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始まり

 惰眠から覚めるように体が怠く、節々が痛い。地面に直接横たわっていたからだろう、頭蓋骨が膨張したような頭痛がする。軽い嘔吐感を押さえこみながら、大の字になって真黒な天井を見上げていた。地面が湿っているからか、背中がじんわりと冷えている。


 やがて、ゆっくりと背を地面から離し、皆川若葉はこらえきれずに頭を抱えた。


 脳に異物が詰まったような、不快な感覚。壁にもう片方の手を当てて寄りかかり、それに耐える。


 ようやく症状が和らいできた今、若葉の思考がようやく動き出した。


 「ここは、どこだろう?」


 ちっとも思い出せない。なんで私はここにいるのか……。あたりを見渡しながら、若葉は先ほど寝転がっていた地面を見やる。


 時代に見合わない、木造だった。木材の独特な臭いが鼻をかすめる。おまけに腐っているのか、あちこち穴があいている始末で、ひどく湿っている。視線を伸ばした先には、まっすぐ続く廊下。闇のせいで奥が見えない。


 「……なんなの、ここ」


 一歩踏み出すと、何かを蹴った感触があった。下を向くと、小型のペンライト。まぎれもない、若葉の所有物だ。


 「肝試しにでも来てたのかな、私」


 一人愚痴て、屈んでペンライトをとった時、自分のほっそりとした手首に、人の掌の形をした痣があることに気づく。よほど強く握られたのだろう。黒々と浮かんでいるそれに、若葉は戦慄する。なんでこんなのがついているのか、到底理解できなかった。


 「なに、この痣……」


 途端に、ズキリとひときわ大きい痛みが頭をよぎり、思わず眉をひそめてしまう。ガンガンとバットで殴られたような衝撃。今まで感じたことのない痛みだ。


 「ああ……い、痛い!」


 呼吸音が荒くなっていき、嫌な汗が背中を濡らす。記憶にかかった霞が徐々に消えていく。


 激痛がピークに達したとき、突然霧が晴れたように、若葉は『全て』を思い出した。


 「……そうだ、私は――」


 目を見開いた若葉の口から、静かな声色がこぼれ落ちた――。





 「ねーねー! 琴音ちゃんと入江! カガミ様の噂、知ってる?」


 話の発端を担ったのは、若葉本人だった。


 放課後、教室に残っていたのは、若葉含む、吹奏楽部の三人。部活はとっくに終わり、さあ帰ろうとしていた時のことだ。開け放たれた窓からは蝉の鳴き声が吹き込まれ、湿気を伴う暑さが教室を支配していた。


 「カガミ様? 知ってるわよ。学校で大流行してるじゃない」


 ハンカチで汗を拭いながら、園村琴音は机に座り、細い脚を組む。腰までの黒髪、切れ長の瞳は、一見冷徹そうに見えるが、とても情にもろい人で、若葉の大親友だ。


 「それに、学校だけじゃなくここら一帯で有名な話でしょ。カガミ様」


 「なんだよカガミ様って」


 意味分からんと首をひねったのはクラスのムードメーカーの入江大輝。パンチパーマがかかった髪に、だらしなく制服を着崩した少年だ。


 「まさか知らないの? 入江」


 「そういう噂には疎いんだっつーの。で、どんな話なんだよ、皆川」


 口をすぼませた大輝は琴音を無視し、ズイッと体を前面に押し出した。


 「夜の十二時ぴったりにこの学校の四階にある大鏡に、四人が手をつないで、『カガミ様』て四回唱えるとカガミの世界に行けるんだって!」


 「はっ。なんだその陳腐な噂話」


 「陳腐って……噂話なんてどれもこれも陳腐でしょ~」


 思わず憤慨する若葉の横で、琴音は小さくため息を漏らした。


 「で、それがどうしたの? まさか私たちで実行したいとか言い出すことはないでしょうね?」


 「さっすが琴音姐さん! よく分かっていらっしゃる。楽しそうじゃない、こういうの!」


 若葉が手を打つと、また始まったよ~と言う苦々しい顔を返された。


 「あなたね~、いつも何かしら突発的に行動して失敗するわよね。学んだら?」


 う……それ言われると弱い。


 「でもよ~実行するとしても俺ら三人だぜ? 他に一人いねーと駄目なんだろ~」


 「いいじゃん! ほらー入江、琴音ちゃんがいれば嬉しいでしょ?」


 「んな! お、お前なに喋ってくれちゃってんの!」


 分かりやすく顔を真っ赤にする大輝に、琴音はもう少しそういう事情は隠したら、と呆れている。ちなみに大輝は一度琴音に告白し、見事に撃沈していた。未だに未練を引きずっているらしい。


 「んなのはどーだっていいんだ。つーかもう一人必要なんだろ!」


 「そうなんだよねー……」


 わりと考えながら教室を見渡すと、ちょうど教室の端で読書をしている少年が視界に映った。


 クラスメイトの榊原晴美。


 「ねえねえ、榊原君! ちょっといい?」


 考える前に体が動いていた。すぐさま彼の正面に回り込むと、晴美はちらりと視線だけを上にあげた。


 目元までかかった茶髪に、もの言いたげな半開きの唇。知的な印象を与える、静かなまなざしが印象的な少年。ちなみに読んでいたのは数学の参考書だ。


 「……何?」


 表情を崩すことなく聞き返す彼。かなりイケメンで四月ごろは持て囃されていたのに、このクールな対応のおかげですっかり孤立している、そんな人だ。


 「今日の夜十二時、カガミ様の儀式しない?」


 「カガミ様? ……どうしたの、急に」


 怪訝そうに彼は若葉の瞳を捕らえる。


 「今三人やる人集まってるんだけどさ、あと一人足りないんだ~。よかったら一緒にやらない? カガミ様」


 「ちょっと若葉ちゃん、私もやる前提で話してない?」


 突っ込む琴音に、やろうぜ~と陽気に勧誘すると、彼女は仕方ないわねと軽いため息をついた。琴音は、若葉には甘い。


 「そういうことで、一緒にやらない? 榊原君!」


 「……いいよ。夜の十二時ね」


 若葉の勢いもあり、彼は無表情のまま、とんとん拍子に承諾した。その後がたんと席を立った彼はサヨナラも言わずに教室から出て行く。


 「……おい、お前榊原と知り合いなのか?」


 振りかえると、大輝にしては珍しく、神妙な表情を浮かべていた。


 「ううん。別に。でもさ、この際だから彼とも仲良くなりたいんだよね~」


 自分の長所は誰とでも仲良くなれる所だと若葉は自覚している。それはクールな晴美でも例外ではない。


 「あっそう。ま、それはいいんだけど、ねぇ」


 大輝は軽くうなずきながら、それでも少し腑に落ちないような表情をしていた。少し変だなとその時は思ったものの、やがて下校時刻を告げるチャイムが、その思考を打ち切らせた。



 夜。


 制服のまま、若葉は家を抜けだし校門前に到着した。空には月はなく、黒に近い灰色が埋め尽くしており、繁華街から遠いここは静寂に包まれている。そんな中、すでに琴音や大輝、そして先ほど――強引に――誘った晴美が学校の前で待機していた。琴音は大輝をいじって楽しんでる。晴美は平常通りの、涼しげな表情。いずれも制服であり、大輝はワイシャツの第二ボタンまでが外されていた。


 「若葉ちゃん遅い。言いだしっぺが一番遅くてどうするのよ」


 若葉の存在に気付いた琴音が真っ先に咎める。


 「ごめんね~琴音姐さん! さて、出発しましょ!」


 ポケットの中からペンライトを取り出しつつ謝罪する。晴美は黙ったまま、ちらりとこちらに視線を配っただけだった。




 暗い校舎は見知っているはずの場所を一転させていた。壁に貼られている明るめのポスターがやけにイレギュラーな存在を放っており、どこかちぐはぐしてる。そんな異様な空間は、決して若葉にとって慣れる類のものではなかった。


 「というか、どこに入り口のカギを隠していたんだ?」


 「裏庭。枝が多いし、隠しやすいポイントだよ。木の葉は森に隠すという諺があるけど、私は枝を森の近くの土に隠すタイプだから」


 「若葉ちゃん、くっつかないでくれる? 暑苦しいわ」


 「え~」


 こんなノリノリの雰囲気だからか、若葉は露ほど恐怖心を覚える事は無かった。


 「榊原君は怖くないの? こういう感じ」


 ずっと会話に加わらない晴美に話を振るが、晴美はちらりとこちらを見ただけで。


 「別に」


 手短に会話を切られた。数秒ほど、気まずい空気が流れる。


 「そういえば、この儀式を試して行方不明になった人が昔からいるらしいわよ。いずれもこの学校の元生徒。表沙汰に放っていないけれど、ネットでは有名な話みたい」


 取り繕うように琴音はそう説明した。


 「行方不明? それ俺らもやばいやつじゃねーの?」


 「もともとこの儀式、昔の事件がモデルになっているという話があるから、ひょっとしたら、ね」


 琴音の情報に大輝は苦虫をかみつぶした顔をした。


 「今からでも引き返さねーか?」


 「まさかビビってるの~入江」


 「んな! ビビってるわけねーだろ!」


 「そんなんじゃ琴音ちゃんに幻滅されるんじゃない?」


 「てめぇ絶対いつか殺す」


 心外だと言いたげにそっぽを向く彼が少し可愛い。こういういつもと違う空間といる中で、変わらない琴音や大輝が、若葉は好きだった。


 四階の踊り場。若葉らが登ってきた階段の真正面にあるのは、噂で広まり有名になった大鏡。どこかの館から持ちだされたと言われる、由緒正しい(?)品物らしい。横に四人並んでも途切れることなく映る広さ。黄金色に装飾された縁は、ペンライトに反応しキラリと光る。


 綺麗な銀色の鏡は、若葉ら四人を一糸違わず写し取っていた。


 「ついたね、大鏡」


 鏡に映る自分は、やけに表情が引きつっていた。大輝も同様で、せわしなく視線が動いている。


 琴音は記録のためか、ポケットの中からスマホを取り出し、動画をとり始めた。ジィィという機械音が暗闇に溶け込む。晴美はポケットに手を突っ込みながら、黙して大鏡の中の自分と見つめあっていた。やっぱり何考えているかわからない。


 「いい? みんなで手をつないで、カガミ様と一人一回唱えるんだよ。失敗すると、何も起こらないらしいからね!」


 説明してから、そばにいた琴音と晴美の手をとった。晴美は少し目を瞬いていたが、すぐにいつものポーカーフェイスに戻ってしまった。


 「へいへい了解。じゃあさっさとやろうぜ」


 大輝も琴音の手をとり、顔を鏡に向ける。これで、準備は整った。


 「じゃあ俺から順に言っていくな」


 大輝の声はわずかに震えていたが、やがて意を決したのだろう。すっと息を吸い込む。


 「カガミ様」


 横にいた琴音はそんな大輝の調子に失笑していた。そのまま余裕な口調で、琴音は唱える。


 「カガミ様」


 相変わらず低い声だな~と思いながら、若葉も大声で呪文を唱える。


 「カガミ様」


 最後の晴美は、何事もないように、抑揚のない口調で言った。


 「カガミ様」


 彼の声は意外と澄んでいて、女性のように高かった。優しいけれど、どこか氷を連想させるような、そんな声。


 しばらく、四人で鏡を見つめ続けていた。もちろん怖いのは苦手だ。しかし好奇心のほうが勝っていた若葉は、鏡の奥や背後をせわしなく確認する。……変わったことは、起きていない。奇妙な物音もないし、鏡に変なものが映るとか、ありがちな怪奇現象もない。長い沈黙のあと、琴音がポツリと提案する。


 「何も起こらないし、帰ろっか」


 「そうだな。あ~つーかめっちゃ眠い」


 大あくび一つかまし、鏡に背を向ける大輝。琴音もそれに続く。晴美はしばし鏡をつまらなそうに見つめていたが、やがてポケットに手を突っ込み引き返した。


 「さてと、じゃあ校門まで一緒に行こ?」


 「そうだな」


 気が抜けて大輝らと雑談していると、パシリと空いた左手をつかまれた。後ろにいる誰かが掴んだのだろう。そのまま力強く若葉の手首を圧迫してきた。今更怖がらないでよ。


 「ちょっと~やめてよ~痛いじゃん」


 そう笑いながら若葉は振り返り――。


 鏡から伸びた、青白い、ガリガリの手を目撃した。


 「……はい?」


 数秒、何が起こっているか理解できずに固まったのが命取りとなった。突然体に掛る大きな張力は、若葉を鏡へと引っ張り始めた。ズルズルと両足が地面をすり、鏡へと引き寄せられていく。


 「い、いやぁあああああ!」


 続いて鏡から伸びた数本の手は、若葉の正面にいた三人に襲いかかった。


 「どうしたの? 若葉ちゃ――きゃぁ!」


 「なんだ! おいなんだこれ!」


 立て続けに捕まる琴音や大輝、そして晴美。それでも鏡からは青白い手が何本も飛び出し、若葉らを確実に拘束していく。締め付ける圧力に、若葉は思わず顔をゆがめる。痛い。


 「おい! どうなってんだ!」


 「く……」


 晴美は軽く舌打ちし、自分の足をつかむ手をひっかいていたが、引きずられる速度は落ちない。


 「やだ! やだやだやだ誰か助けて!」


 日直の先生でもいい、誰か気づいて! 若葉は無我夢中に声を荒らげるが、誰も来てくれない。そのまま若葉は鏡に体を押し付ける体勢になり。


 そのまま、鏡を通り抜けていた。


 途端に、温度が二、三度下がったような感覚がした。あれは経験してみないとわからないだろう。肌寒いような冷涼感は、いつの間にか噴き出た冷や汗をさらに冷やした。


 振りかえる。鏡の中は真っ暗だった。心臓の鼓動がうるさい。漆黒の闇が、若葉たちと同化し、そのまま意識を混濁させていく。


 「うわああぁあああ!」


 「きゃぁあああ!」


 大輝らの断末魔がガンガンと脳に響く中、若葉の意識はゆっくりと薄れていく。


 「フフ……」


 その時、若葉は確かに聞いた。


 少女――それもかなり小さい子供――の笑い声を。


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