8‐1 春は巡る
長かった冬も終わり、ようやく町には春の兆しが見えてきた。
外に出ると雪解けの匂いがする。ひんやりとした空気と暖かい日差しが混ざり合って、気持ちのいい気温になってきた。そんなある日のことだ。
一灯塾に向かう途中、スニーカーのひもがほどけていることに気付いた私は、漕いでいた自転車を止めて、靴ひもを結び直していた。
その時、足元に黒っぽい石が落ちていることに気が付いた。子供っぽいかもしれないが、なぜか気になって、私はその石をつい拾ってしまった。少し泥雪がついていたので、ティッシュで拭いて汚れを取る。すると、艶のある黒い表面が出てきた。
塾に行き、自習をしている時にその石を机の上に置いて眺めていた。すると、村夫子先生が反応してきた。
「おお、それは『十勝石』だな! 」
「十勝石、ですか? 」
聞いたことのない石の名前に、私は興味をひかれた。
「ああ、正式には黒曜石という名前なんだが、北海道では十勝の方でよく取れるから、ここらでは十勝石でも通じてるんだ」
いつもの村夫子先生の講釈がはじまった。
「そもそも、マグマが急速に冷えてできたのが、この黒曜石だ。学名オブシディアン、モース硬度は5から6で、別名天然ガラスと呼ばれている。その昔、縄文人はこの石を使ってナイフを作ってたんだ。シベリアなんかでも北海道産の黒曜石が出土しているらしいぞ。質が好いから、名産品みたいなもんだな」
ホワイトボードには、みるみるうちに日本とシベリア周辺の地図が描かれていく。
「ちなみに、石言葉は『摩訶不思議』だ! 」
授業が終わり、塾を出る。今日は早めの時間の授業だったので、外はまだ明るい。いつもよりも暖かくて、いい天気だ。ゆっくり歩きたくなったので、自転車を押して帰る。
歩きながら、改めて、この「十勝石」を日にかざして見てみた。キラキラして、とてもきれいだ。
「この黒曜石が出土する場所には、星ヶ塔など、星という名前がついていることもあるんだ。古代人は、この石のことを、空から降ってきた星のかけらだと考えていたんだな。なかなか夢のある話だろう」
そう村夫子先生が言っていたことも、思い出した。星のかけらか。なんだかロマンチックだ。
「古代ギリシャではこの石を使って占いをすると、未来が見通せると言われていたらしいぞ。石言葉にもあるように、昔から不思議な力を持つ石だとされてきたんだ」
「へー」
そんな話も思い出しながら歩いているうちに、ふと、周囲の様子がいつもと少し違うこと気付いた。
(ここら辺の景色って、こんな感じだったっけ……? )
不思議だ。いつもの道を通っていたはずなのに、なぜだか道に迷ってしまったようだった。
もう少し歩いた先にあったはずのコンビニも、どうにも見当たらない。違う道のようだ。
「どうしよう……」
どうやって帰ればいいか少し困っていた時、向こうから一人の男の子が歩いてくるのに気が付いた。
男の子は歩きながら、熱心に本を読んでいる。周りがちゃんと見えているんだろうか。
そう思っていると、案の定何かにづまずいて、男の子は転んでしまった。
「大丈夫? 」
あわてて男の子のほうに駆け寄った。膝がすりむけている。
「ええと、絆創膏、絆創膏……」
たまたま鞄の中には絆創膏が入っていた。男の子の膝にそれを貼りつける。
「お姉さん、ありがとう! 」
男の子がお礼を言った。
「傷は痛くない? 」
「うん! へっちゃらだよ! 」
よかった、と私は一息をついた。絆創膏に少しにじんだ血が痛々しいが、大事には至らなかったようだ。
「あっ、十勝石だ! 」
立ち上がった男の子が、私の持っていた黒曜石に反応した。
「お姉さんが拾ったの? 」
「うん、お昼に道ばたでね」
男の子は目をキラキラさせながら黒曜石を見だした。
「いいなー、僕もよく探してるんだけど、なかなかいいのが見つからないんだ! お姉さんのはピカピカしてて、きれいだね! 」
「十勝石、好きなんだ」
「うん」
男の子はうなずいた。
「十勝石って、すごくロマンがあるんだ。僕は昔の石器を再現したくて、いろいろ試したり、勉強したりしてるんだ。細石刃とか、広郷尖頭石器群とか、遠間栄治とか……」
「そ、そうなんだ」
(なんだかこの子、村夫子先生みたいだな)
「お姉さんはここらへんに住んでるの? 」
男の子がたずねてきた。
「うん、ちょっと行ったところに住んでるんだけど、道が分からなくなっちゃって……」
「そうなんだ! それなら僕、一緒に家まで送るよ! 」