第30話 一種のボディランゲージ
荒々しい声が劇場の中に響き渡る。
「以上が、指導者の下された裁定となる。皆、ゆめゆめ忘れることのないよう」
アタバラ、と呼ばれたデミの男は、ルウルアの世話役的なポジションであるらしい。彼女が即興で書き上げた同盟関係を伝える原稿を読み上げると、壇上から観客席をぐるり見回した。
目の前に座っている連中は観客ではない。曰く、テクニカに暮らしているのは種々のキメラリアと、僅かなデミだけで、人間は1人も居ないとのことで、彼らは皆、それぞれの種族を代表するキメラリア達らしいのだが。
「指導者は俺たちに、人間の指揮下に入れと仰るのか?」
「冗談じゃないわ。今更奴隷に逆戻りするくらいなら、戦って死んだほうがマシ」
静かな水面に石を投じたが如く。ざわめきの波はあっという間に建物の中へ広がっていった。
テクニカに住む住民たちは、B-20-PMを指導者と据えている様子だが、絶対権力者という訳ではないらしい。民会とでも言うべき組織が劇場内の様子からは察せられる。
自然な発言と反発。それは自由が保障されている証拠とも言えよう。ただ、自分たちにとっては厄介な話で、場内のどよめきに対し、隣に立つダマルは、カッ、と小さく苦笑を零した。
「まるで祭りだぜ。虹色姉ちゃんはそれなりのカリスマらしいが、この話題は連中にとっちゃタブーみたいなモンなんだろうな」
「奴隷に逆戻り、と言っている以上、住民の多くは元奴隷の可能性が高い。あるいは、その子孫かも」
「人間の文明から逃れ、運よく焼けた大地を抜けた者達、という訳だ。反発もむべなるかな」
テクニカまでどうやって辿り着いたかはともかく、少なくともここが人間文明に使役されていたキメラリアたちの避難所となっていることは確かと言える。
ようやく手に入れた安息の地。誰に所有されることもなく、自らの人生を選び取れる場所。
だというのに、外から来た人間が、軍権を明け渡せと宣っているのだから、脊髄反射で非難が起こっても何ら不思議はない。
壇上に立つルウルアも、民衆の反応は想定の内だったのだろう。やはり気だるげではあったが、ため息を吐きながらも、ゆらりと演台の前に立った。
「諸君らの心配は理解できる。だが、彼らは未来永劫の隷属を要求している訳じゃない。指導者は昨今の脅威からこの場所を、ウチらの故郷を守るための力を求め、彼らを雇い入れたに過ぎないのだ」
「俺たちだけじゃここを守れないって、そういうことですか!? 昨日もこの前も、いや、何世代も前から、俺たちはここを守り抜いてきたじゃないですか!」
「今まではそうだった。だが分かっているだろう。最近の襲撃は、チーたちのように甘くない。これ以上の悲劇を起こさない為にも、トゥーゼロは道を示した。ウチらの為にだ」
「指導者は俺たちを信じていないのか!? 何故、我々の声を聴いては下さらないのだ!?」
ケットの男は、まるで面目を潰されたかのように叫ぶ。もしかすると彼は、ここを守る兵士なのかもしれない。
もしも、ルウルアに長としてのカリスマが無ければ、周囲の者たちも巻き込んだ大きな声のうねりとなっただろう。だが、僕の静かな緊張と裏腹に、そのヒステリックとも言える叫びに対し、周囲の者たちは押しとどめるような動きを見せた。
「やめろって。言いたいことは分かるが、今の俺たちがあるのは指導者と巫女様方のおかげなんだぞ」
「貴方だけが悔し訳じゃないのよ。トゥーゼロ様もルル様も、苦渋の決断だったに違いないのだから」
叫ぶケットを宥めるのは、毛深い蜘蛛男と肥えた犬女。こうしてみると中々奇妙な光景である。
「いつからお前らはそんな腑抜けになったんだ! 俺たちは負けない! 人間にもチーにも、あのクソまきな共にもだ! そうだろ!?」
「現実を見ろと言ってるんだ。昨日何人死んだ? その前は? このまま自力で戦い続けて、本当にこの先があるのか?」
「だが奴らの頭は人間だぞ。たとえ共に戦い守り切ったとて、約束を守る保証がどこにある」
賛否両論、と言ったところだろうか。正直に言えば、この反応は自分が想定していたより遥かにマシな物だった。
社会構造によるキメラリアと人間の溝は深い。搾取されてきた者たちには、その記憶が深く深く刻まれており、繋がれた鎖の重さはそのまま敵意として吐き出される。
それでもまだ、石を投げられるようなことにならなかったのだから、彼らは冷静で理知的と考えるべきだろう。誰にも気付かれぬよう、静かに胸を撫でおろしていたのだが。
「結局どこへ行こうが、どれだけの月日が流れようが、キメラリアは首輪をつけられる運命にある。そういうことだろう」
そのあまりに自虐的で、諦念に塗れた呟きが、僕の鼓膜を揺らした。
切ない話ではあるが、自分としてはそういう考えもあるだろう、という位にしか思わなかった言葉である。しかし、人間の僕に聞こえたということは、当然後ろに控えるキメラリアたちの耳にも届いている訳で。
僕の隣を小さな影が通り抜けた。口元に光る小さな白は、鋭い八重歯だったかもしれない。
「お、おいアポロ?」
不味い、と思った時には既に遅かった。彼女は大きく息を吸い込んでおり、体は抑えられても声までは止められない。
「てめぇらいい加減にしやがれッス!」
響き渡る一喝は、劇場に沈黙を生み出した。
ケットがカラがクシュが、その他大勢のキメラリアやデミが、小さな大人を見つめている。
「こんだけキメラリアだのデミだのばっかりが、頭数揃えてうぞうぞ居やがる癖に、揃いも揃って奴隷になりたくないだの首輪をつけられる運命だの――」
一呼吸の溜め。アポロニアは集まる注目の理由を分かった上で止まらない。止まるつもりがない。
小さな拳が胸を叩いた。まるで撃鉄のように。
「よぉく見やがれッス! この毛無アステリオンの何処に、手枷が首輪が、ついてるって言うんスか!? 自分は自分の意思で、この人と一緒に暮らしてるんスよ! 奴隷のキメラリアじゃなく、言葉の通じ合う家族として一緒に! アンタらが誰の奴隷でもなく、自分で立ってると思ってんなら、その目でしっかり確かめて物言いやがれッス! もし指導者だの巫女だのに守られて生きてるなら、大事な時には文句言わずついていくのが筋ってもんでしょうが!」
どうなんだ、と。
彼女の投げつけた気迫は、確実にその場を呑み込んでいた。僕自身、止めねばと延ばしかけた手が、その場で固まってしまっていたのだから。
果たして、その大袈裟とも言える叫びは、テクニカの民衆にどう轟いたのだろう。アポロニアが観客席を舐めるように睨みつけていれば、やがてどこかからポツリと声が上がった。
「い、いきなり出てきてなんだお前。たかが毛無のチビの癖に――」
誰が言ったかは分からないし、毛無のチビ、という程度の侮辱は珍しいものでもない。
が、人並みに隠れるように、ボソボソとしたその言い方はよろしくなかった。僕の視界に映っているのは、アポロニアの後頭部だけなのに、牙を向いた様子が手に取るようにわかったのだから。
「あ゛ぁ゛ん!? 言いたいことあるなら、前に出てハッキリ言いやがれッス! どこの男か知らないッスけど、誰かの陰でふにゃふにゃとぉ――もごぁ!?」
「あ、アポロ! ストップストップ!」
場の空気を変えたのはともかく、自分自身がヒートアップしてどうすると慌てて後ろから羽交い絞めをかける。
流石にそこは小柄で非力なアステリオン。パタパタと暴れはするものの、流石に振りほどかれるようなことはなかった。
とはいえ、体は押さえられても口は開いている訳で。
「止めてくれるなッスご主人! 誰かに助けてもらっときながら、いざとなったら文句ばっかり言うような連中、自分は大っ嫌いなんスよ!」
「分かった! 分かったから! な!? 愚痴なら後で僕が聞くから。お騒がせしてすみませんホント」
彼女を小脇に抱えつつ、ペコペコと頭を下げて舞台袖へ後退する。自分の威厳やら立場やらはこの際どうでもいい。一定まで熱した油は料理の役に立っても、度を越えて火にかけ続ければそれは家を焼き尽くす炎に代わってしまうのだから。
「おい待て。何処の飼い犬か知らねぇが、言いたい放題言いやがって。タダで下がれると思ってんのか」
どうやら、時既に遅かったらしい。背中にかかる冷たい声が、それを如実に表しているようで、正直僕は心底振り返りたくなかった。
「やめなってアドラー。指導者に楯突くつもり?」
「俺たちにだって尊厳はある。そう仰ったのはアンタだ、ルウルア。だからこそ、言われっぱなしじゃ居られねぇ。おい、わかってんだろ小型犬」
ちらと肩越しに振り返って見えたのは、のしのしと舞台へ歩み寄ってくるケットの男。
多分、毛無の癖に、なんて言った本人ではないだろう。彼はファティマと同じく、耳と尻尾が生えている以外は、普通の人間と変わらない見た目の、いわゆる毛無だった。
いや、この際相手が誰であるかは関係ない。ちらと小脇のアポロニアへ視線を落とせば、言いたいことを言い切ってかスッキリした表情の彼女と目が合った。
重なるため息は僕とダマルと、あるいはシューニャ。ファティマだけは口に三日月形の笑みを浮かべていたが。
「お前、普段は慎重派の癖して、急にとんでもねぇ喧嘩の売り方するよな。殴り合いだって得意じゃねぇだろ」
「ボクが代わりにいきましょうか? たのしそーですし」
「要らないッスよ。言いたいこと言ったのは自分で、選べる自由があること自体、お互いに奴隷じゃない証拠ッス」
何とか言ってやってくれ、と助けを求めるように僕はシューニャへ視線を送る。理知的な彼女なら、馬鹿馬鹿しいからやめろと言ってくれると信じて。
「ふむ、喧嘩は合理的じゃない。けど、尊厳を保つという意味では一理ある」
状況を楽しんでいるのは、もしかするとファティマだけではないのかもしれない。2度目のため息は出なかった。
これで相手が同じアステリオンならば、もう好きにしてくれで終わらせることもできただろうが。
ギシリと舞台の床が鳴る。劇場らしい演出と言えなくもない。
深呼吸を1つ。無言のまま、ダマルへとアポロニアの身体を手渡す。
「……悪いが、ここまでにしてもらおうか。腹立たしい気持ちは理解できても、身内に怪我のリスクを負わせるわけにいかない」
「フン……本気でキメラリアが可愛いってんなら、お前が拳を振るえばいいだけだ、人間。戦士ならそういう物だろう?」
「どうしても引き下がれない、と?」
「言ったはずだ。これは俺たちの尊厳だとな」
自然と周りが引いていく。唯一、ボクもボクもと言っていたファティマだけは、シューニャに引きずられて距離を取っていったが。
ゴングはない。ただお互いの呼吸音だけで、無益にしか思えない拳による会話は始まった。
構えを取り、初手のパンチを躱した時、ふと目に入ったものがある。
それはニヤリと笑うルウルアの表情だった。
■
「イテテテテ」
「動かない」
頬を走るヒリヒリした感覚から、反射的に逃げそうになったところを、シューニャの小さな手に額を押さえられ、そのままシップを貼り付けられる。
鼻を抜けるミントのような香りに、ファティマは玉匣の運転席側通路まで離れ、ダマルの背に隠れるようにしてこちらを覗きこんでいた。
「やっぱりボクが行った方がよかったんじゃ」
「同感だぜ。ったく、誰よりヤベェのに喧嘩吹っ掛けやがって。あのドラ猫野郎、観客席までぶっ飛んでいったぞ」
「あれは事故だよ事故」
自分は何も狙ってやったわけではない。相手の突き出した拳のカウンターでボディーブローを叩き込み、伸ばされたままの腕をひっ捕まえて背負い投げの形になった所、投げ切る前に手が汗ですっぽ抜けてしまい、彼が観客席側へ飛んで行ってしまっただけなのだから。
身体がなまっている証拠、と言われればそうかもしれないが。戦いには不測の事態くらいつきものだろう。躱しきれずにハイキックを1発、顔面に頂戴したことも同じだ。
しかし、僕の言い訳にダマルは肩を竦め、ファティマまでもが苦笑いを浮かべている辺り、認めてはもらえなかったらしい。どうしてだろう、孤独を感じる。
「想像と違ったな。大尉さん、案外熱血なんだねぇ」
「君が言うか。止める気もなかった癖に」
傍観に徹した虹色女は、僕の真正面に座ってケラケラと笑う。
「その方が禍根残さなくて済むっしょ? 君の強さも見せてもらえたし」
こいつは、と睨みつけてはみたものの、ルウルアのニヤニヤ顔は変わらない。
必要に迫られた事態だったとはいえ、なんだか釈然としない結果となってしまった。
否、殴り合いの結果で自分の評価が付いた方が、まだマシだったかもしれない。
「あれでも、キョウイチは加減してる方。本気ならあのケットは気を失うだけじゃ済まなかった」
「触れちゃいけない部分はホントにアブナイですからね。ボク、王都で服屋の店員ぶっ飛ばした時の眼、忘れられないですもん」
「……熱血って言うか、戦闘狂?」
シューニャとファティマの声に、妙な説得力があったからだろうか。ルウルアは僅かに体を反らして距離を取る。
身内からの評価には仕方のない部分があるのはともかく、ルウルアに退かれるのは物凄く理不尽な気がしてならない。
「やりたくてやった訳じゃないと言ってるだろう。本人の言を信じてくれ」
「ま、結果的にいいデモンストレーションにはなったろ。種族がどうのこうのなんざ、俺たちにゃ関係ねぇって話のな」
カタカタと笑う鎧骸骨。こいつは多分他人事だとしか思っていない。実際そうなので文句の1つも言えないのだが。
もう好きに言ってくれと、僕は半ば諦め気味に体を傾ける。そこにはちょうど脇息のような感じで、丸くなった毛玉があり。
「ホントに、ホントに申し訳ないッス! ご主人に怪我をさせるなんてぇ!」
毛玉脇息は動いて喋る。
姿を言葉にするなら五体投地。尻尾も腹の下に巻き込み、ついでに耳もぺたんと伏せた状態で頭をこちらへ向けていた。
「軽く唇を切っただけだよ。大したことない」
「でも、でもぉ……自分がもっと冷静ならあんなことにはぁ」
「僕のことは気にしなくていいよ。それより謝るなら、ここの皆さんにだろう」
「あー、いらないいらない。アステリオンを人間が庇って、しかもそいつがケットに殴り勝ったんだから、誰も文句は言わないよ」
もぞもぞと震える毛玉に、虹色女はへらへらと笑うのみ。
これが慰めだったとしたら、僕としてはありがたかったのだが。
「実力でねじ伏せたもん勝ちってか? もうちょい文明的かと思ってたんだが、どこ行っても発想の基本が蛮族なんだよ」
骸骨が呆れ返った様子を見せるのもむべなるかな。僕も全く同じ感想だった。
「いやいや、響いたのはアポロニアの言葉だよ。人に繋がれている訳じゃない、自分の意思で人と居るんだって。あんな飾らない叫び、思ってても簡単に言えるもんじゃないしさ?」
「キャンッ!? つ、突かないで欲しいッス! それにあの、改めて言われると、すんごい恥ずかしいっていうか……」
ニョッと延ばされたサイドヘア替わりの触腕に脇腹を突かれ、ようやく毛玉はアポロニアへと戻る。その頬こそ、少し照れたように赤みを帯びているようにみえたものの、しかし僕と目があった途端に視線を泳がせはじめ、やがて尻尾をだらりと垂らして俯いてしまう。
その姿がルウルアにどう映ったのかは分からないが、彼女はまたニヤリと笑うと、僕の肩を触腕でポンと叩いて立ち上がった。
「ま、結論として、ウチは大助かりなんだから、後できっちり褒めてやんなよ、大尉さん。んじゃ、そろそろ行こうか」
「あぁ、調査かい? それなら僕も――」
続いて兵員座席から立ち上がろうとした所、前からシューニャとファティマに肩を押さえつけられる。
「キョウイチは休息」
「ですよ」
「む、ぉ……」
有無を言わさぬ態度と迫力に、言葉が出なくなった。
「カッカッカ! ファイターの出番はまだ先だってこった。戦力の確認は任せてくれりゃいい。アポロニア、そいつがうろつかねぇように見張ってろよ」
「りょ、了解ッス」
「僕ぁ子どもか」
「前科がある」
「そうでした、すみませんでした」
視線と声による精一杯の抗いも、過去自らの行いによって有効打足り得ず。むしろケットのハイキックより痛い反撃をもらって、僕は水飲み鳥のように頭を下げるしかなかった。
別に疲れている訳ではないのだが。そんな言い訳をしたところで、連れて行ってくれと我儘を通すことはできないだろう。
僕には己の身体のことさえ明確には分からないのだ。休めるときに休んでおくことが、今の自分にとって最も重要な任務なのかもしれない。
玉匣を出ていく背中を見送り、閉まるハッチを眺めながらそんなことを考えた。
「ご主人、あの、自分はホントに」
「ごめんなさい、はもう必要ないよ。結果論かもしれないが、君はよくやったんだ」
「うぐぅ……ご主人はもうちょっと、怒ってもいいと思うッスよ」
「どうにもそういうのは得意じゃなくてね。もちろん、何事にも怒らない程出来た人間でもないんだが」
確かに彼女の行動は、大人げないものだったかもしれない。だが、法の支配が緩く自衛前提な考え方の強い現代において、暴力が尤も単純かつ効果的な説得であることも事実であり、何より直接拳を振るったのは他ならぬ僕自身なのだ。
となれば、罪の重さに差はなく、自分がアポロニアを怒るというのはおかしな話になろう。
結果として僕は、どうにも行き場のない手でアポロニアの頭をポンポンと撫で、されるがままに唸っていた彼女はやがて、複雑そうに唇を尖らせながら、軽い身体をこちらの肩に預けてきた。
「……膝、借りてもいいッスか?」
「僕の膝は外せないが」
「分かってて、意地悪なこと言ってるッスよね?」
「そう睨まないでくれよ。悪かったから」
ふんす、と鼻息1つ。重力に導かれるまま、分厚い耳の生えた頭が、僕の膝へと落下してくる。
今、アポロニアはどんな顔をしていたのだろう。僕の方からは、垂れた赤茶色のポニーテールくらいしか見えない。否、きっと彼女はわざと見えないようにしているのだろう。
「これでも、結構本気で凹んで、反省してるんスよ」
「うん」
「ご主人の事を知らない癖に、勝手なことをうじうじ言う連中がどうしても、どうしても許せなかったんス」
「うん」
「だからあんなこと言って、殴られてもいいって思って」
「うん」
呟くような反省の言葉に、僕は肯定も否定もしないまま、ただただ頷き続ける。
求められない限り、それ以上はきっと必要ない。繰り返したうんという相槌に、やがて彼女は前髪の向こうから、チラリと茶色い瞳を覗かせた。
「……怒らないッスか?」
「怒ってほしいかい? 君の真っすぐな所、僕ぁ好きだけどな」
尻尾と肩がビクンと跳ねる。まるで別の生物のようだ。
アポロニアは僕の膝に手をついて体を捻り、何か言いたげに真っ赤な顔をこちらへ向けたが、しばらくは口をパクパクと動かすだけで、言葉が出ない様子だった。
「あぅぁ――ご、ご主人! そういう不意打ちはその、ちょっと卑怯ッス」
泳ぐ視線は、きっと満更でもなかったのだろう。そう思ってくれるなら、僕としても嬉しいのだが。
何より慌てふためく様子が愛らしく、僕はわざとらしい笑みを浮かべた。
「昨日の仕返しだよ――っと?」
小さな通知音に顔を上げる。
アポロニアに一旦膝から退いてもらって運転席へと向かえば、彼女も僕に続いて後ろからモニターを覗き込んだ。
「これは、音声通信? 誰からだ?」
「ぐぬぬ、お邪魔虫ぃ……」
苦虫を噛み潰したような、低い唸りが聞こえた気がしたが、今はとりあえず空耳だったと言う事にしておく。
僕としても、珍しく2人きりという時間に横槍が入った、と思いはしたのだが、如何せん場所と状況があまりよろしくないのも事実。
モニターに映った影を見た時、なお一層そう思った。
『突然すまない、天海大尉。不躾かとは思ったが、ダイレクトに接続させてもらった』
「礼儀は不要だよ、管理権限者代理。それで?」
『当機から君個人に申し込みたい取引がある。施設保守に関わる内容とは別件だ』
はてな、と。僕はアポロニアと顔を見合わせていた。




