
少年が腰を抜かしてへたり込んだ。
「下らないと言ったこと、取り消しなさい」
怯え切った少年を見下ろしながら囁いた。
魔力の火球はごうごうと唸りを上げている。
「と、取り消します!」
「それだけじゃ駄目ね。復唱しなさい」
「ふ、復唱?」
「ライナー様は最高」
「え、えっと? ライナー様は最高?」
「心がこもってないわよ。やり直し!」
「ラ、ライナー様は最高!」
「ハア? よっぽど火球の中でファイアーダンスを踊りたいみたいね」
「ちっ、違います! イヤッホー!! ハイヤー!! ライナー様は最ッ高ッッッ!!!!!!」
涙目で必死に叫ぶ少年。
私はにっこりと微笑んで火球を消した。
「分かればよろしい。よしよし」
ガクガクプルプルとしている少年の頭を撫で撫でする心優しい私をイメージして──。
***
──と。
いけない、いけない。
相手は子供。ライナー様の素晴らしさを説くのは、想像(***から***の間)に留めておこう。
「あら?」
「はわわわわ」
少年に目をやるとガクガクプルプルしている。
どうやら私が想像中に醸し出していた、ただならない雰囲気を感じ取っていたっぽい。
「あっ、こ、これを」
少年が『はにかみ王子ライナー』を拾って両手でおずおずと差し出してきた。
「……どうも」
ちょっとだけ気まずさを感じながらそれを受け取ったとき、まだお互いの名前も知らないことに思い至った。
「私はマーヤ。街道の先に見えているあの街の教会の修道女よ。あなたは?」
「……シナンと申します」
「シナンね。ちょっとそこで休みましょうか」
先ほどの木陰にシナンを連れて行って腰を下ろした。
シナンも隣に座った。
だいぶ落ち着いたようだ。
「シナンはどこから来たの?」
「レミールからです」
ここから半日ほど歩いた場所にある街の名前だ。
「どこに行こうとしていたの? あの街?」
「いえ。目的地はもっと先です。僕は王都に行きたいんです」
「王都!?」
思わず驚きの声を上げていた。
「ここから何日も掛かるじゃない。えっと、シナンは何歳?」
「12歳です」
その歳の子が無事に王都まで辿り着けるとは到底思えない。
街の外には野党も野盗もいる。
現にコカクチョウに襲われていた。
「12歳の子が一人で王都に行くなんて、いくらなんでも無茶よ。どうして王都に行きたいの?」
「……聖女エヴェリーナ様のお墓参りがしたかったからです」
「亡くなられた聖女エヴェリーナ様のことは私も尊敬しているわ。お墓参りしたいという気持ちも分かる。でも一人で行くなんてやっぱり無理よ」
シナンが膝を抱えてうつむいた。
やはり屈折したところがあるようだ。
一人で聖女エヴェリーナの墓参りに行こうとしていたのもどうにも解せない。
だが言葉遣いなどから育ちは良さそうにも思える。
「あの、シナンのご家族は?」
「……僕の父は、レミール領主です」
「えっ!? じゃあシナンは貴族の御令息なの?」
「一応は」
「じゃあシナン様とお呼びしないといけないかしらね」
「いえ。呼び捨てで構いません。マーヤさんは命の恩人ですから」
シナンが首を横に振ってから姿勢を正した。
「お礼がまだでした。先程は危ないところを助けて頂き、ありがとうございました」
貴族だからと気取ったところはない。
礼儀正しく根は良い子のようだ。
「ふふ。どういたしまして」
「そうだ。少ないですが謝礼を──」
「要らないわよ」
お金を取り出そうとするシナンを制した。
「実は私もコカクチョウに襲われたことがあってね。でも猟師の人が助けてくれたの。その人は何も見返りなんて求めなかったらしいから」
「そうなのですか?」
「ええ。私が赤ちゃんのときのことだから、全然覚えてはいないんだけどね」
私は自分がコカクチョウに攫われて助け出された話をシナンに聞かせた。
「──ということがあったの。あら?」
なぜかシナンが目を見開いている。
「何? どうかしたの?」
「……マーヤさんがコカクチョウに攫われたとき、もしかしてブローチを身に着けていませんでしたか? これと同じ物を」
シナンが懐から何かを取り出した。
「あっ」
それを見て私は思わず声を上げた。
銀色の金属の中に赤い宝玉が埋め込まれているブローチ。
私が持っているのと全く同じだ。
「ええ。そうよ。今も身に着けているわ」
羽織っていたショールの下の胸元からブローチを外して差し出した。
私の手とシナンの手。
両方に瓜二つのブローチが乗せられている。
「同じものですね」
「ええ。これって一体、どういうことなの?」
鼓動が早くなる。
心がざわめく。
「僕はそのブローチを誰がマーヤさんに贈ったのかを知っています。つまりマーヤさんの出生の秘密を知っているということになります」
「何ですって!?」
驚いてシナンを見ると、なぜか表情を曇らせていた。
「でも話すべきではないのかもしれません。もしかしたら、マーヤさんは知らないままの方がいいのかもしれないから」
「何を言っているのよ! 知っていることを全部話して!」
私はシナンの肩を掴んで揺さぶった。
「ちょっ!」
「あっ、ごめんなさい」
私は手を放して姿勢を正した。
「お願い。シナンの知っていることを全部話して。受け止める覚悟はできているわ」
シナンはちょっと迷った様子だったが、やがて深くうなずいた。
「分かりました」
私もうなずいてから深呼吸して心の準備を整えた。
それでも期待と同時に不安が込み上げてくる。
「まずそのブローチですが、それは聖女エヴェリーナが我が子に贈ったものです」
シナンが何を言っているのか理解できなかった。
「ええと、エヴェリーナ様は生涯独身だったはずでしょう?」
「世間ではそう言われています。現在ならいざ知らず、かつて修道女は禁欲、清貧、貞潔が当たり前とされていた。修道女の代表でもある歴代の聖女も、子供以前に伴侶を持つことは許されなかったそうですから」
「それなのにエヴェリーナ様に子供がいたって」
「隠し子ということになりますね」
シナンの話によると──。
エヴェリーナは聖女に選出されてしばらくすると、民衆のために各地を巡行するようになった。
そして約16年前に訪れたある村で、病に侵された美麗な青年に出会った。
二人は密かに魅かれ合い恋に落ちた。
しかしその村だけに長く留まることはできない。
二人は涙ながらに別れた。
その後、青年は時を経ずして病によって亡くなったそうだ。
エヴェリーナはその知らせを聞いた後で青年の子供を宿していることに気付いた。
聖女が妊娠したなどと世間に知られるわけには行かない。
魔力の幻術で大きくなったお腹を隠し、山奥で暮らしている知り合いの夫婦の元で密かに女の子を生んだ。
だがやはり聖女という立場で子供と暮らすことはできない。
エヴェリーナは子供を知り合いに預けた。
そして健やかに育って欲しいという願いを込めて、お守りのブローチ我が子に贈った。
子供を預かっている夫婦は、子供を包む布にそのブローチをつけて大切に育てようとした。
だが不幸にも、子供はコカクチョウに攫われて行方知れずになってしまった。
「コカクチョウに攫われてしまったその子供はマーヤさんに間違いありません。そのブローチが証拠です」
「つまり、私は──」
「聖女エヴェリーナの隠し子です」
にわかには信じられない話だ。
だがシナンが嘘を言っているとも思えない。
胸中で様々な思いが渦巻いている。
気持ちの整理がつかない。
聖女エヴェリーナが母であるということ。
そしてその母も父も既に亡くなっていること。
素直に喜べるだけの内容ではない。
気が付くと頬を涙が伝っていた。
「……すみません。やはり話さないほうが良かったかもしれません」
シナンが居たたまれないような顔で呟いた。
「ううん。教えてくれてありがとう」
涙を拭って作り笑いを浮かべる。
「それにしても、シナンはどうしてその話を知っているの?」
気になっていたことを訊ねてみた。
「なぜなら、僕も聖女エヴェリーナの子供だからです」
シナンが自分のブローチを見つめながら呟いた。
「嘘!?」
「いえ、本当です」
今度は自分の出生についてシナンが語り始めた──。
聖女エヴェリーナが各地を巡行すると、その土地の有力者が滞在時の世話をすることが良くあった。
約13年前、レミールを訪れたときもそうだったらしい。
レミールの若き領主ローエンはエヴェリーナを歓迎した。
そして二人は恋に落ちた。
しかし聖女がレミール領だけに長くとどまることはできない。
二人は涙ながらに別れた。
そして別の土地を巡行しているとき、エヴェリーナはローエンの子を宿していることに気付いた。
「……似たような話をさっきも聞いたような」
「……はい。マーヤさんの話にそっくりですね。今の話の身籠った子というのは僕のことですが」
先ほどの話とが16年前で今の話が13年前。
ということは、恋人だった青年が亡くなって約3年後の話だ。
子供まで出来たことを考えると結構短い時間しか経っていない気がする。
聖女エヴェリーナは恋多き女性なのかしらなどと思ってしまった。
「話を続けます」
聖女が妊娠したなどと世間に知られるわけには行かない。
エヴェリーナは魔力の幻術で大きくなったお腹を隠し、密かにレミール領を訪れてローエンの保護のもとシナンを生んだ。
だが聖女という立場で子供と暮らすことはできない。
エヴェリーナは産後まもなくレミール領を離れた。
健やかに育って欲しいという願いを込めてお守りのブローチをシナンに贈って──。
なおシナンはローエンの愛妾の子でその愛妾は出産時に亡くなったということになっているらしい。
もちろんエヴェリーナがシナンの母親であることを隠すためだ。
「つまり、僕も聖女エヴェリーナの隠し子ということになります」
「そうだったのね。あっ」
私は言った瞬間にハッとした。
「じゃあ、私とシナンは──」
「はい。聖女エヴェリーナを母に持つ、異父姉弟ということになります」
姉弟。
肉親。
すぐに実感は湧いて来ない。
それでも何か温かいものが心の奥に宿った気がする。
「僕はそれなりに裕福な家で不自由することなく暮らしてきました。ですがマーヤさんは生まれてすぐにコカクチョウに攫われてしまって……。色々とご苦労なされたではないでしょうか?」
心苦しそうに言うシナン。
私は首を横に振った。
「孤児院で大事に育ててもらったわ。世話をしにきてくれる修道女の人たちも優しかったし。おかげで私も修道女の道に進みたいと思うようになって、今そうしている。私は幸せよ」
そう。
それにこうして弟であるシナンにも出会えた。
「ねえ。もし良かったら姉さんと呼んでくれない?」
「えっ」
シナンの照れた様子が可愛い。
「いいじゃない。本当に姉弟なんだから」
「では……。マーヤ姉さん」
なんだかこそばゆい。
それでもやっぱり嬉しい。
「もっと弟のシナンことを教えて欲しいわ。エヴェリーナ様が母親であることは知っていたのよね? 会ったことはあるの?」
「はい。僕が物心ついてから4、5回ほど」
エヴェリーナは巡行の際、一年か二年に一度だがレミール領を通るようにしていそうだ。
その度に父であるローエンを含めた三人で密かに親子として過ごしていたらしい。
エヴェリーナは息子であるシナンにとても優しかったという。
「なら……。エヴェリーナ様が亡くなってしまって悲しかったでしょうね」
エヴェリーナが病気で亡くなったのはつい三ヶ月前のことだ。
「はい。ですが僕以上に父が嘆き悲しみました。妻を娶ることもなく、ずっと母を愛し続けていましたから」
そしてローエンはエヴェリーナをエヴィと、エヴェリーナはローエンをロー君と呼ぶ仲睦まじい夫婦だったそうだ。
「ふふ。一領主のことをロー君と呼ぶなんてね」
なんとも微笑ましいが、それが逆に悲しい。
エヴェリーナはもうお墓の中だ。
「……エヴェリーナ様が病に臥せっていたとき、シナンやお父上は王都に面会に行ったの?」
「家族であることを隠してお見舞いをすることは出来たかもしれません。でも、会えませんでした」
「どうして?」
「僕も病気だったからです。心配してくれた父も王都に行くのは見合わせました」
「そう。同時期に病気になるなんて、残酷な偶然ね」
「それが……。実は偶然ではないんです」
「シナンとエヴェリーナ様が同時期に病気になったことが、偶然ではない?」
どういうことだろう。
「なぜなら、僕がある呪術師に呪いを掛けられてしまったことが原因だからです」
「呪い!?」
約二年前、レミール領内で遊んでいたシナンは怪しげな男に出会った。
その男はシナンに禍々しい魔力を放ったそうだ。
一見なんともなかったが、男はこう言ったそうだ。
お前を中心にした血のつながりによって、親子夫婦で病を連結する呪いを掛けたと。
一人が病に侵されれば他の二人も同じ病で苦しむことになる。
お前には母親はいないそうだが、父が病で死ぬときはお前も死に、お前が病で死ぬときは父も死ぬ。
家の血筋は絶えることになる。
そうなったら困るだろう。
呪いを解いて欲しければ金を用意しろ。
お前の父にそう伝えておけと。
「そんな呪いを掛けられてしまったの?」
「はい。病気にさえならなければなんともない呪いなのですが、病は絶対に防げるものではないので」
直接危害を加える呪いは強力な代わりに掛けるための制約も多い。
回りくどいが領主を脅迫するには効果的な呪いかもしれない。
「ですが、偶然その日にレミールに来た母が呪いを緩和してくれたのです」
「解呪ではなく緩和?」
「完全な解呪は無理でした。呪いを掛けた男は野放しでしたし」
なら無理もない。
もともと呪いは掛けるよりも解く方が圧倒的に難しい。
聖女エヴェリーナといえども緩和が限界だったのだろう。
「どんなふうに呪いを緩和して頂いたの?」
「病は連結しても死までは連結しなくなりました」
「なるほど。つまり病の連結の呪いのせいで、エヴェリーナ様が病気になったことでシナンも同時期に同じ病気になってしまった。でも呪いが緩和されていたことで死は連結しなかった。だからエヴェリーナ様が病で亡くなっても、シナンは死なずに済んだということね?」
「はい。母が亡くなると、僕は逆に快方に向かいました。三ヶ月経った今は元気なものです」
不幸中の幸いと考えるべきかもしれない。
エヴェリーナもシナンが生きることを願っていたはずだ。
「そういえば、お父様もお元気になられたの?」
「……というか、父は病にはなりませんでした」
「え?」
腑に落ちなかった。
シナンを中心にした血のつながりによって、親子夫婦で病を連結する呪いを掛けられたはずだ。
ローエンだけ病にならなかったのはおかしい。
「ですが──。僕の家の使用人にバスカルという男がいまして。領内で美形だと評判の」
「それが何? 関係なくない?」
「僕が病に臥せっていた時、そのバスカルも病に臥せっていました。それ以前にも、僕が風邪を引くとバスカルもいつも風邪に……」
「ええと? シナンとそのバスカルの間で病が連結していたということ?」
「はい。母とも、ということになります」
………………………………………………………………………
「………それってつまり、シナンの本当のお父さんはバスカ──」
言い掛けて口をつぐんだ。
「……呪いのことは絶対に父には言うなと母に口止めされていました。解呪のために大金を払わせるようなことがあってはならないとのことでしたが、よくよく考えてみると、母がバスカルと関係を持っていたことを隠すためだったのでしょう」
シナンがやるせなさそうに顔を伏せた。
エヴェリーナはレミールを訪れるたびにローエンと夫婦として暮らしていた。
それなに美形の使用人のバスカルと、陰でこっそり懇ろに──。
ローエンは妻を娶ることなくエヴェリーナだけを愛していたのに。
切ない。
切なすぎる。
ロー君可哀想。
「何も知らない父を見ているのが辛くて、家出のようにレミールを飛び出してきてしまいました」
シナンにも残酷過ぎる現実だ。
12歳の子供に受け止めきれるものではない。
どこか屈折したところがあるように見えたのも無理もないことだ。
私はそっとシナンの肩を抱いた。
「私たちのお母さん、とんでもない人だったのね」
「ええ。聖女が聞いて呆れますよ」
「それでも、王都まで行ってお墓参りしてあげたいと思っているんでしょう? シナンは優しいわね」
「……実はそれ以外にも目的があるんです」
「目的って?」
「姉に、会いたかったんです」
「そうだったのね。でもこうして会えたのって、凄い偶然だわ」
「いえ。マーヤ姉さんには、さすがに会えるとは思ってなかったです。会おうとしていたのは、マーヤ姉さんとは別の姉です」
「別の姉!?」
病に倒れたエヴェリーナは、シナンへと密かに手紙を送っていたらしい。
その手紙にはコカクチョウに攫われた私のこと、そしてベルダという村に娘がいることが記されていたのだという。
……聖女の隠し子は、二人ではなく三人だったということ?
「ベルダは王都に行く途中にある村です。そこを訪れて、姉に母がどんな人だったのか聞いてみたくて」
シナンの気持ちは痛いほど分かる。
だけど一人で行かせるには危険すぎる。
「私も聞きたいわ。付き合うわよ」
◆
それから──。
街に行って教会の仕事を休む手続きをしたり、シナンに父宛てに心配しないよう手紙を出させてからベルダ村に向かった。
村に着くと姉はすぐに見つかった。
同じブローチを持っていたからだ。
私たちよりずっと年長の姉はしみじみと母のことを語った。
エヴェリーナというのは偽名だそうだ。
聖女の募集があった際に適当に決めた名前だそうだ。
そして聖女になる条件を全く満たしていなかったらしい。
純潔が求められていたけれど、その時点で結婚していて自分も生んでいたと姉は言った。
しかも修道女でもなんでもなかったのに、文書を偽造して聖女選出試験に潜り込んだそうだ。
年齢制限の18歳もとっくに超えており、10近くサバを読んでいたのだという。
見た目は強力な魔力の幻術でごまかしていたらしい。
なお、農夫をしている姉の父は健在とのことだ。
私もシナンも、話を聞くにつれて遠い目になっていった。
……聖女とは一体?
最後まで読んで下さってありがとうございます!
少しでも楽しんで頂けましたら下の☆☆☆☆☆で評価して頂けると幸いです。
ブクマ、感想、リアクションなども励みになります。
なにとぞよしなに。




