5‐2 激闘! カレーライスマラソン
亮太くんがそんな会話をしていたころ。私は四キロメートル走る、肉コースを走っていた。距離が長いのでちゃんと走れるか心配していたが、周りを見ると私よりもゆっくり走っている人もいて、これなら大丈夫そうだ。
「清水さーん! 」
誰かに声をかけられ、うしろを振り返ると、習練会の殿馬くんがいた。
「コース同じなんだね! よろしく! 」
「よ、よろしく」
「俺、あんまり他の塾に通ってる子と話したことなかったからさ、なんだかすごく新鮮なんだ! 」
そういって、はしゃいでいる。かなりのハイテンションだ。しかし、どこかこちらの様子をうかがうような話し方でもある。
「そういえばさ」
殿馬くんが思い出したように言った。
「あの一灯塾の手書きのチラシ、すごい迫力だよねー。熱血指導‼ってかんじ」
「ああ、うん。ありがとう」
若干言い方が気になったが、わざわざ波風を立たせる必要もない。私は無難な返事をした。
「一灯塾ってさ、普段なにやってるの? 」
「何って、普通に勉強だよ」
殿馬くんの質問の意図は分からなかったが、ともかく答えた。
「へえーーー」
嫌味たっぷり、殿馬君は反応した。
「塾生、あいつと清水さんの二人だけなんでしょ? やばくない? 俺なら辞めちゃうなあ。なんか気まずいじゃん」
「…………」
こちらが黙っていると、殿馬くんはおかまいなしに続けてきた。
「清水さんもさ、一灯塾なんてちっぽけな塾じゃなくて、習練会に来ない? 西陵中で学年二位なら、絶対うちで難関コースに入れるよ。朝倉と同じくらいの実力ってことだから、二人で上位を独占しなよ」
自信たっぷりに、言ってくる。私はまだ黙っている。
「それに先生だってさ、あのへんてこな先生より、うちの風波先生の方がよっぽど……」
「馬鹿にしないでよ」
「え? 」
私は殿馬くんをにらみつけた。
「馬鹿にすんなって言ってんの。あんたみたいな奴がいる塾なんか、絶対入らないから。村夫子先生の方が、千倍まし」
そう言って、私は一気に速度を上げた。
引き離された殿馬は、プライドを傷つけられた様子でそんな茜の後ろ姿を見ていた。
「清水さん……」
空には厚い雲がだんだんと広がっていた。
ここはカレールーコース。カレー作りの要とも言えるカレールーを、大会最長の五キロメートルの道のりを経てゲットするコースだ。
「よう、重晴」
村夫子が軽快に走っている風波に話しかけた。
「まさか、同じコースになるなんてな。こんな偶然、なかなかあるもんじゃない。まあ、生徒もいないことだし、走りながらゆっくり昔話でもしようじゃないか」
風波が、じろりと村夫子をにらみつける。
「話すことなんか、ありませんよ」
ふいと向こうを向き、風波は走り続けた。
「なあ、待てよ。さっきは普通に話してたじゃないか。冷たいぞ」
「子供たちの前で、そんな態度をとるわけないでしょう。大人なんですから。とにかく、私に話しかけないでください」
そう言って走っていく。心なしか、走る速度は速くなっている。村夫子との距離は、どんどん開いてった。
「ま、まて……」
息切れする村夫子に、風波が振り返った。
「日頃の心がけの差ですよ。意識だけじゃなくて、体力も落ちたんじゃないですか、藤村先輩」
「なんだと……」
村夫子の顔色が変わる。
「言わせておけば調子に乗りやがって……」
ぼそりとそう呟いた村夫子は、一気にスピードを上げ、風波を追い抜いた。
「お前が俺に勝とうなんて、百年早い! 」
二人のデッドヒートが始まった。
一方、いもコース。ここだけは走らずに、歩いて二キロを行くコースだ。
「きゃっ」
短い叫び声をあげて、習練会の女子、小坂真優は転んでしまった。道端の石につまづいたようだ。
後ろを歩いていた大家さんは、転んだ小坂が立ち上がるのに手を貸した。
「ありがとうございます」
小坂は大家さんにお礼を言った。
大家さんは習練会と書かれたゼッケンに目をとめた。
「あら、あんたも塾に通ってるのかい」
「はい、でもあんまり走るのは得意じゃなくて……」
小坂は顔を赤くしながら答えた。
「そうかい、参加してるだけたいしたもんだよ。若いのに感心だねえ」
「そんなことないですよ、今日だって数合わせですし。走るのがあんまり得意じゃなくて、歩くコースにさせてもらったんです」
「いや、立派なもんさ。今度うちの店にも遊びに来な」
「何のお店をやってらっしゃるんですか? 」
小坂はたずねた。
大家さんは親しみのこもった顔で、小坂の方を向いた。
「なに、しがない八百屋だよ」
その後、私たちはそれぞれのコースで無事にゲットした食材を持って、元の広場に集まっていった。
「さあ、各チーム材料がそろいました! ここからはカレー作りのスタートです! 」
ここからが、このカレーライスマラソンの後半部分、カレー作りの時間だ。作ったカレーは、そのチームのほかに、審査員の人も食べることになる。
カレーを作る早さ、盛りつけ、何よりもその味で、カレーライスマラソンは順位が決定する。
「ハア、ハア……。いいか、絶対に負けるなよ。目にもの見せてやれ! 」
何かあったのだろうか。村夫子先生は息が上がっていて、やけに興奮している。
とはいえ、私も気持ちは同じだ。先生を馬鹿にした殿馬くんには、負けたくない。
屋外なので、きちんとした設備のキッチンは数に限りがある。いいカレーを作ろうと思ったら、自然とキッチンを使う競争になる。
さっそく、一番いいキッチンめがけて、亮太くんは走り出した。すると、すでにキッチンの近くに人影がある。習練会の朝倉くんだ。
「おい、順番だぞ。ルールはきちんと守れよ」
そう言ってくる朝倉くんに、亮太くんは少しむっとした様子で
「キッチンは他にもあるだろう。そっちを使えよ」
と返した。しばらくにらみ合いが続く。
「あっ、カレーライスマラソンの賞金が落ちてる」
「えっ ? 」
亮太くんが後ろを向いた。
「いまだ! 」
朝倉くんが亮太くんの隙をついて、先にキッチンを使おうとした。
「ずるいぞ朝倉! 」
「ふん、よそ見した方が悪い」
「なんだと! 」
カッとなった亮太くんは、手に持っていた玉ねぎを朝倉くんに向かって投げつけた。
「こいつ、やったな! 」
朝倉くんも負けじと、自分のにんじんで応戦した。
「こら、やめないか! 」
村夫子先生と風波塾長があわてて止めに入る。
ところが二人の喧嘩はなかなかやまない。
そんな時、二人の間に、スタスタと入っていく人物がいた。大家さんだ。
「あんたら、いい加減にしなさい……」
大家さんが低い、だが腹の底に響くような声で二人を引き離した。
「こんなふうに食べ物を粗末にしていいと思ってるのかいっ! 」
大家さんの一喝が会場に響く。
周囲は、水を打ったように静まり返った。
喧嘩をしていた二人も、固まったように動けなくなる。
大家さんは、亮太くんのほうを向いた。
「亮太っ! 」
名前を呼ばれた亮太くんが、ビクッと反応する。
「あんた、三日間晩飯抜きだからね」
「そんなあー! 」
亮太くんは頭を抱えて落ち込んだ。よほどこたえたようだ。
「つべこべ言うんじゃないよ。八百屋の息子が野菜を投げつけるなんて、とんでもない話だ。これくらいで済んで有難く思いな」
大家さんは振り返って、村夫子先生を見た。
「藤村さん、迷惑かけてすまなかったね。亮太にはよーく言い聞かせておくから、勘弁しておくれ。今日はここでおいとまさせてもらうよ」
ほら、さっさと歩きな、とせかされながら、亮太くんはそのまま大家さんと一緒に帰っていった。
少しの間、誰もしゃべらない時間が流れた。
結局、大家さんと亮太くんが抜けてしまった一灯塾チーム、朝倉くんが亮太くんと喧嘩をしてしまった習練会チームは、それぞれの先生の判断で、カレー作りを棄権することになった。使うはずだった食材は他のチームに譲り、カレーライスマラソンは別のチームが優勝した。
「勝負、つきませんでしたね」
私は寂しそうに言う。
参加賞という形でカレーを食べることは出来たが、自分達で作れなかったぶん、いまいち味気が無い。向うの習練会チームも同様に元気がなさそうだ。
「ああ……」
村夫子先生は、何か考え事をしているようだった。
そんな時、風波塾長がこちらの方へやってきた。
「藤村さん、今回はうちの朝倉がすみませんでした」
「いやいや、亮太の方にもよく言っておくから、気にしないでくれ」
そう言ったきり、二人は黙った。沈んだ空気があたりにただよう。
そんな中、村夫子先生が咳ばらいをオホン、と一つした。
「どうだろう風波くん、ここはひとつ、紳士的に勝敗を決しようじゃないか」
村夫子先生は振り向くと、会場の一角を指さした。
「カレーの大食い大会で勝負だ! 」
このカレーライスマラソンでは、作ったカレーの審査と共に、地元のカレー屋さんの協力のもと、カレーの大食い大会も開かれている。勝敗はもちろん、どれだけカレーを食べられたかで判断される。そこで勝敗を決しようというわけだ。
風波塾長はしぶしぶといった感じでうなずいた。
「仕方がないですね。うちの朝倉にも非はあります。付き合ってあげましょう」
そうして二人は、大食い大会に出場した。目の前には、ずらりとカレーの皿が並ぶ。どちらかが食べ続ければ、もう一方も負けじと食べ続ける。渥美の空はカレーの匂いでいっぱいになった。
「……もう無理だ。カレーの大軍が攻めてくる…………」
謎の言葉を言い残し、十皿食べたところで村夫子先生は倒れた。風波塾長も同じペースで食べていたが、村夫子先生が倒れたあたりで顔が青白くなり、何も言わずに倒れてしまった。
周りが大騒ぎになったのは言うまでもない。
結局何もなかったが、村夫子先生と風波塾長は、仲良く救急車で運ばれていったのだった。