第28話 プリズムのような
眩いばかりの朝陽が、寝不足気味な目に刺さる。
後部ハッチを開いた玉匣の床に腰を下ろし、濃い目に淹れた珈琲を啜り、ため息。
「うぅん、まだ耳がぞわぞわするんだが……」
「多少イチャつくのは構わねぇが、もうちょっと加減しろよ。一応にも作戦中だぞ」
チタンマグを揺らしていたダマルが呆れたように吐き捨てるのも当然だろう。
しかし、食器を片付けていたアポロニアは、少し照れた様子でへらりと笑っていた。
「いやぁ、だってご主人の弱点ッスよ弱点。基本何しても勝てそうにない人なのに、そんなところ見つけたら、ちょっと虐めてみたくなるじゃないッスか」
「僕ぁそんな完璧超人じゃないよ。弱点なんて探せば幾らでもある」
主観的に言わせてもらえば、できないことの方が断然多い。
とはいえ、耳があんなにゾワゾワするとは思わなかった。おかげで久しぶりに、悶々として浅い眠りの夜を過ごす羽目になったのだが。
「でも楽しかったです。おにーさんがあんな顔するなんて」
「……ちょっと、可愛かった?」
ニマニマ笑うファティマと、真顔のまま顎に指を添えるシューニャ。
可愛い、と。自分に向けられる中で、似合わない言葉ランキング上位に位置するであろう評価に、僕はしょぼくれていた顔が一層皺だらけになった気がした。
「カーッカッカッカッカ! 言われてんぞ英雄様ァ!」
呵々大笑する骸骨。肉も筋もない手首には、モーター直結の回転機構でも搭載されているらしく、その掌は扇風機も斯くやと。
「君は敵なのか味方なのか……だが、一方的な戦況のままで終わらせはしないからな」
「お、なんだかおにーさんに火が付いたみたいです」
「うひひ、楽しみにしてるッスよー」
楽し気に笑うキメラリア2人と、携帯端末で口元を隠したままこちらをじっと見つめてくるシューニャに、僕は小さく決意を固める。
立場や主導権に興味はない。だが、やられっぱなしというのは性に合わないのだ。弱点の克服法は今のところ思いつかないが、しかし守れないなら攻めるのみ。
などと考えた矢先、加熱した頭の片隅で、やけに冷静な自分が呟いた。
――もしかしてだが、こういう行為こそが恋人らしい触れ合い。端的に、イチャつくという事なのでは?
妙な考えに至っている気がして、はてなと首を捻る。
何の意味もない、子どものように無邪気な、それでいて誰かの温もりを得たい、触れ合いたいという欲求から来る行動。それがくすぐり合うような形になるのも、恋人であれば別におかしくもないような。
「ん? 今、空に何か」
シューニャの声に寝ぼけた思考は自然と切り離され、顔を上げた先。
あれと指さされた空の向こうへと目を凝らせば、パンのような浮雲を背景に、赤い光が散らばった。
「なんだ……信号弾?」
「はぁ? こんな朝っぱらから発光信号ってお前、使い方分かってねぇだろ」
「どうかな。シューニャ、上がった色はアレだけかい?」
「ん。赤色が3つだけ」
ダマルの言う通り、信号弾の使い方としては微妙だろう。本来は夜間の連絡用として使用する物であり、こう明るい日差しの中では、気付かない可能性も高い。
合理的な可能性があるとすれば、彩煙弾等の昼間向け目視信号が無いか、使用できない理由がある場合の非常対応、と言ったところだろう。
「追加が上がってるッスよ。またおんなじ色で、連続3つッス」
「間違いない、救難信号だ」
マグカップの中身を勢いよく飲み干して立ち上がる。
赤色を3発ずつ。これが偶然でないのなら、使い方そのものはともかく、使用者は意図を理解して打ち上げている可能性が高い。
「誰かが助けを求めている、ということ?」
「遊びで撃ちまくってるんじゃなけりゃな。あっちはテクニカの方だが、どうすんだ?」
「ともかく、様子を確認するべきだろう」
「わかった」
僕はすぐさま翡翠を着装し、キャンプ地から伸びる斜面を登って、稜線を越えるギリギリで体を伏せた。
地形の向こうに見える黒い建物。ちょうど頭を出したタイミングで、その上部であろう位置から赤い光が尾を引いて撃ちあがった。
「お、見えたッスよ。結構綺麗ッスね」
上空で小さな落下傘が開き、赤い光の玉がゆっくりと降下していく様子に、隣から顔を覗かせたアポロニアはぶんぶんと尻尾を振っていた。
『施設外に出ている身内に対する信号か、それとも、僕らに何かを伝えているのか』
「流石に判断つかねぇな。統合防衛軍に押し込まれて、どんちゃん騒ぎしてるようにも見えねぇしよ」
「戦勝のお祭りだったりしませんか? 司書の谷でも光るの上げてましたし」
「アシュアルマと同じには思えないけれど……ん?」
明確な答えを出せず、しかし無視することもできずという状況に、はてと首を捻っていれば、シューニャがまた何かに気付いたらしい。
小さな双眼鏡を覗いたまま、ピッとテクニカの方向を指さした。
「何かがチカチカしてる。あそこ」
ズーム先を切り替えれば、すぐに彼女の指した先は見つかった。その意図も含めてだ。
「おいおい、発光による点滅信号って、これまた随分と古風なやり方だな」
『電子観測機器が役に立たないなら、光学通信は有効な手段だが、えーと……?』
向こうもあまり慣れてはいないらしい。信号の速度は遅く、かつやや不規則であり、内容を読み取るのには少々手間取った。
『宛《to》、コード不明の企業連合軍部隊《CUNF》……救援求む、救援求む……発信者《from》、テクニカ管理権限者代理、B-20-PM?』
「この辺に企業連合軍なんて居るか?」
『トランスポンダを装備している車輌なら、1つだけ心当たりがあるけどね』
ぐるりと後ろを振り返った先にあるのは、側面に流れ星と髑髏を合わせたエンブレムの描かれた装甲車。
走る我が家、他ならぬ玉匣である。これにはアポロニアが驚いた様子で、いやいや、と手を振った。
「救援って、昨日は武器向け合ってた相手ッスよ? 頭おかしいんスか?」
「罠、という可能性の方が高そう」
『確かにそうだが、気になるのは最後の文言だ』
「びぃ――びぃナントカ、でしたっけ?」
「管理権限者代理B-20-PM。少なくとも人間に付ける名前じゃねぇよなぁ」
よっこらせ、と言いながらダマルはポケットに手を突っ込んで歩き出す。
尤も単純に考えればシューニャの言った通り。そんな状況で、微かであれど引っかかる部分を見つけられたのは果たして幸か不幸か。
『ダマル、データベースを当たってくれ。何か見つかれば御の字だ』
「このサービスは別料金だぜ」
『なら、来月から一括のプランにしておいてくれ』
言われるまでもなく分かっていたのだろう。骸骨は振り返ることなく、ひらりと白い手を振ったのみで、そのまま玉匣の中へ戻っていった。
「その、でーたべーす? というのは?」
ズリズリと匍匐状態のまま後退していれば、隣に伏せたシューニャがじっとこちらを見つめてくる。彼女には敵か味方かと言う話より、聞き覚えのない単語の方が興味をそそられたらしい。
『例えるなら、辞書みたいな物かな。ガーデンに残されていた軍事情報ファイルを、玉匣のシステムに移しておいたものだよ』
「分かったような、分からないような……とにかく、それを調べれば何か情報が見つけられる?」
『かも知れない、というだけだがね』
共通語の読解や電子端末の操作をかじり始めているシューニャは、ほんのりとでも想像ができたらしい。彼女らしい努力の結晶なのだろうが、全く大した進歩である。
尤も、インターネット空間が展開されていた当時と比べれば、情報量など無に等しいのも事実であり、シューニャが目を煌めかせるほど、期待を寄せられるものでもないのだが。
『いいや、今回は当たりだぜ。見ろ、アイヤーシュ・エルゴノミクス・テクノロジー社製の試作バイオドールB型20系、モデルコードPM。信号の内容を信じるなら、予想通り人間じゃねぇ』
『今度は独立国家共同体の企業と来たか。どうにも今回の旅は、あの国と縁があるらしい』
聞き覚えのある企業名だ。800年前には、企業連合国内にも進出していた生命工学系の先進企業で、作業用外骨格や人型汎用重機と言ったパワートレース系の製品を作っていたメーカーの子会社だったはず。国内でもよく広告が流されていたおかげで、AEMという通称の方が耳に残っている。
「えーと、要するにあれッスか? 人間じゃない奴が、あの遺跡を支配してる、と?」
「もしかして、昨日喋ってた女でしょーか?」
『想像はいくらでもできるが、至れる結論は1つだ。どんな形になろうとも、僕らはあの施設を調べる必要がある』
自分たちが、現代文明において危険だと言われている土地までわざわざやってきたのは、決して物見遊山のためではない。得られる結果がどれだけ博打的であろうと、目標自体は明確なのだ。
『んじゃ、応じる、でいいんだな』
『対話の道が閉ざされていないなら、その方がいいだろう。昨日と同じルートで侵入する。相手が無人機でない以上、奇襲攻撃への警戒を一層厳として進むぞ』
本来想定していた作戦行動とは全く違う形にはなってしまったが、やること自体は変わらない。
翡翠のヘッドユニットには、昨日通ったルートが既に浮かび上がっていた。
■
『肩透かしも多い、ってか?』
『だといいんスけどね』
『これ、歓迎されてる感じなんでしょうか?』
傾斜エレベーターの安全柵が開放されたその場所で、僕らは呼びつけたであろう連中と相対した。
斜めに走る基礎支柱に張り付いた、上層エリアのエントランス。こちらは装甲車1両とマキナ1機に対し、向こうはパワートレースが4機とマキナが1機。
先日自分たちへ向けて放たれた荷電粒子臼砲は、その姿を見せておらず、かつ向こうの部隊は武器を下ろしたままの恰好だった。
『救援要請への対応、感謝します。企業連合軍の皆様、でいいのかな?』
『昨日とは随分対応が違うじゃないか。一応聞かせてもらいたいが、どういう心境の変化だ?』
『無知の過ち、と思って貰えると嬉しい。この判断は、ウチらの指導者、トゥーゼロによるものだからさ。今のとこ、ウチらの置かれている状況を脱するには、正規軍コードを発信している部隊に救援を求めるべきである、ってね』
女の声を発するマキナはそう言って小さく手を広げる。
彼女が纏っているであろう白いマキナは、どうやら尖晶の現地改修型らしい。機体各所にセンサー類が増設されている他、ジャンプブースターも大型のものに換装されているのが見て取れた。
『トゥーゼロ……それはテクニカ管理権限者代理、B-20-PMのことか?』
『仰る通り』
「その言い方だと、アンタは代理さん本人じゃねぇんだろ。人を呼び付けといて、頭張ってる奴が顔出さねぇってのは、一体どういう了見だ?」
『あー、そこはちょい色々あってさ。ザックリ言えば、指導者は部屋を出られないから、代弁者としてウチが対応させてもらってる、的な?』
代弁者、という言い回しに表情が強張った。
効果的な判断ではあるが、それはあまりにも冷徹で、血が通っていないことがひしひしと伝わってくる。
『……なら君は、こちらに対する人質、という訳か』
『そんな重く考えないでよ。ウチだってやりたくてやってる訳じゃないけど、流石にしゃーないじゃん? 昨日の今日だし』
女の声は相変わらず砕けた様子で、面倒臭そうではあるものの、どうにも憂いや恐怖は感じられない。
それでいいのか、と言いたくなった。自分が口を挟むことでないのは分かっていても、だ。
一方、相棒は早くも割り切ったらしい。玉匣の上部ハッチからいつもの兜を覗かせたまま、呆れたようにため息を付いた。
「せめて脱装してから言えよ。声が通ってたところで、その真っ白な尖晶が空っぽの人形って可能性も十分にあるんだからな」
『はぁいはい、わかったよ。そっちの鎧君は用心深いなぁ、っと』
パシュウという動作音と共に、尖晶はその背面を大きく開く。
機を脱ぎ捨てるということは、機甲歩兵にとってかなりリスキーな行為である。にもかかわらず、彼女は言われるがままにインナーフレームから体を離し、マキナと同じ色をしたパイロットスーツ姿を僕らの前に晒した。
「ふぅ……これでいい?」
『ッ――!?』
息を呑んだのは自分だけではなかっただろう。
少女の形はしている。けれど、人間でないことは一目でわかった。
光が反射してか虹色に輝く半透明の髪。サイドヘアだけが長く伸びる特徴的な髪型はともかく、風もない中でゆらゆらと宙に遊ぶそれは、果たして髪と呼んでいいのだろうか。
『あ、あいつ、キメラリア、でいいんスよね?』
『見たことない種族です。シューニャ、知ってますか?』
『私も知らない。こんな姿の種族、読んだことも聞いたことも、ない』
シューニャが知らないとなれば、相当に珍しい種なのだろう。本当にキメラリアであれば、だが。
その神秘的にさえ思える姿に、僕もダマルも声を失っていれば、少女はまるで反応を楽しんでいたかのように、悪戯っぽい笑みを口元に浮かべた。
「怖がらなくていーよ。珍しいかもしれないけど、これでもただのキメラリアだし、毒もないしさ」
『こ、これは失礼した。しかし、君は――』
「ウチはルウルア。他のキメラリアみたいに、誰でも知ってるような呼び名はないんだけど、敢えて種族を名乗るなら、キメラリア・クヴァレ、かな」
深い青を湛える瞳を細め、ニヤリと笑ってみせるルウルア。
どうやら本当に珍しいらしい。クヴァレと聞かされてもなお、シューニャは重ねて知らないと短く告げてくる。
とはいえ、物珍しさにいつまでも固まっている訳にはいかないため、僕は咳払い1つで思考を切り替え、翡翠の背面を開放した。
会話ができるのなら、種族なんてどうだっていいのだから。
「僕は夜光協会――いや、自分は企業連合第一軍麾下、高月師団第三機甲歩兵大隊所属、天海恭一大尉だ」
「おぁ!? 黒い髪!?」
1歩退いて目を丸くする虹色少女。後ろに控えるパワートレースも僅かに動揺した素振りを見せる。
完全に失念していた。自分の髪色も、現代においては彼女に負けず劣らず珍しいものだということを。
しかし、互いに驚いたのが功を奏してか、彼女は失敬と小さく咳払いを見せてから、くるりと踵を返した。
「珍しい者同士って訳だ。よろしくねぇ、大尉さん? とりあえずついてきて。あぁアタバラ、マキナの片付けよろしく」
そう言ってルウルアは身を翻し、こちらを先導するように歩き出す。
少なくとも、ここまでに敵意は見られなかった。どことなく、試されている風ではあったが。
――敵か味方かは、彼女が決めることではない、か。
回収されていく尖晶を横目に、僕はもう一度翡翠を着装する。
と、無線越しに騒がしい声が聞こえてきた。
『なんて言うか、変な女ッスね』
『もしかしたら、おにーさんの周りには変なのが集まりやすいのかもしれません』
『同感』
『カカッ! お前らがそれ言うのかよイダダダダダダ』
気楽な会話を聞く限り、どうやら家族の中に、テクニカ原住民へのわだかまりはなさそうに思える。
尤も、内容のおかげで、僕は少しばかり頭が痛くなった気がしたが。




