苛虐の女帝
時計塔は、学院がある大陸から西の海に突き出たヴィントラント王国のある半島の付け根付近、王国とは半島付け根の南側の隣国であるシノン王国との境に両国を隔てる地域であるリーゲンに存在する。この場所は古くから港町として栄えているが、地域で最も有名なのは時計塔である。管理人一族の家名は時計塔のあるリーゲンに由来する。
「時計塔」は初代の管理人によって世界の秩序を維持するために作られ、周囲の4本の塔と中心の1本の大きな塔からなる。4本の塔のうち北東の塔を管理するのが月読み、北西が星読み、南西が司書、南東が旅人と呼ばれる各塔の主人たちであり、彼らを統べるのが中央の最も高い塔「時の刻み手」の主人であり、この主人は「時計塔の管理人」と呼ばれる。また、時計塔は世界で唯一、世界の「観測」と呼ばれる予言を行うことのできる組織であり、ほかの予言者が登場して歴史を改変しようとするのを防ぐ役割があった。代々の管理人は自らの使命を、唯一の時の管理者として未来をよりよく導くものと考えていた。過去は不変であるが、未来は多くの選択による可能性が残されており、観測の結果は神の導いた最も可能性の高い未来のことである。彼らにとって時計塔の大時計は自らが唯一の時の管理者であるということの象徴であった。そして、時計塔の管理人は「時告げ人」と呼ばれる暗殺者部隊を有していた。この部隊の役割は世界の秩序維持を妨げるものを抹殺することであり、世界随一の暗殺者集団であったが、平民から王侯貴族までその存在を知るものはいなかった。
初代の管理人は時計塔を作り、亡くなった際に、一人息子を中央の時の刻み手、4人の娘を周囲の4本の塔の主人とした。主人の地位は代々彼らの子孫に受け継がれており、一族の歴史は大陸に存在するどの国よりも古く、起源は神話にまでさかのぼる。伝承では地上の降臨した知の神であり時の神でもある神サトゥルナーリアの4代目の子孫が、時計塔の住人に始祖と呼ばれる初代の管理人である。そして、始祖は世界を観測してその秩序を維持するために神の降臨した知に時計塔を築き、人々はその土地を中央の塔にあやかり刻み手の地と呼んだ。
しかし、人々は時計塔が未来を観測していることを知らない。人々にとって時計はこの世界の不変の法則の象徴であった。現に知の神の子孫たちである時計塔は、世界の法則たる魔術の研究を行っていた。魔術の研究において時計塔は他の追随を許さない圧倒的な実力を備えていた。そもそも魔術とは、知の神が世界に干渉するために生み出した手段であり、世界の法則に触れることのできる数少ない手段である。
時計塔は絶大な力を有するが、世界の観測に専念するために周囲に対する領土欲を持たず、外界への不干渉を貫いた。しかし、20代目の管理人の時代に刻み手の地の森の異変に対し、その解決に協力した青年が建国したのがヴィントラント王国に対して、当時の管理人は保護を授けることとした。そして、先代である父の死に伴い就任した52代目の管理人がアルテミスの父であるヨーゼフである。そして父の死ぬ間際、次のような観測結果が時の刻み手の東西南北を向く大時計の文字盤の下にある神殿にもたらされた。
神下るときより56世、大陸に大戦乱をもたらす苛虐の女帝が現れ、多くの民草が死に至る
ヨーゼフの就任の10年前、王国には一人の王女が生まれていた。彼女は国王の一人娘であり、国王に溺愛されていた。これを受けて、ヨーゼフは王女の殺害を考えたが、20代目が王国に庇護を与えたことと一人娘を愛する国王を思う人の情故か、時計塔内で多くの反対があり、決断できずにいた。そこで、彼は4人の塔の主人たちと議論して対応を決めた。彼らは時計塔から監視者を派遣して王女を観察し、王女が真の苛虐の女帝ならば殺害すると決定し、ヨーゼフの娘アルテミスを王国へ派遣することを決めた。