第21話 マザル、アワサル、ツヨクナル
ナナフシの成すがままに運ばれながら、辺りをキョロキョロ見回していれば、想像通りここは連中の穴居であるらしい。天井にも壁にもそこかしこに大小様々な穴が開けられている。
特に天井の穴からは、しっかりと光が差し込んでいる辺り、地中でも大した深さではないのだろう。
原始集落、と言ったところか。そんなことを考えていれば、何やら開けた場所に連れてこられた。
「ニンゲン、オトコ! ニンゲン、オトコ!」
ひときわ大きな叫び声が、洞窟の中に木霊する。輸送ナナフシの声に振り返れば、頭の影の向こうに、奇妙な景色が広がっていた。
「……なんだ、コレは」
圧迫感のある洞窟の中にも関わらず、鉢状に大きく開けた空間。このナナフシ共の掘削建築技術が優れているのか、あるいは何らかの理由で超自然的に生まれた空間なのかはわからないが、僕の目にはそもそも部屋の作りなど入っていなかったと言っていい。
問題はその中央。無造作に大量のポッドが並べられていたこと。
明らかな工業製品であり、現代文明が生み出せるような代物ではない。抗劣化装置のない場所で稼働し続けていたからか、朽ち果てて基盤が露出したり腐食孔が空いている物も多いが。
――石野産機製造? というと、食品系の機械を作ってた所だったか。
そんな広告を見たことがあるが、並ぶポッドがどのような機械なのかは全く想像がつかない。
「オトコ、ミツケタ?」
「うぉっ!?」
今までとは違う言葉に体を捻ろうとしたところで、どさりと地面に落とされる。
扱いが雑なのは気になるが、とりあえずされるがまま土の上に転がって、ようやく周りを見回すことができた。
までは良かったのだが。
「オマエ、ニンゲン、オトコ、カ?」
「な……」
視界一杯に広がった、つるりとした顔。今までのナナフシ共と違ってY字型ではなく、どことなく人間に似た物で、言葉も多少聞き取りやすい。
別格の個体。あるいはこの集団を率いている支配層なのだろうか。その圧力に僅かに体を捩って距離を取れば、身体も細くなく全体的に丸みを帯びていて、何より他より一回りは大きかった。
「……随分手荒い歓迎じゃないか。何の説明もなく、いきなり人間で男か、なんてな。ぐぅっ!?」
皮肉っぽい笑顔を顔に貼り付けてそう言った途端、首に大きな手が伸びてきて、まるで人形のように軽々とリフトされた。
「コタエル。ニンゲン、オトコ、カ?」
「が……そ、そう、だ。僕は、男、だ」
急激な窒息にすぐさま答えを吐けば、僅かな後、またも地面に落とされた。
こちらが激しく咳き込んだところで、奴らに気にしている様子はない。ただ、ビビビと背羽を鳴らし、周りに居た他の個体を下がらせた。
多分、僕を抵抗のできない弱者と判定したのだろう。
「オトコ、ココ、ハイル。チー、マザル、アワサル。チー、ムレ、ツヨクナル」
「げほっ……なんだと?」
大きな個体は他より知能も高いのか。ポッドの1つを操作して、閉じられていたハッチを開いてみせる。
その中身は、綿のような物が敷き詰められた個室、と言うべきか。
――合わさる、混ざるに、他から隠れた空間。加えてあの文字となれば。
ポッドの中、壁面に書かれた文字に、ふぅとため息をつく。
養殖用パレット設置箇所。工業生産用か研究用かは定かでないが、何かの生物を大量生産する為に作られた道具であることは間違いないだろう。
それを原生生物らしい連中が使っている。しかも、上位個体らしい奴が占有しているとなれば、その目的が想像と外れているとは考えにくい。
「ココ、ハイル」
「あぁ、わかった。わかったからそう急かすんじゃない」
ギチリ、と手首へ力を籠める。
これが800年前なら、学者でも呼んで研究してもらうべきなのだろうし、必要なら誰かが身を捧げる必要すらあったかもしれない。
ゆっくりと迫る大きな個体。動きの鈍い僕に、その鋭い爪が体へ伸びてきて。
滑らかな額がコツンと音を立てた。
「悪いが、君らの親になってやるつもりはないんでね」
■
今日ほど自分の体が柔らかく、毎日ちゃんと歯を磨いていてよかったと思った日はないかもしれない。
お腹の辺りに回されたロープに歯をかけ、ギリギリと歯を鳴らし続けていれば、ブチリという音と共に、手首を締め付けていた感覚がなくなった。
手が自由になれば、足の拘束なんて解くまで時間はかからない。痺れる体をプラプラ振ってほぐし、一息ついた頃。
洞窟の奥から、乾いた音が数回響き渡った。
「――今の!」
あんな音が出せるものを、ボクは1つしか知らない。それも練習でなければ、危険が迫った時にしか鳴らさないはず。
弾かれたように立ち上がり、痺れが取れ切らない足にぐっと力を籠める。ちょっと痛くてふらつくくらい、なんてことはないのだ。
「ッ、たぁぁぁぁ!」
足をめり込ませるくらいの勢いで地面を蹴っ飛ばし、そのまま枝のような物で編まれた扉に体をぶつける。
だが、いくら力があっても流石に体が軽すぎるのか。メキメキと軋むだけで1発では壊れなかった。
腕や背中に短く飛び出した細枝が擦り傷を作るが、そんなのは気にもならない。1度でダメならと再度助走をつけて肩から扉に突っ込んだ。
「ふぅぅぅぅぅぁっ!」
如何に体が軽くとも、渾身の力には硬く編まれた枝も耐えられなかったらしい。扉はバキィと大きな音を立て、ボクの体と一緒に枠ごと床へ吹き飛んだ。
「ふー、ふー……よし。おにーさんが連れて行かれた方は」
「あっちッス!」
「お? あっ、すぐ助けますね」
ぷるぷると頭を振っていれば、少し離れた檻から小さな手が伸びて、暗い洞窟の奥を指さしているではないか。
決して忘れていた訳ではないが、思い立ったように近づこうとすれば、矢よりも早く鋭い声がボクの足を止めた。
「こっちはいいッスから、ご主人を!」
「ファティ、急いで! キョウイチをお願い!」
「わ、わかりました。じゃあ、後で迎えに来ますね」
2人揃っての物凄い剣幕に、僅かにたじろぎながら、洞窟の奥へ向かって走り出す。
しかし、自分が逆の立場だったならと想像すれば、きっと同じように吠えていただろうとも思い、ギュッと拳を握りしめた。
差し掛かる分かれ道。牢屋への出入口となっているからか、あるいは単に暇を持て余していただけか。手の中を眺めながら、ぼーっと突っ立っている細長い奴が見え。
「ギ? ニンゲ――ギィッ!?」
「とぉ!」
走る勢いそのままに拳を1発、横長の頭へと叩き込む。
枯木をぶん殴ったかのような衝撃が伝わってくる辺り、見た目通りの生き物なのかもしれない。ベキッという音と共に、手の中から何かが零れ落ちた。
「これ、おにーさんのナイフ?」
どうやら奴は、奪い取った刃物を見つめていたらしい。金属のはずが光を反射しない黒っぽい刃は、確かに不思議な代物ではあるのだが。
ボクはあまり軽い武器が得意じゃない。決して使えない訳ではないが、壊してしまいそうで怖いのだ。それもおにーさんの持ち物となると、特別なものなのではないかと余計に躊躇ってしまう。
――とりあえず、持っていきましょう。
考えている暇なんてないと、大きく頭を振りながらナイフをベルトに差したところで、乾いた音が洞窟の中へ数回響き渡る。
「そっちですか!」
特徴的なジュウの音を、聞き間違えるはずもない。
素早く踵を返して走り出せば、間もなく大きく開けた空間が現れた。
大きな箱。以前、こんてなとか言っていた物に似ているソレが、積み上げられるように置かれている中を、右左をキョロキョロしながら駆け抜ける。
もう一度、聞きなれたジュウの音。それもすぐ傍から聞こえたかと思えば、目の前で枝みたいな奴が何かに飛び掛かろうと体を沈めているのが見えた。
「シャァァァァッ!」
最早反射である。咄嗟に地面を蹴り、その横っ腹へと飛び掛かった。
構えた爪が枝みたいな奴の硬い表皮に引っかかる。あまり気持ちのいい感覚ではなかったが、そのまま絡まるようにして地面へ突き倒し、握った拳を2、3回叩き込む。
ただ、枝のような奴も、攻撃されて無抵抗で居るはずもない。想像していたよりも強い力でボクの手を掴むと、もう一方の腕を大きく暴れさせてこちらを振り払おうとしてくる。
その細腕がちょうど防具も服もない横腹にぶつかった。
「ふぎっ! こ、こんのぉ、いったいですね!」
よろめきはしたが、相手の上からどかないように踏ん張って耐える。
一方、枝のような奴は、ボクがよろめいたのを理解したらしく、続けて細い腕を振り上げ、振り下ろしてきた。
とはいえ、長い腕はあまり器用ではないのだろう。次の一撃は脇腹ではなく、ガツンと硬い音を立てて胸甲に火花を散らした。
――おバカ、なのかもですね。
ニィ、と自然に口の端が上がる。拳が弾かれた隙は大きく、ボクの手が腰の後ろからソレを引き抜くには十分だった。
ヒュッ、と風を着るような音と共に、横長の頭に小さな刃物が突き刺さる。
枝のようなソイツは、暫くビクンビクンと体を跳ねさせたかと思えば、それきりぐったりと力が抜けて動かなくなった。
「あ、使っちゃいました。ナイフ」
持っているだけにするつもりだったはずが、咄嗟に突き刺してしまった。それもあんまり加減していないので、壊れていないかと恐る恐る引っこ抜いてみる。
しかし、綺麗に刺さってくれたからか、あるいはこの枝人間が脆いからなのか。刃は曲がったり欠けたりした様子はなく、なんなら体液すら着いていなくてホッとした。
「お見事、ファティ……助かったよ」
そんな声に振り返れば、探していた人がくたびれた顔で立っていた。
まではよかったのだが。
「臭ッ!? おにーさん、すごい臭いです!」
何があったのか。黄色い液体を頭から被ったおにーさんは、腐った卵とおならを混ぜたような、とんでもない異臭を放っていた。
「誓って言うが、僕の体臭とかじゃないぞ。連中の体液だよ」
「う゛ー……あんまり近づかないでください。鼻が潰れちゃいそうです」
「先に僕の心が潰れそうなんだが――いや、今はそんなことより」
「ひゅーニャ達ほ合流れふか?」
鼻を押さえながら問い返す。これでもなお、ほのかに臭ってくるのだから、暫くはおにーさんにくっつくことはできないだろう。
尤も、そんなことを考えられる余裕は、彼の視線を追いかけた先で、あっという間に消えてしまったが。
「君の来た道はパレードのようだが」
「お、おー……うじゃうじゃ」
溢れんばかりの枝枝枝。どこに隠れていたのか知らないが、騒ぎを感じ取って集まってきたらしい。
わさわさ動く細い塊に、背筋に何かぞわぞわとしたものが走った。
「この数相手に正面から殴り合いは無謀だな。一旦、反対側へ退こう」
「行き止まりだったらどうしましょうか?」
「その辺りは、まぁ任せてくれ。走るぞ」
「はぁーい」
言われるがまま、おにーさんの背中を追いかける。
一緒に居られるだけで、怖くなんてなかった。たとえ本当に行き止まりだっとしても、その時はボクがなんとかするだけの事。今はちょっと、否、かなり臭いけれど、それでも命を張って守ると決めた人なのだから。
細道の上り坂を走る途中、ふらりと2匹ほど前から現れる奴が居たものの、それくらいなら相手にならない。ボクが飛び掛かるようにして体を蹴っ飛ばせば、反対側でおにーさんは肘を顔のような場所に叩き込んで、どちらも坂の下へ転がしておいた。
「これくらい離れれば、間に合うかな」
彼が足を止めたのは、特に何の変哲もない道の途中。強いて言えば、真上に光の差す穴が開いているくらいのこと。
「どうするんですか?」
「この穴を跳び上がってくれ。僕が補助すれば、ファティなら届くだろう」
「えっ? それだとおにーさん、おいてけぼりですけど――」
自分だけが助かっても意味がない、と伝えようとした時、おにーさんの肩に回されたソレに気付く。
「身体を縛ってたロープですか」
「そういうこと。とにかく急ごう、おいで!」
荒い作りのロープをこちらに手渡すと、彼は穴の真下で膝をつき、手を前に出して不思議な構えを取る。
練習どころか説明すら受けたこともないけれど、何がしたいかはボクにも大体分かった。
今のおにーさんは、投石器のようなものなのだろうと。
「わかりました。行きます!」
軽く助走をつけて地面を蹴り、反対の足で彼の手を思いっきり踏んづけながら、身体を縮め。
ボクは投石器から撃ち出される石になった。
いつもより勢いよく、大きく体を伸ばせば、穴を抜けるまではほんの一瞬。くるりと空中で身体を翻し、穴の縁にギリギリつま先をついた。
「っとととと……おぉ、上がれるものですね」
危うく穴の中へ戻りかけたのを、腕をぐるぐる回して堪え、一息。
だが、のんびりしている時間はない。
「ファティ! 奴らが来た! ロープを頼む!」
慌てて肩にかけたロープの先端を掴み、残った全部を投げ入れる。
これで届かなかったらと、一瞬嫌な想像が頭を過った。しかし、ボクの思ったよりも長さには余裕があったらしい。穴の奥から、余ったロープが地面を叩く音が返ってきた。
「掴んだ! 頼む!」
「いきますよ! よっ、ほっ――」
おにーさんが1人分くらい、ボクからすれば大して重くもない。力一杯引き上げれば、あっという間にロープがこちらに戻ってくる。
そのまま最後まで引き上げて終わりのはずだった。しかし、途中で急に体が引っ張られるくらいロープが重くなる。
「ニンゲン! ニンゲン!」
「くそっ、離せ! こいつ!」
穴の中を覗くことは出来なくても、何が起きているかは声だけで十分わかる。
どうやら追いつかれてしまったらしい。連中が引っかかったところで、ボクが逆に落とされるようなことはなかったものの、荒い作りのロープはギシギシと音を立てた。
「お、おにーさん! なんとか振り払ってください! ロープが切れちゃいそうです!」
「簡単に言うが、こいつらかなりの力で――」
このままでは不味いと思っても、ボクの手は2本しかなく、そのどちらも今はロープを握っていなければならない。
揺れるロープに歯を食いしばって耐えながら、どうすれば、どうしよう、と焦りが募ってくる中。
「お困りらしいなヤングメーン?」
カタカタと鳴る声が、ボクの耳元で聞こえた気がした。




