絶望
喉にまで伸びた真っ黒い指先が止まる。
【邪魔が入った様だ。命拾いしたね。】
黒い影が起き上がりウィンディカッターが飛んできた方へ振り向く気配を感じた。
【まあ、少しだけ先延ばしになっただけだよ。君の言う’主’とやらに祈る時間ができたと思えばいいんじゃないかな】
言葉が頭に入った時、目の前が暗くなってしまった。よくみると黒い此奴が立ち上がった様で、上からの明かりを遮ったみたい。
「トゥーリイ、暫しお待ちを必ず助けに参りますわ」
守護令嬢オジーンの言葉が耳に入ってくる。
一度は生を手放すことまで考えていたのに、胸の中に熱いものが広がっていく。
「これでも、喰らいなさい! ビュリファイウインド! 清浄の風よ。魔を滅せよ」
守護令嬢が矢継ぎは魔法を放っている。辺りの瓦礫が粉塵と共に清浄の風に飛ばされていく中、黒い魔人は何事もなかった様に平然と立っていた。どこ吹く風と言う様に。
「全く効いていませんわ。どう言うことなの」
オジーンの叫び声が聞こえてくる。
【そよ風が吹き付けられたようだけど、あれ式の拙い魔法使いなんぞ、私が全て飲み込まさせて頂いたよ。まあ、アペリチフにもならないね。酒精も足らないし甘さもない】
かなり強めの瘴気でも綺麗さっぱり浄化できるはずの魔法がそよ風ですって。それさえも吸収してしまうなんて、どんな体してるの。
【だからといって、そのままっていうのは良くない。幼い子供にしては、お痛か過ぎるからね。仕置きはしないといけないね】
魔人がオジーンに手を向ける。
「あぁガァうんにぃ」
危ないと叫ぼうにも、魔人にぶつかって生気を抜かれたショックが、まだ抜けきらなくて、声は出るけど言葉にならない。
そして頭に魔人の言葉が入ってくる。
ピィートウズゥ トォイフィル
邪神に願う
スゥファ
風よ吹き荒れよ
途端に此奴の周りに凄まじく風が渦巻く。そして此奴の手が掲げられた方向へ突風が吹き付けられた。更に辺りの瓦礫を吸い込んで竜巻の様相でオジーンに向かっていく。
「きゃあああぁ」
彼女の叫びが烈風にかき消されて聞こえなくなる。彼女の姿も豪風に巻き込まれて見えなくなってしまった。甘っさえ、勢いを失いなわないままの暴風が大食堂の壁にぶち当たり轟音と共に壁一面に大穴を開けて吹き飛ばしてしまった。
「「いやあぁぁぁ」」
更に悪い事にアナスタシアたちステューデンツが隠れているあたりにも余波が襲ってしまう。みんな、無慈悲な猛風に晒されて、薙ぎ倒され、飛ばされた瓦礫の下敷きになってしまった
「おぉぉーんん」
仲間たち皆んなの名を呼ぶつもりでも私の体は言葉をまともに紡いでくれない。あまりにも情けなすぎて目から涙が流れ出る。
今、動けない私にできることはせめて、彼女たちの無事をいのるだけ。涙が溢れる目を強く瞑り、頭の中で強く念じていく。
フォセレ・ヴェレ
我は乞い願う
ドミナス ベェネディークァトゥ
主よ!御加護を
オジーン、アナスタシア、そして皆んな、どうか無事でいてください。
主よ、私の友人おを、ライバルをそして姉や妹たちを守ってください。
大食堂の壁が破壊されて崩落している中、
【風を操るというのなら、これくらいは出来ないといけないよ。まあ、脆弱な種族の人にそれを求めるのは酷なことだけどね】
黒い魔人が体を震わしている。声は聞こえないけど、多分私たちをせせら笑っているのじゃないかと思うよ。
魔人がいう通り、私たちでは力が足りなかったのかも知れない。もう、打つ手はないの?
心が沈みかけた時にふと、思い出した。私が倒れた時に目に入ってきた色は確か緋色と………。そうだ紫色。紫色に揃えた仮面と乗馬服に身を固めた彼は何処へ。そんな思いを抱いた時だった。
「うおおお」
雄叫びを上がる。瓦礫が跳ね除けて、紫色の武者が立ち上がり駆け込んでいく。
彼だ。ドゥバァーだ。オジーンとそして私の仲間。
彼は、自分の背丈並みに長いグレーターソードを脇に構えて黒い魔人に向かって突進する。
「よくも、オジーンを。その報いは受けて貰う。喰らえ」
ドゥバーは魔人との側まで駆け込んでグレーターソードを振るおうとした。
いけない! 彼のグレーターソードには破邪の付与をしていない。只の剣なんだ。魔のもの相手には分が悪い。
私の口は、未だ、止めてっと言うこともできない。付与をしたくても時間がない。
悔しい。曲がりなりにも聖女と呼ばれる身。それが何にも出来ないんだ。悔しい。悔しい。悔しい。涙が止まらない。せめて、できることは彼の無事を願って祈る事だけ。
ドミナス ベェネディークァトゥ
主よ!御加護を
「うおぉりゃああー」
ドゥバーは踏み込み、雄叫びを上げてグレーターソートーを黒い魔人に向かって横薙ぎに振るった。
しかし、魔人は微動だにしない。ソードで切り込まれているのに平然として泰然自若な態度で腕を組んでいる。
「取ったあー」
ドゥバーにとって必殺の間合いに入ったんだろう。彼が勝利を確信して気勢を上げる。切先が目にも止まらぬ速さで旋回する。勢いをそのままに魔人の組んだ腕の下、脇腹にグレーターソードが切り込まれていった。
しかし、ドゥバーは振り切ったと思いきや、バランスを崩し、前のめりになって蹈鞴を踏む。彼の体が翻ると、その顔に驚愕の表情がこべりつく。捧げるように持ったグレーターソードがあるところを境に無くなっていたんた。
岩をも切り裂く剛剣が半ばから綺麗さっぱり消えている。折れた時の音なんて、全く聞こえて来なかった。ドゥバーの目が手元に残った柄と黒い魔人の間を行き来する。
長年、鍛錬し、共に死戦を潜り抜けた相棒がいきなり、無くなったんだ。信じられなかっなんだろう。
【何をするつもりだったんだね。かなりの気合いを入れてきたようだけど。そんな愚鈍で撫でるように振るったら、切れるものも切ることが出来なくなるのは当然だよ。大層な物のようだけど剣が廃れる。名折れになるね。もっとも、そんな鈍なものは私が吸収してしまったけどね】
黒い魔人は、訥々と話しながらドゥバーに近づいていった。
なんということなの、魔法や人間の生気に飽き足らず、刀まで吸収してしまうというの、もしかして光さえも吸収してしまうから真っ黒に見えるということなの。
【まあ、剣の振り方を知らない者と闘ってもつまらないからね。君にはチャンスをあげよう。鍛錬して腕を上げなさい。もっとも命があったらだけど………ねっ】
黒い魔人そはドゥバーの前まで来たところで、姿がブレる。
「グゥハァー」
いきなり、叫び声が上がり、ドゥバーは後ろに吹き飛ばされている。着ていた紫色の乗馬服が吹き飛びインナー迄、飛び散り素肌までが曝け出されてしまう。魔人が抜き手も見せずにドゥバーを打ち据えたようだ。
彼はそのまま、勢いも落ちずに大食堂に開いた大穴まで飛ばされ、そして落ちてしまい視界から消えてしまった。
あまりの事に彼の名を呼ぶつもりで叫ぼうとしても、
「オゴォォ」
私の喉は、言葉さえ出すことが出来ず、呻き声しか出すことが出来ない。オジーンもドゥバーも魔人に倒されて壁の向こうへ飛ばされてしまった。
私といえば現実を受け入れることが出来なくて頭を振って否定することしかできない。
私はは無力だ。情けなくて、泣き濡れた目から更なる涙が流れ落ちていく。
【さて、困ったな。彼奴を連れて帰るだけだったのに、余分なことしてしまったようだ。この建物を壊したとあれば、この都市の守備も黙っていまいて】
黒い魔人といえば。瓦礫が散乱する中に平然と立ち、悠然と辺りを睥睨している。
が、そのうちにカクンと頭が傾いだ。
【なんか、興が覚めたな。帰ろうか】
魔人は肩をすくめ、手のひらを上に向けて
【しょうがないね。ここは頼まれた事だけをやる事にするよ】
シュラッグのジェスチャーを見せた。そして私の方へ振り向くと、
【そこの、お嬢さん。君の魂を取り込むのも止める事にしたよ。私の名はアバドーン。奈落と呼ばれた私に相対して生き残るっていうのは稀なんだよ。生気や意識、魂も心さえ、魔力も何もかも取り込んでしまうかからね。そして光や形ある物、全て飲み込んでしまうんだよ。そして、それを糧としてしまうんだ。君は運がいいよ】
ちょっと待って、それじゃあ、私たちには為す術がないって事なの。どうすることも出来ないって事。
私が読み書き学び、鍛錬し実践してきた事は魔人には通じない、無意味な事だというの。今までやってきたことって。圧倒的な力の差に、寄る辺を無くした私の心が絶望に染まっていく。
ごめんね。オジーン、ドゥバー、アナスタシア、そして一緒に修練を積んだ皆んな。私は聖女になる資格なんてないのかもしれない。心が折れてしまったみたいなの。
タダイ神父にセリアン。もう、ご飯も作ってあげられないかも知れない。そういえばシュリンちゃんどうなったんだろう。瓦礫の下に埋もれているはずなんだけど。未だに動けない私じゃあ、何にもできないよ。ごめんね、ごめんね。
だんだんと考えることも億劫になる。魔人は見ているだけで私の生気を吸い取られているみたいだよ。
私の目は開いている。でも、何も感じることはできなくなった。
私の耳は音を感じている。でもそれを意識することはない。
私の口が薄く開いている。でも、声を出すことはない。息さえしているかもわからない。
私は生きているのかしら。
【さあ、ヒドラ。帰るよ。君はやること全て失敗ばかりじゃないか。もう、何もしなくていいよ。これまでの弁明は、我が君の前でされるといいよ】
魔人の吐き出す言葉が私を素通りする。魔人が瓦礫に手を掲げる。すると、瓦礫が浮き上がり、その下から私が木偶の坊と言っていた魔物が現れる。
相変わらず煤けた姿態を曝け出し横たわっていた。そいつを魔人は引き寄せる。そして魔人は、それを引き連れて、崩れて外の景色が見える大食堂の壁に開いた穴から外へ出て行こうとしている。
でも、その光景を見ることはしても意識することはない。ただ、涙が流れるのはわかるんだけどね。
その時だった。胸の奥にボッと温かい物が宿る。
『心優しい娘よ。なぜ、そなたは涙を流す?』
慈愛に満ちた温かい言葉が胸に広がっていく。一体、誰?
何もできなくて絶望している私に声を掛けてくれるなんて。こんな、聖女なんて名ばかりの何も出来ない、空っぽな私に。
『其方は聖女であろう。違うのか』
だって、そうじゃないですか。魔人に生気を抜かれて、動けない、喋れないんですよ。その所為で皆んなに奇跡を授けることもできなかった。聖女として失格です。
オジーンもドゥバーも生きているのか。ウリエル様やシュリンちゃんだって瓦礫の下敷きになってどうなっているのか分からない。
折角、顔に残る痣の所為で誰にも相手にしてもらえなかった私に関わってくれた人たちが、どんどん目の前から消えていく。
もう、頼れる人もいない。寄る辺をを無くしてしまった。また、1人になってしまうんですよ。
『何を言うかと思えば、其方には、まだ、寄る辺となるものが居ろう。分からぬかや』
そんなの、もう、いる訳な……。
「そこまでだ! 下郎。魔物の分際で、この聖域で何していやがる」
私の心の呟きを遮り、若い男の怒声が耳に飛び込んできた。
えっ⁉︎ ヴィンス様




