第65話 懐古的海水浴(後編)
「キョーイチ、あーん」
「はいはい、まるで雛鳥だなぁ」
無邪気に開けられた口へ、バーベキューコンロの上から取った肉を放り込む。
嬉しそうに頬張るその様子は微笑ましいものだったが、こちらを信じ切った様子にはどうにも、敢えてポラリスの苦手とする野菜を差し出したくなるという悪戯心が湧いてきてよろしくない。
もしもこの場に彼女の遺伝子元たるストリが居れば、僕は迷いなく野菜を口に突っ込んでいただろう。年齢の故か、あるいはホムンクルスとて性格までは完全に一致しないからか、素直な少女に苦笑を漏らすに留める。
「ポーちゃんは子どもッスから」
そんな様子を傍から見てか。ササモコを炙っていたアポロニアは、わざとらしく肩を竦める。
無論、こういうのは骸骨にとって見事な隙となるのだが。
「お前もやってもらえばいいじゃねぇか」
「い、嫌ッスよ恥ずかしい。ご飯は自分で食べられるのが大人ッス」
「変なとこで堅苦しいよなお前」
プイと顔を背けるアポロニアに対し、今度はダマルが肩を竦めた。相変わらずこの2人は特に仲がいいというかなんというか。
「あ、あの、ダマルさん?」
「おう、どうしたジーク。追加の肉ならまだ――」
右から左へぐるりと髑髏を回した途端、カタカタやかましかった顎の音がピタリと止んだ。
その暗い眼孔が見た景色は、余程に予想外だったと見える。何せ彼の前には、串に刺された肉が突き出されていたのだから。
「よ、よかったらこれ、あ、あーん、でいいのかな?」
「……おう」
ダマルらしくもないというべきか。急に大人しくなった骨は、言われるがままジークルーンの串から肉を齧り取ると、分かりやすく咀嚼しながら黙り込んだ。
多分、照れていたのだと思う。相棒にしては本当に珍しい光景だ。
一方でジークルーンは沈黙に耐えられなくなったようで、眉をハの字に曲げながら首を傾げた。
「ま、真似してみたんだけど、どう、かな?」
「生きててよかったと思ってるぜ。ギャップとしても満点だ」
ボフンと音を立てそうな勢いで、青い目の貴族令嬢は頬を真っ赤に染める。
だが、妙に捻くれた褒め方でも満更ではなかったらしい。もじもじ笑いながらも、皿の上から次の肉に串を突き刺していた。
「お、おお大袈裟だよぉ。でも……も、もう1つ如何?」
「貰うに決まってんだろ」
「ふふふっ、何だかダマルさん可愛い。はいっ、どーぞっ」
2度目にして早くも甘ったるい雰囲気に慣れたのか、あるいは骸骨の嬉しそうな雰囲気に当てられてか。ジークルーンの動きはさっきより勢いを増していた。
問題があるとすれば、照れ笑いの為にノールックとなったことだろう。
「骸骨が可愛い訳な――ぐえっ!? ちょっ、ジーク、突っ込み過ぎ! 喉に! 喉に串が! 俺ゃピンクッションか!」
「ふええっ!? ご、ごごごごめんね!?」
ハハハと周囲から笑いが起こる。その一方で、僕は相手がダマルでよかったと背筋が冷たくなっていたのだが。
「予想通りっちゃそうだけども、ダマル中尉も隅に置けないねぇ。骸骨なのに」
バーべーキューコンロの上で肉をひっくり返していたバグナル軍曹は、面白いものを見たと尖った顎をざりざりと撫でる。
タイプが似ていることもあるのだろう。現状の身内において、もっとも海が似合っているように思える男は、随分的確にダマルという存在を認識しているらしかった。
「色々悩みもあるようだがね。軍曹、よければ相談に乗ってやってくれ。僕では役に立てない」
「そんなに女の子に囲まれてんのに?」
逆に自分への評価は完璧にズレていたようで、心底意外そうに眼を見開かれる。
状況を見れば無理もない気がするが。
「おにーさんはニブチンさんですから」
棒読みなファティマの言葉が胸に突き刺さる。こういう場面における図星と正論は条約違反ではないのか。
「重々自覚しておりますとも」
「なるほど? 天然な女タラシと。それって昔から?」
「いや、そんなことは――」
「噂だけなら、中隊長の浮いた話を何度か聞いたことがあるけれど」
「えっ? 身に覚えがないんだが?」
意外な方向からの、寝耳に水な言葉にギョッとして振り返る。
名前を知らない根菜をショリショリ齧る井筒少尉は、しかし冗談を言っている風には見えない。
となれば。
「そこ詳しく」
「聞かせて頂戴」
シューニャとマオリィネが身を乗り出す。こうなっては最早自分には止められないだろう。
何せ自分を囲んでくれている女性陣は、これ以上ないくらいにお年頃の少女ばかりなのだから。
「1人は傷病者センターの衛生官だったわ。中隊長を担当していた白衣の天使の1人が、前線に戻らないでと引き止めていた、とか」
「ご主人?」
茶色い視線がジトリとこちらを睨んでくる。
だが、これに関しては自分にも覚えがある内容で助かった。どうやら噂には妙な尾びれが付いているようだが。
「引き止められたことならあるよ。負傷者待遇なんだからもう少しおとなしくしていろと。白衣の天使じゃなく、眼帯をした強面の壮年軍医にだが」
自分の記憶が正しければ、後方の傷病者センターに運び込まれて1週間経った頃だったと思う。銃創も塞がって身体を動かすことにも難儀しなくなってきたのに、退院まであと1週間は安静にしていろなんて言われたのだ。しかし、長々と部隊に穴を空けていられるほど中隊の戦力に余裕があった訳はなく、ましてや自分は指揮官である。1人休んでいられるかと、こっそり病室を抜け出して前線に戻ろうとしたら、その壮年軍医に首根っこを掴まれ低い声で、俺が許可を出すまでに病室を出たら背中から熊用の麻酔弾を叩きこむ、と脅されたのだ。
あれは絶対本気だった。
「オッサンじゃないッスか」
ぶへぇ、と呆れたような息を吐くアポロニア。その一方で、多少安心したような顔に見えたのは気のせいではないと思いたい。
しかし、さっきの1つで終わりという訳ではないのか。少尉は拳を顎に当てて、それから、と続けた。
「ロンホア前線基地から1番近い町で、外出許可が出る度に会いに行っている女性がいた、とか」
「キョーイチ?」
今度は隣からポラリスにシャツの裾を引かれる。その目からは何か、こちらを非難するような雰囲気が強く漂っていた。
とはいえ、僕はこれにも苦笑いで返す。何せ僕は今までの女性関係について、何1つとして嘘を吐いてはいないのだから。
「確かに外出許可が出る度、近くの町には出かけていたよ。といっても、誰かに会うためじゃなく、温泉に浸かりに行ってただけだが」
郊外に置かれた前線基地から、外出許可が取れる時間内で行ける唯一の娯楽だったと言ってもいい。尤も、それだけあれば十分だったとも言えるが。
「おにーさんらしいですね」
だろうと思った、なんて誰より興味のなさそうだったファティマは肉を齧りながら耳を弾く。
他の面々も、なぁんだと言った様子だった。逆に言えば、自分の風呂好きはそこまで信用度が高いのかとも考えてしまうが。
「噂は所詮噂だよ。僕に浮ついた話なんて――」
「あとは、玉泉重工の技術研究所で、親しくしていた少女がいる、とか」
トングに向かって伸びていた手が止まる。
「ストリ・リッゲンバッハ。そうでしょう、中隊長」
「……それも噂かい?」
振り向かないまま問いかければ、小さなため息かただの吐息かわからない小さな声がした後、ええ、と返ってきた。
相変わらず優しいな。そういうことにしておいてくれるらしい。
「私くらいしか知らなかったかもしれないけれど――それももう昔の事なんでしょう」
「僕に過去を流したつもりは無いよ。守れなかった恨みも後悔も、血に塗れた両手も全て」
全て背負ったままだから、生に執着していると言い換えてもいい。そういう約束だから。
「やっぱり、随分変わったわね。貴方は」
「自分の力じゃないさ」
「――そ」
何を悟ったのか。背後から根菜を齧る音が聞こえる。
これ以上話すことはない。そういう意味にも思えたが、何かを考える暇もないうちに、背中をバァンと叩かれた。
「なぁにをしんみりしてんだよ! 今は肉と酒の時間だぜぇ! 過去なんざどーだっていいから、呑んで食え!」
「す、すまない。空気を悪くしたかな」
「大丈夫ですよ。どうぞ、兄さん」
カタカタと呵々大笑する骸骨と、優し気な笑みに合わせてトレイを差し出してくれる弟分。
どうやら気を遣わせてしまったらしい。それに申し訳ないと後ろ頭を掻きながら向き直る。
「ありがとう――っと、これは遠慮しておこう」
「おにーさん、それなんですか?」
サフェージュが持ってきてくれた飲み物を拝み手で断ったのが不思議に見えたのか、隣からファティマが隣から手元を覗き込んでくる。
否、不思議だったのはカラフルな筒そのものの方だろう。派手なパッケージもさることながら、現代にはこんな容器すら存在しないのだから。
「大昔の緩いお酒だよ。興味があるなら飲んでみるかい?」
「ほぉ? じゃあちょっとだけ貰います、けど」
これの何処が酒なのか、と言わんばかりの様子に、僕は改めてサフェージュから果実の描かれた缶を受け取り、特に珍しくもないプルタブに爪を立てた。
「ひゃ……っ!?」
「おお、そんな風に開けるんですね。どれどれ」
カシュンという音にシューニャがびくりと肩を震わせる。
だが、音に敏感なファティマの方は恐れた様子もなく、むしろ面白そうに僕の手元からそれを攫っていった。
小さく鼻を鳴らし、まずは舐めるように一口。その瞬間、彼女の眼がきらりと輝いたかと思えば、今度は勢いよく煽っていた。
思い切りよく流し込んでから、ぷはぁと息を吐いて唇に舌を這わせる。
「どう? ファティ」
「甘くて美味しいですよ。なんていうか、果物を飲んでるみたいです」
「ふむ?」
ピンと立った尻尾が、お気に召したであろうことを如実に語る。
毒身というのは言い方が悪いかもしれないが、ファティマの様子からシューニャは興味を深めたのだろう。ふむ、と言って彼女の手から缶チューハイを受け取って、細い喉を小さく鳴らした。
変わらぬ無表情。だが、表情に現れない感情の変化はハッキリとわかった。それは声色にも小さく表れる。
「確かに、スィノニームで飲んだ果汁に似てる。癖もなくて凄く飲みやすい」
「ボクはお酒ってあんまり好きじゃないですけど、これはいいですねー」
サフェージュが持ってきてくれた缶の中には生ビールやハイボールもあったが、敢えて緩いチューハイを選んで渡したのは正解だったらしい。シューニャは続けて口に含み、ファティマももう一口欲しいと手を伸ばす。
ただ、そんな2人の反応を見ていれば、待ったをかける声が上がるのもむべなるかな。
「お酒なら自分も欲しいッス!」
「待ちなさいアポロニア! アチカの娘を差し置いて先には呑ませないわよ!」
我が家で誰より酒好きを豪語する小型犬と、現代における有名な酒処に生まれた貴族様は、良酒と見るや目の色が変わる。
おかげで古の酒は、想像以上の勢いで消費されていくことになったのだが。




