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1‐2 そんぷーし先生と私

 翌々日の月曜日、私はいつも通りの時間に学校へと向かっていた。いつも履いている白いスニーカーが、まぶしく見えた。晴れていて、とても気持ちいい天気だ。こんな日は何かいいことがありそうな気がする。


 すると、なにやら校門の前が騒がしい。遠目に、どうも見覚えのある人影がちらついた。




「どうですか! 君、塾に興味はないかい? 」


 そんなことを言いながら、例の村夫子先生が道行く生徒たちに向かって、チラシを配っていたのだ。


 道行く生徒たちはそんな村夫子先生におざなりの注意は払いつつ、ある者は素通りし、ある者は差し出されたチラシを受け取りながら通り過ぎていった。


 私の足どりが一気に重くなったのは言うまでもない。


「おっ、清水さーん! おとといはありがとう! 」


 村夫子先生が遠くにいる私の存在にいち早く気付いて、大きく手を振ってきた。周りにいる生徒がつられて私の方を向く。その中には私のクラスの男子や、同じ学年の生徒も混じっていた自分の顔が赤くなるのが分かった。


 うつむきながら、道を遠回りして学校に入った。村夫子先生の前はもちろん通らなかった。




 クラスに着いた。こちらに向けられた何人かの視線を感じる。我慢だ。どうせ昼休みになる頃にはみんな忘れている。そう自分に言い聞かせ、授業が始まるのを待った。




「茜ちゃん、この前言ってた一灯塾って、もしかしてここのこと? 」


 休み時間、優子ちゃんが私のところに聞きに来た。その手には朝に見かけたチラシが握られている。優子ちゃんに詰め寄られてはチラシを見ないわけにいかない。しぶしぶ見たチラシには、こんなことが書かれてあった。




天下一等、一灯塾! 経験豊富な塾長が、懇切丁寧に教えます。

《生徒の声》

塾生のS・Aさん「私はこの塾に入ってから毎日が本当に楽しいです! 成績もうなぎのぼりです! ぜひ皆さんも一緒に勉強しましょう! 」(S中学校1年)

見学・入会費無料! 詳しくは○○〇〇-××-△△△△まで!




 全てが手書きの筆文字で書かれており、勢いはあっても、とにかく素人っぽさを感じさせるチラシだ。だが問題はそこではない。


 「塾生のS・Aさん」。この文言を目にしたとき、私はあきれてものが言えなかった。あの塾、まだ塾生はいなかったはずだ。




 放課後、私はまた一灯塾のドアの前に立っていた。


 インターホンを押す。はーい、とのんきな声がドアの向うから聞こえてきて、村夫子先生が顔を出した。髪に変な寝癖がついている。


「おおっ、清水さん! よく来てくれた! 」


 私を見るなり村夫子先生の顔が、ぱっと明るくなった。


 私は黙って優子ちゃんから貰ったチラシを、この先生の前に突き付けた。


 村夫子先生は能天気な顔を崩さない。私は怒りながら言った。


「なんで勝手にあたしのこと塾生にしてるんですか? 」


 しばしの沈黙。


「そりゃあ勿論、君が塾生一号だからに決まっているじゃないか」


「だから、それについてはお断りしたはずです。私は塾生にはなりません」


 ふたたび沈黙。


「そうか……」


 目に見えて元気がなくなる村夫子先生にいくらか心が痛んだ。だがそんな事には構っていられない。私には私の人生設計があるのだ。


「とにかく、もう私には関わらないでください」


 そうきっぱり言って、落ち込んでいる先生を残して、私は塾を出た。少し、せいせいした気持ちになった。




 数日して、何かの用事でまたあの塾の近くを通ることがあった。私はつとめて意識しないようにした。


 とはいえ気にならないではない。遠巻きに、あの塾がある窓に目をやった。すると異変に気付いた。


 気のせいかもしれないが、窓の上半分が妙に白っぽい。まるで、煙が充満しているような……。


 ここまで考えて、嫌な予感に私はとらわれてしまった。あの能天気な先生のことだ。もしや火の不始末を起こしたのではないだろうか。そして誰も通報しないまま……。


「……まさか大変なことになってるんじゃ……」


 そう思うといてもたってもいられず、私は二階まで駆け上がった。ノブに手を掛ける。ドアは開いていた。




「こんにち……うわっ」


 ドアを開けた瞬間、熱気が顔に押し寄せた。部屋全体に、煙が充満している。


「先生! 大丈夫ですか? 」


 消防隊の番号を必死で思い出そうとしながら、部屋の奥に向かって声をかける。すると、ひょっこり村夫子先生が顔を出してきた。今日は、上下ともに青のジャージを着ている。


「やあ、清水さん! 君も食べるかい? 」




 教室の中を覗いてみる。中央のテーブルには真ん中が盛り上がった奇妙な鉄の塊が置いてあって、そのうえで肉が焼かれている。いい匂いだ。


「……なんですか、これ」


「ああ、東京じゃあんまり見ないかな。ジンギスカン鍋でジンギスカンを焼いているんだ。羊だよ、羊」


 一気に力が抜けた気がした。その次には、怒りが込み上げてきた。


「火事になったらどうするんですか? こんなに紙が沢山あるところで! 」


「まあまあ、大事には至らなかったわけだし。心配してくれてありがとう」


 村夫子先生はどこ吹く風だ。残った肉にタレをつけて食べようとしている。


「それに、この煙。きっと本にも匂いが移りますよ」


 怒りを抑えて言った。それを聞くや否や、村夫子先生の顔色がサッと変わった。


「確かにその通りだ。清水さん、申し訳ないが窓をあけてくれ! 」


 言われてから気付くなんてのんきなものだ。私はしぶしぶ窓を開けに行った。


 窓を開けた瞬間、新鮮な空気が部屋の中に入って来て、煙がどんどん外へ逃げていく。いくらか煙たさはなくなったが、完全に換気されるにはまだ時間がかかりそうだった。


「いやあ、自分じゃ気付かなかったが、意外と煙が出ていたんだなあ! そういえば確かに、少し視界が白くなっているもんね」


 全く反省の色を見せない村夫子先生が、鍋に入っているうどんを頬張りながら快活に答えた。


「ジンギスカンって、こんなに煙が出るものなんですか? 」


 鉄の塊、もとい、ジンギスカン鍋に入っている茶色い肉を見ながら、私は聞いた。


「いや、たぶん一緒に燃やしていたティッシュとか紙の切れ端が原因なんじゃないかな」


「はい? 」


 ジンギスカン鍋の脇には白い小皿があって、ひとつにはタレが入っていた。もう一つは消し炭のようなものが入っている。横には使いかけのマッチが置いてあった。


「なんでそんなことしてたんですか……」


「うむ、知的好奇心と言っておこう! 」


 迷いのない答えが返ってきた。


 何を聞いてもこの調子で続けられそうで、私はだんだん問い詰める気力がなくなってきた。


「それじゃあ、そろそろ失礼します」


「ああ、また何かあったらおいで! 」


 はつらつとした笑顔の村夫子先生と別れ、塾を後にした。




「あ」


 自転車のカギを出そうとして、鞄を丸ごと教室に忘れてしまったことに気が付いた。またあそこに戻るのは気が進まないが、取りに行かざるを得ない。


「また戻るのかあ」


 そんなことを思っていた時、


「清水さーん! 」


 私を呼ぶ声がするので上を見上げた。すると、開けっぱなしの窓から村夫子先生が顔を出していた。


「鞄、忘れてるぞ! いま下に行くから、そこで待ってなさい」


 やっぱり忘れてたんだ。下から村夫子先生にお礼を言い、降りてくるのを待った。


 階段の上に村夫子先生が現れた。が、階段を降りようとしたその瞬間、最初の一歩を踏み外したのか、村夫子先生は大きく身を崩した。




「あっ」




 一瞬、時間が止まったように感じた。


 二、三回回転しながら、村夫子先生が地面に叩きつけられた。


 すぐに一階の八百屋さんの電話を借りて、救急車を呼んだ。




 数日間、村夫子先生のことが気にかかって何をしても身が入らなかった。元はと言えば、私が鞄を忘れたことが原因だ。このまま放っておいていいんだろうか。


「やっぱり、もう一度、一灯塾に行こう! 」


 そう決心した私は、地元名物のチーズケーキを買って、再び一灯塾におもむいた。


 塾の前まで着く。ドアは細く開いていた。


「失礼します」


 そう言いながら、塾の中に入ってみる。村夫子先生は教室の椅子に座っていた。机には松葉杖が立てかけてある。


「やあ、清水さん。また来てくれたね」


 穏やかに村夫子先生が笑う。ギプスが巻かれた左足は、あの日のことをフラッシュバックのように思い出させた。


「これ、どうぞ」


「お! 赤いサイロか。有難くいただくとするよ。清水さんも一緒にどうぞ」


 無言で二人してチーズケーキを食べる。なぜか赤いレンガの貯蔵庫サイロの絵がパッケージについているが、とてもおいしい。タイミングをみて、私は話を切り出した。


「それで、怪我の方はどうですか」


 うーん、と言いながら、村夫子先生の表情が少し曇った。


「どうもね、割とひどい骨折らしい。全治二ヶ月かかる」


「…………」


 何とも言えず、申し訳ない気分になる。


「これじゃあチラシ配りにも行けないなあ。一人でも塾生が入ってくれると違うんだけどなあ」


 何か言いたげに、こちらを向いて村夫子先生が言う。


「清水さん」


「はい」




「塾生になってくれないかい? 」


「……はい」




 こうして私は、奇妙な塾の塾生一号として、中学生活を送るようになったのだった。

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