第45話 糸口
扉の前に立って、深呼吸を1つ。
余計な事は考えない。私はただ呼びに来ただけ。他は全部余計なこと、のはず。
緊張なんて必要ないんだ。キョウイチと話すだけ、いつも通り。
「キョウイチ、起きてる?」
控えめに扉を叩く。ほんの少しだけ手が震えていたのは、きっとファティが変なことを言うから。
私から、積極的に、なんて。
ブンブンと首を振って思考を振り払う。違う違う、今はそんなことを考えたい訳じゃないんだ。
もう一度深呼吸。冷たい扉から返事はない。
きっと寝ているのだろう。ファティは二日酔いだとか言っていたし、ならばと身体に力を込めた。
「ごめん。勝手に入る、からね」
取手に掌をかざせば、扉はヒュンと音を立てて独りでに開く。どうやら鍵はかかっていなかったらしい。
だが、照明の消えた部屋の中、正面左手にある寝台の上に見えたのは、きちんと整えられた白いシーツだけだった。
「あれ……居ない?」
キョウイチの事だから、もしかしたら沐浴でもしているのだろうかと、更に奥を覗き込んでみても、人の気配はなく灯りが点いている様子もない。
もう起き出していたのだろうか。だとしたら何処に、と首を捻った矢先、真後ろの辺りで足音が止まった。
「ご主人だったら、ついさっきタマクシゲの方に歩いて行ったッスよ」
無人の部屋を覗き込む私の姿から、なんとなく察してくれたのだろう。洗濯物を抱えたアポロニアは、えれべーたーの方へ続く通路の方に顔を巡らせてくれた。
「タマクシゲ――分かった。ありがと」
自然と走り出す足。その背中に、いってらっしゃい、と明るい声がかかる。
いつもはあんまり思わないのに、こういう時のアポロニアは、本当にお姉ちゃんみたいだ。
明るい通路を右へ曲がり左へ曲がり、鉄で作られたような階段を駆け下り、キカイだらけの広間をすり抜けた先。
動き回る私たちの家の前、今まさに乗り込もうとしている黒髪を見つけた。
「待って待って! キョウイチ! あっ!」
何故そんなに慌てていたのかは、私にも分からない。
呼んで来いと言われたからか、それとも、自分の中にある遠くへ行ってしまうのでは、という感覚に押されてか。
慣れない全力疾走に、私の不器用な足はしっかりもつれ、タマクシゲに向かって視界が傾いていき。
地面にしては柔らかい衝撃が、額と鼻先に伝わった。
「っとと! 危ない危ない。どうしたそんなに慌てて」
キョウイチの声が頭上から降ってくる。どうやら走る私に気付いて、咄嗟に受け止めてくれたらしい。
ぴったりとくっついた体から、どうしてかふわり鼻を突いた彼の匂いに、ボッと頬が熱くなった。
「ご、ごめん!」
慌てて身体を離し、赤くなっているであろう顔を片腕で隠しつつ、それでもどうにか彼と目を合わせる。
不思議そうな顔。当り前だ。今の私はただただ体当たりしただけのようなもの。
息切れの上に余計に過熱した頭で、それでも必死に頭の中を整理して。
「えと……急いでる?」
「君ほどじゃないよ。何かあったのかい?」
目線の高さを合わせてくれるキョウイチに、私はその袖を小さく握った。
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懐かしい機体を前に、ふぅむと顎を掻く。
「バイオドールの盲点を突く、かぁ。軍法会議で済めばいいなぁ」
「何を今更。衛星兵器を勝手にぶっぱなした奴のセリフじゃねぇだろ」
「情状酌量の余地は?」
「国家反逆罪の現行犯にそんなもんあるかよ」
相棒に冷たくあしらわれる。どうやら僕は既に確定で戦犯として裁かれるらしい。尤も、自分としても全面的に受け入れます、以外何も言えないのだが。
ただ、僕が倫理観に対して苦笑を浮かべる後ろで、女性陣は内容が理解できないからなのか、小声の会話が聞こえてきた。
「えっ、しなかったんですか?」
「で、出来なかっただけ……キョウイチは、普通に起きていた、から」
「シューニャは遠慮しすぎですよ。ぎゅって顔掴んじゃったらいいのに」
「そッスよ。せっかくの機会だったなら、もっとこう積極的に行かないと」
「2人は強引。私は、その、もっと落ち着いた感じで……」
「君らは何の話をしてるんだい?」
聞き耳を立てていた訳ではないが、ヒソヒソ話と言うのは普通の会話以上に聞こえてくるものだ。
自分の名前が出ていたこともあって、何の事だろうと振り返れば、シューニャが慌てた様子で背筋を伸ばし、逆にファティマとアポロニアは呆れた様子で肩を竦めた。
「シューニャは素直じゃないってお話です。ホントはおにーさんとキ――むぐにゃが」
「ちちちちがっ、その、なんでもないから!」
ファティマのまるでため息のような声は、ポンチョから伸びてきた2つの手によって抑え込まれる。
自分と何なのか。興味がないと言えば嘘になるが、焦りが滲む翠色の瞳に睨まれては掘り下げる訳にもいかず、僕は誤魔化すように後ろ頭を掻いた。
「そ、そうかい。なんだか今日のシューニャは忙しないな」
「女にも色々欲求があるんスよ。察してあげて欲しいッス」
訳知り顔で首を横に振るアポロニア。このポンコツ頭に何を察せというのだろう。
しかし、自分が引き下がったことでシューニャは胸を撫でおろしたらしい。ファティマの口はようやく解放され、ぷぁっ、と小さな息が零れた。
「もー……シューニャは恥ずかしがり屋さん過ぎます。好きなら好きってもっと言えばいいのに」
「ファティ!」
「お前ら、ちったぁ場を弁えやがれ。話が進まねぇだろうが」
「「「ごめんなさい」」」
ダマルの一喝に、揃って頭を下げる3人娘。最近よく息が合っているなァとは思うが、結局彼女らが何を言いたかったのかはイマイチ理解できなかった。
「ったく、でどうする? この方向で進めていいのか?」
「ん、ああ。侵入の足掛かりとしては十分だろう。問題は、どうやってマハ・ダランを破壊するか、だが」
中核の設備であると考えれば、電子的にも物理的にも防御網がかなり厳重であることは想像に難くない。
せめてマキナの火力を叩き込めるならば、どうにかできるかもしれないが。
「いくら友軍機に化けてても、流石に最深部までマキナを入らせちゃくれねぇだろうしな」
「しかし、ハッキングするにしても、相手が高度処理システムでは手の出しようがないだろう」
僕とダマルは揃って頭を傾ける。
自分達の装備で実現可能な方法といえば、どれもリスク度外視の強硬手段だ。自爆前提の作戦ならともかく、僕は生きる為に戦っている。
ではどうするべきか。唸ったところで、お互いにいい意見は出てきそうになかったが。
『いや、不可能ではない』
カション、という軽快な駆動音に顔を上げれば、本来ここにあってはならない存在が、あまりにも普通な様子でそこに立っていた。
一瞬の沈黙。
「ば、ばいおどぉる!?」
「ッ! おにーさん、下がってください!」
武装こそしていなくとも、つい先日戦った敵である。
アポロニアが毛を逆立て、ファティマは背中からミカヅキを抜き、僕を守るように前に出た。
それこそ、やや気の抜けた声が後に続かなければ、血の気の多い猫娘は一撃で切り伏せていたかもしれない。
「そんなに慌てなくていいよ。これの身体はもう、トゥーゼロそのものだからさ」
『驚かせたことは謝罪しよう。ちょうどC-54ボディの試運転中だったのだ』
ひょっこりと顔を出したルウルアに、一同が目を丸くする。多分、現代人たちには何が起こっているのかうまく伝わっていないのだろう。
それは後で説明しておくとして、僕は全く別の方向で驚いていた。
「もしかしてそれは、僕が翡翠でぶん殴った奴かい? よく動いたものだ」
『機体の損傷は外見ほど大きくない。視覚センサーに多少のノイズが走っている程度だ』
剥がれ落ちた前頭部の外殻と、亀裂から覗く強化特殊セラミック製らしい骨格を見る限り、中々致命傷のように思えるが、戦闘用バイオドールという奴は想像していたよりも頑丈らしい。
操縦席の機器を破壊しないよう武器を使用しなかったとはいえ、マキナの拳をもろに食らって、カメラ異常程度で済んでいるのだから。
「んなことより、不可能ではないっつったな。どうするつもりだ?」
僕を押しのけるようにして、ダマルはガシャンと鎧を鳴らし、B-20-PM入りらしいバイオドールの前に出る。
今度はどんな無茶を押し付けるつもりだ。自分たちの命は消耗品じゃねぇぞ。そんな言葉が、動きの刺々しさから滲んでいるように思えた。
しかし、バイオドールにはやはりそういう感情は理解しがたいのだろう。彼は機械らしくただ淡々とした動きで、手の中から立体映像を浮かび上がらせて見せた。
『マハ・ダランを構成する基幹プログラムは、バイオドールのオペレーティングシステムを大幅に拡張した物だ。その演算能力は単一の機体と比べるまでもないが、セキュリティの監視を掻い潜る道に違いはない。それを当機は理解している』
「お前がやるってのか? その借り物の体で」
『職責を果たすのは、道具としての本懐だ。その為には実行可能なあらゆる手段を用いねばならない』
恐れも躊躇いもなく、必要ならば実行すると言い切る姿は、まさしく機械であり道具のそれだろう。
どこか侮蔑的な雰囲気を漂わせていたダマルも、この言い分にはカタカタやかましかった兜を沈黙させた。
「――具体的には?」
『マハ・ダランの備える電子防壁を突破し、システムを停止させるためのプログラムを投入する。より正確に言えば、カール・ローマン・リッゲンバッハ教授が作成したウイルスだ』
背筋を何かが走り抜ける。そう感じたのはきっと、僕だけではなかっただろう。
「ちょっと待て。それは世界中のマキナを暴走させた、アレかい?」
「お、おいおいおい、お前が触れたら不味い類の奴じゃねぇのか」
リッゲンバッハ教授の暗部。戦争の影で産まれた恨みの連鎖が、共和国及び共和国に与した全てに対し結実した存在。
古代文明が今に残らなかった原因の1つにして、リビングメイルという言葉を生み出した元凶。
本来なら、風化という現象の中で消えてなくなるはずだった血塗れの怨嗟を、このバイオドールは腹の中に残していたらしい。
『心配は不要だ。凍結されたソースデータを隔離保存している。当機に影響を与えることはない』
「……なんでそんなもん保存してるんスかね」
「知らない」
うへぇ、と舌を出すアポロニアと、眼にキャスケット帽の影を落とすシューニャに対し、B-20-PMは理由を答えようとはせず、ただ手の中に浮かぶ隔離状態のフォルダを、何やら単純な図式へと切り替えた。
『バイオドールには想定外の暴走が発生した場合、安全の為に緊急シャットダウンを行うプログラムが存在している。このウイルスを内部で活性化させれば、理論上マハ・ダランの人工知能は強制停止せざるを得ず、自己判断による再起動は不可能となるはずだ』
「なら、自分たちの任務は、データを転送するまでの護衛か」
『その通りだ大尉。可能な限りセキュリティは回避するが、何事にも予期せぬ事態は起こり得る。戦闘の可能性を含め、あらゆる予備策を検討しておくことを推奨したい』
やるべきことは分かった。考えるべき点も整理出来た。
その上で、僕とダマルは顔を見合せ、ほぼ同時に肩を竦める。
「予備策、ね」
「簡単に言ってくれやがるぜ。やっぱり気に入らねぇわ、こいつ」
『人間の感情は、当機に左右できるものでは無い。だが、作戦に際して1つ、知っておいてもらわねばならない話がある』




