第54話 フレンドリーファイア
「何? 光が急に……」
レーザー防壁はチカチカと点滅して明るさを減らし、薄暗くなっていた照明は非常灯であろう赤い光に切り替わる。
電子装備の一切を失っていた2人は、きっと見えていなかったのだろう。しかし、シューニャはあっと声を漏らす。
B-20-PMから渡された地図情報の中。その光点は、施設のある一角で暫く止まっていた。
暗号化された無線の信号。それはダマルが救援を求める無線を飛ばした時点で、既に起動されていた。尤も、意図的にスイッチを入れたのか偶然入っただけかは分からないが。
微かに伝わった地響きが、彼女らの戦果を物語っていた。
「ケモノーズめ、やりやがったか!」
「キョウイチ!」
投げ渡される起爆装置を片手で掴まえる。
ジャンプブースター推力全開、脚部アクチュエータ出力最大。
グッと機体を沈め、地面を蹴ると同時にスラスターが青白い光を巻き上げた。
迫るレーザー防壁は電源出力の低下からか、先ほどまでのような熱量はない。それでも、起爆装置を両腕でしっかり庇いつつ突っ込めば、機体のあちこちからレーザー減衰被膜の消失を知らせる警報が鳴り響き、背中に預けた突撃銃が溶け落ちる。
しかし、それだけだ。
「抜けた! 後は吹っ飛ばすだけだぜ!」
身体があったなら、骸骨は今頃ガッツポーズをしていたことだろう。赤熱する装甲を切り離し、後は開口部から伸びた電気線に起爆装置を繋げばこちらの勝ち。
そう思った時、マハ・ダランの装甲で何かが弾けた。
『何?』
『待ち、なさい』
破壊されたドアの向こう。激しいアーク放電を迸らせる砲身が、こちらに向けられていた。
「げっ!? あの翡翠、生きてんじゃねぇか!」
隠れろ隠れろ、と骸骨がシューニャを急かす。
携帯式電磁加速砲と耐熱徹甲弾なら、レーザー防壁など問題にならない。青金の装甲程度なら容易に貫通する威力を持ち、攻撃を検知してからの回避も不可能。それも彼女であるなら。
『……まだ夢の中にいるつもりか、井筒少尉』
「はぁ!? ちょっと待てお前、そりゃどういう――」
君の腕ならあり得ない。殺すつもりがあるなら、1発目で自分の頭はスイカ割りのようになっていたはず。
何を考えている。問い詰めるように、僕はゆっくりと機体を振り返らせる。
確かにこちらを睨む砲口。しかし、沈黙を続ける瑪瑙の前に、小さな影が躍り出た。
「っ……駄目」
「お、おいバカ! 何してんだシューニャ! 死にてえのか!」
腰にぶら下げられたダマルが叫べども、身体を小さく震わせるシューニャは、それでも僕とタヱちゃんの間に立ち塞がっていた。
大きく水平に広げられた両手を、瑪瑙は携帯式電磁加速砲を下ろさないまま睥睨する。
『……作戦行動を妨害するのなら、非戦闘員だろうと関係ない。死にたくなければ、そこをどきなさい』
「もう、もう誰にも、キョウイチは、傷つけさせない……! あなたが、何者でも!」
シューニャの叫びを黙って聞いていた僕は、視線を手元へ落とす。
自分には勿体ない程、健気で強い女の子。
その声はこの瞬間において確実に、マキナという兵器を呑み込んでいた。あのタヱちゃんが口を閉ざしたのが、何よりの証拠。
唯一空気を読まなかったのは、人の心を持たない存在だった。
『マハ・ダラン、正常化シークエンスを第2段階へ移行。優先目標、重大な脅威の排除を再試行』
『――そう。そうね』
構えたまま硬直していた携帯式電磁加速砲が、再び青白い電弧が迸らせる。
見た目にも分かる強力な力の収束は、シューニャの口から悲鳴のような声を吐き出させた。
「駄目、やめて!」
吹き荒んだ暴風。軽い身体は床へ押し倒され、反動を受け止めた床に亀裂が走る。
回避も防御も許さない。音速を超える耐熱徹甲弾は、確かにレーザーの壁を貫通してこちらへ迫り、激しい破砕音を響かせた。
崩れ行く青金の姿を、誰もが目にしたことだろう。タヱちゃんの腕なら不思議もないが。
僕は深く息を吐いた。
『……後ろ弾か。軍法会議物だな、少尉』
耐熱徹甲弾は確かに青金のヘッドユニットを貫いた。だが、それは僕の着装している機ではない。
マハ・ダランがバックグラウンドで増援を要請していたのだろう。自分たちの入ってきた通路とは、ちょうど真逆の位置にある搬入口らしきシャッターの前で、そいつは床に倒れ伏していた。
『原隊に復帰しただけよ。何か問題?』
そうアッサリと言ってのける少尉。自分としても信頼していたとはいえ、あまりにもらしい立ち振る舞いに苦笑が零れる。
とはいえ、昔話に花を咲かせるには場所が悪い。スクラップと化した奴を押しのけて、お替りが次々と押し寄せているのだから。
『任せるぞ』
『了解』
瑪瑙は尻もちをついたシューニャを一瞥すると、重電磁加速砲を背中に担いだまま滑るように部屋を駆けた。
当然、味方を撃破した機が接近してくるのだから、防衛隊であろう青金たちも直ちに射撃を開始したが、ただの無人機同然の対応しかできないバイオドールでは相手が悪すぎる。
携帯式電磁加速砲を肩に担ぎ直した瑪瑙は、まるでダンスを踊るかのように無駄のない動きで敵部隊の懐へ入り込むと、両腕から同時に展開したハーモニックブレードの一閃で、2機を同時に撫で斬ってみせた。
敵の注意が瑪瑙に集中すれば、こちらの仕事は容易い。これまでの損傷で不器用になっている青金を脱装し、だらりと伸びた信号線と起爆装置を繋ぎ合わせるだけのこと。
「起爆用意完了! 総員、衝撃に備えろ!」
「いや、お前はどうすんだよ!?」
ダマルの心配は当然で、レーザー減衰被膜を喪失した青金に、再びレーザー防壁を突破する術はない。
だが、この防衛機構がマハ・ダランによって動作しているなら話は別であり、タヱちゃんはアッサリと僕を切り捨てた。
『四の五の言ってないで、早く隠れなさい。どうせプラスチック爆薬でしょう。着装していなくても、あの程度の量なら死にはしないわ』
「ん、わ、わかった」
「けっ、とんだツンデレちゃんが居たもんだぜ全くよォ! 信じてやらァ! やっちまえ相棒!」
柱の影へ身を隠すシューニャを庇うように瑪瑙は着地する。
言われずとも、こちらは最初からそのつもりだ。錦紗に包まれた頭が見えなくなったのを確認し、僕は起爆装置のスイッチを押し込んだ。
「これで、終いだ」
腹と鼓膜を揺さぶるような爆発音は一瞬。圧力に耐えられなかった脆弱な化粧板や、簡易的な点検口が弾け、爆発によって切断されたケーブルが火花を散らしながらだらりと垂れ下がる。
しかし、派手さなんてその程度だ。後はパラパラと埃が散り、間もなくレーザーの檻が点滅しながら薄く消えていった。
『システムの切断を確認。マハ・ダラン、沈黙』
少尉の声とほぼ同時に、遠くでバイオドールが操縦していたであろう青金が膝をつく。
どうやら、制御を失って強制的に停止したらしい。
焼失したレーザー防壁用のレンズを跳び越えれば、自分の1歩後ろへ瑪瑙が続いた。800年前の定位置ではあったが、タヱちゃんとしてはきっと無意識なのだろう。
そうして柱の影を覗き込めば、シューニャは髑髏を抱えるような恰好で頭を抑えていた。
「……終わっ、た?」
「ああ。よく頑張ってくれた」
そう言って埃まみれの髪をさらりと撫でれば、彼女は緊張の糸が途切れたのだろう。柱を背にずるずると尻もちをついて、前に両足を投げだした。
「つ、疲れた……」
「へ、へへへ、なんつー行き当たりばったりな作戦だよ。それも適当にやりきっちまいやがって」
「帰るまでが遠足だ。それでダマル、君の体は?」
身体? と瑪瑙が後ろで首を傾げていたが、今は一旦置いておく。
ただ、その問いにはシューニャが握りこんでいたレシーバーが答えてくれた。
『こっちで回収してますよー』
『それから、捕虜を1人捕まえてるッス』
聞こえてきたいつもと変わらない声に、僕らは揃って安堵の息を漏らす。
シューニャからレシーバーを借り、了解した、と言えば自然と頬が緩む。
「上のデッキで落ち合おう。道順はその捕虜に聞いてくれ」
『はーい。聞こえましたね、教えてください』
『教える教える教えるから! 毎回刃物向けるのヤメテ!?』
『……バグナルね。あのバカ』
微かに遠くで拾われた男の泣き言に、瑪瑙はあまりにも人間臭く額を押さえる。
どうやら井筒少尉の知り合いらしい。関係の良し悪しはともかくとして、殺さずに済んでいるとすればこれも喜ぶべきことだろう。
後はもう1人。
「ルウルア、聞こえるか?」
『聞こえてるよー。言われた通りのことは済ませたし、今は皆でコンテナのとこに集まってるけど、まだなんかやることある?』
「いや、作戦は終了だ。これから回収に向かう」
『はいよー』
攪乱に回ってもらったルウルアとその弟妹達は、既に合流地点としていた海上まで退避しているらしい。
彼女の気楽そうな口調から、誰1人として欠けていないことは想像できた。
までは良かったが。
「……ダマル、B-20-PMは?」
「あぁ、ポンコツ野郎ならマハ・ダランの制御ルームでおねんねしてるぜ。死ぬほど疲れてたんだろうな」
皮肉が効きすぎたカカカという笑いに、僕は静かに天を仰いだ。
マハ・ダランによる制御権の乗っ取りは、可能性として伝えられてはいた。とはいえ、マハ・ダランさえ破壊してしまえ、自立制御を復旧して合流できるという話だったのだが。
「あー……少尉、相談いいか?」
『何?』
「悪いが航空機の操縦技能を持ったバイオドールを確保できないだろうか。このままだと僕らは帰る手段がない」
『操縦士は2人以上居るのが普通でしょう。両方戦死したの?』
「如何せん人員不足でね。バイオドール1機に頼った結果がこれだよ」
短い沈黙。
ヘッドユニットで隠れて分からないが、僕の記憶の中にある井筒少尉なら、呆れ果てた半眼をこちらに向けていただろう。
『――馬鹿なの?』
「はい、すみません」
前言撤回。だろう、は必要なかった。
しかし、返す言葉もございませんと頭を下げれば、おいおい、と後ろから髑髏に突かれる。
「ちったぁ言い返せよ。お前一応にも上官だろうが」
『うるさい髑髏ね。貴方には何か解決策があるのかしら』
「ないですゴメンナサイ」
氷柱を突き付けるような言葉に、ダマルはヒュッと歯の隙間を鳴らして黙り込む。
相変らず、落ち着いた口調の割に圧が凄い。
しかし、シューニャには気にならなかったのか、カクンと小さく首を傾げた。
「貴女には、考えがある?」
『……大したことじゃないわ。さっき言った捕虜にやらせればいいってだけ』
少尉はどこかばつが悪そうにそう言い放つと、シューニャから視線を背ける。
彼女の意図は不明だが、ともかくこれぞ僥倖と言わずしてなんと言う。
「随分都合いいじゃねぇか。あの優男、操縦士だったってのか?」
『違うわ。でも、私達はネオキノーだもの。基礎的な航空機の操縦方法くらい、インストールしてある』
下顎骨がだらりと開く。多分、僕も似たような顔をしていたに違いない。
ネオキノーという存在がどういう物か、自分にはよく理解できていないが、話を聞く限りサイボーグ的な奴なのだろう。それでいて、私達と明言したということは、井筒少尉自身も既に人間ではなくなっていると。
「……マジかよ。進化してんなぁ」
自分の気持ちを代弁するように、ダマルは存在しないはずの肺から吐息のような声を漏らす。
人間が勉学や訓練を行うことなく、知識や技能を手に入れられるようになったとすれば、それは紛れもなく進化だろう。
だというのに彼女は、まるで分かっていないと言いたげに首を横に振った。
『言葉だけ聞けば容易いかもしれないけれど、インストール中とその後暫くは最悪よ。頭が割れそうな程の頭痛が、1週間は続くもの』
「それ、拷問って言わないかい?」
『近いかもしれないわね。死んだ方がマシって、本気で思えるくらい酷いから』
「重大過ぎる欠陥抱えてんじゃねぇか」
興味はある。だが、なりたいとは思えない。そんな種族であることはよくわかった。
しかし、ピギーバックを運用するに当たっては、少尉と捕虜君が今後の貴重な手段となるのは間違いない。
何せ、マハ・ダランさえ失ってしまえば、この施設に残された資源は自分たちにとってとても価値ある物なのだから。
と、思った矢先である。目覚まし時計のような音が鋭く響き渡ったのは。
『中央電気室にて火災発生。消防班は現場を確認してください。その他の職員は、セーフエリアに避難してください』
「電気室ということは、ファティとアポロが?」
「火を点ける、なんて作戦にはなかったはず」
一瞬の静寂。
誰も何も言わないのに、シューニャは手にしたレシーバーをそっと髑髏へ近付ける。
「おい犬猫! 状況を説明しろ、どうなってる!?」
『じ、自分たちは教えられた通りに吹っ飛ばしただけッスよ?』
『おー……ちょっと見ない間に炎がいっぱい』
大体想像がついた。
トリセディの部屋、それも電気室となればそれなりに無骨な化粧板で覆われているはず。
彼女らは木製でもなんでもない部屋を一目見て、火がつかない材質だと考えたのだ。爆破した後に、多少炎が飛び散っていた所で、放っておけば勝手に消えるだろうと。
往年の消防法などから考えれば、内装の多くは難燃素材で作られてはいよう。だが、電気室には緊急時用の小型エーテル発電装置やそれを稼働する為の補器類も置かれていたはず。それらに使用される油脂類に引火していたとすれば。
『心配しなくていいわ。すぐに自動消火設備が起動するでしょうし――』
大規模施設なのだから当然と、井筒少尉はアッサリ言い放とうとして。
『エリア3、ガス消火設備に異常発生。設備班は直ちに対応してください』
「異常だってよ姉さん」
『なら消火班が――』
「バイオドールは全て活動を停止している様子だったが」
再び訪れる静寂。
次にそれを破ったのは、レシーバーから響いた激しい爆発音と悲鳴だった。
『キャーン!? え、えらいことになってきたッス! ちょっと見ない間に部屋の中真っ赤っかッスよぉ!?』
『捕虜さん捕虜さん。ショーカキっていう奴で、あれ消せますか?』
『うーん、とても無理かなぁ。防火扉も降りてないし』
混乱のあまり、アポロニアは通話ボタンを押しっぱなしなのだろう。
何かが崩れるような音までしっかり聞こえてくる中、僕らは揃ってディープブルーの装甲へ視線を集めた。
『……避難するべきね』
井筒少尉の声は平坦で、しかしその中にも諦めが滲んでいたように思う。




