第27話 お休みウィスパー
寝台の上、不服そうにぶんぶんと振られる長い尻尾。それが隣へ腰下ろした僕に、ピシピシと当たってくる。
「怒られました」
「そりゃそうでしょ。あんな無茶苦茶やって、失敗したらどうするつもりだったんスか」
拗ねたようなファティマの口調に、アポロニアは呆れたようにため息を漏らす。
骸骨は有言実行だったらしい。僕が翡翠の点検をしている内に、彼女は外でしっかりと説教を食らい、結果寝台で枕を抱きしめて丸まっているという訳だ。
尤も、凹んでいるというより、不服の方が感情として強いようだが。
「むー……いい案だと思ったんですよ。実際、ボクはかすり傷1つないですし、危ない状態から脱出できたじゃないですか」
「結果から見たらそうッスけどね。もしあの時、ご主人が追いつかなかったら、あるいは奇襲を敵に気付かれて撃たれたら、怪我したファティマを誰が助けにいくんスか?」
「同じ事をダマルさんにも言われました。でも、あそこで何もしなかったら、皆まとめてやられちゃったかも知れないでしょ?」
「独断専行はよろしくないって話だよ、ファティ。誰か1人の行動で、他の全員が窮地に陥るなんてのは、ままあることだ」
コーヒーを啜りながら苦笑する。彼女の行動は勇敢で、褒めてやりたい気持ちもあるが、流石に結果良ければと言う訳にはいかない。
単純に、待ての連続でフラストレーションが溜まっていたのかもしれないが。
「……おにーさんも、怒ってますか?」
枕に隠れるようにしながら、こちらを覗きこんでくる金色の瞳に、僕はまたマグカップに口をつける。
「そう見えるなら、心配は要らないだろう。反省している相手に、追い打ちをかけるつもりはないよ」
「やっぱり怒ってたんじゃないですか。むぅ」
「怒っていた、というよりも、心配していた、かな」
正直に言えば、怒りの感情が入る隙間など僕にはない。ただただ、無茶をした結果が順当に出なくてよかった、という安堵と、今後の戦闘方針についてが、頭の中をぐるぐると渦巻いているのだから。
「出会った頃と比べて、ファティは随分強くなったと思ってる。武器だけじゃなく、君自身の成長だ。しかし、生身で格闘戦を行う以上、どうしても飛び道具を前提とした古代の兵器に対しては脆弱でもある」
「こっちの攻撃は届かないのに、自分は1発でも食らったら致命傷ッスからねぇ。まだミクスチャとかの方が相手しやすそうに見えるッス」
パイロットスーツの着用により、現代一般の鎧よりはよほど優れた身体防護能力を獲得しているとはいえ、結局のところは相手次第。直接の斬り合いを挑んでくるような敵なら、ファティマも十全に力を発揮できるだろうが、どうしたって銃火器相手では分が悪い。
その上だ。
「でもボク、飛び道具は扱いはヘタクソですよ。そもそも、クロスボウにしたってジュウにしたって、動く相手を目線で追いかけてると、こう、イライラしてくるって言うか」
ぐるんと体を丸めてしまうファティマ。前々から銃に触れようとしないのは、どうしても苦手意識が抜けない上、近接戦闘だけでどうにでもなる、という感覚が強いからだろう。
長年の癖を抜くのは容易ではない。だからこそ、共通してたらればを考えてしまうのだ。
「殴り合いするならせめて、まきなが使えたらよかったんスけどねぇ」
「ヤなこと思い出させないでください。1回試してみた時、耳がゾリッってなったんですからね、耳が」
過去に一度、ファティマは翡翠を着装してみたいと言ってきたことがある。マキナの運用ができれば、より役に立てると考えてくれたようだが、実際は物理的に無理があった。
何せ、キメラリアというのは800年前時点で一般的に認知されていなかった存在である。耳や尻尾、その他動物的特徴にマキナの内装が対応しているはずもなく、結果ファティマの大きな耳は、ヘッドユニットのインナーフレームにゾリッてしまうこととなった訳だ。
「何、対機甲歩兵戦闘は僕の仕事だ。銃火器で武装した敵が相手の時は、控えておいてもらえればいい」
ふわりと橙色の髪を撫でる。
偵察や観測だって大切な仕事であり、ファティマの耳鼻は重要な情報源でもあるのだ。加えて、いざ玉匣が敵に取り付かれた時は、最終防衛線として働いてもらわねばならない場面だって想定される。
しかし、それでもなお彼女にとっては不足らしい。大きな耳をピッピと弾いて、それをわざとらしく僕の手に当てた。
「控えてばっかりだとお仕事になりません。リベレイタなんて、ホントなら半分使い捨てなのに――あたっ」
撫でていた手を縦に翻し、枕に沈んだファティマの額に、軽くチョップを落とす。
「そういうこと言わない。僕の知ってるファティマは、この世に君しか居ないんだから」
「むぁ……」
ようやく上がってきた顔は、ぽかんと口を開けたものだった。
過去どんな職業で、どんな身分だったかなんて、既に関係のないことだと、これまでも繰り返し伝えてきてはいる。こればかりはたとえ、毎度いかに口にするのが気恥ずかしかろうとも、彼女の意識が完全に切り替わるまで、何度でも伝え続けなければならないことだ。
「――おにーさんは、やっぱりズルいです。そんな風に言われたら、何も言い返せなくなっちゃうじゃないですか」
今まで枕を抱いていた腕が、後ろから僕の腰に回ってくる。きっと顔を見られたくなかったのだろう。尾てい骨の辺りに、ぐりぐりと額がこすりつけられるような感触が伝わってきた。
「あの、ご主人? よくそういう言葉、さらっと口にできるッスよね……?」
「……改めて指摘するんじゃない。こういう時は流してくれ、頼むから」
顔を見られたくないのは、僕も同じだったかもしれない。照れが移ったのか、アポロニアにまで頬を赤らめられると、自分は一層恥ずかしくなってくる。
ただ、ここで彼女から視線を反らしたのがよくなかったのだろう。何を思いついたのか、意味深な笑いが聞こえてきた。
「んー……うひひ、そッスねぇ」
対面の座席から立ち上がったアポロニアは、狭い通路を1歩こちらへ近づいてくると、トンと僕の膝に手を付いて身を乗り出した。
悪戯っぽい表情の上目遣い。こういう顔をしている時、彼女は大概碌でもないことを考えているため、自然と体が強張り。
「自分にもそういうこと囁いてくれるなら、考えてあげなくもないッスよ」
「だ、だからそういうのを改めてだなぁ!」
想像はしていたが、やっぱり碌でもなかった。
こうなると、からかわれているのか甘えられているのか、僕にはさっぱりわからなくて困る。
その上、囁けと言われてもどんな風に何を言えばいいのかと、熱くなった頭で考えていれば。
「――自分じゃ、ダメッスか?」
などと、更に体を寄せながら悪質な追い打ちをかけてくるのだから堪らない。
不慣れと言うのは弱いものだ。途中まで考えに考えて、結局僕は諦めるようにぶはぁと大きく息を吐いた。
「君も大概ズルいじゃないか」
どうにでもなれ、と赤茶色をした頭を引き寄せ、分厚い耳に顔を近づける。
自分の頭は、気の利いた言葉を量産できるほど、高性能じゃないのだから。
「分かってるだろう、君にだって代わりなんて居るものか」
「~~~~ッ! み、耳元で言わないで欲しいッス! ぞわぞわして、なんかくすぐったいッスよ!」
ブルブルブル、と大きく頭を振るアポロニア。ちょっとした照れ隠しなのか、あるいは本当にくすぐったかっただけか。へにゃりとした笑顔を浮かべながら、1歩後ろへ飛びのいた。
本音を言えば、飛びのきたいのは僕の方なのだ。柄じゃないことをやっているせいで、鼓動がうるさい上に変な汗まで手に滲んでくる始末。
しかし、残念なことにがっちりと後ろからホールドされているため、体はほとんど動かせず、僕は掌で自分を軽く仰いだ。
「僕ぁ顔から火が出そうなんだが……って、ファティ?」
腰を固めていた手が、するすると肩まで伸びてくる。同時に背中へ軽く体重がかかり。
「おにーぃさん」
耳元を、囁くような声と吐息が同時に通り抜けた。
「うぉぁ……ッ!? な、なん……ッ!?」
背筋が伸びる。ついでにぞわぞわした何かが駆けあがってきて、反射的に耳を抑えてしまった。
「んふふ、思ったより素敵な反応ですね。お耳に囁かれるの、好きですか?」
とろりと笑うファティマ。その表情と言動は艶やかなのに、何故か綿毛のように柔らかな恐怖を覚えてしまう。
というのも、背中にかかる体重はなお大きく密着したものになり、胸元に回された手はきつくないのに、けれどしっかりこちらが逃げられないよう固められているのだ。
今の僕は、彼女にとって無抵抗な草食動物のようなもの。にも関わらず、狩りに出た猛獣はもう1体居る。
「ほほぅ、いいこと聞いたッス。自分だけやられっぱなしも納得いかないッスから」
「ちょ、君ら、人で遊ぶのも大概に――!」
身じろぎできたのも束の間。僕はファティマとアポロニアに挟まれたような恰好となり、両耳へと同時に吐息がかかった。
「逃がしませんよ、おにーぃさん」
「さっきの仕返しッス、ごーしゅーじーん」
「あ、が……こ、これは、ヤバい……耳が、頭が、溶ける」
ASMR、と言っただろうか。名前こそ朧気に覚えていても、如何せん僕には聞いた経験が無い。ただ、数世紀というあまりに長い時を経て今、ああいう音声商品が売れていた理由を理解させられた気がした。
その上、相手はヘッドホンではなく生声で、かつ自分に選ぶ権利は無い。こちらの意思に関わらず、一方的に溶かされるような、ある種の拷問とも取れる状況が、ここにはあった。
身体から抜けていく力。それを楽し気に笑う少女たちの声が、なおさら耳に残り、いよいよ救いがないと思始めた時。
「……何してる?」
天はまだ、自分を見放していなかった。
「しゅ、シューニャ、助けてくれ。僕ぁこのままじゃダメになる。なってしまう」
どうにかこうにか、よろよろと伸ばした手は、最早湯豆腐ほどの強度すらないように見えただろう。その上、前後からケモミミ少女2人に挟まれて助けを求めるという、絵面的に様々な誤解を生みそうな状況に、当然ながらシューニャはカクンと首を傾げた。
「ごめん、状況がわからない。えと、盛大な愛情表現をしている、だけ?」
間違ってはいない。間違ってはいないし、何なら僕としては過激すぎる程の幸福な瞬間でもあるのだが、いかんせん共同生活の場である装甲車の中というのが頂けない。
理性を保て。流れに身を任せるな。少なくとも今この場では、という精神だったのだ。
しかし、魔の手は救いの女神にも伸ばされる。
「シューニャもどうぞ。おにーさん、お耳に囁かれるの、好きみたいなので」
「囁く……というと?」
「ちょっと息をかける感じで、耳元で甘ぁく言ってあげるのがおすすめッスよ」
「――ふむ」
表情は変わらないのに、エメラルドのような瞳がキラリと輝いたように見えた。
じりじりと近づいてくるシューニャ。この時点で僕の希望は絶望へと変わる。
「ま、待て、待つんだシューニャ! 君まで無理にそんなことをする必要は無い! というか、君の声は――!」
本能が告げていた。彼女の声は不味いと。
大きな声を出すのは得意でないし、舌の回りもアポロニア程よくはなく、ファティマのように飄々と間延びした自然さがある訳でもない、が。
横から近づいたシューニャの唇が、耳元にそっと添えられる。
「キョウイチは、こうされるの、好き?」
硝子越しのような儚い声と、やんわりと耳に届いた吐息は、僕の脳を破壊するのに十分すぎた。
■
ギィとハッチが鳴く。
日暮れが近付く焼けた大地において、わざわざ外に出てくるということは、俺とだけ話したいことがある、という意思表示だろう。
現状、それを望む奴の心当たりは1つしかない。
「よぉ相棒、しょぼくれニャンコを慰めるのは終わったか――って、どうしたお前。ふらっふらじゃねぇか」
出てきた奴は想像通り。しかし、その足取りは生まれたてのバンビが如く。顔は激しい疲労の上に、どういう訳か微かに幸福感のようなものが浮かんでいる奇妙なもの。
初見の感想を述べるなら、よろしくない葉っぱにでも手を出したか、だった。
「だ、ダマル……1つ、相談、が」
「よくわからねぇが、とりあえず座れよ。何があった。俺が説教のし過ぎたせいで、猫が暴れでもしたか」
椅子替わりに転がしてきた岩を勧めれば、恭一はよろよろとその上に座り込む。どうやら、本気で疲弊しているらしい。
ただ、猫を抑え込んでいたのかと思えば、それは違うと弱弱しく手を振って見せた。
「いや、わざわざ嫌われ役をしてくれたことには、頭が上がらないん、だが……その」
一呼吸言い淀む。ファティマが暴れる以外、相棒がここまで疲労する原因など全く想像できないのだが。
「ASMRへの耐性は、どうやってつければいいと、思う……?」
沈黙。
頭の中が一瞬ビジー状態になった気がした。プログラムに対し、想定していない入力があった時というのは、こういう感じなのかもしれない。
当然、返せる値はエラーのみ。そして骨の顎から出せるエラーコードといえば。
「……ハァ?」
ただそれだけだった。




