第50話 ディープブルーの宝石
5階層分はぶち抜いていそうな、吹き抜けの大広間。
周囲はガラス面が多く、ベンチやら観葉植物の残骸が残されているあたり、元はリフレッシュルームを兼ねたアトリウムか何かだったのだろう。
そこへ敵を叩き落とし、自らも一緒に落下した僕は、ちらと突き破った上層階の壁へ視線を送った。
『2人とも、怪我はないか?』
『ん、だ、大丈夫』
『あー……今度ばかりはマジでダメかと思ったぜ。尖晶のカスタム機に狙われてなんで生きてんだろうな』
無線越しに聞こえる普段通りの口調に、ホッと胸を撫で下ろす。
ただ、眼前で立ち上がる敵マキナを前に、僕は意外なこともあると思わされた。
『君でも見間違うことがあるとはね。こいつは尖晶じゃない』
『何だと?』
メカニックとして、あらゆる機体に触れてきたダマルだからこそ、有り得ないと考えたのかもしれない。
深い深い青を纏う敵機は、白くアイユニットを輝かせつつ立ち上がる。
僕のよく知る音を奏でながら。
『翡翠だよ。随分と手を加えられてるが、間違いない』
塗装が異なるし、発光部位の色も違う。装甲形状にも手が加えられており、頭部のセンサーユニットやジャンプブースターも大型化されてはいる。
それでも、外装に隠れた愛機の影を、僕が見間違うことはない。
『どういうことだ? あの特務機が輸出されてるなんて話、聞いたことねぇぞ』
『さぁね。ただ、目の前の敵機は現実だ。こいつの相手は任される。君らはB-20-PMと合流し、マハ・ダランへの対処を』
『嫌な出会いになったもんだぜ。了解だ。行くぞ』
ブツリと音を立てて切れる無線。
仲間の声の代わりに、ヒィンと甲高い機関音が薄らと聞こえてくる。
敵が銃剣装備の突撃銃を構え、青白い光をスラスターに灯したのを確認し、僕も対機甲軍刀を引き抜いた。
待ちの時間などない。敵は引き絞られた弓のように、勢い良くこちらへ走り出した。
最初から格闘戦のつもりらしい。何より、その不規則かつ大胆な動きは。
『速いな……有人機か』
半身退いた所へ突き出された銃剣が、構えた対機甲軍刀に火花を散らす。
世代間に明らかな性能差がある以上、振りは相手の方が確実に速い。故に、1度2度と斬り結ぶ中でも、こちらは基本防御に回らざるを得なかった。
――いい腕だ。隙が小さい、が。
ゼロではない。
僕は対機甲軍刀を片手に持ち替え、左から振り抜いてくる銃剣を、懐に飛び込みつつ左腕の装甲で叩いて逸らす。
続けて、逆手に構えた長刀を振り抜けば、その刃はしっかりと突撃銃の中心を捉えた。
鈍く切り裂かれ、散らばっていくパーツと高速徹甲弾。
武装を失った以上、最早敵機に自身を守る術は無い。全力でバックジャンプをしようとも、長い刀は確実に届く。
もらった。そう思って機を翻し、帯機甲軍刀を振り下ろした時。
『ぐっ……!?』
腕へと走る激しい衝撃。腕部装甲に損傷があった、武装を喪失したとシステムが警報をかき鳴らす。
反射的にブースターを吹かし、機体を後方へ滑らせれば、アイユニットすれすれを敵機のつま先が通り過ぎて行った。
――あの状況で、咄嗟に徒手格闘へ移行した、のか?
対機甲軍刀はさっきの蹴りで吹き飛ばされたのか、右側の壁に突き刺さっている。
随分と度胸のある、同時に技量に優れた機甲歩兵らしい。短く息を吐いて拳を握り直せば、向こうは上げたままになっていた脚をゆっくりと下ろして正対した。
『いい腕ね。青金の運動性で、瑪瑙についてくるなんて』
男性とも女性ともつかない合成音声。
素性を明かさない為なのだろうが、口調に妙な人間味を感じる辺り、中身がバイオドールでないことは間違いないだろう。
それも、マキナの操縦に余程習熟したパイロットだ。
『対話がご所望なら、武器を収めてもらいたいものだな』
『お生憎様ね。貴方とティータイムを楽しむつもりは無いわ』
『タキシードでもしつらえてくるべきだったか?』
皮肉を皮肉で上書きすれば、瑪瑙と名乗った機体は背中の武器を抜こうともせず、僕と同じように拳を構えて見せた。
徒手空拳。マキナでそんなことをする奴は、自分以外にほとんど見たことがない。
そう、ほとんど。
『それが本当に強者の余裕なら、少しは彼に従った意味もあるのだけれど』
どうやら話は終わりらしい。
青白くジャンプブースターを煌めかせ、瞬く間に間合いを詰めると、凄まじい速度の貫手が飛んできた。
咄嗟に膝を折って躱し、続けざまに迫るローキックを腕で受け止める。
――速い上に重いか。
装甲、フレーム損傷軽度、アクチュエータ負荷増大。
流石は翡翠の改修型と言うべきか。格闘戦能力の高さは恐るべきもので、ただの蹴りも真正面から受け止めれば、無傷で止めることは不可能らしい。
ならばと、ステップを踏むように後退しつつ、躱し、受け流す方向へ転換すれば、ワンツーパンチから繰り出されたエルボーが、肩部装甲を弾き飛ばした。
大きく後方へ跳び、体勢を立て直す。
『ッ――反応速度、計算修正。やはり翡翠と同じようにはいかないか』
性能差は歴然。その上、敵パイロットの技量はかなりのものだ。
まだ銃剣のような取り回しなら隙も狙えたが、素早い徒手格闘ではかなり分が悪い。
『怖いなら逃げなさい。そうすれば、終わりを見なくて済むもの』
悠然と歩み寄ってくる瑪瑙を前に、僕は先ほどまでの動きを身体に叩き込む。
計算に基づき、ジェネレータ出力を再分配。マニピュレータを握りなおし、深く深く息を吐く。
信じるべき自分の勘は、まだ警鐘を鳴らしていない。
『……生憎と、敵前逃亡で軍法会議なんてのは勘弁でね』
『そう。真っ当な兵士のようで、安心したわ』
全く、嬉しいことを言ってくれる。
今の世の中にあって、自分をそう評することのできる相手に出会うとは。
それも、どうしてか懐かしく思える、戦闘スタイルの相手に。
■
『ここだ』
合流したC-54-002、もといB-20-PMが立ち止まったのは、俺の想像していた部屋より随分上層の位置だった。
「下層制御室? 野郎の本体じゃねぇのか?」
『中枢は高密度のレーザー障壁に守られている。電力を遮断するか、施設の制御権を奪わない限り接近は不可能だ』
そう言いながら、ポンコツ野郎は躊躇うことなく扉のロックを解除する。
勝手知ったると言った様子なのは、先に行ったであろうダイブで内部のセキュリティデータを吸ったからだろうか。
「どうすればいい?」
『マハ・ダランはバイオドールにとっての神だ。しかし、生物に対しては同様の支配は行えない。人間からの直接アクセスなら、ウイルスコードの投入が可能だろう』
導かれるまま部屋に入ると、シューニャの疑問に対してB-20-PMは並べられた特殊なカプセルを指さした。
「ダイブシートかよ。準備がいいな」
800年前、電子空間へのフルダイブを行うための代表的な設備といえばこれだった。ガーデンに置かれているような、部屋ごとダイブ空間として扱うタイプは、それこそ軍事訓練や高級なスポーツトレーニング施設くらいでしか目にしたことはない。
そういう意味において、俺個人としては慣れ親しんだ物でもあるのだが、如何せん場所が場所である。どこに飛ばされるのかは想像もついていた。
『中尉、君の身体的状態は把握不可能な域にあるが、頼めるか』
首から下がないというのに、深い深いため息が零れる。
「やるしかねぇんだろ? ったく、髑髏だけだってのに働き者は辛ぇぜ。シューニャ、お前はこのポンコツの補助を――」
「私も行く」
正直聞き間違いかとも思ったが、どうやら彼女は本気らしい。
ぐい、と視界が持ち上げられた先で、相変わらずの鉄仮面と視線がぶつかった。
「お、おいおい、何言ってんだ。こういう場合、どっちかは残るべきだろ」
『いや、中尉の現状を考えれば、システムが人間、あるいはそれに準ずる存在と認識できない恐れがある。余計なトラブルを防ぐ為にも、シューニャ・フォン・ロール氏を主体としてダイブすることを推奨』
サラサラと流れ出てくる理屈に、こいつら裏で示し合わせてないだろうな、と訝しむ。
だが、それを疑ったところで、後付けでも付け焼刃でも、B-20-PMの補足に反論の余地はなかったのだが。
「……わかった。だが、ハッキリ言っとくぞポンコツ。問題発生時には迷わず回線を遮断しろ。あらゆる命令に優先するんだ。いいな?」
『了解した』
信用ならない了解だったが、他に選べる者は誰も居ない。
シューニャの手でダイブシートの枕に置かれ、彼女自身も隣のカプセルに寝転がる。
それから程なくして、俺の視界はロード画面の中へと落ち。
次に見えたのは、カーペットか何かが敷かれているであろう床だった。
「ここは……どこ? ダマル?」
シューニャの声が聞こえ、視界がぐっと広くなる。どうやら持ち上げられたらしい。
「こりゃあ、映画館だか劇場だかの受付か? うおっ!?」
俺の意思に関係なく、視界がぐるりと回る。
そこで現実と全く変わりのないシューニャが、至近距離からジッとこちらを眺めていた。
無表情で愛想がある方ではないが、顔がいいのは疑いようもない。そう思うとまた、あのスケコマシをぶん殴りたくなってくる訳だが、とりあえず堪えておく。
「……自動でのアバター作成は上手くいったようだな」
「ダマルは髑髏のまま」
「しゃーねぇだろ。そうスキャンされちまってんだから。おかげで動けもしねぇ。悪いがこのまま運んでくれ」
「ん」
どういう理屈だか知らないが、マキナにせよダイブシートにせよ、800年前に作られた装置はこの骸骨ボディを正確に認識できるらしい。
だとしても、身体の欠損まで再現しなくていいものを。アバター設定を弄ろうにも、オプション画面すら表示されないというかなりの不親切設計である。
結果的に俺はシューニャの小脇に抱えられ、間接照明に照らされた薄暗い通路を進むほかなかった。
扉の並ぶ道の奥は暗く、どこまで続いているのか分からない。チケットを持っている訳でもないのでシアター番号も不明であり、仕方なくシューニャに1つずつ扉を確認してもらっていたのだが。
暫く歩いた先で、ふいに半開きの扉が見つかった。
「まるで、呼ばれてるみたい」
彼女の素朴な感想は、多分間違っていない。
俺が何を言わずとも、シューニャは引き寄せられるようにそこへ進み、そっと中を覗き込んだ。
「……影絵?」
大きなスクリーンに映るのは、白と黒だけの動くアート。
人に見える多くの影が、音楽に合わせて動き回っており、左では物を運び、中央では何かに乗って飛び、右では何かと戦っているようだった。
ストーリーは全くと言っていいほど見えてこない。だが、何故か惹きこまれる動きであり、俺とシューニャは自然と座席へ腰を下ろしていた。
ふと音楽が止む。場面が変わるのか、小さな影絵は一斉に居なくなり、代わりに大きな人型がスクリーンに浮かび上がる。
「今日は一見の方が多いようだ」




