キツネと のはなし
なにかが壊れていく音がしていた。
ようやくボタンを数え終えたとき、外で数人の足音がした。キツネはゴーグルを額の方に避け、うすく開いた倉庫の扉からひょこりと顔を出すと、懐中電灯のなかに浮かんだ相手の姿を確認してから扉を全開にした。
「ご勘定様デスネ」
ミセス・タータはきりっと背筋を伸ばすと、複数の覆面の男達を引き連れて倉庫のなかに入った。彼女のスーツ姿の傍らには頑丈な革製のトートバッグがある。もう五十はいってそうなのにとても腰が元気なのだ。
「数が多いようだね」
ミセス・タータはすぐに見破った。
「何人かお友達連れて来てたみたい」
「お約束の数は27ね。これどうしますか」
「上乗せするよ」
ミセス・タータのくるくるとした癖毛が蛇のようにうねった。ように見えた。彼女は金色の髪を逆立てながら覆面の男達に指示を出して死体処理を始めた。
車はもうちょっと遠くに留めたのだろうか。
覆面の男達がとても小さくなったものを運び出していくのをぼんやりと眺める。じゃりじゃりとコンクリート詰めの港に靴が砂を残して行くのが聞こえた。
一人だけスニーカーではなく革製のローファーを履くミセス・タータが足音なくキツネの前に立ちはだかる。
「普段はこういうのしないけど今回特別ね。次に現場で上乗せなったら承知しないよ」
「ごめんね」
「上乗せ一人当たり150%で手をうつよ」
「いいよ」
じぶん一人ではできそうにないので仕方がない。いや、がんばったら全員埋めれるかもしれないが今夜は勘弁してほしい。
キツネは少し、疲れていた。
ミセス・タータがトートバッグを開いて現場処理を始める。彼女の手際を眺めていたが、やがてキツネは倉庫を後にした。
「あんた」
しゃがれた、柔らかい声が追いかけてきた。キツネは足を止め、振り向く。
「仕事が半分残っていると言ったね。この町でかね」
「うん」
「はいはいはいはい。おまえ逃げた方がいいね。これだけ目立っちゃダメよ」
そうするつもりだった。依頼主の願いを叶えてそれを教えてあげて喜ぶ依頼主のボタンをもらい、町を後にするつもりだった。
今もその計画は変わらない。
でもキツネは知っていた。不幸ではないことと幸せなことはちがう。知っていながら日頃知らないふりをしているわけだが、まあ、今回はちょっと気になっているのかもしれない。
「依頼が終わってないんだ。仕事あと半分残ってるから」
「だーよ。死体無いでも、たくさん人がいなくなったら大騒ぎ。田舎は特にそうですね。警察も動く。こうなっちゃあ地元ヤクザが疑われてしまうね」
何故そんなことを言うのだろうかと違和感を覚えたがキツネは黙って聞いた。
同業者は同業者のことに関与しない。キツネが今後どうしようが今誰に迷惑をかけていようがミセス・タータは興味もないはずだ。
それか、今回の一件に関与したことで飛び火があるのを怖れているのだろうか。警察ではなく、地元のヤクザの方と揉めるのが心配なのか。
「地元人もこのことは知ってるよ」
「ここまで派手なことする解ってたとは思えないけどね」
また違和感を覚えたがミセス・タータはもう何も言わなかった。キツネは倉庫を出るとダッフルバッグを担ぎ、隠していたバイクで田舎の方に戻った。ミキちゃんを見送る前にちゃんと身嗜みを整えないといけない。
なつめ小学校の緑色の校門は閉じていた。
裏手に回ると屋外プールが見えた。今は水は張ってなくて落ち葉がたくさん溜まっている。コンクリートはどこかの地表の断面みたいに幾つも筋が入っていて、水垢で汚れ、年月の巡りを思わせた。
キツネは塀を飛び越えるとプールサイドの蛇口を開いてシャワーを浴びた。
今は水は通っていないかもと心配だったが出た。冷水だ。とても冷たい。
警備員さんに見つかる前に、ダッフルバッグのなかから出した新しい衣服に着替えて、プールサイドを離れた。
バイクは塀の向こうに隠してある。キツネはけれど帰ろうとはせず、逆方向の、校舎の方へ向かった。
夜の学校特有の廃墟に似た静けさを足音で揺らしていく。
夜の風が冷たい。
キツネは寒さに唇を青にしながらゆったりと校庭を歩いた。 暗くはない。
遠くの道路の街灯が、ぽつん、ぽつん、と黄色く瞬いていた。校舎の隅には、ひっそりと、非常口用の緑色の蛍光灯が照らしていた。
完全にあてずっぽうだった。
一番大きい校舎の窓を幾つか試して開かなかったので、キツネはひとつに濡れた服を添えて硝子を割って、忍び込んだ。
屋内は清潔な匂いがした。外より薄暗く、キツネは障害物競走みたいな教室の机の並びを避けて、一度廊下に出た。ドアは内ロックのタイプで開けるのは簡単だった。鍵もボルトもない。
ドアの上の表札を廊下から確認する。
一年一組。
キツネは音を立てないようにゆっくりとドアを閉じると歩きだした。
そして一秒で目当ての表札を見つけた。
二年一組。
びっくりだ。この学校は一年に一組しかないらしい。学校というのはもう少したくさん子供がいるのかと思っていたのでキツネは驚いた。
針金で外からドアを開けて、警備員さんがいないかどうか廊下の奥の方を見た。
ドアを開く。
教室は真っ暗だった。窓辺に遮光カーテンがかかっていた。キツネはまた机につまずいたりしないよう注意して歩いていくとカーテンの紐を引いた。
しゃっ、と、鋭い音をたてて遮光カーテンの一枚一枚が横向いた。
キツネは明るくなった教室で少しの時間を過ごした。
黒板のチョークの跡をきれいに横拭きにして、日直の当番の子の名前が書かれているところに意地悪ではない感じの、花とかの落書きをした。傾いた習字用紙を教室の後ろに見つけると、角っこの、なくなっている画鋲を随分苦労して見つけてあげた。
キツネはこのとき戸惑っていたのだと思う。
じぶんでも何をしているのかよくわからなくなっていた。
依頼主のことは、少しだけ知っていた。べつにわざと調べたわけではない。出会ったときに後をついて行ったので知っているだけだ。ふつう依頼主を尾行したりはしない。仕事上では依頼主と雇われ人はお互いのプライバシーを守るために関与しないわけで、というか知らない方がいいことしか、お互いに無いのだった。
でも今回、キツネは依頼主を知っていた。
それは、依頼主が、依頼主なだけではなく標的でもあったからだ。
お願いが叶って喜ぶ子を刺したらどんなに気持ちがいいだろう。キツネはそう思ったからだ。今もその計画は変わらない。
キツネは子供たちの机を漁った。
「おきべん」とくしゃくしゃのプリントと親に見られたくない感じの雑誌と給食で出たあんまりおいしくないパンとおいしくないパンが緑色になって新たな生命を育てているのがあった。
キツネは漸く目当ての机を見つけた。
なかはとても散らかっていた。大人しい顔して悪い点数のプリントとかたくさん隠していた。
机についたホックには巾着。いまどき巾着。
キツネはその菜の花色の巾着を手に取った。風呂敷みたいな素材だ。名前が小さく刺繍されている。
いかにも手作り、という感じに、キツネはすぐに思いあたった。
これはたぶん、おばあちゃんが作ったのだろう。
巾着の口を緩めて逆さまにする。
から、から、から。
また。
なにかが壊れる音がした。
机のうえに散らばったものをひとつ、手に取った。
白いボタン。
ワイシャツのボタンだ。たぶん。キツネは目を細めて机の上を眺めた。巾着のなかから出てきたボタンたちは色も形も様々なようだった。様々な人間のバラバラの服装から来ているみたいに思えた。けれど、今は月光を浴びて、どれも透明に光っていた。
いかにも集めました、という感じに、キツネはすぐに思いあたった。
これはたぶん、キツネにくれようとしたのだろう。
アカネちゃんの机の端に腰を下ろした。
この可笑しさは暫くおさまってくれず、キツネはそうしてずっと笑っていた。
笑い過ぎて頭が痛くなってきた。
から、から、から。
おもちゃみたいに小さくて脆い机の上でボタンを数えた。その四角い空間はキツネにお願いごとをしてくれる世界だった。夕日のなかでキツネを呼んだ世界だった。
――きつねさん、きつねさん
死にたいくらい優しかった。
キツネはボタンを一つずつ丁寧におばあちゃんの巾着のなかに戻して、ホックに提げると、夜の学校を後にした。
勘違いではないようだった。
やはり、仕事はまだ半分残っている。