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悠久の機甲歩兵・夜光  作者: 竹氏
特殊部隊
36/79

第36話 生命の果て

 神よ。弱き人を統べ、高きへ導く光の神よ。

 どうか、我に勇気と力をお与えください。邪を払い罪を断じ、曇った人々の眼を再び開かせるための勇気と力を。

 我は祈る。星明りに照らされた砂礫の舞い上がる、硬い鞍の上で。


 ――今を切り抜けずして、何処に先があるものか。


 苦しそうに駆ける軍獣アンヴに、なお強く手綱を振るう。

 だが、後ろから迫る蹄の音は止むことなく、それどころか下卑た声が風に乗って聞こえてくる。


「へへへ、そろそろ疲れて来たかぁ?」


「怖がらなくていいぜ! ちゃんと優しく、ガラス玉みたいに扱ってやるからよぉ!」


 反吐が出そうだと思った。

 自分がまだ幼かった頃、寝物語を聞かせてくれた母上に、町はどうして夜に門を閉めるのか、と問うたことがある。

 あの時、母はなんと答えてくれたのだったか思い出せないが、背中に迫る汚らしい声が真実だ。

 暗がりの砂漠、それもオン・ダ・ノーラ神国の中心から離れた南となれば、我らの威光も細く細くと言った所だろう。女1人の強行軍など、格好の獲物であることは理解していたが。


「人の理すら守れぬ砂賊共が……!」


 毒づいたところで、狩りを楽しむような笑いは止まない。

 弓を持ちながら矢を射かけようともせず、着かず離れずでずっと追ってくるその様は、遊んでいるとしか思えなかった。

 そんな奴らに、高貴なるこの身が弄ばれてたまる物か。


「おいおーい、まだ頑張るのかよ。大した気骨だな」


「いい加減飽きてきたぜ。もう射かけちまってもいいんじゃ?」


「馬鹿を言うな。アンヴにせよ女にせよ、久しぶりの上物だ。傷が入った物を、俺の宝物に加える訳にはいかん。そうだろう?」


「こだわるねぇ、お頭も。最後はどうせ壊しちまうのに」


 ぎゃはは、と下品な笑い声。

 多分、わざと聞こえるように言っている。怖がらせて縮こまらせれば、言う事を聞くのだと。

 あるいはその内容は事実かも知れないが、捕まりさえしなければ関係ない。

 何より我は、こんな連中の相手をしている場合ではないのだから。


「まだ走れる、走らねばならないんだ!」


 軍獣が泡を食う。それでもなおと促しつつ、懐に隠した短刀に手をかける。

 夜明けが来て奴らが退くのが先か、軍獣が壊れて追いつかれるのが先か。否、威光を掲げるこの身を、大いなるエカルラトは必ずお救い下さるはず。

 切り抜けて見せる。そう思った時。

 急に地面が無くなったかのように、ガクンと軍獣が崩れた。


「あっ!? がっ!?」


 宙を舞ったことに気付いた時、我はすでに絹砂の上へ激しく叩きつけられていた。

 想像していた以上に、軍獣の足は限界だったのだろう。何の拍子にもつれたのかわからないが、視線の先に横たわった1本角の獣は、ギューンと苦しそうに呻きながら足をばたつかせている。

 それを覆い隠すように周りへ影を落とす獣の群れ。喉奥から込み上げてくる酸い味に、短刀を抜く事すらままならない。


「頑丈な娘だ。まだ顔を上げるとは」


「ッ……賊風情が、聖王が娘たる我を値踏みするか!」


 汚れた男たちを強く強く睨みつける。ただでさえ、神民ですらない連中と言葉を交わすことさえ、本来はあり得ないことだというのに。

 しかし、我の言葉に砂賊連中は一瞬ポカンとしたかと思えば、間もなく腹を抱えて笑い出した。


「だっはっはっはっは! なぁに言い出すかと思えば、聖王の娘だってよ!」


「道理でいいアンヴに乗ってるわけだなぁ!? それでそれでお姫様は、召使の1人も連れずどうしてこんな所までぇ?」


「き、さまらぁ――ぐッ!」


 この身を愚弄するかと、今更になって短刀に手を伸ばした所で、喉元に長く冷たい刃が触れる。

 ただ1人、笑うことなくジッとこちらを見つめていた大男。おそらく、こいつが賊の頭領なのだろう。軍獣から降りることもないまま、静かに長剣を我に突き付けていた。


「お前が誰だったかなどどうでもいい。お前は既に俺の物だ」


「貴様程度の賊徒がこの我を、フォンテインを手籠めにしようと? 身の程を知るがいい。今すぐ我の前から消えよ。さすれば此度の無礼は見逃してやる」


 男は手練れかもしれないが、この程度の眼光で我を委縮させようなどと舐められたものだ。

 思い出されるのは年嵩の大師士。あの優しくも鋭い目と比べれば、こんな奴は獣にも劣る。

 我が一向に怯まなかったからだろうか。賊頭領は暫くこちらを見つめた後、ニヤリと口角を上げた。


「誠に上物だな。これならしばらく愉しめそうだ」


 男が小さく手を上げたかと思えば、次の瞬間には両腕と頭を後ろから誰かに抑えつけられる。


「このッ! 我に触れるな!」


「まぁまぁそう暴れなさんなって、お姫様?」


「やめろ! やめ――むぐ!?」


 硬いロープに手足の自由を、薄汚い布切れに言葉の自由を奪われる。懐から零れた短刀は既に、誰とも知らない男の手の中にあった。

 身体を捻る抵抗さえ空しく、軽々抱え上げられた我は、まるで荷物のように軍獣の背中へと乗せられる。


「今日はいい収穫だ、野郎ども。ねぐらへ戻――!」


 目の前で、何かが零れた。

 号令と共に振り上げられた手が、どうしてかゆっくりと垂れ下がる。それから程なく、柔らかい砂の上にドサリと剣が落ち、続けて大きな体がぐらりと傾ぐ。

 今まであれほど笑っていた薄汚い男たちは、まるで声の出し方を忘れてしまったかのように固まっていた。

 彼らは皆、何が起こったのか理解できなかったに違いない。我と同じように。

 時間が動き出したのは、彼らの後ろでもう1人が軍獣から転げ落ちた時だった。


「てっ、敵襲! お頭が、お頭がやられたァ!」


 誰かの発した声に、砂賊たちは一斉に得物を抜いたものの、時既に遅い。

 風を切る音が大きく響いたかと思えば、次の瞬間には2人3人と男たちが地面へ倒れ込んでいく。

 叫び逃げ出す者、狙いすら定めず矢を放つ者、軍獣を宥めようとして振り落とされる者。彼らが混乱に陥るまではあっという間だった。


「ふぐっ!?」


 絶叫に満たされた夜闇に、我を乗せた軍獣も怯えて暴れたらしい。腹にズシンと響いた揺れと同時に、またも砂の上へと放り出される。口に布切れを突っ込まれていたおかげで、舌を噛むような事態は避けられたが、またも喉の奥からは酸い味が込み上げてきた。


 ――だが、これが、これこそが神の導き! ようやく我の祈りをお聞きくださったのだ!


 大いなる神エカルラトが軍を遣わせてくださった。導きに応ずる者は、未だに神国の地より枯れてはいない。

 そう思って顔を上げた時、逃げ惑う男の叫びが聞こえた。


「だ、蛇行剣!? 奴ら人食い――ぎぇっ!?」


 蟲が潰されたような叫びを残し、力なく倒れ込む砂賊。続けて、笛のような甲高い雄叫びが辺りに鳴り響く。

 突如現れた者たちは皆、顔をベールで覆い、体を布で隠していて、男とも女とも取れない。

 ただ、その中の1人はチラとこちらを見ながらも、振り返ると同時に銀の剣を宙へ放っていた。

 異文明なのは間違いない。しかし、目を見ればわかる。こいつは、手練の戦士だと。

 見えない場所から、ぎゃあと叫びが聞こえてくる。どうやら、逃げられなかった哀れな奴が居たらしい。


「……これで全てか。下の下しかおらんな」


 ザッザと砂を鳴らし近づいてくる声は、低いながら女のものだったように思う。

 ふいに身体を捻ってみれば、布に包まれている様なその者は、すぐ傍らからこちらを見下ろしていた。


 ――異端。


 神が遣わせた軍ならば、そんなことはあり得ない。あり得ないはずなのに。


「声は出せるか?」


 ローブの下から伸びた手が、そっと我の口から布を外す。

 その時見えた手首には、びっしりと奇怪な文様が刻まれていた。


「……よもや、カニバル、なのか?」


 人食いは異教徒であり邪教だ。遥か昔、神の手で南の大樹林へと追いやられ、威光を失った奴らは滅び去っているはず。

 しかし、身体に刻まれた特徴的な文様は、誰人たりとも手にすることを禁じられているはずの輝く蛇行剣は。


「ほう、これはこれは」



 ■



 砂賊共の亡骸を駄載獣に積み込み、縄に縛られた我を1人荷車へと乗せた人喰い共は、砂漠を南へ下っていった。

 聖都は既に遥か彼方。それどころか、神国の町村さえ近くには無い辺境地と言っていい。


 ――こやつら、何処へ向かっているのだ。


 砂漠は過酷な土地であり、人の住める場所は水の湧き出る場所に限られる。そしてその多くは、オン・ダ・ノーラの都市として栄えており、滅するべき異教徒であるカニバルに居場所は無い。

 だが、どうにもこやつらは、文明を持たない野人とは異なるように思える。


「……答えよ異教の徒。何故、カニバルがここに居る? 遥か昔、お前たちは我らが威光によって神の地を追われたはず」


 軍獣に揺られる男に問うてみても、彼は前を向いたまま口を開こうとしなかった。


 ――ええい忌々しい。我には成すべき使命があるというに。このような形で時を浪費するなど。


 奥歯を噛めども、縄が解ける訳も無い。そもそも、これほど町村から離れた場所にあって道も分からぬのでは、人喰い共から逃れた所で、行き着く先は砂漠の熱に干からびるのみ。

 どうすれば、と歯がゆい想いが募る中、唐突に荷車はギィと音を立てて止まった。


「……なんだ? うろ、いや裂け目か?」


 目の前に見えたのは、砂岩の崖に開いた、軍獣1頭が通れるかどうかという小さな隙間。

 しかし、どうやら目的地であることは間違いないようで、人喰い共はいそいそと積荷を下ろしては運び、我にも降りろと言ってくる。

 呆れたものだと思った。


「所詮は野人か。文化などあったものではないな」


 同じ人の形をしていても、こいつらはキメラリア等と同じ。神の子たる我らからすれば、劣った種族なのだ。

 嘲られてもなお、誰1人声を上げぬまま荷解きを続ける当たり、誇りすら持たないのかもしれない。


「歩け、女」


「ふん……」


 男に言われるまま、我は亀裂へ足を踏み入れる。

 今は虜囚の身だが、この様子なら逃れることは難しくないだろう。隙を見て水と軍獣を奪えれば、どこかの町村へ逃れることもできるはず。

 今はただ、静かに従っていればいい。我はそう考え、男に連れられるまま暗がりを進んだ。

 洞は僅かに下っていたように思う。この先、どんな居心地の悪い場所が現れるのかと思っていれば、やがてぼんやりした光が見えてくる。

 我はそこで、小さく息を飲んだ。


「これは……なんだ?」


 現れたのは、大きな吹き抜けの空間。周りを古木の枯れ根に囲まれて、その隙間からは蝋燭ともランプともとれない淡い光が覗いている。

 広間に降りた人喰い共を出迎えたのは、家族らしい女や子ども。見回してみれば、湧き水を汲んだり衣服を洗う者の姿があり、鎚を振るう音が聞こえ、炊事の香りが漂っている。


 ――これは村だ。それも、かなり豊かな。


 はっきり言って衝撃的だった。文明的でないのは見かけだけで、彼らの生活は神国の民と変わらない。


「驚いたかな、姫君」


 そう声をかけてきたのは、我を捕らえた男とも女とも付かぬ何者か。

 勝者の余裕にも似た雰囲気を滲ませるその言葉に、我が強い苛立ちを覚えたのは言うまでもないだろう。


「……人の真似事は上手いらしいな」


「ふふ、神の子からお褒めに預かり光栄だ。さぁ、貴女には大いなる役目を果たしてもらわねば」


 縄こそ解かれないものの、そいつはまるで客人をもてなすかのような態度で我に語り掛ける。

 皮肉か、軽蔑か。どちらにせよ、愚弄されているのは間違いない。

 だが、我の感じた憤りは、男たちに連れられた扉の向こうで、一瞬を持って霧散させられた。


「これ、は……」


 黒ずんだ跡を残す台に、古びた皮のベルト。並べられた不気味な器具。

 薄明かりに照らされた部屋の最奥に現れたそれらが、処刑のために置かれていることはすぐに分かった。


「そうか。ふふ、そうであろうな」


 此奴らはカニバルだ。人喰いなのだ。

 それが捕らえた女を、長く生かしておく理由などない。

 男たちによって持ち上げられた我は、石よりも鉄よりも白い台の上に置かれ、手首と足首を革のベルトに縛られる。


「皆を集めよ。此度の狩りを、父祖へと捧ぐ」


 ベールの者がそう声をかければ、男たちは整然と扉を出ていった。

 恐怖はある。が、我はこの儀式めいた処刑が、あまりにも滑稽だと感じていた。


「やはり所詮は野人。それも人を喰らうことに、これほど熱意を燃やすとは、考えられんな」


「不思議はなかろう? エカルラトの子が祈りを捧ぐように、我らは父祖に美しき魂を捧ぐ」


 ギリッと奥歯が鳴った。

 エカルラトと邪教の祖が同じ。その一言が持ちうる罪は、最早死すら生暖かい。


「正邪を同列に語るな! 貴様らは所詮、ただの人喰いだ! 自らの行いを悔いるが良い! 貴様らはいずれ必ず、大いなる神によって裁かれよう!」


「それが神々の思し召しならば、我らは教えに従いただ殉ずるのみ。信仰に後悔などないのだ、幼き姫君よ」


 この手が縛られていなければ、我はこの瞬間、カニバルの頬に拳を叩き込んでいただろう。それだけでは済まない。あらゆる暴力をもって、此奴を引き裂いたに違いない。

 燃え盛る怒りを受けてもなお、ベールの奥でカニバルは笑っていた。まるで我らの信仰を、幼稚なものと見下すように。


「さぁはじめよう」


 高らかな宣言に前を見れば、いつの間にか部屋に多くのカニバルたちが集まっていた。

 この村の全員なのだろうか。女や子ども、老人に赤子、あらゆる人々がこちらを見つめ、膝を折っている。

 何故だ。何故、貴様らはこんな物に頭を垂れる。何故、我ら神の子と同じ眼差しを注ぐのか。


「我らが父祖よ、まずは麗しき血を捧ぐ」


「ぐぁ……あぁっ……!」


 腕に走る鮮烈な痛みに首を回せば、ベールのカニバルが手にした波打つ剣が、我の二の腕を薄く切り裂いていた。

 ぬめりが腕を、身体を伝い落ちていく。

 痛い、熱い、痛い。

 何より、此奴らは何故、苦痛に歪む我の顔を、神聖な物のように見つめるのだ。


「いぎっ!? が、ぁ! 痛い、痛い! やめろ、やめろ、もう嫌だぁ!!」


 掌に、つま先に、太腿に、脇腹に、少しづつ刃が走っていく。慣れていたはずの痛みは恐怖に強くなり、その癖、傷は死に程遠い。

 途中から我は、叫ぶことしかできなかった。神に祈ることさえ忘れて、頭を駆け巡るのは、痛い、苦しい、助けて、家に帰らせて。

 あの日に、平穏だった聖都の日々に、戻してと。


「我らが父祖よ! この麗しき魂を音声おんじょうとして捧ぐ!」


 涙に歪んだ視界の中、赤々とした炎が煌めく。

 ああ、我は死ぬのだ。異教徒の手にかかり、体を焼かれ刻まれ、何を成し得ることも無く。

 神の御許に召された時、我はどう懺悔すれば良いだろう。先に逝った父に、母に、大師士に、多くの神民たちに、なんと申開きをすれば良いのか。


「一族に繁栄のあらんことを!」


「繁栄のあらんことを!」


 野蛮な声が木霊し、背中からじわりじわりと熱が伝わってくる。

 いつしかくべられた薪は、やけに穏やかな炎となって、肉を調理するかのように我を炙らんとしていた。

 死にたくない。こんな最期は。

 苦しい息が漏れるだけで、もう声は出ない。

 ただ、固く拳を握りこみ、滴る血と痛みがを感じるだけで。


 ――タスケテ。


 固く目を閉じた最後の祈り。それはあまりにも飾り気がなく純粋で、エカルラトの名すら出せなかった。

 一体何に向けられたものだったのだろう。我にはもう分からない。

 ただ、熱が身体を包み込む寸前、我は不思議な声を聞いた気がした。


『緊急セキュリティ警告、レベルA1。マスターキーに対する危害行為が確認されました』

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