第29話 アドミニストレータ
招かれたのはあまりに無機質な大広間。
非常灯だけが光る薄暗い空間で、その中心には大型のモニュメント的な何かが鎮座していた。
「トゥーゼロ、連れてきたよ」
『ご苦労』
電子合成の男声に加え、ヴンと聞こえる低い動作音。チラチラとモニュメント上で光ったのは、インジケータランプか何かなのか。
ここまでの施設全体に言えることだが、どうにもエネルギーを可能な限り節約しているらしい。
『企業連合軍コードを認証。足労頂き感謝する、天海恭一大尉』
冗談ではなくそう呼ばれるのは、果たしていつぶりだろう。
声の元を視線で辿れば、謎の巨大モニュメントへもたれかかるような恰好で、座り込んでいる人型の何かが見えた。
『……B-20ーPMは、バイオドールと聞いていたが』
自分には本来のバイオドールをまじまじと観察した経験などない。しかし、少なくともその製品名で呼ばれる物が、強化セラミックであろう骨格を中心に、機械部品が完全に露出したロボットのような見た目をしていないことは知っている。また、首筋から大量の配線が床へ垂れ下がり、モニュメントの中へ飲み込まれて行っているのも、何か異様な姿に思えた。
ジジ、とトゥーゼロと呼ばれるそいつはノイズを走らせる。
『この見た目が混乱を招いたのなら謝罪しよう。当機の有機性パーツは失われて久しく、ハードウェアも90%以上が稼働不能となっている。現在、当機がバイオドールとして、比較的正常に運用可能な部分は、発声器官くらいのものだ』
どうにも自嘲的に聞こえるのは、果たして元からそういう感情プログラムを持つからか、はたまた800年と言う想定外の稼働期間が故だろうか。
ピクリとも動かないまま声だけを発するその様子に、ダマルはため息を吐きながら腕を組んだ。
「対応年数切れ、なんてレベルじゃねぇだろうな。そりゃ機械もパスタ配線だらけになるか」
『人工知能を維持するため、当機はエリア管理システムのストレージを間借りしている。人間風に表現するのであれば、死にぞこない、という言葉が近しい』
「勝手言うなし。アンタ居なくなったら、誰が代わりにここを纏めるってのさ? ウチはそんな面倒臭いこと、お断りだかんね」
ルウルアは触手のような髪の毛共々腕を組み、ジトリと管理権限者代理を睨みつける。
相手が人間であれば、あるいはそういう人格のプログラムを施された介護型や愛玩型の機械であれば、ブラックジョークの類、として片づけられたかもしれない。
しかし、B-20-PMは動かないアクチュエータをキリキリと冷たく鳴らした。
『当機はあくまで、テクニカ保全要領に則った緊急措置として、死亡した前管理者の代理を務めているに過ぎない。テクニカが本来従属すべきである意思決定機関が、新たな管理権限者を選任すれば、当機の代理権限は直ちに失効する』
「要するに、人間が全員死んじまったから、お前にそのお株が回ってきたってことか?」
『端的に言えばそういうことだ。当機の行動目的は、新たな管理権限者が選任され、到着後引継を行うまでの間、テクニカ施設の維持管理に努めることと定義されている』
途方もない話だと、心の底から思った。
元の所有者が、何を求めて彼を運用していたのかは分からない。ただこいつは、機械としてひたすら実直に、本来の身体が動かなくなってもなお、与えられた命令を走らせ続けている。
新たな管理権限者が選任されることなど、永遠になかったとしても、B-20-PMは己のデータが致命的な故障によって失われる日まで、きっと変わらずテクニカを管理し続けるのだろう。
ふぅ、と小さく息を吐き、静かに翡翠の踵を揃える。たとえ機械が相手だろうと、ここまで建物を守り続けた者へ、不誠実な対応はするまいと。
『そちらの事情は凡そ把握した。改めて、管理権限者代理。救援要請の内容を聞かせて頂きたい』
『確認。先日見てもらったと思うが、当施設は現在、独立国家共同体、統合防衛軍と推測される武装集団から断続的な襲撃に晒されている』
B-20-PMの言葉に合わせ、空中へと浮きあがる立体映像。そこに映し出されたのは、テクニカ施設の全体像と各所のカメラが捉えたであろう戦闘の様子だった。
『テクニカは全人類の保全を目的とした世界プロジェクトだ。当然、独立国家共同体も出資者として名を連ねており、攻撃という手段に出ること自体が不可解な事態である。しかし、武装集団側が対話に応じる姿勢を見せない以上、当施設の保全に対する重大な問題であると判断し、緊急対応として施設資材及び研究個体による防衛行動をとらねばならない事態となっている』
「研究個体? キメラリアのことか?」
『そうだ』
ダマルへの返答に、レシーバーの奥で不穏な空気が流れる。言葉にはしていなくとも、玉匣の中から出てきていないキメラリア2人が、微妙な感情を抱いているのは想像に難くなく、正直に言えば、自分としてもあまり気持ちのいい話ではない。
とはいえ、彼との対話を選んだ以上、プログラム上でそう定義されている事柄だと、割り切る他に選択肢はないのだが。
『本来であれば、キメラリアは生命科学分野における重要な研究対象であり、施設の保全活動に用いてよいものではない。だが、現在施設の警備部隊は壊滅状態である上、防衛設備の健全度は15%を下回っており、規定された形での防衛行動は事実上不可能であると判断された』
『それで、企業連合軍を見かけたから救難信号を?』
『テクニカにおける緊急事態発生時対応として、協賛国家は共同して防衛及び復旧を行うという義務を負っている。当機は、その約定に則った行動を実施しているに過ぎない』
「俺たちゃ関係ねぇ、って訳にもいかねぇんだろうな。一応聞かせてもらいてぇんだが、お前、今の世界情勢は理解できてんのか?」
『残念ながら、当施設は数世紀以前より全ての通信系がオフラインであり、外部との通信は取れていない。当機が保持している外部の情報は、世界各国が甚大な被害を被った、という時点で止まっている』
バイオドールの処理能力から、時代の変化についていけていない、という訳ではないらしい点には安心する。反面、ダマルは厄介そうに肩を竦めて見せた。
「時代遅れのポンコツは、俺たちだけじゃなかったって訳だ。どうするよ相棒」
『行動指針に変わりはない。管理権限者代理、説明感謝する。ただ、救援活動を行うに当たり、こちらの置かれている状況を知っておいてもらうべきだろう』
『承諾する』
モニター上に、アクセスキーを取得したことを示すインジケータが現れる。
翡翠のログから外の情報を得ようという事だろう。リンクしている玉匣の記録も含め、データ転送許可を出した。
『――処理完了。成程、テクニカ総会の危惧していた以上に、協賛各国の国家機能は壊滅状態にあることが推測される。寿命と言う観点から見れば疑問は残るものの、貴官らは本当に稀有な生存者、ということか』
『軍人として国民の生命財産を防衛する意志は失っていないが、我々の戦力は限定的であり、軍部隊としての体裁は望むべくもないのが現状だ。故に、少しでも作戦成功率を高める為、そちらにも防衛協力をお願いしたい』
『内容の具体化を要請する』
小さく息を吸う。
『必要とされる武器弾薬と医薬品の供出、施設内における移動と設備の使用の自由、自治防衛に当たっている部隊の一時的な指揮権の移譲。これら3点に承認を』
「ちょいちょいちょい! もしかして、ウチらの戦力を全部寄越せ、とか言う気?」
予想通り、これに待ったをかけたのは住民代表ともいえるルウルアである。当たり前だろう。昨日今日訪れたばかりの旅人に、国の防衛権を寄越せ、税を支払えと言われているようなものなのだから。
それでも、自分たちには自分たちの目的もある。両者円満の解決を見るためには、飲んでもらわなければならない条件だと、僕は1歩前へと踏み出した。
『勘違いしないでもらいたいが、自分たちは盗賊ではなく、あくまで軍部隊として必要な緊急対応を取っているだけだ。飲み込みがたい内容だとは思うが、武器弾薬が無ければ戦えず、指揮系統が分裂していては防衛行動に支障を来すのは、君にも分かるだろう』
「無茶苦茶言ってる自覚あんじゃん、タチ悪いな。大体アンタ、その言葉を何処の誰が保証してくれるって――」
『緊急時対応プロトコルの特例条項は認可された。施設の防衛権は一時的に、企業連合軍天海恭一大尉へ移譲され、必要とされる物資、人員、施設設備の使用権を付与するものと規定する』
「はぁ!? トゥーゼロ、アンタ何考えてんの!?」
言葉を遮っての承諾に、ルウルアは慌てた様子で振り返る。楽観的に見るなら、彼女の悠然たる仮面を剥がせたと考えるべきか。
『当決定は緊急自対応プロトコルの解除まで継続される。管理権限者および裁定委員会以外からの意義は一切認められない』
「ッ……あぁもう、分かったよ。結局のトコ、ウチらの声は聞いてもらえないって訳ね」
『J型キメラリア、研究個体番号CC5G32-0003アルファ、識別名ルウルア。当該個体には、研究補助及び施設保全補助の活動が認められているが、施設管理権限への干渉は許可されない。この決定は施設規定に基づいている』
やってられるかと触手を垂らすルウルアの様子にも、B-20-PMは声を揺らすことすらないまま、ただ淡々と埃を被って久しいテクニカの法を垂れ流す。
元から分かっていたことだ。彼は管理権限者として、施設の保全を最優先事項と規定しており、防衛行動が必要と判断しているのだから。
施設機能を守り、失われた文明の遺志を少しでも長く残していくこと。たとえ住民から反発が湧き上がろうとも、彼には全く持って関係のないことなのだろう。
ただ、人としての感情から言えば、バイオドールの発言内容は苦々しいものであり、これにはダマルがギシリと顎を鳴らしていた。
「嫌な言い方しやがるぜ。今に蔓延るキメラリアの差別は、俺らの時代が生んだものかもしれねぇな」
『最悪な因習もあったものだ。それを突いた僕も、同じ穴の狢なんだろうが』
鋼の拳を握りこむ。
今の自分は、また企業連合軍人という肩書を背負ったのだと心して。
『ルウルア、だったね』
「はぁ……何? 別に反抗する気は無いよ。トゥーゼロが決めたことだし」
『自分たちはただでさえ、一度は武器を向け合った立場だ。信用が容易ならざることは理解している。だが――』
背面開放。自分を守り他者を威嚇する技術の鎧は、この場面で必要ない。
肉眼でルウルアと向き合う。埃っぽい部屋の臭いが、微かに鼻を撫でた気がした。
「自分の目的は先にも言った通り、君らからの搾取ではなく、テクニカの占領統治でもない」
「わっかんないな。じゃあ何? 結局アンタは、何が欲しくてここへ来た訳?」
訝し気な彼女の問いに、僕は苦笑を零す。
正直に言ったところで、信じてもらえるかは分からないが。
「怪我の治療とマキナの修理、それらに必要な物資を求めて行き着いたのがここだった。こう見えて、機体も身体もボロボロでね」




