ルシアの理由その1
それは一年ほど前のこと。いつものようにディールが寝ていた夕方のギルド、冒険者が依頼完了ついでにギルドで料理にありつく時間帯だ。
しかし今日に限っては、騒がしい日常に乱入者が現れたらしい。それは他地域にいた冒険者であった。
「ざっけんじゃねえぞ!この野郎!!」
「す、すみません!」
ルシアが転び、手に持った汁物をこぼしてしまい、それが一人の冒険者に当たってしまったという状況。身に着けた皮鎧にはしみがつき、そのことに怒鳴りつける冒険者。ルシアはただ平謝りしかできず、それを助けに行こうとするほかの冒険者はいない。
建前で言えばこの通りだが、事実は異なる。ルシアはその冒険者に転ばされており、偶然器が当たった、いわゆる自業自得状態。一部の冒険者は気が付いていたが、怒り心頭の男の腰には、軽い剣が二振り。恐らく前衛職だが、暴れられたらひとたまりもないことは知れている。わが身かわいく、下手に被害を食らいたくはないのだ。
そして、謝るばかりで押し問答な状況に冒険者の怒りが頂に達し、握りこぶしがルシアの頭上から振り下ろされる。ルシアは恐怖におびえて目をつぶっていた。
そこで割って入ったのがディールであった。寝ていたディールがいつのまにやら現れ、軽々と拳を受け止めたのである。
「…やめちゃあくれねえか、こいつも悪気があったわけじゃねえ。ここじゃあ暴力沙汰はご法度だしな…頭痛…」
「ああ…?誰だてめえ、邪魔すんじゃねえよ!」
余る手で殴ろうとして、ディールに掴み捻られて思わず苦痛の声をあげ。「放せよ!」との言葉そのまま手を離されて、つんのめった冒険者がさらに一喝されて怯んだ。
「冒険者はただ暴力をふるう職業じゃねえ。何かを守るためにあるべきもんだ!怒りに身を任せた奴は獣となんら変わらねえよ、自分で制せねえ奴は出直してこい!」
「っ…!俺が、獣同然って言いたいのかよ!?くそ、くたばれ!」
体制を整えた冒険者が、ついに一対の剣を抜いた。ざわめきだすギルド内に更に怒りをあらわにして、ディールに切りかかる。
対するディールは、後ろに身を下げつつも面倒そうに魔法を使用した。
「はあ…光よ、守れ『縛界』」
一撃目の右手が空を切り、二撃目の左手が手ごたえ無しに振るわれて、三度目にして当たるかといったところ。
淡い光が冒険者にまとわりついて動きが止まり、腕が締め上げられたのか、剣を手放した。金属の鳴る音と苦痛の声にディールは肩をすくめた。
「でづっ!?だ、ぐうっ!な、なんだごれ!?」
「拘束だ、一分で解ける」
ディールが興味なさげに酒場へと戻っていくと、席に座って大声を上げた。
「冒険者ども、仕事だ!そいつ一番に兵士詰め所に連れてったやつに銀貨一枚くれてやる!とっ捕まえろ!後ルシア、エール一杯な」
その声を皮切りに、ギルドはちょっとした騒ぎになったという。
因みに銀貨一枚の臨時収入は、騒ぎを大声で押しとどめた後に事情聴取やら何やらを済ませて詰め所に連れて行った、ギルドマスターにわたった。
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「その日も含めて僕は、彼についていこうって思ったんだ。なんでだらしなくなったのかはわからないけど、根が優しい人だから」
「ははあ…?」
ルシアは、眠るディールの髪をなでながら語り終えた。ああなったとは、定着しているさぼり癖らしきものだろう。
彼女曰く、肌触りの良い髪の毛がお気に入りなんだとか。エンジェルリングの浮かぶさまは、着るのが黒い毛皮の古びたコートと、同じような有様のズボンでなければ、後は黙って姿勢正しく立っていれば、天使と見まごうであろう。
私は相槌を打ったはいいものの、浮き出た疑問により語尾に疑問符がついてしまう。
「…その、この人の過去に何があったかは、知らないんですか?」
「うん、そうだよ。一年前にあったときはもうだらしない人だったし、彼を一年前以上からよく知っている人はいないんだ。彼も自分語りは苦手らしいし」
若干悲しそうに呟き、空になったジョッキを片付けながらも髪を梳いていた。さながら世話を焼く母親の様に。
「…偶に女の子らしくなりますよね、ルシアさんは」
「そ、そうかな…でも、彼の恋人になれたらうれしいけどね」
顔を赤らめて言う姿は、男の子のはずが中性的な顔立ちのおかげで、正しく恋する乙女だった。一言で自分まで恥ずかしくなってしまい、熱くなった顔をそむけた。
まあ、男性同士が結婚するのはどうかとは思うが…
と、ルシアが時計を見つめ始めた。
「どうしたんですか?」
「いや…そろそろだなって思って。僕の勤務始めの時間と、君が休憩してから休憩の範疇にある時間が経つまで」
「…あっ」
受付を見れば、先輩受付嬢が手招きをしていた。そちらへ頷いてから、ルシアに礼をした。
「えと、色々教えていただき、ありがとうございました!私は仕事に戻りますので!」
「あはは、急ぎすぎて転ばないようにね」
と言われつつも駆け出し、危うく転びかけた。
先輩二人は苦笑いをしていたのだが、そこまで私は危ない人なのだろうか。