闇色の災厄が去る。
ごおっ
虚空に開いた裂け目の前で、吹き荒れる破邪の風が魔人たちを捉え、両断する。黒い腕のようなものが切り飛ばされ宙に舞い、煤けた表皮を持つ魔物も真っ二つになって空を舞う。
ぎゃああぁ
刹那の時、頭の中にに断末魔の声が響く。
それを最後に嵐が去った後の静けさが大広間の中に広がっていった。
「ヴィンス様?」
「静かに!」
静寂の中、剣を振り切りながらも残心を続ける彼に話しかけたところを一喝されてしまう。
「ごっ、ごめんなさい」
恐る恐る、ヴィンス様の視線の先を見ると、吹き荒れた風に寄せられた瓦礫の上に黒い魔神が立っている。片手は肘から先がなくなっていた。ヴィンス様が振り下ろしたい風の刃が斬り飛ばしたんだろう。
すると黒い魔人が身じろぎをした。こちらを見つめている気配をひしひしと感じる。
「私の腕を切り落とすとは流石だね。そこの剣士よ。褒めてあげるよ。この私に傷をつけたんだ。そうか、破邪の加護を持つ風か。再生もままならんのも頷けるな。あ〜あ、ヒドラもダメか。全くもって運がない。魔核が裂かれている。これでは、もう再生も効か無いよ」
「何をごちゃごちゃと御託を並べている。この聖教会での数々の狼藉、見逃すことなどできん。大人しく縛について、洗いざらい話せ」
ヴィンス様は構えを解かず、魔人を見据えて叫んだ。
「剣士よ。君が私を捕まえるというのかい! 私が何をしたというのかい」
「この広間の惨状を見れば分かろう」
「惨状って言ったって、それはヒドラのやった事ではない二回。私ではないよ。私はコイツを連れ帰れって言われたから来たまでだけなんでね。それも果たせずじまいなんだ」
再び、黒い魔人か身じろぎをする。二つに切られ、瓦礫の上に落ちた魔物を見ているように見える。
それも、端から煤けて空に溶けていってなくなってしまった。その傍にあった魔人の腕もなくなっていく。
「彼の方に頼まれたことは出来ず終い。腕まで切られて再生もできないじゃ、踏んだり蹴ったりだね。しょうがない。もう、帰るよ」
「ふざけるな。このまま、帰すと思うのか」
「そうさせてもらうよ。私がここにいる意味は無いからね。彼の方に何をしにいったんだって笑われてしまう」
「彼の方とは誰だ?」
「君たちの言う義理は無いよ。では、行かせてもらうことにしよう」
魔人は残った方の手を掲げて呪言を唱えた。
“ピィートウズゥ トォイフィル”
邪神に願う
「逃すか。トゥーリィ。もう一度、剣へ破邪の加護を頼む」
「はい」
私は急ぎ、手で印を結び、ヴィンス様の構える剣に向けて、
「ウェンテイ、スピリィートゥス・ウェンテイ! フォセレ・ヴェレ」
大気の大精霊よ、我は乞い願う
私は奇跡を願う。
「エッセ<カエルム>」
大気の加護もて、
「アルソシア<エクソシス>」
祓い給え、清め給え
私は主へ祈りを捧げた。でも、
“フレェーギィブン”
解放せよ
魔人の呪言が頭の中に聞こえた途端、私の願いが霧散してしまった。
「あぁ」
私の意識も薄れてしまう。これでは主へ願いが届かない。ヴィンス様の剣に破邪の加護がつけることができなくなってしまう。
「ハハ、驚いたかね。なあに、さっきは油断したがね。君たちが何をしてくるのかをわかっていれば、対処の方法はいくらでもあるんだよ。では、改めて、私は戻らせてもらうよ」
“イクハムヤー・マクハドォル“
闇に至る門よ、開け
「あぎゃ⁈」
頭の中に魔人の呪言が響くと共に、額の奥が弾き絞られるような感覚が痛みを伴って起こる。
グゥっと、ヴィンス様の呻き声も側から耳に入って来る。
あまりな痛みに瞑った瞼をなんとか気力でこじ開けると、ひざまづく彼の姿が見えた。その先には悠然と立つ魔人も。
見ると魔人の前の空間に裂け目が出来ている。もしかして、あれが門だというのでしょうか。頭が痛いのはあの裂け目の所為なのでしょうか。
魔人は、その裂け目へ魔人は足をを差し込み。体を中へ入れていこうとしている。
ああ、あいつが行っちゃう。逃げてしまう。
自分自身、動けずに何もできなかった悔しさが胸の中に滲んでくる。
ふと、魔人が裂け目に入ることをやめてしまった。裂け目から黒い頭らしき物をひょいと出して、私を見詰めているような気がするのは何故。
「そうだ、そうだ。忘れるところだったよ。お嬢さん、私に傷をつけたご褒美にいいものを返してあげるよ」
何がご褒美ですか。そんなものなんか入りません。
「君の生気を吸った時に一緒に取り込んだものだよ。ちょっとエグ味かあって気になっていたんだ」
魔人が腕を私の向けて、指先で何かを弾いた仕草をする。途端に額に衝撃。私は後ろの飛ばされ転び、折角つけた仮面も弾け飛び、あらぬ方向へ、飛んでいってしまった。
そして、
痛ッ、いたたったぁ
直様、私の額から懐かしくも、耐えるのが辛い痛みが走る。
これは顔の痣が疼く時の痛み。私が力を振るうと出るんだよ。そういえば、ここしばらく出ていなかったね。でも本当に痛いんだって。
痛みを和らげる役割を持つ鈍色の仮面もなく、耐えるしかないじゃない。なすすべもなく、ジリジリと痛む痣を手で抑えるしかないのよ。
「よく、わからないんだけど、それは一種の呪詛じゃないかな」
呪詛ですって、一体全体なんのために私の掛けるというのですか。
まさか、恨み? でも私が生まれた時からあったんだからね。それとも、顔も知らない親? いきなり呪詛なんて言われてもわからないですよ。
「じゃあね。お嬢さん。どこかで会うこともあるかもしれない。その時に白黒つけるとしよう。それまで命は預けておいてあげるよ。
その時まで壮健であれ」
そういって、魔人は空間へできた裂け目へはいっていく。入り際に頭の横で人差し指と中指をくっつけて“ピッ”と立てる仕草を見せた。一時の別れの挨拶とでも言うように。
ごおっ、
魔人が裂け目へ姿を消すと共に辺りの瓦礫ごと裂け目の向かって凄まじい勢いで吸い込まれた。
風が裂け目に向かって、吹き込んで行く。大広間に積もった柱やら天井やら机やらが辺りを同じ方向へ吹っ飛んでいった。
私は、兎に角、周りにある頑丈そうな机や柱に捕まって、やっとこさ難を逃れた。
どれ位、続いたんだろう。暫くして凄まじかった喧騒が止む。
自分の上に乗っかる瓦礫を押し除けて、まわりを見渡す。
「ルイー」
そして、いきなり、静寂を引き裂く声が耳に飛び込んできたんだ。
この声ってウリエル様⁈




