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救い

 眩しい。


 朝日だろうか。闇の中に一筋の光が走り、僕は意識を取り戻した。


 空は青く澄み渡り、太陽が地面一体を照らし出している。


 地下室が、完全に崩落したらしい。館も半壊。だから太陽が望めるのだろう。僅かばかりに残された壁が、所在なさげに残されている。


 「……生きてる」


 爆発が原因の瓦礫に、体を潰されるかと思っていたのだが。いずれにせよ、よく生きているものだ。


 しかし、やはり体に大きな負担がかかったようで、あちこちが痛む。


 頭からは出血してるし、脇腹の骨が呼吸するたびにズキズキと鈍痛を発する。感覚から、骨にひびが入っているだろう。


 身を起こそうとして、僕は気づく。


 右腕が、大きな岩の下敷きになっていた。


 「あ……」


 痛いというより、熱い。けれど指を動かす感覚はなく、もう腕は駄目だろうと判断した。


 「どうしよう、これ」


 顔を歪め、必死に痛みに耐える。こんな痛みを味わうくらいなら、いっそ殺してほしかった。


 いや、死んだほうが賢明だ、僕なんて。


 晴美たちを利用し、疑心暗鬼に陥りミツキを殺めてしまった。ミツキの死体はすでに瓦礫の下にあるせいか、姿は見えない。


 残された左腕だけで、右手を押しつぶしている瓦礫をどけようとしたが、ほんのわずか浮き上がるだけで、うまく腕を外すことができない。


 それどころか、痛みがさらにひどくなっていく。


 これも、因果応報というやつか。僕はあまりにも人を傷つけすぎた。


 ……晴美たちは、無事に逃げ切っているだろうか。


 「……まあ、大丈夫か」 


 先ほど避難していたし、よほど下手な真似をしていなければ、きっと生き残っているだろう。


 晴美君も、きっと。


 どうして、あいつは僕を救おうとしたんだ。普通だったら有り得ない。僕は彼女を殺そうとしたのだ。なのに……。


 「晴美君……」


 こういう末路が僕にはお似合いだ。大切にしてくれている人を、ことごとく裏切る。あの裏切った村人たちを、僕はけなす権利がない。


 晴美は、ここにきてからずっと僕を助けてくれた。


 初めて会った時、階段で転んで動けない僕を助け、黒い影を殺した。


 ボーガンの矢を、僕をかばって肩にくらった。


 トイレではぐれた時に、死に物狂いで僕を探してくれた。


 僕が僕である記憶の断片に悩まされていると、晴美は優しくフォローしてくれた。


 僕が何もできない無能で、ただの足手まといであることを否定して、そばに居続けてくれた。


 晴美に、僕は何か返すことができたか。


 何も返せず、ただ、彼の命すら奪おうとした。


 涙が溢れる。自分を愛してくれた人々を、自ら壊してしまった愚かさに。今度こそ、完全な孤独になってしまったことに。自業自得、相応の報い。けれど、そんなんじゃ割り切れない悲しみ。


 残った左手で、僕は目をごしごしと拭く。涙は、後から後から流れる。


 「ごめんなさい、みんな……ごめんね、ミツキ……」


 嗚咽が混じり、血だまりの上に涙が浮かび、やがて同化した。


 再び、僕は一人になる。一人で生き、一人で死ぬ。


 一人で、僕は―――。





 パキパキ。





 不意に、足音がした。物音ひとつないこの空間で、瓦礫を踏みつけ、パラパラと小石が地面をはじく。


 空耳じゃない。誰かが、僕に近づいてきている。


 視界の隅に、制服のズボンが映る。


 血に塗れた服。傷だらけの手足。荒っぽい呼吸音。


 どうして。


 いつのまにか、そう呟いていた。


 どうして、彼が。


 僕は、彼を裏切ったのに。


 「どうして」


 僕の言葉に、晴美は微笑みを浮かべた。


 「何泣いてるの。若葉」





 僕の右腕を潰していた瓦礫を、彼は簡単に持ち上げた。


 「ひどいな。ぐちゃぐちゃだね」


 僕の腕を見、晴美は顔をしかめる。


 「報いだよ、これは」


 骨は完全に砕けているだろう。出血もひどいし、皮膚も紫がかっている。最悪切断だろうな、と僕は他人事のように思ってしまう。


 「指、動くか?」


 「無理。神経がつながっていない気がする。痛いだけの塊」


 「そうか。一刻も早く、脱出しないとね」


 「……できるの?」


 「ああ。蔵書室の壁が崩れて、下に大きな鏡があった。そこに渦が巻いてる。恐らく、そこから飛び降りたら現世に戻れるんだと思う」


 園村が言っていただけだけどね、と晴美は僕の左腕を肩に回す。


 「行くぞ」


 「……どうして僕を助ける」


 疑問だ。理解できない。彼の頭はおかしいのではないか。


 「いまさら何を言ってるの」


 晴美は僕の歩調に合わせながら、もともと地下だった場所を歩き続ける。


 「好きだからに決まってる。若葉を置いていけるはずないだろ」


 「僕は、お前を殺そうとした」


 「黒い影に殺されかけた時、助けてくれただろ。それに今のお前には殺せない。大体、君がいない人生に価値なんてないよ。愛してるんだから。殺されたって構わない」


 「……僕は、男だよ」


 「性別なんて関係ない。僕は若葉に恋してるんだから」


 天然の階段を上り、一階に出る。


 「覚えてるかい、若葉」


 痛みもこらえるのを慣れてきた頃、晴美はポツリと語りだした。


 「何が?」


 「僕が一人だった時のこと」


 晴美に言われたけれど、僕は思い出せない。そもそも、晴美との接点は昨日カガミ様に誘ったのが初めてだったはず。


 「ごめん、覚えてない」


 「そう。……僕はね、クラスに友達なんていなかったら、ずっと一人だった。誰かを期待しないで、それどころか好き勝手してきた。体育祭も、僕はずっとさぼりを貫き通して、屋上とかで暇をつぶしてた。その時に来たのが、君だよ」


 あれか、と僕は思い出した。


 あの時、クラス対抗リレーの時、一人だけいないことに僕は気づいた。一応クラスメイト全員の名前を把握していたこともあり、晴美を見つけようと校舎を散策した。


 そして、屋上に彼はいた。


 ひどく、寂しそうだった。


 「誰かと同調することができないから、周りから人を遠ざけてきた。そうしないと自分が壊れてしまう。孤独につぶれてしまうから。けど、君は僕にいつも話しかけてくれた。正直、どうしてそこまで構うのかってむかついた。一人になることは耐性が必要なのに、こんな一時の気まぐれの会話だけでそれを下げることになるから」


 体育祭は、結局出席しなかった。けれどそれから僕は彼が孤立していくのをただ黙って見つめることなどできなかった。僕は体育祭後も、なるべく彼に積極的に会話を広げようとした。ほとんど彼から会話を打ち切られた記憶がある。


 晴美の告白は続く。


 「けど、いつからだろう。いつの間にか、君が話しかけてくれることが当たり前になって。僕なんかに話しかけてくれたのは、若葉だけだった。若葉だけが、僕を見ていてくれた。ずっと一人に慣れきってた僕を救ってくれたのは、まぎれもない若葉だった。二年生になってからは君も友達が増えて、その関係はなくなったけど、それでも嬉しかった」


 「だから、僕を好きになったの」


 「ああ。……単純だと自分でも思うよ」


 照れくさそうに晴美は笑う。


 「僕は大した人間じゃない。特技だって何もないし、劣等感に日々苛まれる日々だ。だから、こんな風に愛を注ぎ続けることしか、好きな人と一緒にいられる方法が分からなかった。だから、こうなっちゃった。若葉の恋心は次第におかしくなって、若葉の邪魔をするものすべてが憎くて殺したくて。若葉を独占したい、若葉の一番そばにいたいという気持ちが強くなっていった」


 「だから、ああいうヤンデレになったんだ」


 「うん。若葉は、僕の命よりも大事な人なんだ。だから、殺されたって恨まないし、君のためならなんだってできる」


 若葉が、僕のすべてだから。


 「どうして、今それを話すのかい」


 「さあ。けど、今はなさなきゃいけない気がしたんだ。だから、話した」


 「……趣味悪いよ、晴美君。僕、男なのに」


 「そうかもしれないね……。さあ、もう少しで蔵書室だ」


 すでに僕らは館の二階に差し掛かっていた。





若葉からしたら、階段はひどく堪えるらしい。顔も青白いし、早く休ませたい。彼女の右腕から流れ落ちた血が、点々と晴美たちの歩いた通路に滴っている。


 息も絶え絶えな若葉を運びながら、ようやく晴美は、司書室に到着した。


 入り口には、双眼を失った女子生徒の死体が転がっている。琴音の姉だ。


 「貴方の妹さん、今から現世に帰るから」


 ぼそりと若葉が呟く。


 蔵書室には、琴音と赤座、大樹がいた。崩壊はここにも及んでいたらしく、屋根と壁の多くが欠損していた。本棚も無造作に倒れており、本がばら撒かれている。


 「……! 若葉ちゃん!」


 琴音が立ち上がり、若葉に駆け寄ってくる。


 「園村さん」


 若葉が困惑気味に反応したときには、既に琴音が彼女をきつく抱きしめていた。


 「よかった……本当に良かった……。生きててくれて……!」


 涙声になる琴音に、若葉はただなされるがままに抱擁を受け続ける。


 「……! 腕、大丈夫なの」


 「心配ない。……どうして、そこまで心配してくれるの。僕は――」


 「心配するに決まってるでしょ! 友達が爆発に巻き込まれたんだよ! バカじゃないの!」


 晴美にかまわず、晴美の胸元に顔を押し付け、涙を流す彼女。


 晴美は二人から離れ、蔵書室から壁が消えた場所から地面を見下ろす。


 地面には、巨大な大鏡があった。校舎のグラウンドほどの大きさの、けた外れに大きな鏡の奥には渦が巻かれており、まるで晴美たちを待ち受けているかのようだった。


 「ここから、飛び降りるのか」


 ぐらぐらとする地面。正直、躊躇したい。普通二階から飛び降りろなんて言われたら恐れるだろう。まさにそれだ。


 「……聞きたいんだけど」


 いつの間にか横にいた若葉が、晴美の手を取る。彼女の手は暖かく、女子特有の柔らかさを持っていた。


 「園村はいいのか?」


 「うん。……いい子過ぎるよ、あの子」


 琴音は赤座とわちゃわちゃと何か話し始めている。


 「これで、帰れるんだよね、僕たち」


 「ああ。もちろん、若葉も一緒に」


 晴美は若葉を見つめると、彼女は視線を下ろす。照れているのかな。まあ、そういうところも可愛いけれど。


 「僕は、ミツキにひどいことをした。ミツキは、ただの被害者だった」


 「……否定はしない。けど、ミツキはお前のことをずっと待ってたんだ。だから、黒い影だらけの地獄みたいな場所に一人とどまっていた。……再開は最悪だったけど、ミツキはきっと、幸せだったんじゃないかな」


 「それは都合のいい解釈だね。……そうだといいけれど」


 生ぬるい風が、晴美らの間を吹き抜ける。後ろから、大樹の荒々しい声がした。どうやら、全員蔵書室にそろったらしい。


 「きっと、僕は地獄行きだろうね。黒い影を作りだして、数えきれない人を間接的に殺してきたんだから」


 「なら僕も地獄行きだ。黒い影を沢山屠ってきた。……死んでも、来世だって一緒だ。絶対に、一人なんかにさせない」


 若葉は一瞬目を丸くしていたが、やがてバカみたい、と笑いながら呟いた。


 「それと、これ」


 若葉に、晴美は人形を渡す。必死に皆でかき集め、パーツを継いだ、兎のぬいぐるみ。


 「……懐かしいな、僕が、ミツキにプレゼントしたものだ」


 「そうだったんだ」


 「必死に縫い合わせて、ミツキのために作った。誕生日だったから。……永影呪縛が発動したとき、せめてもの腹いせにバラバラにしたんだろう」


 若葉は大切そうに兎のぬいぐるみを抱きしめる。ありがとう、と唇が動いたのは、晴美の見間違いか。


 結局それは、脱出に関係ないものだったんだ。


 「ねえ、晴美君、嫌だったらごめんね」


 「なにが――」


 そこまで言いかけ、晴美は一瞬言語を忘れた。


 晴美の口元に、若葉の口があったから。


 キスと気づいたときには、既に若葉は離れていた。数秒にも満たない時間、誰も晴美らを見ていない瞬間を見計らったキス。思考が止まった。柔らかい唇の感触が、遅れて体を駆け抜ける。


 「ありがとう、晴美君」


 飛び切りの笑顔を見せる若葉に、不覚にも晴美はきゅんと来てしまう。


 「若葉――」


 「よっしゃ! 皆そろったな!」


 大樹がパンと両手をたたいた。


 「さて、戻り方はあのテープに言ってた通りだ。あの渦巻いている鏡に、一人一回カガミ様と唱えて、一斉に飛び込むんだ。そうすれば元に戻れる」


 大樹が説明し、大鏡が浮き出ている場所に立ち、地面を見下ろす。


 「本当に、大丈夫なんだよね」


 「ビビってるのかよ赤座。大丈夫だって」


 「正確な戻り方なら、きっと大丈夫、だよ」


 そういう琴音の両足は震えている。それは晴美も同様だ。怖い。


 「……来た時みたいに、手をつなごう」


 若葉の提案を拒む者はいなかった。


 大樹、赤座、琴音、晴美、そして若葉の順に手を取り合う。


 「さて、じゃあ、言うぜ」


 大樹は大きく息を吸う。


 「カガミ様」


 赤座はごくりと息をのむ。


 「カガミ様」


 琴音は薄く目に涙の膜を張りながら、か細い声で呟く。


 「カガミ様」


 晴美は若葉を見る。彼女と目が合い、にこりと笑いかけてきてくれた。


 「カガミ様」


 若葉は、抑揚のない声で言う。


 「カガミ様」


 一瞬の沈黙の後、そのまま晴美達は飛び降りた。


 見る間に地面が近づいてくる。ぐるぐるとした渦が近づいてくる。


 これで、帰れる。


 たった数時間の攻防。けれどそれは、晴美たちの心身を大きく疲弊させたから。


 ようやく、僕たちは――。


 そう思った瞬間、晴美は気づく。


 晴美の右腕が、やけに軽かった。


 しかも、腕をつかんでる感覚がない。


 そこには、若葉がいたはずなのに。


 首だけ振り返り、晴美はあっと声を漏らした。





 晴美たちが飛び降りた場所に、若葉が立っていた。





 彼女は軽く片手を振りながら、落ちていく晴美らを見守っていた。まるで、バイバイと言いたいように。


 「若葉――」


 どうして。


 若葉は、綺麗だけれど、悲しそうな笑顔のままだった。


 助けようと思う時間すら、現実は与えてくれなかった。


 瞬間、強烈な睡魔が晴美を襲った。視界がぐるぐると歪み、意識が失われていく。


 何か手を打つ暇などなく、晴美の意識は、暗い闇の中に溶けていった。


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