ヘカーテ
ヘカーテは4つの塔の一つの旅人の塔の主たるのマイヤー家の庶子であり、アルテミスの1歳年下に当たる。彼女はその生まれゆえに旅人の一族から疎外され、満足な魔術などの時計塔の一族としての教育を14まで受けていなかった。当時15歳だったアルテミスがそんな彼女に出会ったのは旅人の塔の大書庫においてだった。
旅人の役割は主に世界の情報の収集や科学研究であり、王立魔術学院でいうところの理学科と聖典教理科の一部に相当する分野の担当であった。そのため、旅人の塔には大陸で最大の図書館である「大書庫」が存在する。当時15歳のアルテミスはすでに自らの師などおらず、大書庫の書物を読んだりしながら自分の研究をしていた。その時に彼女の目に留まったのが大書庫で本を探すヘカーテだった。
「どの本がいいのかな?」
そう言いながら、何かを探すヘカーテにアルテミスが声をかけた。
「何をしているのです?」
「っ!」
話しかけられて振り返ったヘカーテは驚き、そのあまり声にならない声を上げた。
それもそのはず、後ろにいたのは時計塔の一族で大して身分の高くない彼女でも知る、わずか15にして時計塔で最も優れた魔術師として名をはせ、知性と美貌を併せ持つ時計塔が最高傑作、アルテミス=ヒューレン=リーゲン=ディートリヒ本人であったからである。しばらくして気持ちを落ち着かせたヘカーテはアルテミスに話しかける。
「おはようございます、アルテミス様 このような私が話しかけていただけるとはとても光栄です。恐れながらお尋ね申し上げますが、なぜ私に声をおかけになったのですか?」
アルテミスが優秀である一方で他人に興味を持たないことは時計塔内でも周知の事実であったため、ヘカーテは大した立場も実績もない自分がアルテミスに話しかけられたことにひたすら驚いていた。そのようなヘカーテに対し、アルテミスは凛として、しかしどこか興味深そうにヘカーテを見て話し始めた。
「あなたがとても興味深い人だったからです。あなたの体はしなやかだけれども、女性で、しかも時計塔の人間であるのに剣でもやっているかのような体つきと振る舞いをしています。それに、私はこの場所で私と同年代の人間をあまり見たことがありません。なぜ、あなたはここにいるのです?」
そう聞かれたヘカーテはアルテミスに自分のことを語り始めた。
ヘカーテは当代の旅人の当主が外で作った子供であり、彼女の母は若くして亡くなったため5歳のころに旅人の塔に引き取られた。しかし、半ば強引に関係を迫り、結果として生まれた彼女を父であるマイヤー家の当主は彼女を大事に思っているとはいいがたく、使用人同然に育てられた。そのようであるから、魔術に触れる機会など六になく、幼く母の影響で体も丈夫なわけでもないヘカーテはただ疎んじられていた。そんなある折、塔がにいるのが嫌になった彼女はこっそり抜け出してリーゲンの街に行き、そこで誘拐されかけた。いくら疎んじられていたとしても時計塔の関係者としてそれなりの服装であったため、身代金などが取れると思われたのだろう。そんな彼女を助けたのは1人の剣の使い手である壮年の男性であった。
曰く遥か東宝の国の出身だという彼は、故郷から修行と自らの剣術を高めて広める旅に出た彼はリーゲンで道場を開いた。彼と知り合った彼女は自らの正体を隠して彼を支障と仰いで、教えを受けた。魔術も教わることができない中で、立場の弱く丈夫でもない彼女が身を守るには、体を鍛えて剣を身につけるほかないように当時の彼女は思った。彼は、ヘカーテがそこらの町娘ではないのだろうとわかりながらも、何か事情があるのだろうと思い教えを授けることとした。教えを受けるにつれて徐々に頭角を現した彼女は14で道場で有数の実力を身に着けた。時計塔の者は彼女がたびたび不在なのを知っていたが、はなから彼女をどうでもよく思っており、誰もわけを探そうなどと思わなかったし、彼女は剣を学んでいることを隠していた。
そうした中でも魔術への欲求は捨てられず、教えを受けられないのならば自ら学ぼうとして大書庫で本を探したが、何をどうすればいいのかが彼女にはさっぱりわからなかった。
彼女の身の上話を聞いたアルテミスは彼女に対してこう答えた。
「ならば、私があなたの魔術の師匠になってあげる」
「はい?」
思いがけない答えにヘカーテは驚いた。
「なぜ私程度を弟子になどしてくださるのですか?私は魔術を全く存じませんし、アルテミス様とそれほど親密になれるほど身分は高くありません。」
思わず質問し返してしまった彼女に、アルテミスは笑みを浮かべて答えた。
「身分などどうでもいいの。あなたは私の教えを受けるだけの才能があるし、信頼するに足る人間だからよ。ほかの愚物どもが何と言おうとどうでもいい。私はあなたが欲しいの。」
そう言われたヘカーテは何とも言えない高揚感に包まれた。彼女は時計塔において、今まで誰かに望まれたという経験がなかった。しかし、アルテミスはヘカーテを評価し、ましてその存在を望んだのである。そうして、彼女はアルテミスの一番弟子となった。