夢見の愉悦
飲酒という行為に意味を求めなくなったのはいつからだろう。
若い頃はアミューズメントとして、これまでは交流の場としてその行為を利用していた。
一人で住んでいる我が家に帰って料理をしながら始める一杯目にも、わざわざ夜更かしまでしながら飲む一杯にもなんら意味を見出せなくなっていたことに今になって漸く気づいたみたいだ。
寂しさを埋めるためだとか、日頃の疲れを労うためだとか世の人々は口を揃えてその行為を正当化するらしいが、こんなことをするくらいならとっとと寝た方が自分の為になるのにどういう神経をしているのやら。
それでも尚も抗えない一人が私だ。
今日の自分を見つめずに、明日のToDoを考えずに気を失うように眠ることに幸福感を錯覚していることに気づきながらも知らないふりで押し通している。
そんな人間を誰が認めようか。
そんな人間を誰が讃えようか。
生きている実感を持たぬまま生を貪り尽くす人生を自分ですら嫌悪する。
人生を謳歌している誰かを妬み、人生を苦悩する誰かを蔑み目の前の液体を口に運ぶ。
嗚呼、この幸福感は私の物だ。
他所の誰一人にも譲りはしない。
醜く愚かな底辺な豚の生き様がここにある。
恐怖心を忘れ、今日も眠りに付くとしよう。
ただの殴り書きなんで悪しからず。