5-1 激闘! カレーライスマラソン
短い夏も終わり、渥美の町にも秋がやってきた。
そう感じ始めたのは日中の空気がひんやりしてきたからで、道ばたの街路樹もいつの間にか少しずつ色づいていた。空はすきとおって遠くが見える。天高く、馬肥ゆる秋というわけだ。
そんな季節になって、一灯塾にも秋らしいイベントが舞い込んできた。
「一号、二号、カレーが食べたくないかい? 」
ある日の勉強をしている途中、唐突に村夫子先生が聞いてきた。
「食べたい! 」
躊躇なく亮太くんが答える。きっとお腹が空いていたのだろう。
「そうだろうそうだろう」
そう言って、村夫子先生はごそごそと一枚のチラシを取り出してきた。
「これを見たまえ」
「なんですか、これ? 」
亮太くんと私は、差し出されたチラシの内容を読んだ。
「第四十二回渥美市カレーライスマラソン参加者募集
力を合わせて材料を集め、おいしいカレーを作りましょう
カレールーコース五キロメートル
肉コース四キロメートル
玉ねぎ・にんじんコース三キロメートル
いもコース(歩くコース)二キロメートル
別途カレーの大食い大会あり
多数の方のご参加をお待ちしております」
「今度、渥美市で開かれるカレーライスマラソンだ! これに皆で出るぞ! 」
「なんだ、いま食べさせてくれるんじゃねーのかよ」
亮太くんは分かりやすくがっかりする。
「そういうイベントがあるんですね」
「ああ、渥美市じゃ、カレーの材料になる作物が獲れるからなあ。せっかくだから、マラソンがてら材料を集めて、カレーを作ってみようってことで、この大会が出来たんだ。毎年なかなか人気のイベントなんだよ」
「面白そうですね」
そう言いつつ、私はマラソンという言葉に少し腰が引けていた。
(走るの、あんまり得意じゃないんだけどなあ)
小学生の時のマラソン大会の思い出がよみがえる。運動は得意な方ではなかったので、あまりいい記憶は残っていなかった。
私がその後の反応に少し困っている時、
「やだよ俺、店の手伝いあるし」
亮太くんが先に反対した。
しかし村夫子先生は動じない。
「ふっふっふ、ここをよく見るんだ」
そういって、チラシの一か所を指さした。指し示された部分には、「最優秀賞:金一封」と書いてあった。
「実はこの大会、賞金が出るんだ。報酬は皆で山分けだ! しかもカレーが食べられるときた。参加しない手はないだろう! 」
「おお、よっしゃあ! 」
亮太くんがぴょんぴょんはねて喜んでいる。金一封に相当心がひかれたようだ。
「清水も出るよな? 」
期待のこもった目で、こちらを見てくる。仕方がない、出ざるを得ないようだ。
「わかりました。私も参加します」
「決まりだな。一灯塾でカレーライスマラソンに参戦するぞ! 」
「おおーっ! 」
そのあと、テーブルの上に投げ出されたチラシを見ているうちに、あることに気付いた。
「あれ、でもこれって、一人足りないですよね」
チラシには四人一組と書いてある。私と先生と亮太くんじゃ、あと一人参加者がいなければマラソンに参加できない。
「心配無用だ。強力な助っ人を頼んである」
そう言って、村夫子先生はチラシを懐にしまった。
「助っ人ですか? 」
「ああ、当日を楽しみにしているといい。さ、勉強に戻るぞ」
「はーい」
そして大会当日。
私たちは渥美市にある野球場に集合した。かなりの人数でにぎわっている。中には、仮装をしている人もいる。あれで走るんだろうか。
「あれ、風波さんだ」
参加者を眺めているうちに、見覚えのある人影が子供たちと一緒に立っているのに気が付いた。銀縁の眼鏡に、すらりとした長身。渥美習練会の風波塾長だった。
「こんにちはー」
「どうも」
風波塾長が軽く会釈をした。
「習練会さんも、こういうのに参加するんですか? 」
「広報も仕事の一環です」
そう答えながら、黒のジャージに身を包み、入念にストレッチをしている。
「今日は希望者の塾生にも参加してもらいました」
ストレッチを終えた風波塾長がそう言って、そばにいた生徒たちを紹介した。
一番近くにいた男の子が、最初に挨拶をする。
「朝倉っていいます。西陵中学校一年生です」
「あれ、西陵中の子なんだ」
朝倉くんは私に向かって笑顔を投げかけた。
「清水さんって、この前の定期テスト二位だったよね。俺が一位だったんだ。よろしくね」
この子がそうなのか。最初の定期テストの三か月後、西陵中学校では前期期末テストが行われた。そこでは惜しくも二位になってしまったが、習練会のチラシによると、一位は習練会の生徒のようだった。悔しくて、もちろん誰だか気になったが、あいにくクラスが離れていたようで、誰だかは分からなかった。こんなところで会えるなんて、すごい偶然だ。
続いて、
「殿馬です。よろしくぅ! 」
隣にいた男の子が勢いよく自己紹介をしてきた。
村夫子先生や風波塾長ほどではないが、私たち子どもの中では一番背が高い。ひょうひょうとした印象だ。
その後、後ろの方にいた可愛い目の女の子が、おずおずと前に出てきた。
「小坂です……」
女の子は恥ずかしそうに、うつむきながらそう言った。
私たちの方も、それぞれ名前を名乗った。
「ここで一緒になったのも何かの縁だ。今日は正々堂々戦おう! 」
「ええ、こちらこそよろしくお願いします」
村夫子先生と風波塾長は握手を交わした。
あいさつを済ませたあと、私たちは別なところで準備運動をはじめた。
「そういえば、強力な助っ人って誰なんですか? 」
「うん、もうそろそろ待ち合わせの時間になるな」
村夫子先生が腕時計を見ながら答えた。
「なんだい、結局あんたらも出るのかい」
後ろから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
振り返ると、大家さんが全身紫色のジャージを着て立っていた。
「大家さんも、カレーライスマラソンに出るんですか? 」
大家さんは、伸びをして体の調子を確かめながらうなずいた。
「藤村さんにどうしてもって頼まれたんだよ。今度、畑仕事手伝ってもらうからね」
「はい、よろこんで! 」
村夫子先生が笑顔で応じた。いつの間にか、大家さんとそのような取り決めが結ばれていたらしい。
そうこうしているうちに、広場の掲示板に、各コースの参加者が張り出された。
カレールーコース:村夫子先生、風波塾長
肉コース:私、殿馬くん
玉ねぎ・にんじんコース:亮太くん、朝倉くん
いもコース:大家さん、小坂さん
私たちの名前以外にも、数百人の参加者の名前がそこには書かれている。
村夫子先生は掲示板を眺めながら笑みを浮かべた。
「ほう、うまい具合に分かれたな。一号、しっかりやれよ」
「はい! 」
その後、配られた「一灯塾」とプリントされたゼッケンに袖を通した。秋風がやさしく頬をなでる。こうして塾の名前のゼッケンを身に着けたり、さっきのように他の塾に通っている人たちと話すと、改めて自分がほかの塾ではなく、この一灯塾に通っているのだということを意識させられる。
開始の時間が近付いてきた。それぞれ、開会式の場所に集まる。
「さあ、それでは本日はお集まりいただきありがとうございます。これより第四十二回渥美市カレーライスマラソンを始めさせていただきます」
開会式の挨拶にはあたたかい拍手がわきあがった。その後、全員でスタート地点まで移動した。
「それでは皆さん、位置について……」
運営の人が、開始のピストルを高々と掲げた。それぞれ、出発の姿勢をとる。
「よーい、スタート! 」
ピストルが鳴らされた。マラソンのはじまりだ。
皆いっせいに走り出した。だんだんと、それぞれのコースに分かれていく。目的の食材を得るためのレースがスタートした。
「おい」
早速、玉ねぎ&にんじんコースでは亮太が朝倉に声をかけた。
「おまえ、朝倉って言ったよな」
朝倉が走りながら亮太の方を見る。
「一位だかなんだか知らねえけど、賞金は渡さないからな。とにかく、塾に通ってるやつ同士、正々堂々戦おうぜ」
そんな亮太に対して、朝倉はそっけない様子だ。
「君、気楽なもんだね。まあ、頑張りなよ」
そう言ってそっぽを向いたまま、朝倉は先に行ってしまった。
亮太は取り残された。
「なんだあいつ、お高くとまりやがって」