表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/21

夕焼け色のゆめとおんなのこの話





 茜は駆け出した。

 急いできつねさんの近くまで行って、服のすそをギュッと掴む。

 つかまえた。

 見つけた。やっと会えた。

 それが嬉しくて、なんにも言えなくなる。

 きつねさんは真っ黒な服を着ていて、夕日のせいで落ちる影も真っ黒で、今にも何処かに消えてしまいそうだけれど、ちゃんと茜の目の前にいた。


「お家はどう?」

「え?」

「まだ魔境?」


 マキョウ、という言葉の意味は分からなかった。それでも家のことを聞かれたんだという事は分かって、茜は慌てて口を開く。


「あ、えっとね、家……家は、ケンカしなくなりました!」

「うん」

「お父さんもお母さんも仲良くなって、ちくちくしなくなって……あ、この前はじめて丸いシュークリームを食べました!それに、お母さんもケンショウが当たったって喜んで――」


 他に。他にも何かあったんじゃないかと、茜は必死に最近の事を思い返した。

 そうだ、お花だ。茜が帰る裏口の前に、時々置いてあった小さなお花。あれもきつねさんがくれたんだ。

 ぱっと顔を上げた茜の前で、きつねさんがゆったりとその場に屈みこんだ。

 ぐんと距離が近くなる。手を伸ばせば、お面に触れてしまえる距離。

 茜は何故だか、カッと頬っぺたが熱くなった。


「じゃあ、願いは叶ったんだね」


 お面の向こう側にある、きつねさんの瞳が近い。

 ゆったりとした喉の奥の方で少しかすれたみたいな声に、茜は心臓がばくばくした。


「あ……で、でも……っ」


 でも。

 「はい」と言えなかった。


「……じつ、は……」


 茜は、カーディガンのポケットの中で指先を握り締めた。ツヤツヤしたボタンの感触が、手のひらの中にある。

 赤、青、白。きいろに、透明。ぜんぶ、この二週間で茜が集めた、きつねさんにあげるためのボタンだ。


「またボタンを持ってくるの、忘れちゃったんです」


 きつねさんの目が。

 お面に空いた真っ黒な穴が、じっと茜を見返してくる。


「つ、次はぜったいに持ってきます! 袋にいっぱい入れてあるんです! だから、つまり、家に沢山あるし、きつねさんにお礼がしたいし、つ、つまり……そのぅ……」

「……うん」


 声が小さくなっていく。茜はくしゃりと顔をゆがめて、ポケットの中のボタンを強く握りこんだ。


「わたし、もう一つ、お願いが、できて……」


 気づいてしまった。

 ボタンをあげれば、きつねさんは喜ぶだろう。満足するだろう。

 そして、きっと、茜の前からいなくなってしまう。


「……まだ、いっしょにいたい」


 茜は、きつねさんにお願いごとをした。


「これからも、きつねさんに会いたいです」


 茜は、目のまわりがじんわり熱くなった。

 お礼がしたかった。お話がしたかった。色んなことを聞いてみたかった。せっかくやっと会えたのに、すぐにお別れなんて嫌だった。

 どうしても叶えたい願い事があると、茜は泣きたくなってしまう。

 そのためなら門限だって破るし、学校だって抜け出すし、嘘だってつく。

 きつねさんといると、茜はどんどん悪い子になる。

 悲しかった。少し腹も立った。ぜんぶきつねさんのせいで、だけれど、これは茜だけの願いごとだ。

 それが分かっていたから茜は小さくなって、ぎゅっと唇を噛んで顔を伏せた。


「……じんじゃ」


 けれど、そのとき。

 不意に茜は、頭の上にほんのちょっぴりの暖かさを感じた。

 少しずつ顔を上げてみれば、黒い服を着たきつねさんの腕が見える。

 まるで初めてちょうちょの羽に触るみたいに、きつねさんの手が茜の頭を撫でていた。


「この道をまっすぐ行くと、山があるんだ」


 茜はぱちくりと瞬きをした。

 真っ黒な、お化けみたいなお山。それは今まさに、きつねさんの真後ろに見えている。


「そこにある神社に、いつもいるよ」

「え……それって」

「明日から、毎日会いにおいで」


 きつねさんの手のひらが、頭の上から離れていく。

 だから今日はもうおかえり、ときつねさんは言った。茜がおずおずと来た道の方を振り返れば、夜の空はまだ思ったよりも遠くにある。

 だけれど、紺色の空は、足が速い。それを茜は知っている。

 そして門限を過ぎたら、外出禁止になる。

 そしたら、つまり。


「あ、明日、ぜったいに!」

「うん」

「ぜったいに、また、会いに行きます!」

「うん」


 茜は、きつねさんの服の裾をはなして、来た道の方に向かって駆け出した。

 明日、会う。

 明日からは、毎日会える。

 でもそのためには今日門限に間に合わないといけない。急がないといけなかった。

 オレンジ色のあぜ道を走っていく途中、茜は何度も振り返った。

 きつねさんは、ずっと切れかけの街灯の下にいた。それでも、その姿はどんどん小さくなっていって、やがて、街灯の影の中に溶けるみたいにして見えなくなった。






 少しづつ春の匂いがしてきた。

 茜は神社へと続くお山の長い階段をのぼっていた。

 明日は、小学校の卒業式だ。

 ちょっと特別な気持ちで鼻歌を歌いながら、茜は今日学校で美紀ちゃんとしたお話を思い出す。


「茜ちゃん、知ってる? 卒業式って、好きな人の服の第二ボタンを貰うんだよ」

「第二ボタンってなに?」

「服の上から二番目のボタンのこと!」

「なんでそんなの貰うの?」

「なんかね、そこが一番心臓に近い場所だからだって。あなたのハートをくださいっ、みたいなっ!」

「……お命頂戴、みたいな?」

「時代劇の見すぎだよ、茜ちゃん……」


 そんなこと言ったって、お父さんもお母さんも時代劇が好きなんだからしょうがない。

 日曜日の八時には、二人仲良く居間のテレビにかぶりついていて、そういうときは茜はお邪魔虫になったみたいな感じがしてしまうくらいだ。

 ふう、と。

 茜は登りきった階段のてっぺんで、一息をついた。

 まっすぐに続く、石畳を歩く。大きな鳥居をくぐる。ちょっと脇の方にある枝葉がしげる細道の方に、足を向ける。

 その先にあるのは、お稲荷さんの小さな祠だ。


「――それで。美紀ちゃんはそんなふうに言うんですけど。私はボタンはいらないです。……ボタンをとったらきつねさん、怒りそうだし」


 柔らかく吹き抜けた風が、緑色の草をふわふわと揺らしていく。

 茜は、今日もきつねさんに今日一日のお話をした。

 塗装の禿げた赤い鳥居の奥。灰色の石でできた小さな祠の中には、同じ色の石で出来た狐の置物がちょこんと座っている。

 四年前。

 あの日の、次の日。

 茜は約束を守った。きつねさんに会うために神社の長い石段を登って、鳥居をくぐって、境内をうろうろ彷徨って、そして、この小さなお稲荷さんをみつけたのだ。

 小さな、小さな石の祠。

 茜は、思わず声を上げていた。

 祠のなかに、ボタンの入った壺が置いてあるのが見えたから。


(やっぱり、神さまだったんだ……)


 その日から、毎日石段を登ってお参りした。そんな日が続いて――ある日、茜は気がついた。

 きつねさんは、どうやら、もう、祠から出てくることはないらしい。

 それがわかったとき、少しだけ茜は泣いた。祠の前ではなく、帰り道で、こっそりと泣いた。

 キツネさんは約束を守ってくれた。

 なので、この小さい、邪な気持ちは、欲張りなじぶんの胸の中だけにこっそりと隠しておくことにした。


(……中学になっても、美紀ちゃんと仲良しでいられますように)


最後にそんなお願い事をして、それから茜は少しだけもぞもぞとして……賽銭箱の中にひとつだけ、ボタンを入れた。





もしかすると、あの壺がいっぱいになったら、またきつねさんに会える日がくるんじゃないだろうか。

そんなふうに考えてみることもある。でも、だからこそ、茜は壺の中にはボタンを入れない。

会えるかもしれない。ずっとそう思っていたい。

そう、思う。

山から町へと続くあぜ道に、ぽつりぽつりと街灯がともり始めた。電球はいつの間にか付け替えられていて、あの切れかけた街灯がどれだったのかも、もう分からなくなってしまった。

茜は、一度だけ後ろを振り返る。

真っ黒なお山の向こうに、カラスが二、三羽飛んでいくのが見える。どこか遠くで、電車の遮断機が降りてくる音がする。

 夕暮れ時だ。

 茜は歩きだした。

 橙色のあぜ道を行く。吹き抜けていった風が、背の高い雑草をゆらゆらと揺らす。

 そうして今日も真っ黒に伸びる影の中に、茜は、あの日の続きの夢を見るのだ。






                          おんなのこの話[完]

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ