第4話 幼馴染との結び
「瑛哉、そこで突っ立っとらんと座れい」
思考がまとまらず立ったままになっていた瑛哉に、厳時が座るように促す。
その言葉に従って用意された座布団の上に座ると、優樹菜と対面するような位置になり、隣には厳時と同じ程の齢の老人が座っていた。
「…爺ちゃん、仕組んだのか」
「その答えは、いつも通りお相手に挨拶してからな」
「…わかったよ」
厳時から視線を外し、姿勢を正して優樹菜に向かう。
「白瀧家本家の長男、白瀧瑛哉と申します。
本日はわざわざ足をお運びいただき、誠にありがとうございます」
自己紹介と感謝を述べ、頭を下げる瑛哉。
お見合いを始めるにあたって、いつもしてきた形式的な挨拶。
しかし、相手が見知った人物だと、どうもやりにくさを瑛哉は感じた。
「神白宮家本家の長女、神白宮優樹菜と申します。
こちらこそ、このような場を設けて下さり、誠にありがとうございます」
自らの胸を手のひらで指しながら、優樹菜は上品な微笑みを浮かべて挨拶する。
今の優樹菜の服装は、瑠璃色にたくさんの花柄があしらわれた着物で、胸元に描かれた青色の薔薇が印象的に見える。
普段の髪型とは少し違い、純白の髪は左右に作った三つ編みを使って上品にまとめ上げられ、白と青の花の形をした髪飾りが彩っていた。
制服や普段着なら見慣れているものの、着物など現代では日常的にはあまり着ないものを着て、更にヘアスタイルを変えている今の優樹菜は、瑛哉の目で見ても一瞬別人に思えてしまうほど美しく、そして儚さが映る。
世の男性が1度は目を奪われてしまう程の絶世の美女が、目の前にいた。
「で、さっきの答えを聞かせてもらっても?」
「そう焦りなさんな、瑛哉君。 今から厳時が説明するじゃろうて」
挨拶を終えた瑛哉が、再び厳時に視線を向ける。
詰め寄るような瑛哉の姿勢に、優樹菜の祖父である神白宮信秀が、優しい声色で宥めるように言った。
「そうだぞ瑛哉。 優樹菜さんを見習え」
「チッ…」
厳時にまで落ち着くように言われると、舌打ち混じりに睨みつけた後、諦めたように正面を向く。
そんな瑛哉を見た優樹菜は、内心笑いを堪えるのに必死だ。
「まず、この見合いが決まった経緯からだな。
瑛哉、お前はこれまで何十人もの相手と見合いをしてきたが、結局婚約者を決めておらんな?」
「そうだな」
「このまま瑛哉が婚約者を決めかねていたら、一族の今後にも関わる。
そう考えていた時、信秀と話す機会があっての。
話をしていたら、優樹菜さんも婚約者を決めかねているという事を聞いたのだ」
厳時と信秀は当主時代に共に苦楽を共にした仲であり、引退した今でもその関係は変わっていない。
家も隣同士ということもあり、世間話も兼ねてお茶をする事も珍しくないのだ。
「そこで、儂と厳時で考えたのよ。
幼い頃から共に過ごしてきた2人なら、今までの見合い相手よりも関係性が深い。
ならば、婚約者として適任ではないか、と」
「(…待てよ)」
信秀が説明すると、瑛哉はとある言葉を思い出す。
ちょうど今日、優樹菜の口から発せられた言葉と、信秀の説明が類似しているのだ。
「…なるほど、納得がいった。
この見合いの発案者は優樹菜、そして3人…というか、父さんと母さん、優樹菜の両親もグルって事か」
良家同士のお見合いは、普通当主達の許可があって成立するもの。
つまり、瑛哉と優樹菜の両親も絡んでいることは明白であった。
「流石瑛くん。 気づくのが早いね」
「ほほう。 そこまで考えが及ぶとは、瑛哉よ、成長したな」
「そりゃどうも」
はぁ、と瑛哉がため息をつくと、「さて」と言いつつ厳時と信秀が立ち上がる。
「儂らからの説明はもうない。 後は若い者同士で語らうといい。
話が終わったなら、スマホに連絡してくれ」
「わかりました」
「わかったよ…」
孫達の返事を聞くと、2人は和室からさっさと退出していく。
ここまでが計画なのかと、瑛哉はまた溜め息をついた。
「「…」」
2人しかいない和室に、静寂が訪れる。
瑛哉が視線を送れば、優樹菜は相変わらず微笑みを浮かべながら視線を返してきた。
「見事にしてやられたな、俺」
「ふふ、まさか私まで絡んでるとは思ってなかったでしょ?」
「ホントな…で、話すって言っても何話すんだ?
学校でも散々話しただろ?」
「その前に、何か言い忘れてない?」
「…まあ、そうだな」
項垂れていた姿勢をきちんと直し、正面にいる見合い相手を見る。
その言葉を今か今かと待っているように見えた瑛哉は、心からの言葉を述べた。
「よく似合ってる。
普段制服とか緩い普段着の姿しか見たことがなかったのもあるのかもしれんが…お前のその姿を見て、正直、その…ドキドキしてる」
「!…えへへ♪」
「ああもう恥ずかしいなぁ!!!」
女性がお洒落していたら褒めてあげるべき。
これは瑛哉が父や祖父から習ったものだが、初対面の相手にはともかく、知り合いに面と向かっていうのは気恥ずかしい。
しかし、その言葉を贈られた優樹菜は、目の前にある机に突っ伏しつつ悶える瑛哉とは逆に、両手で頬を包んで左右に揺れながら、嬉しさ全開の笑顔を浮かべていた。
「さっきの解答、満点をあげましょう」
「そりゃどうも…はぁ、くっそ恥ずい…」
一度顔を上げるが、再び額を机に押し付ける瑛哉。
すると、優樹菜がスススっと移動して悶える幼馴染の隣に座った。
「ところで、約束覚えてる?」
「…まあ、今日決めたことだからな、流石に覚えてる。
予めすることを知っていたから、あの約束をしたんだろ?」
「そうなんだけど…その、瑛哉くんの気持ちを聞いてなかったなって思って」
「気持ち?」
隣に座った優樹菜と向き合いつつ瑛哉が問えば、碧眼からの真っ直ぐな視線を捉える。
その雰囲気は、いつも瑛哉に見せている緩いものではなく、真面目なものだった。
「瑛くんは、私のこと好き?」
「…」
「私は好きだよ、今も昔も」
「っ…」
昔から言われ続けてきた、幼馴染からの好意。
幼い頃なら、子供の言うことだからと済ませられただろう。
だが、高校生となった今では、言葉の意味が変わってくる。
「昔、瑛くんも言ってくれたよね? 私の事が好きだって」
「…そうだったな」
「今はどうなの?」
「それは…」
素直に言えばいい事だが、次の言葉が出てこない。
瑛哉自身、迷っているのだ。
約束をした手前、想定していなかった状況が進行形で現実になっているという混乱。
更に、過去に起こったある事件の後悔から、瑛哉は本当に優樹菜の婚約者になってもいいのか、“好き“と言ってもいいのかと自分を卑下するような思考に陥っている事。
その2つの理由が、瑛哉が自身の優樹菜に対する気持ちに蓋をして、忘れさせようとしていた。
「じゃあ、質問を変えるね。 瑛くんは、私が他の人と結婚したら、どう思う?」
「…素直におめでとうって、祝福したいと思う」
「じゃあ、もし私がその人に乱暴な事をされたら、瑛くんは───」
「そんな事させねぇよ」
優樹菜が言い終わるよりも先に、言葉を遮ってはっきりと言う瑛哉。
そして、気づいたのだ。
「(…そうか。俺、本当は…)」
自身の本当の、蓋をして忘れかけていた気持ちが、込み上げてきた。
「俺、確か言ったよな。
小学生の頃、クラスの男子にいじめられてたお前を助けた時に」
目を閉じ、あの時の気持ちを思い出すように、記憶を辿る。
幼き瑛哉が優樹菜に誓った、その言葉を。
「優樹菜に手を出す奴を、俺は絶対許さない。
そんな奴らは、俺がまとめて相手してやる、ってさ」
「…うん、覚えてる」
「今思えば子供の戯言だったけどさ…でも、俺はその言葉の通りにするために、あの後から武術系の習い事を始めたんだよ。
お前を守るために」
「っ!」
目を見開き、紡がれた言葉に驚くと同時に、優樹菜は頬を赤く染める。
「…だから、その、なんて言えばわからないけどさ。
お前の事は大切に思ってるし、これからもそうしていきたいって思ってる」
右手を首に当て、優樹菜から視線を外しながら言う瑛哉に、彼女はくすっと笑う。
「それって、プロポーズの言葉?」
「あっ、いや、その───」
「ふふ、からかっただけだよ。
…でも、瑛くんの気持ちは分かった」
嬉しいと言わんばかりに頬を緩める優樹菜の顔を見ると、瑛哉は「うっ」と胸が苦しくなるような感覚を覚える。
しかし、同時に心がスッキリしたような気持ちになったのは確かだ。
「(言うなら、今しかない)」
お互いの気持ちが通じ合った今、伝えなくてはならない。
「優樹菜、言いたいことがある。
…ただ、柄でもない事言うから、笑わないでくれよ?」
微笑みを浮かべて優樹菜が頷くのを確認すると、一度深呼吸して息を整える。
これからの人生で共に過ごす者への言葉を、優樹菜に伝えるために。
「小さい頃の俺は、お前の事を仲の良い幼馴染としか思ってなかった。
でも、小学生や中学生の時、お前を不快にさせる奴らから、俺が守らないとって思い始めたんだよ。
それからは知っての通り、強くなるために習い事に打ち込んで、それなりの強さと自信を手に入れたつもりだった。
…そんな時、あの事件が起きて、俺はお前を守りきれなくて、それどころか傷ついてた筈のお前に慰めてもらってさ。
守り抜く筈だったのに、その為に強くなったのに、俺は昔の自分の覚悟を、願いを、果たせなかった」
瑛哉が言うある事件。
それは、2人が中学2年の頃に起きた、隣町の不良グループによる誘拐事件である。
詳細は省くが、その事件がきっかけで、2人の心にはそれぞれの深い傷が残った。
「そんなことないよ。 瑛哉くんが来てくれなかったら、今こうして何事もなく過ごせてないかもしれなかったんだよ?」
「…でも、中学の時の俺は、不甲斐ないって感じてた。
そういう事もあって、俺は優樹菜に相応しくない、俺なんかよりも幸せにしてくれる人がいるって思ってたんだよ。
今まではさ」
幼馴染の、“好きな人“の瞳を真っ直ぐ見て、言葉を紡ぐ。
「さっきの質問で気づいた。
俺は誰よりも優樹菜の幸せを願ってるけど、その隣にいるのが俺以外の誰かなのは、絶対に嫌だって。
自分勝手だけど、俺はそれぐらい、優樹菜のことが好きだ」
「っ…!」
優樹菜が息を呑む。
滅多に言わない幼馴染からの好意。
ずっと昔から好きだった相手からの言葉が、優樹菜の胸を射抜くのは必然だった。
「誰かを大切にしたい、自分の隣で笑ってほしい。
そう思ったのは、優樹菜が初めてだったんだよ。
でもさ、あの時のことが忘れられなくて、未だに自信を持てない俺が、お前に釣り合うのかって。
学校でも人気者のお前と喋っていたら、変な噂を立てられるんじゃないかって。
そう思って、俺はなるべく目立たないようにするために、学校にいる時はお前と距離をとった。
本当は喋りたいけど、我慢してた」
相手を想うからこそ、関わらない。
人一倍自責心が強く、自信を失った当時の自分が下した決断。
しかし、これからは違う。
「俺は、これからもずっと優樹菜といたいし、思い出も作っていきたいと思ってる。
その為にも、お前と並んでも不自然がられないくらい、良い男になれるように努力するつもりだ。
…だから、段階をすっ飛ばすことになるけどさ」
胸が高鳴り、顔が強張る。
ここまで緊張するのは何時振りかと心の中で思いつつ、瑛哉は言った。
「神白宮優樹菜さん、俺と、結婚してくれますか?」
強張る表情が自然と微笑みに変わり、優樹菜に手を伸ばす。
優樹菜の顔を見ると、サファイアの瞳が膜を張ったように潤み、それを零さないように目を閉じ、微笑んだ。
「…うん!」
力強く、嬉しさが滲み出る声色で了承の意を伝えた優樹菜は、伸ばされた手を取ると、そのままの体を押し出して瑛哉の胸に顔を埋める。
その瞳からは次々と涙が溢れ出ており、両手をぎゅっと背中に回して瑛哉を離さない。
逃さないと言わんばかりに抱きついてくる優樹菜に愛しさを感じつつ、瑛哉も幼馴染の背中に手を回して抱き留める。
「(今度こそ、この笑顔だけは守り抜く)」
何よりも大切にしたい。
誰よりも幸せにしたい。
そして、愛したい。
自分の腕の中に収まる優樹菜を見て、瑛哉の心はそういった気持ちで埋め尽くされた。
昔の後悔を再び味わないように、自分がもっと強くなる為に、精一杯努力しよう。
「優樹菜」
「なぁに?」
ゆっくりと顔を上げた優樹菜の耳に口元を寄せ、優しく囁く。
「俺、幸せに出来るように頑張るよ。
その為にも、もっと努力して、最低限自分に自信を持てるようにする。
…だからさ、見守ってくれるか?」
「…うん。 ずっと見守る。
疲れたなら甘やかしてあげるし、出来ることが増えたら沢山褒めてあげる。
奥さんの役割は、そういう事だから」
背中に回していた手を解き、ぐっと身を乗り出して瑛哉の首に手を回す。
目線を合わせるように瑛哉の頭の位置を調整すると、瑛哉にだけ見せる甘い笑みを浮かべた。
「これからもよろしくね、瑛くん♪」
月明かりが街を照らす初夏の夜。
幼馴染だった2人が、1組の夫婦になった。