和解
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
心臓がどくどく音を立てている。どうして自分は今生きているのだろう、と疑問に思う。
つい先ほどまで、琴音は殺されかけていた。追跡され、ひたすら走り、胸辺りに痛みが現れるまで。
なのに、突然黒い影が喪失した。理由はなんとなく分かっていた。大輝のおかげだ。大輝が永影呪縛を解除したのだ。
けれど、赤座を失った。琴音を守って、死んだのだ。
「馬鹿ね、私は」
辛い。自分の最愛な人が落命し、今度は自分を守ってくれた人が転落した。
「……一階に降りよう」
自分の無能にあきれ返る。けれど、彼らの分まで、自分は生きなければならない。絶対に。悲しむのは、あとにしなければならない。
「そういえば……さっきどうしてポケットが暖かくなったんだろう」
先ほどの現象は、どう考えても異様だった。突然の発熱とともに、黒い影が破裂した。琴音はポケットをまさぐり、すぐに気づく。
お姉ちゃんからもらった、赤いお守り。
それがはじけ飛び、ただの残骸と化していたのだ。既に熱はなく、袋に入っている板切れが三つに折れている。
「お姉ちゃん……」
守ってくれたのだろうか。死に瀕した琴音のことを。
これは学業成就のお守りで、災厄を防ぐ意味合いを持たないもの。
けれど、不思議と琴音はその考えに納得していた。
お姉ちゃんが、助けてくれた、と。
「……これって」
折れた藻屑の他に、一つの綿のようなものが混ざっている。
人形の左腕だった。大輝らが探していたという、人形のかけら。
待ち合わせの階段には、予想通り誰もいなかった。黒い影がいなくなったおかげか、スムーズに目的地にたどり着くことができた。
「あいつらのことだ、多分どこかで無事に探索を続けているだろう」
若葉はともかく、一緒に同行していた晴美はいわゆる『ああいう系統』の人だ。きっとなんだかんだ生き延びているだろう。
「問題は、どこに行ったか、よね」
一階に降りたのか、二階へ上がったか。
恐らく一階だろう。当初、大輝の探索範囲は一階。順当にいけば若葉らが一階を捜索するのは自然な行為だ。
琴音は階段を降り、無造作に道を選び進む。ここで考えるには情報が少なすぎる。ならば、まずは探索を続けないと。
「そういえば、地下室があったわね」
花音を探している道中の十字路に、黒い影が群がっている扉があった。あの時は花音に関係ないと見て黙殺したが、今となっては気になる場所でもある。
ひょっとしたら、脱出のヒントがあるかもしれない。若葉も頭が悪い人間じゃない。遅かれ早かれ、若葉もそう思って動く可能性もある。
やみくもな探索を続ける倉荷なら、可能性にかけてみよう。
「ここが、地下室か」
先ほどまで黒い影が群がっていた扉を開くと、そこにはがらんどうの大きな部屋が広がっていた。その中央に、ポツンと地下へつながる階段がぽっかりと口を開けていた。
「……誰もいないみたいだね」
長い間誰かが立ち入った形跡はなく、死体も無い。
「ここまで来たら、降りてみるしかないよね」
先ほどと同様、バールを握りしめた晴美が先に降りる。若葉は後ろから足場を確認しつつ、彼の後についていく。
階段の壁には遠間隔で蝋燭に火がともっているだけで、ひどく視界が悪い。木造の階段は、時々湿気があるためかひどく滑りやすく、ゆっくりと一段ずつ降りていく。
「不気味だね……ホラー映画だったら幽霊とかが飛び出してくる展開だよ」
「黒い影以上にヤバい奴なんていないよ。ま、あっても若葉に危害を加えようとするなら、誰であろうとぶっ殺すけどね」
軽口を叩き合いながら、ようやく若葉らは地面に降り立つ。
階段を下りた先には、ただ廊下が続いているだけだ。しかし地面は石でゴツゴツしており、まさに天然の回廊と化していた。
「どうして、黒い影たちはこの地下室前に群がっていたんだろう」
「さあな。……けど、脱出のヒントがあるのかもしれない。それに、ろくでもなさそうな場所っぽい感じがする」
草や自然の臭いに混じった、残飯と腐った肉を合わせたみたいな異臭。
二人分の足音が、回廊に反響し気味が悪い。蝋燭はやはり飾られており、まるで若葉らを導いているようで。
しかも途中でいくつかの石造の扉が点在しており、今にも何かが飛び出してきそうだ。黒い影はいないのに。
「けど、一体どうやって作られたんだろ」
「さあ。けど、作られたんじゃなくて、もともとあった洞穴の上に館を建てたんじゃないのか」
「なんでそう思うの?」
「加賀美館で惨劇が起こったのは昭和四十四年。第二次世界大戦が終わった数年後だ。このころなら多くの防空壕が残っているはずだろう」
その名残を利用し、加工を施したのがこの地下室なのかもしれない、と晴美は分析する。
「そっか。確かにそのほうが簡単だよね」
「ま、防空壕と仮定すれば、こんな長い廊下ができるものなんて相当大きな物だったんだろうね」
正面の暗闇を警戒していると、突然彼は足を止めた。
「どうしたの?」
「足音が増えてる」
「嘘……」
足を止め、耳を澄ます。
……。
確かに。
どこからか、わずかに足音がする。しかも、徐々に大きくなってくる。
バールを両手に握りしめ、晴美は警戒心をあらわにする。若葉はその後ろにぴたりとつく。足音は回廊内を反響し、どこが発信源か特定できない。
黒い影ではないとすれば、考えられる可能性は一つしかなかった。
晴美があったという、ミツキという女性。
けど、どうして?
若葉はただ晴美の背中を見つめ続けていたが、やがて無意識の中振り返った。
すぐ目の前に、影に覆われた男が立っていた。
「いやあああああ!」
条件反射的に悲鳴を上げる若葉。晴美がバールを握りしめ、若葉を押しのける。
しかし。
「おい、驚くなって! 俺だよ!」
蝋燭に照らし出されたその顔は、紛れもない、大輝だった。
「入江! 無事だったの」
「無事だっつーの。つーかなんでお前らここにいるんだよ」
困惑する大輝。晴美も盛大な溜め息とともに警戒を解いた。今も、心臓がバクバクしている。
「一階から地下室に降りただけだよ」
「俺は二階の蔵書室から降りてきたんだ。そこで永影呪縛を止める手掛かりがあったからな。けど、驚いたぜ。地下室と蔵書室が繋がっていたってことか」
聞けば、大輝は蔵書室の奥にあった階段を下りたらしい。そして辿り着いたのが、若葉らがいる地下回廊。そしてやがて現れた若葉と合流したという。
「なるほど、あの扉の奥は階段があるんだ」
「全部とは言わないけどな」
「それと、赤座さんはどうしたの? 一緒にいたよね」
「あいつとは別行動だ。園村が一緒についていてくれてる。お前と合流するのではないかなと思っていたんだがな」
琴音が無事。
「よかったぁ~」
ずっと会えなかった。心配でたまらなかった。その琴音が生きている。これに勝る朗報など無いだろう。
「よかったな、若葉」
「うん!」
これで、憂いの要素はなくなった。
「……入江君」
「あ? なんだよ」
ギロリと晴美を睨む大輝に、若葉はまずいと内心息をのむ。先ほどの喧嘩を再開するつもりなのか。しかし、予想と反し、彼は僅かに笑みを浮かべた。
「黒い影を消してくれてありがとう。おかげで若葉を守れた」
「あ? ……ま、なら、それで」
同様のことを大輝も考えていたらしく、だからこそ気勢をそがれた様子だった。
「驚いたぜ。お前、意外と素直なんだな」
「別に。若葉が救われているならそれでいいから」
「は。若葉若葉って何度も連続で言いやがって。気色悪いな」
「今の言葉は聞かなかったことにしてやる。さっさとここから脱出するぞ」
「でも、結局永影呪縛を解いても、黒い影が消えただけだったよね」
呪いは確かに解いたはずなのに、若葉らは脱出することができない。その要因を、若葉はいまだに計り知れなかった。
「そんなの分かり切ってる」
大輝は臍をかみ、暗がりに沈み、先がいまだに望めない廊下の奥を指す。
「真実を知れ。ミツキはそう言った。ならするしかないだろ」
そして、ついに両開きの鉄の扉にたどり着いた。明らかに人工物だ。悪臭は、その奥から漂ってきている。
物音はしない。
「入江君。若葉の傍にいて」
「分かってるよ。何かあったらお前を置いて逃げるからな」
「晴美君もね」
晴美がドアノブに手をかける。
予想と反して、扉は簡単に開いた。ガタガタと扉の下と石がぶつかる音がした。
むわり、とむせ返る、死の臭い。先ほどまでたくさん嗅いだそれが、この部屋で濃密に篭っていた。
「なに……これ……」
ギロチンに猟銃、若葉の見たことのない様々な拷問道具や処刑道具があった。体育館ほどの広さに、多くの血痕や、考えたくもない拷問の跡が生々しく残されている。しかも、元々は人間だったらしき臓器や指の欠片が残されていた。
「気をつけろ。そこに刀類が立てかけてあるから、ひっかけるなよ」
「う、うん」
槍などが無造作に立てかけられ、その葉先には乾いた血がべっとりとついている。
「のほほんとした農村の裏に、こんな施設があるなんて」
「けど、どういう用途に使ったんだろう。どう見てもまともじゃない」
大輝が挙動不審気味に悪趣味なコレクションを見つめる中、晴美は口元をにたりと歪ませた。
「忌子奉りだ。多分、忌子をここで殺してたんだ」
「最低だね」
そう吐き捨てる晴美。若葉も同じ気持ちだった。
忌子に罪などなかったはずだ。なのに、どうして殺されなければならなかったのか。
「一人か二人という数じゃないよね、この臭気」
「どう考えてもこの散らばっている血痕の量からして十人か、下手したら百人単位殺されてると思う」
「しかもこんな大篝な装置、一人じゃ無理だ。忌子奉りの伝承が残っていることからしても、恐らく、村ぐるみでやっていたんだろうな。胸糞悪いなぁ!」
義憤に駆られる大輝をしり目に、若葉は禍々しい邪気を放つ処刑器具を順にみていく。
ここで、忌子と認定された人たちが、殺された。
どうして? なんで? 昭和になってまで生贄を捧げるという悪習を、どうして続けていたのだろうか。どれだけの人がここで無念と理不尽にさいなまれ、全てを憎んだまま死んでいったのだろう。
……ユルセナイ。
ゾワリと背筋を誰かが撫でたような悪寒が走った。頭に、誰かがそう囁いた。
絶対に許せない。殺してやる。
お前らなんて。
どうして迫害されなければならない。何もしていなかったのに。こんな激痛と苦悶と屈辱を味わう理由なんてない。なのに。
「うう!」
生の脳味噌に情報を強引に突っ込まれた感覚。形容しがたい頭痛。高いところから落ちたかのような、頭蓋骨に響く痛みが若葉を襲う。
また、既視感。
「ああああああああああ!」
口からよだれが垂れ、頭を抱えたままうずくまる。視界がグワングワンと歪み、呼吸する暇も与えられない。
「若葉!」
「皆川!」
同時に二人が駆け寄ってくれる。けれど、無理だ。二人に大丈夫だよと返す余裕がない。汗が頬を伝って地面に滴り落ちた。
ガチャリ、とポケットに入っていた拳銃が転がる。
すると、頭の中に映像が流れ込んでくる。セピア色にさびれた写真のような。どうして思い出せなかったのかと思うほど、それは鮮明で明確で、その映像の登場人物の記憶すら理解できてしまうほどの一体感。
激痛が、快楽へ変わる。鳩尾がムズムズし、不覚なことに絶頂を感じてしまう。
「おい、大丈夫か! 若葉!」
背中をさすってくれる晴美。愛液が太ももから地面に落ちる。
「しっかりしろよ! おい榊原! これ一体どういうことだ!」
「分からない! ここに来てから何回かこうなった。それより拭けるもの持ってないのか」
二人の声が水中にいるかのようにくぐもって聞こえる。その間も、映像と感覚が脳にしみこんでくる。
「共鳴してる?」
聞きなれない、第三者の声。
がくがくと痙攣を繰り返す体のまま、若葉はかろうじて前を向く。
「……ミツキ」
胸元に飾られたエメラルドのペンダントが、赤と黒に彩られた部屋の中で、極めて異質だった。
そして、ようやく若葉は気づく。
ミツキという女性が立っているその後ろに。
若葉らがカガミ様を行った、学校の踊り場の鏡があった。




