4‐1 弾丸札幌旅行
「一号! 二号! 札幌に行くぞ! 」
夏休みのある日、村夫子先生が息巻いてそう言ってきた。北海道でも夏は夏だ。湿度が低くカラッとしてだいぶ過ごしやすいが、それでも連日三十度を超すのにはまいってしまう。そんな暑さにも負けず、村夫子先生の目は妖しい光に燃えている。
「あの古道具屋、許してはおけない……」
ぶつぶつと先生が呟いている。その手には一本の万年筆らしきものが握られていた。
村夫子先生から聞いた、事のあらましはこうだった。
万年筆が大好きな村夫子先生は、日頃からネットをたっぷり使って、万年筆の情報収集に余念がない。あるとき先生は、札幌のとある古道具屋が、ずっと欲しかった万年筆を中古で売りに出しているのを見つけたらしい。喜び勇んだ先生は、なけなしのヘソクリをはたいて、早速その万年筆を注文した。さっそく先日届いたそうだ。しかし……。
「それがっ、首軸にヒビがはいってたんだよおお……」
話をしているうちに村夫子先生は感情が高ぶってきて泣き出さんばかりになった。
「夢にまで見たモンブラン作家シリーズのお初が、不良品なんてあんまりだ……」
なんだかよくわからないが、さすがに少し気の毒に思えてきた。
すると先程から話を聞いていた亮太くんが口を挟んできた。
「でもよー。ネットだけの情報で不良品つかまされても、ジコセキニンってやつじゃねーの、先生」
村夫子先生はティッシュで赤くなった鼻をかみながら亮太くんの方を見た。
「だが考えてもみてくれ二号! もしネットでミンテンドーウィッチの、好きなゲームの限定版デザインが売りに出されてたら買うだろう? 」
「絶対買う」
間髪入れずに亮太くんが答える。
「だけど、届いたものがいくら電源を押しても起動しなかったらどうする? 」
「……絶対許さない」
「そうだ」
村夫子先生が力を込めて亮太くんを真っすぐ見つめた。
「それが答えだ! 」
亮太くんがハッとしたような顔で村夫子先生を見る。
「先生……! 」
無言で見つめ合って、互いにうなずいている。
何か二人の間で熱いシンパシーが生まれたようだった。
「とにかく、皆で札幌に行くぞ! 各自、旅の準備をしてくるように! 」
「そうかい。楽しそうじゃないか。行っておいで」
家に帰り、父さんに札幌旅行のことを話すと、快く許可してくれた。
「ありがとう、お父さん」
私はお礼を言った。
「そのかわり、お土産、たのむな」
「うん、わかった」
そう言ったあと、私はふと、前から気になっていたことを父さんにぶつけてみた。
「お父さん、そういえば、なんで一灯塾に行けって私に行ったの ? 渥美にも、習練会とかあるのに」
「なんだい、一灯塾が不満なのかい ? 」
「いや、そういう訳じゃないけど……。なんとなく、気になって」
父さんは、ふむ、と言って腕を組んだ。
「うん、最初は習練会にしようかなと思ってたんだけどね。あれはこっちに来てから、一か月目くらいだったかなあ。ラーメン屋さんでたまたま先生と知り合ってね」
「ラーメン屋さん ? 」
「うん、駅の近くの「せみしぐれ」ってところだよ。そこで先生と色々話してね」
そうだったんだ。知らなかった。
「それで、ああ、この先生なら茜を任せられるって思って決めたんだ。」
父さんが、私の顔を見た。
「茜、人との出会いは面白いよ。自分の知らない自分が出てきて、何が起こるか分からない。でもその中に、本当のことが詰まってるんだ」
そう言って、父さんは穏やかにほほ笑んだ。
「今回の札幌旅行も、そんな旅になるといいね」
三日後、指示された通りに旅行の準備を整え、私たちは塾に集合した。
「おお、よく来たな。さ、乗ってくれ」
荷物と一緒に、村夫子先生の車に乗り込む。小さい車なので、荷物と私たちで一杯になった。私は助手席、亮太くんは後ろの席に座った。忘れ物はないか確認し、車で出発した。
「さあ、楽しいドライブの始まりだ! 」
村夫子先生はまったく似合わないサングラスをしている。完全に、この旅行を楽しもうとする気満々のようだ。
「ところで、札幌までどのくらいかかるんですか? 」
先生は少し考えるそぶりをした。
「そうだね、だいたい休み無しで走って…………六時間ってところかな」
「え? 」
一瞬耳を疑った。
「そんなにかかるんですか? 」
「そりゃあ、300キロくらいあるからね」
「300キロ……」
甘く見ていた。同じ北海道の中だから、もっと気軽に行けるものかと思っていたが、渥美から札幌に行くのはなかなか決意のいる行程らしい。東京から名古屋くらいまではあるじゃないか。
「先生、おやつ買うから途中でコンビニ寄ってくれよ」
「おお、そうだな。トウコーマートでも寄るか」
そんな会話をしながら、私たちの札幌旅行は始まっていった。
二十分もしないうちに市街地を抜け、畑と山が延々と広がる景色になった。今日はよく晴れていて、気持ちのいい青空だ。ときおり通り抜ける牧場には、牛や馬がいてとても新鮮だった。
そのうち村夫子先生が楽しそうにこう語ってきた。
「運転はね、本当にいいもんだよ。このだだっ広い道路を走ってごらん。ずっと同じ姿勢で運転だろう? 景色も大して変わらない。そういう中で黙々と走っていくと、近づけるんだよ」
「何にですか? 」
「『無の境地』にだ……! 」
「……………………………」
村夫子先生にとって運転は坐禅みたいなものなのだろうか。
あまり深く突っ込んではいけないような気がした。
しばらく運転が続く。
「おっ、鹿だ」
村夫子先生の言葉につられて外を注視してみると、なるほど、外の木立の中に数頭の鹿がいるのが見えた。
「牛や馬だけじゃないんですね」
「〈動物注意〉の看板のデザインにもなってるくらいだからな。よく出るんだ、これが」
「注意って、何を注意するんですか? 」
「道路に飛び出てきたりするのさ」
「なるほど」
私は前方に目をやる。百メートルほど先に、先ほどの木立にいたような鹿が見受けられた。
「…………」
「…………」
「いますね」
「いるな」
村夫子先生がうなずく。
「だがこういう時は焦ってはいけない。クラクションを鳴らして、我々が恐ろしい存在であることを知らしめるのだ」
そう言って、村夫子先生はスピードをゆるめ、路上をとことこ歩いている鹿に向かって二、三回クラクションを鳴らした。
「どうだこれで……」
ところが鹿はクラクションを鳴らしても逃げず、むしろこちらに近寄ってきた。
「いかんいかんいかんいかん! 」
先生が慌てて急ブレーキを踏む。すんでのところで衝突はまぬがれた。
「んが」
急に揺さぶられて亮太くんも起きたようだ。
鹿がじっと車を見ている。やがて、またとことこと歩き出し、木の中に消えていった。
「クラクション、そんなに意味なかったですね」
「ああ、近頃の鹿はふてぶてしくなったものだ……」
村夫子先生は息を整えながら、額の汗をぬぐった。
「せんせー、まだ着かないのかよ」
起きた亮太くんが外を眺めながらせっつく。コンビニで買ったお菓子も、全部食べてしまったようだ。
「慌てるな二号、札幌は逃げないぞ」
「いつまでも景色かわんねーし、つまんない」
亮太くんがむくれてきた。
「まあまあ、次の休憩所でなにか買ってやるから」
村夫子先生は亮太くんをなだめながら、また運転を続けていった。
「お、もうちょっと行ったところに道の駅があるぞ。寄ってみるか」
道路の上方に掲げてある青い看板を見ながら村夫子先生が言う。
入口の看板のところで曲がって、車は道路沿いの道の駅に入っていった。
当根湯の道の駅には、お土産屋さんと食べ物屋さんがいくつも並んでいた。中には店頭に立ち上がった熊のはく製を置いている店もあり、バラエティ豊かだ。
まず立ち寄った食べ物屋さんのメニューの文字の中に、不思議なカタカナの食べ物を発見した。
「ザンギってなんですか? 」
「まあ、から揚げみたいなもんだよ」
村夫子先生はいつの間にやら買っていた売店のタコ焼きを食べながら答えた。
なんだか雑な説明な気もするが、すこしこのザンギのことが気になってきた。
「先生、一人だけ食べてずりーよ」
トイレから戻ってきた亮太くんが、いちはやく村夫子先生のタコ焼きに反応した。
「すまんすまん、ちゃんと君たちの分も買ってやるから」
「俺、やきそばがいい」
「あ、私はザンギが食べてみたいです」
「わかったわかった」
村夫子先生にお昼を買ってもらって腹ごしらえをした後、私たちはお土産屋さんを見て回った。ザンギは、先生の言っていた通り、少し大きなから揚げのようなものだった。大して名前ほど変わったところのない、普通の鳥を揚げたものだ。いったいなんでこんなおどろおどろしい名前がついていたのだろう。
お土産を見ていくと、なかなかいろんなものが置いてある。木彫りの熊が鮭をくわえている定番の像もあれば、その隣には、巨大な鮭が逆に熊を食べようとしている木彫りもあった。熊は必死の形相だ。下の台座には「食物連鎖」と彫ってある。
(なんだこれ……)
そのほかの商品も眺めつつ、父さんへのお土産を何にしようかと見て回っていると、
「あ、シマエナガだ」
まん丸な白い体につぶらな瞳。北海道の小鳥、シマエナガのぬいぐるみが陳列してあった。手のひらに乗るサイズだ。
「かわいい……」
テレビでこのぬいぐるみのCMを見たときにも魅力的だったが、実物を見てもあまりに可愛く、私はすっかり心を奪われてしまった。
(買っちゃおうかな……)
そっと値札を見る。
「雪の妖精シマエナガ1760円」
意外といい値段だ。
「どうしようかなあ……」
買おうかどうか迷っているときに、村夫子先生が声を掛けてきた。
「おい一号、そろそろ行くぞ」
「あ、はい」
私は急いで、父さんへのお土産を買った。
三人がそれぞれ車に乗り込む。
すこし名残惜しい気持ちもあったが、私たちは道の駅をあとにした。
運転が再開してから、かなり時間が経った。
村夫子先生はずっと無言だ。『無の境地』とやらに近付いているのかもしれない。亮太くんは亮太くんで、また寝落ちしたようだ。車の中の静かな空気に、私もすこしずつ眠たくなってきた……。