きつねを探すおんなのこの話
以前違うアカウントで投稿したのですがどっかにいってしまったので再投稿です。
稲荷のお狐さまは、油揚げが好きなんだって。
教室の端っこの方から聞こえてきたその声に、私たちは顔を見合わせこっそりと笑った。
違うのに。
狐さんは油揚げなんか好きじゃない。
けれどすぐ、お互い視線を逸らし、ニヤける口元を掌の中に隠す。
私たちは知っている。
私たちだけが知っている。
あのきつねさんは――ボタンを食べるのだ。
雲一つない水色の空。
お日様の光が柔らかくて、温かそうで、昨晩積もった雪もきらきらしていて……まるで春の公園みたいな朝、おばあちゃんが死んだ。
それから、全部おかしくなった。
「今日もあの人たち来てたわよ!」
「仕方ないだろう、おばあちゃんが死んだんだからどうしたって――!」
お母さんたちは毎日毎日喧嘩するようになった。
家から出る時と帰る時は、何故だか狭い裏口を使うことになって、ぴかぴかだった赤いランドセルにはどんどん小さな傷が増えた。
お父さんは、ぺったんこのシュークリームを買ってきてくれなくなった。お母さんはせっせと集めていた “けんしょう”のハガキも出さずに、じいっと一人で座っている事が多くなった。
「おばあちゃんのこと、あなたがちゃんと見てなかったからなんじゃないの!?」
「だから! 俺はずっと同居した方がいいと言ってただろう!?」
「大きな声を出さないで、そろそろ茜が帰ってくるでしょう! だいたいね、あなたが――」
今日も、昨日も、その前も。学校から帰って来た茜を出迎える光景は、同じ。
(ぜんぶ、おばあちゃんが死んじゃったからだ……)
お父さんも、お母さんも、笑っていることより怒っていることの方がずっと増えた。
二人とも、上手に隠しているつもりかもしれないけれど、茜は、ほんとうは知っていた。
お父さんはひとりのとき、肩をまるくしてずっとため息をついている。
お母さんはひとりのとき、体を小さく震わせて泣いている。
それが嫌で嫌で悲しくて、ついに今日、茜は廊下にランドセルを放り出し、泣きながら走って家を出た。
(おばあちゃん……)
家の裏の畑をこえて、大きな広い川の近くに出る。
お日様がちょっと川のほうに傾いているような気がしたけれど、茜はかまわず、ずんずんとそのまま歩き続けた。
――谷田さんの畑を超えたところに、川があるだろう?
足が痛いから、と。
外に出る事が段々少なくなっていったおばあちゃんが、あの日、窓の外を眩しそうに眺めながら、ぽつぽつと話してくれたことを思い出す。
「あの川をね、ずぅっとずぅっと登って行くとね。七辻の赤い橋があるだろう? ――毎年、お正月にお参りに行くときに通っている橋だ。あの赤い橋と、逆方向の道を少し行くとね、大きなお山が見える」
「裏山のこと?」
そのころにはもう、おばあちゃんは一日中うとうとしている事が多かったのだけれど、その日は珍しく、何かを思い出したみたいにゆっくりとお話をしてくれたのだ。
「そう。あのお山のふもとにはね、お狐さまが棲んでいるんだよ」
「おきつねさま?」
「そう。茜、アカネ、良くお聞き。……どうしても、ほんとうにどうしても困ったときは、お狐さまにお願いするんだよ。そう、おばあちゃんも昔、助けてもらった……」
きつねさん。
きつねさんに、会うしかなかった。
ナナツジの赤い橋は遠いところにあって、とてもじゃないけれど一人で歩いて行った事なんて無かったけれど。
でも、おばあちゃんを助けてくれたきつねさんなら、きっと茜たちのことも助けてくれる。そうしたらきっと、お母さんたちも喧嘩をしなくなる。悲しいことは無くなる。
だから方法はもうそれしかなくて、茜はきらきら光る川の上の方にじいっと目を凝らした。
赤い橋が、小さいけれど、くっきりと見える。
(見えるんだから、すぐにつくよね)
だけれど、ナナツジ橋のたもとに着いたころ、お空の色はすっかり変わってしまっていた。
夕日が、べったり空をオレンジ色に塗っている。端っこの方は赤なのか黄色なのか白なのか、色々混ざったよく分からない色になっていて、茜はふと後ろを振り返る。
心臓が、びくりと縮こまった。
歩いてきた道の向こうのほうに、紫色の空がやって来ている。土手の背の高い雑草の影が、くっきりと黒く揺れている。
茜は急いで歩き出した。
(ナナツジ橋とは、逆方向! 裏山……!)
橋に背を向けた先は、あぜ道だった。わきにある田んぼの水が、オレンジ色の鏡みたいに光っている。
チカチカして、眩しい。でも、急がないと後ろには夜がある。
ぽつり、ぽつりと、道のはしの街灯が瞬きを始める。
裏山までの道を照らしてくれるはずのそれは、夕日の色に負けてふらふらしていた。良く見れば途中、電気が切れているものすらある。
それが、今やもう真っ黒な大きなお化けにしか見えない山のほうまで続いているものだから、茜はちょっとだけ帰りたくなった。
でも、だけれど、きつねさんを探さなきゃいけなかった。お母さんたちに笑って欲しかった。
だというのに全然さっきから、山に近づいている気がしない。
一度ずびっと鼻をすすった茜は、街灯の数を数えて歩くことにした。
そうすればきっと、ちゃんと山に近づいているかどうかも分かるし、帰る時にも困らない。だから、ぜったい、大丈夫。
(ひとつ……ふたつ……みっつ……)
そうして、8つまで数えたとき。
ばちばちと瞬く、切れかけた街灯の下に――茜はもぞもぞと蠢く、なにかの影を見つけたのだった。