反撃の狼煙が上がる
聖教会の大広間に眩い光が満ちていく。その中心で光が檻のようにスクリーンを立ち上がげ、中に取り込まれた木偶の坊は、触手をしならせて踠いていた。
黄色や緑青色だった樹皮は焼かれたように濃茶に変色している。更に表面に幾重ののヒビが走り、その下から光が漏れ出しているた。内側からも光に炙られ焼かれて浄化されているのだろう。
ギィやアアアアアー
頭の中にあいつの叫び声が響き渡る。耳から入ってくるのではなく頭へ直接食い込んでくる叫び声。手で耳を塞いでも聞こえてきてしまう。
しばらくして、叫び声が小さくなっていく。眩かった大広間も目を開けても大丈夫なくらいの明るさになっていた。光の柱も勢いを失い、掠れ、やがて消えてしまう。
そこに残るのは、外からも、内からも焼かれ炭と化した柱が立っているだけであった。
「打ち滅ぼしたのかな?」
印を組んだ手を掲げたまま、私はひとりごとを言ってしまう。屠ることができたかな。なれば、
『グラディアス・ドゥミィニイ』
主への感謝を忘れない。
と、思いきや、
『ダァあああああ』
ついさっきまで頭の中で響いていた濁声が再び、傾れ込んできた。
反射で目を瞑り耳を塞いでしまう。でも頭の中を濁声がシェイクする。それを堪えながらも、薄く目を開けていく。炭となったはずの幹が見えてきた。
木偶の坊が立っていた辺りが薄く靄がかかったように見える。
そのうちに靄が晴れると残った木の幹の焼けこげた表皮にヒビが走り、バラバラと落ちていってしまった。中から鮮やかな黄色とか緑青色の真新しい樹皮が現れた。
あの木偶の坊が再生したっていうの?
『だぁあああ、れぇれぇぇぇ、どぉだぁああ! いきなり浄化を、ぶちかましてきやがるヴァカ野郎は?」
頭に響く濁声が強くなる。爆ぜるんじゃないかってぐらい頭が内から膨らされてしまう感じになるよ。
再生した木偶の坊を見ると触手まで新らたに生えたのか、ウネウネと撓っている。心なしか木の全体が小さく見える。気のせいかな。
『どぉくぉのぉぉ、どぉいっつうぅどわぁ』
木偶の坊は、かなり頭に来ているようで怒りに任せて触手を振り回して、あたり構わずテーブルなんかを薙ぎ払いまくっている。
聖女見習いの皆んなが巻きこれなきゃ良いんだけど、行っても立ってもいられなくって、テーブルの隙間を縫って影になるところを這うように動き出す。触手に払い飛ばされないように、偶にテーブルから頭を出して様子を見る
『素直に名乗り出でくりゃよお、悪いようにはしねえょ』
なんて言い出している。こんな言葉をまともに受け合って、木偶の坊の前にノコノコでて見なさい。どうなると思うの。
『なあに、お前らの怯えって奴を頭から吸い出し、心をしゃぶって、魂から啜り出して味わってやるさ。俺様は優しいからな。痛いのは一瞬だあ。後をえもい我ぬ悦楽を味わらせてやんよ。快感に溺れた心をちびちび舐めるのもいいもんなんだぜぇ。どうだぁ』
見なさい。そんな戯言信じるものですか。聞けるわけないでしょ。
『恐怖っていうのは、俺っちには、好物なんでぇ。年若い魂の恐怖っていうのは極上品よ。涎が止まらねえ。さあ、早く俺の前にでやがれってんだぁ』
勝手なことをほざくなぁ。もう一発かましてやる。
私は手で印を組むと空中を三角に大きく擦らえる。
「フォセレ-ヴェレ」
我、乞い願う。
「パジィフィロ<コル・マルム>」
邪なものの浄化を
願いが聞き遂げられて、木偶の坊が立っている場所を中心に光の線が三角に描かれていく。
3点全てが繋がった時、そこから光の壁が立ち上がっていった。3面で木偶の坊を囲っていく。
そして、その中が再び浄化の光に満ちた。
『がぁああー』
またしてもあの濁声が頭の中で喚き出す。でも、なんかおかしい。
光が掠れていき、木偶の坊が顕になると、
「ぐっ」
私の喉が唸った。
だって、浄化をかけたのに何にも変わってない。あの人の嫌悪感を抱かせる色合いが変わっていない。さっきみたく焦げてなんかいないんだ。
『なんだぁ、なんだぁ。温いぜえっ。なんかおかしな気が混じってるなあ。そうかあ。これって怯えだぁ。自分が貶められて、弄ばれて、やけっぱちになった時に出る自分の身可愛さの邪な欲望って奴だ』
えぇ、ダメなの。そンなぁ。聖職者にあるまじき邪な気が混じったってぇ。
己の身可愛さに祈ったのが不味かったかぁ。あくまでも自己犠牲であって保身で祈ってしまってはならぬって事なのね。
どうしよう。私は考えを巡らしていく。
そうだ。私は、ひとつの考えに至る。
私は今、聖教会の学舎にいる。ここには聖女の見習いたるステューデンツがいる。浄化のできる娘たちが勢揃いしてるのではなくて。
その中でも、飛び抜けているアドバンストのあの子なら。
『この舌にこべり付くような、苦味がまた…』
木偶の坊がうんちくを垂れている間に、皆が嵐のような災厄から身を隠しているだろう場所を探す。
いた。おおよその検討をつけた場所を見るといた。
大広間の片隅に木偶の坊に飛ばされて重なり合ったテーブルの一角にいた。身を寄せ合って隠れている。皆んな無事だといいなあ。
私は瓦礫と化したテーブルの影を木偶の坊にわからないように啜るでいった。
『ウューン。テイスティー!!』
あまりな物言いに蹈鞴を踏んでしまい転びそうになってしまう。
木偶の坊めめ、なんて事抜かすんだ。貴腐ワインじゃないんだから。そんなテメェにそぐわない言葉など、周りに広げないで欲しいよ。頭の中でグゥアン・グァンしてるよ。
なんとか気持ちを落ち着かせ、みんなの所へアプローチしていく。1番の年長に見える子を目指していった。
ブルネットの髪を肩下で揃えている子がテーブルの陰で1番手前に膝をついている。後ろの子達の盾になっているんだ。
「アナスタシア様、無事?」
木偶の坊に見つからないようにテーブルの陰に隠れてにじり寄る。
「皆んな、他の子達もどうなの? 無事かなあ。大丈夫?」
アナスタシアの目には、怯えが見てとれる。両手を背の方に回して後ろの子たちを庇おうとしているんだ。
さすが上級アドバンス。貴族の矜持、しかと見ることができました。彼女は姫様なんだよね。
しかし、彼女は訝しそうに、私を見てきた。
「トゥーリィ! やっぱりあなたですのね」
ちょっと前まで、怯えていたはずなのに、いきなり強気に聞いてきた。私という見知った仲間を見れて安心したせいかな。
「インターミディエイトの身から、いきなり市井へ出たと思ったら唐突に帰ってきますし」
いえ、着る物が無くなったから取りにきただけですって。
「もしかして、あなたが、この惨状をもたらしたのかしら」
ギクゥ
いえいえ、私も、あの木偶の坊の策略に引っ掛けられただけですって。
だってあんな目印になる刻印を打たれているなんて知らなかったんです。知る由もなかったんですう。
「違いますって、パラス教会で着ているハビットとかスカプリオとかが使い物にならなくなりまして新しいものを取りに来たんです」
まさか、事件に巻き込まれてなんて言いづらいな。
「聞いてきますわよ。白い化け物やバジリスクが城の外で出現して街並みに破壊の限りをつくしたということでしょう。その討伐に貴女が絡んでいらっしゃるってお話は伺っておりますよ」
アナスタシア様、流石に御耳が早い。
「どうせ、その場でうろうろしてて、捕まった挙句、胃の中にでも放り込まれたのでしょう。全く貴女ときたら」
お見それしました。全くその通りですございます。私の巻き込まれた体質のことを、ご承知でいらっしゃる。
すかさず、
「そこでアナスタシア様にトゥーリィたってのお願いがあります」
と、話を割り込ませたんだけど彼女は私の顔を覗き込んで目をパチパチの瞬かせている。
「アナスタシア様。私の顔になんか付いてます?」
「えっ、あっ、ごめん遊ばせ。いつもは包帯で顔を隠しておいででしたでしょう。モーニングベール越しでも素顔を見るのは初めてでしてよ」
「えへ、そうでしたっけ。すいません。痣なんて御見苦しいものを晒してしまって」
いつもつけていた仮面はつけ紐が切れて直しに出している。
聖装なんぞしてベールの下にウインプルをつけているものだから、包帯では隠しづらい。どう見ても怪しく見えてしまう。
仕方なく目元までかかるモーニングベールで覆っているわけなんですね。
でも、アナスタシアは、私の顔をじっと見て首を捻っている。
「ま、よろしいわ。ところでトゥーリィ。貴女がここまでいらっしゃるのは、どういう了見なのかしら?」
しまった。アナスタシア様とおしゃべりが過ぎて、肝心なこと言いそびれてしまった。
「誠にすみませんでした。実はアナスタシア様に御助力をお願いしたい」
「これは異な事をおっしゃって。聖女の貴女から、頼まれることなんてありはしないのではありませんか。私は未だステューデンツの身でありますのよ」
すいません。聖装は着せられてはるんですが未だ見習いの身なんですよ。
「いや、貴女様は、上級アドバンストの中でも筆頭。しかも、浄化のエキスパートとではありませんか。ですから、そんなあなたにこそお願いしたい」
そんな四の五なんて言ってられない。今はアナスタシアに願ってもらい奇跡を起こすしか解決できないんだ。
私は彼女の両肩を掴み彼女の顔を覗き込んだ。グリーンの瞳を凝視して、
「私じゃダメなんです。邪な気持ちで奇跡を願ってしまった。臆病風に吹かれた心の声では主に届き切れなかったんです。貴女ならできる。貴女の嘆願を持ってすれば主は聞き入れてくれます」
お願い。アナスタシア。お願いします。
そんな時に
『そろそろ出てきなぁ。優しい俺様の堪忍袋だってなあ、限界はあるんだぜ。早く出てこいよ。なんなら、ここにいる全員の魂を吸い尽くしてもいいんだぜぇ』
木偶の坊がの声が頭に響いてくる。埒が開かないと脅しをかけてきたんだ。
再び、木の枝に見える触手を振り回して、瓦礫と化したテーブルの残骸をあちこちに飛ばし始めた。近くまで飛んできたものが砕けて破片が私たちにも降り注ぐ。
死への恐怖から瓦礫に潜んでいる子たちから悲鳴が上がる。
『うめぇ、うめえぜえ』
木偶の坊がが喚き出した。
「よろしいでしょう」
彼女から承諾の言葉が出た。状況が逼迫してるからね。
「貴女に頼まれたのが癪に障りますが、ここで動かないのは伯爵位を賜るオルデンブルク家の名折れ。可愛い学友の皆様もおります。やらせていただきましょう」
彼女は振り向き、後ろに庇う子たちを一瞥する。再び、私に向いた時のアナスタシアの雰囲気は変わっていた。視線が鋭くなって纏う空気にやる気が満ちていく。
「ありがとうございます。アナスタシア様。私が囮になります。後はお願いします」
「囮って、貴女は大丈夫なの?」
おっー、私も心配してくれるんだ。
「大丈夫。色々と外の世界に出て鍛えられましたから。なんとかします。じゃあ」
と、私は踵を返して、隠れている皆から離れようとした。
「トゥーリィ」
アナスタシアに呼び止められた。振り返り彼女を見ると手で印を結んでいる。
「ドミナス・テェクム」
主は汝とともに
アナスタシアに送辞の言葉を頂いた。
私、トゥーリィの手は印を結び、
「ドミナス ノービスコム」
我らは主とともに
アナスタシアに答辞の言葉を返す。
さあ、やりますか。
私は、瓦礫と化したテーブルの隙間を縫うように進み、彼奴の直前で立ち上がり、姿を晒した。
さあ、上手く、食いついてくれよお。木偶の坊さんよ。
ありがとうございました。




