7‐1 冬の刺客
北海道には、雪を告げる虫がいる。
その名も雪虫。小さな虫だが、その名が示す通り、体に白い綿のようなものがついており、飛んでいる姿は雪が舞う様子にそっくりだ。面白いことに、この雪虫が飛んでから十日ほどたつと、北海道では雪が降り始める。まさに雪虫という名前がぴったりだ。
そんな雪虫が飛びはじめて少し経った頃、渥美に初雪が降った。
最初は降っては溶けて、というのを繰り返していたが、ある日、一面の雪景色になった。いよいよ冬も本番というわけだ。私も、寒さと雪に備えて冬用の服をどっさり買ってもらった。
そんな北海道の冬に、村夫子先生が何をしていたかというと……。
「駄目だ駄目だこんな形! やり直し! 」
塾に行くと、村夫子先生が陶芸家の如く、氷の塊を二階から投げ捨てていた。あの作務衣はどこから引っ張り出してきたんだろう。寒くないのかな。
「藤村さんっ! なんなのこれっ! 」
大きな音で、大家さんが一階の店先に投げ捨てられた氷の塊に気付いたようだ。とても怒っている。村夫子先生は下に呼び出された。
さんざん大家さんに油を絞られた後、村夫子先生は塾に帰ってきた。雨にずぶ濡れの野良犬のようにしょぼくれている。じっと黙った後、ぽつりと呟いた。
「こんなんじゃ……納得のいくアイスキャンドルがいつまでたっても出来ない……」
全然あきらめていないようだ。
「いくら生徒が来ないからって、そんなに暇なんですか……? 」
もし遊んでいたのなら、さすがに呆れてしまう。
「いやいや、これだって立派な仕事だよ」
そう言いながら、村夫子先生は一枚のチラシを渡してきた。
「渥美市銀座商店街――冬まつりのお知らせ
今年も銀座商店街冬まつりの季節がやってまいりました。各店舗の皆様におかれましては、アイスキャンドルをそれぞれ5個以上制作し、店舗の前に置いてください。キャンドルはこのチラシと一緒に配布しているものを使ってください。…………」
チラシの下半分にはアイスキャンドルの作り方が記載されている。
「商店街の催しで、ここらに店を出してるところは参加しなくちゃいけないんだ。大家さんの青果店とは別に、うちでも出すことになったんだよ」
「冬まつりなんてあるんですね」
ちらりと、さっき村夫子先生が外に投げていた氷の塊を思い出した。
見た目だけ作務衣でそれらしくしてみたものの、どうにもうまく作れてはいないようだ。
「水をバケツに張って、外においておけばいいんじゃないですか」
「いや、意外と難しいんだよ。透明な氷にするには熱湯が必要でだな……」
そのまま先生のアイスキャンドルレクチャーが始まった。後から来た亮太くんは亮太くんで、何だかずっと外にいる。
話半分に先生の講義を聞いていると、何やら外で物音が聞こえてきた。
しばらく経たないうちに、亮太くんが顔をほてらせてドアを開けてきた。
「先生、清水! ちょっとこれ見ろよ」
見ると、ドアを開けた脇に雪だるまが出来ていた。
「名付けて『雪太郎』だ! 」
にんじんの鼻に、小石の目。小枝で手まで作っていて、なかなか本格的な雪だるまだ。
「へえー、すごいね! 」
「ふふん」
亮太くんは満足そうだ。
よくよく眺めていると、雪太郎の足元に目がいった。
「あれ、雪太郎の足ってアイスキャンドルみたいな形してるね」
形は小さいが、雪太郎の足元に置いてある氷の塊は円柱形で、中が空洞になっている。氷は透き通っていて、とても綺麗だ。
「ああ、毎年俺が店のアイスキャンドル作らされてるからな。うめーだろ」
「へえー」
村夫子先生の方をちらりと見る。先生もそれとなくこちらを見ていたのか、目が合った。
「……アイスキャンドルの事、亮太くんに頼んだ方がよくないですか」
こっそり村夫子先生に耳打ちをする。
「ぬう……」
不承不承といった風だが、先生はゆっくりとうなずいた。
「そういえば、明日は大雪らしいからな。気を付けて来いよ! 」
帰り際、村夫子先生がそう言って玄関まで見送ってくれた。今でも十分雪景色だが、ここからさらに降るとどうなるのだろう。そう思いながら、私は家に帰った。
そして翌日。
「わあ……! 」
翌朝、起きたら外が雪で埋まっていた。夜の間に、かなり降ったらしい。
冬の初め、一面の雪景色になった時にも感動したが、その時よりも幻想的な光景が広がっていた。空も地面も、何もかもが真っ白だ。今も静かに大粒の雪が降り続けている。
大雪に浮足立っているうちに、学校からメールが来た。休校のメールだろうか。
「生徒の皆さまへ
おはようございます。
かなりの積雪となっていますが、
本日の授業は通常通り行います。
通行に気を付けて登校してください。
西陵中学校」
「……こんな状態で行くの? 」
メールを見たあと、窓の外をもう一度眺める。雪は依然として降り続き、外は朝のはずなのに、少しうす暗い。
一応支度をして学校へ行ったが、行く途中は歩道がなくなっている。雪で全部埋まってしまったようだ。仕方が無いから車道を歩いた。
雪のせいかいつもと違ってそわそわした気分で学校が終わり、一灯塾へと向かう。道の途中で、タイヤが雪にはまって動けなくなっている車もあった。歩道の方も、雪が積もっていて、歩きにくい。
「……本格的に、雪国だなあ」
私は一人、呟いた。