戦闘
「誰も来ないね」
約束の時間から十分ほどが経過した。しかし、大樹も琴音も、そして赤座も来ない。
「何やってんだよあいつら。若葉の不安を煽りやがって」
腕組みしたまま、かつかつと指でいらだったようにリズムをとる晴美。若葉はひたすら心配だった。どうして戻ってこない? この状況だ、彼らがいい加減な約束をするはずがない。
上がる可能性は二つしかない。
一つ目は捜索を続けているうちに迷ったか、あるいは約束の刻限に戻れない場所にいるか。
二つ目は……。
「……探しに行こう」
彼らは一階に降りたはず。イレギュラーが発生しなければ、恐らく一階のどこかにいるはずだ。
「けど、動き回ると危ないぞ」
「大丈夫。私にはこれがある」
拳銃を手に取り、晴美に見せ、強張った笑みを見せる若葉。ずっしりと重い、モデルガンとは圧倒的に違う重圧が掛かっている。
「わかった。けど、危ないことはしないでね。何かあったらすぐに僕に言ってね」
「過保護だよ、晴美君」
苦笑しながら、若葉らは階段を降り、一階へ出た。やはり晴美が若葉を先行している。大きな背中が唐突に止まる。
「……で、どこに向かうつもりなんだ?」
「分かんない……。とにかく周囲を探索してみよう」
どんどん人が減っていく。不安で胸が詰まりそうになるのを抑え、若葉は拳銃を強く握りしめる。
「止まって」
鋭い声色に、若葉は反射的に立ち止まる。目の前には左折する通路が伸びていて、晴美は身をかがめながらそこを覗き込んでいる。
「……どうしたの?」
「やばいな……」
「何かあった?」
「黒い影が三、四体ほどいる。引き返そう」
晴美の武器は欠損している。むやみな戦闘は防ぐべきだと判断したのだろう。
しかし、最悪は続く。
「多すぎる」
晴美がポツリと声を漏らした。黒い影が、先ほどの比にならないほど増加していたのだ。どの個体もナイフやバットなどを持ち歩いており、若葉らの行き先を阻害している。
「どうして……」
嫌な予感が加速する。大樹……。どうか、無事でいて。
「分からない。……けど、奴ら、どこかに向かってる」
晴美が折れ曲がった鉄棒の先端を撫でながら呟く。いつの間にか晴美の額に大粒の汗が浮かんでいる。
「どこかって、どこ?」
「追ってみよう」
こそこそと晴美は、黒い影たちの追跡を始めた。一定距離を詰めたまま、息を殺して黒い影を追う。
「やっぱりだ。あんな多くの個体がいるのに、ほとんど同じ方角へ向かってる」
どうしてだ、と晴美は黙考する。
やがて、黒い影が十字路へ入る。そのまま左に曲がったのを見届け、若葉は気づかれないようにのぞき込む。
危うく声を漏らすところだった。
何十体物の黒い影が蠢く空間。呻き声で満たされ、扉をひっかく姦しい音が鳴り響く。
まるで、亡者が救いを求めるかのような、おどろおどろしさが、そこにはあった。
その奥には、扉があった。上にはプレートが掲げられている。
『地下室』
「なんだよ、これ」
まるで、地獄。
「……あの先に、何かあるのかな?」
若葉はさらに身を乗り出す。
……分からない。なんだろう、この感情は。
「……私は、あそこに行かなきゃいけない」
気づけば、若葉の口からそう零れ落ちていた。不審げに晴美が若葉を見つめた。
「それって、どういう――」
不意に、黒い影の一つがじろりと若葉を見たのは、晴美が口を開いたのとほぼ同時だった。数秒ほどの出来事。なのに、若葉にとって永遠にも似た感覚だった。
若葉を見る黒い影が、一体から二体、三体、四体――しまいには、すべての黒い影が、若葉を認知していた。
ピタリと夥しい数の黒い影が、一瞬静止した。
「……やばい、な」
晴美が苦い笑みを浮かべたとたん、一斉に黒い影たちが襲い掛かってきた。
「逃げろ!」
叫び声のような晴美の声に、反射的にも走り始めた。後ろからの気配が強まってくる。追いかけてきている!
振り返ろうとして、晴美に止められる。
「振り返るな!」
廊下には数体の黒い影が待ち構えていた。バールやチェーンソーを持っている奴ら。晴美は全く速度を落とすことなく強行する。
目の前に迫る黒い影の下腹部を折れた鉄棒の先端でえぐる。黒い影は即座にうずくまり、バールが転がり落ちる。晴美は即座に鉄棒をもう一体に投げつけ、止めとばかりに地面に転がるバールを取り、頭蓋骨を陥没させる。ぐちゃ、ともぼぎ、ともつかないくぐもった音とともに、もう一体も地面に伏せる。耳をふさぎたくなるのを抑え、若葉も走り抜ける。
しかし、騒ぎを聞きつけたのか、さらに黒い影が増えてきている。今度は、四体。
「くそ!」
細い廊下だ、さすがの晴美の速度も落ちる。
ぎらついた何対の目が、若葉らを睨みつける。まるで闇の進行だ。何もない、黒が押し寄せてくる。
晴美が四体の黒い影に襲い掛かる。
「若葉! ついてきて!」
黒い影をなぎ倒し、晴美は再び逃避行を断行する。血が飛び散り、晴美のワイシャツがさらに赤黒く染まる。若葉も必死の思いで駆け抜ける。今にも追いつかれるのではないかという強迫観念が体の力を奪っていく。
「ぐ!」
晴美が足のバランスを崩し、地面に転がった。
晴美の背に、ナイフの一閃が走ったのだ。
「晴美君!」
「大丈夫! かすっただけだ」
立ち上がり、瞬時にバールの先端をナイフを持つ黒い影の首筋に突き立てた。しかし空いた片方の手で背中を抑えている。血しぶきを直接かぶっているため、怪我の程度が分からない。
「くそ……次から次へと増えあがって!」
さらに黒い影が増えてくる。晴美の息切れが激しくなってくる。
先ほどまでの晴美は、黒い影と一対一で戦ってきたからこそ、順当に屠ることができた。しかし、現在晴美は、多数の黒い影を相手にしなければならない。
「どうしよう、もう追いつかれちゃうよ!」
晴美がバールを手に数体黒い影を倒すが、やがてバールが手から抜け、遠くへ転がってしまった。
「しま――」
バールを取ろうとしゃがみこんだ瞬間、晴美は黒い影に吹き飛ばされた。
壁に背中をしたたかに打ち付ける晴美。表情が苦悶にゆがんだ。
黒い影が、壁に追い詰められた晴美になたを大きく振りかぶる。
「晴美君!」
晴美の表情が凍り付く。なたが晴美の眉間に振り下ろされる――。
パァン!
轟音とともに、黒い影の頭が弾け飛んだ。
「あ……あああ……」
晴美が驚いたように若葉を見た。
それはそうだ。安全ピンを外した拳銃で、若葉が黒い影の眉間を撃ちぬいていたから。耳の奥でガンガンと銃声の音が反響し、銃を撃った衝撃で肩が痺れている。
ガタガタと体が震えた。
自分がしでかしたことに、若葉は立ち尽くす。肺が潰れたように、呼吸ができない。
どうして、私は銃を撃てる?
銃撃した経験はない。撃つ方法だって見様見真似だ。偶然、当たったのか。
しかし、これは大きな転機となった。晴美はすぐにバールを握り、数秒で三体の黒い影を殴り殺した。
「ナイスだ、若葉!」
晴美の興奮した声色に、若葉はようやく正気に戻る。
しかし、既にこの数秒が命取りとなった。
「囲まれた……」
晴美と若葉は追い詰められ、背中合わせになる。ドクドクと晴美の心臓が高鳴っているのを感じる。恐らく、若葉もそうだった。前にも後ろにも、黒い影の群れが、若葉らをかこっている。晴美がバールをクルクルと弄ぶ。若葉は拳銃を蠢く黒い影に向ける。
「畜生……」
完全に、追い詰められた。
一方、若葉らが一階に降り、黒い影の追跡を始めた直後。大樹らは司書室の前にいた。
「ほら、いい加減泣きやめって」
「ごめんね……」
「謝んなって。お前がしょげてると違和感しかねーわ……そうだ」
大樹がポケットの中から赤いお守りを取り出すと、琴音ははっとした顔をする。
「これ……さっき落としたの。拾ってくれたんだ」
「大事な物なんだろ?」
「うん。お姉ちゃんが受験前にくれたの」
大切そうに胸に抱きかかえ、頬を紅潮させる琴音。
「知ってる。花音はその時妹が喜んでくれたって楽しそうに報告してきたから。誰にでも優しい奴だった」
「お姉ちゃんお人よしだったから。誰よりも優しくて、孤立してる人とか、苦しんでる人に戸惑わず手を差し出す人だった」
「まるでお前みたいだな」
「お姉ちゃんの真似ばっかりしてきたから。お姉ちゃんは完璧だった。だから、好きだったんだ」
「……俺って、やっぱりチャンス無い?」
「無い」
バッサリと切り捨てられ、落胆する大樹。あはは、と失笑する赤座。この状況でそんなことで一喜一憂する余裕があるはずないのだけれど。
「けど」
ちらりと琴音が大樹を見やる。
「……ずっとそばにはいてほしいとは思った」
「え! ちょ、もう一回言って! 録音するから」
「二度と言わないわ。それより、さっさと扉を開けよう」
「それなんだけど、お前は赤座と一緒に若葉と合流しろ」
赤座が驚く。
「どうして」
「お前は早く皆と合流したほうがいい」
「待って! ……あなたはどうするの?」
「俺は蔵書室で永影呪縛を終わらせる」
琴音は若葉を好いている。精神的に疲労が顕著な琴音を癒すならば、それが最適解だろう。
「赤座、頼めるか?」
「大丈夫。……気をつけろよ」
「ああ」
赤座は行こう、と琴音を連れ、大輝に背中を見せる。琴音は大輝をちらりと見、小指を差し出す。
「絶対に、またあとで会おう」
「当たり前だろ」
琴音はそれきり再び前を向き、やがて二人の姿が見えなくなる。
「……さて」
大輝は封じられた扉の前に立つ。四桁の番号を入力する錠に、大輝は日記を見ながら迷いなく入力した。
『0208』
彼が恋い慕っていたミツキの誕生日だ。
果たして、予想通り錠は解除され、鉄の扉が開いた。
「よっしゃ!」
入室した途端、カビの臭いが鼻を突いた。しかも、断続的に水音が地面をたたく音も響いている。まるでホラーゲームの世界にいるかのような不安定な空間。いたるところに、本、本、本――――。ほとんどが村の資料や謄本など、まるで市役所さながらの本の山。
「ここが、蔵書室」
司書室とは違い、蔵書室は学校の図書館レベルの広さを誇っている。この中のどこかに、影永呪縛の本がある。
……無理だろ。この中から一冊の本を探す? 不可能じゃないか。予想を大幅に超えている。
死体は転がっていない。長らく誰かが立ち入った形跡が無く、埃が積もっている。どうすればいい。本棚から数冊の本を取り出す。ザラザラとした手触りで、あっという間に手の水分がカラカラになる。すぐに投げ捨てる。
大樹は蔵書室を見渡す。本棚のほかに、受付スペースの机に鉛筆が置かれており、そばには読書スペースがあり、多くの椅子が置かれている。ほとんどは寂れ、破壊されている。
「くそ……ミツキの言う『彼』はどこに隠しやがった?」
永影呪縛の黒い本を隠すためなら最高の場所だろうな。
数冊を取る。ほとんどがこの香月村に関する資料や謄本、地理系統の本だ。すぐに地面に捨てる。
くそ。どうすりゃいい! 人海戦術でさばける量ではない。数百、下手すれば数千も下らない。
「こんなことしている間にも、黒い影が来てるかもしれないっつーのに!」
どうすればいい。一気に本を引き抜き、違うのを確認し、再び地面に落とす。何度も同じ行為を繰り返すも、全体からすれば全く減っていないのも同じだった。
「どうすればいい!」
焦りだけが蓄積していく。やはり二人にいてもらったほうがよかった? いや、三人いても大して変わらない。バサバサと本が折り重なっていく。埃が四角にとらえられるほど塊、宙へ舞う。
「枝を隠すなら森へ、か。ふざけやがって!」
いら立ち混じりに本棚を蹴りつける大輝。こうしている間にも、黒い影が若葉や琴音、赤座に迫っているかもしれない。
手汗で本が滑る。動悸が、止まらない。
カシャン。
不意に、体が硬直した。何かが、地面を踏みしめる音。
……あいつらが、戻ってくることはないはず。
なら。
「……嘘だろ、おい」
反射的に振り返った時、大輝の頬にナイフがかすめた。
「お姉さんのことは、残念だったね」
大輝と別れてから、赤座は淡々と告げる。右にあるガラス張りの壁からは、すでにさびれた廃村らしき影が望める。暗がりに浮かぶそれらは、夜に一人迷子になったかのように、薄気味悪く、不気味に広がっている。
「……赤座さん、でしたっけ」
「ああ。そうだけど」
「お姉ちゃんと付き合ってたんですね」
とても羨ましい話だ。お姉ちゃんと、正式に付き合える。妹で同棲の琴音からすれば、絶対にかなえられないものだ。面識はなかったけれど、昔お姉ちゃんが話していた気がする。
「ああ。君のことをよく話してた。いい妹だって。シスコンのきらいがあったよ。愛されていたんだね」
目じりを下げる彼は、眼鏡をかけているせいかパンダを連想させる。こういう所に、花音は惹かれたのだろうなと思う。お姉ちゃんは、かわいい物好きだったから。
「花音はいい奴だった。皆に慕われて。どうして俺と付き合うことを承諾したのか分からないくらいだった。……あんな死に方、するような奴じゃなかった」
目を抉られ、苦悶と苦しみを味わって死んだ花音。
「すまなかったな、園村。……守ってあげられなくて」
「いえ。お姉ちゃんも、幸せだったと思う。貴方のような人と付き合えて。……私じゃ、その役目にいられなかったから」
いつだってそうだった。お姉ちゃんの傍にいられればいいと思っていた。けど、いつからか欲求が膨らんでいって。夜に一人で自慰にふける時、いつもお姉ちゃんを想っていた。
けど、結局はそれだけ。私はお姉ちゃんを幸せにすることができなかった。
「けど、彼――入江のことも少しくらいは考えてあげてくれ。粗暴だけど、良い奴に見えたから」
「ええ。私の大切な人です。もし私の境遇が違ったら、きっと私から告白してたわ」
性的錯綜は本来なら忌むべきものだ。なのに大輝は、そんな私に態度を変えることはない。私なんかにはもったいない人だ。
「……君は、やはり花音と似ている。凛とした瞳に、冷静な態度。論理的に物事を判定し、自分の結論を持てる。なんでだろうな、園村を見ていると、あいつの面影が思い出される」
やはり姉妹だからかな。
「あいつを守れなかった俺ができることは、一つしかない。お前を生かして帰すことだ。それが花音を見殺しにした、俺の贖罪だから」
「貴方もです。貴方が死ぬことは、お姉ちゃんが許しません。だから、全員が生きてここから出る方法を取りましょう」
五人で、ここから。
「そうだな」
赤座は弱弱しく微笑する。その時の彼の気持ちを、琴音は伺い知ることができなかった。
「あの、赤座さん――」
そう呼びかけ、窓を曲がった時だった。
クロスボウを握った黒い影が、すぐ正面に現れた。
車が目の前に突如として現れたかのように、琴音の脚はすくんでいた。
ビュンと風の音が鳴り響くと同時に、間髪入れず琴音は赤座に引っ張られ、壁に姿を隠す。トン、と突き立てられる、一本のボーガンの矢。
「やばいな……」
大輝の表情に怯えの色が走る。背後にも、数体の黒い影がいた。こちらは、血がこびり付いた凶器を握りしめ、獰猛に琴音たちを見据えている。
いつの間にか、挟まれた。
暗がりに沈む部屋。血にまみれた石畳の地面に、ミツキはぼんやり座っていた。
「もう少しだ」
もう少しで、全てが明かされる。この惨劇の真実も、彼の正体も。自分のわずかな呼吸音しか聞こえない、がらんどうの部屋のありかも。
ここから始まった呪いの場所。
……彼は、喜んでくれるだろうか。それとも、怒るだろうか。この五回に取り残されたこのカガミ館の喪失を。
いや、仮に怒っていたとしても、私に、だろう。自分自身を嘲笑すると、下腹部にできた――自刃した時の傷だ――生傷がズキズキと焼けつくような痛みを発する。
なぜ私がそう言い切れるか? それは簡単なことだ。
彼は、私が殺したのだから。
「さて、果たして何人生き残れるだろうか」
タイミングとはすばらしいもので、現在若葉と晴美、若葉や赤座、そして大輝が同時期に黒い影の追跡を受けている。
今までミツキはここに飛ばされ、次々と死んでいく人の影を見続けてきた。何も考えず、何も感じず、自分と同じように無残な殺され方をしていく人々を傍観してきた。
しかし、何故だろうか。
生き残ってほしいと自分でも考えてしまう自分がいる。この感情の根本は分からない。けれど、死んでほしくない、と猛烈にミツキは願ってしまうのだ。




