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12/21

崩壊

 「お姉ちゃんは、高校楽しい?」


 夕方。綺麗なオレンジ色の空の元、琴音と花音は二人、図書館で勉強していた。正確にいえば、琴音の勉強を、花音が読書しつつ教えるという構図だった。


 「楽しいわよ」


 「どうして?」


 「友達いるし、生徒会も充実してるし、彼氏もいるから?」


 「……そうなんだ」


 花音は贔屓目で無くても美女だし。自分が介入する場所がないことくらい分っていたけれど、やはり本人の口から聞くのは少し憂鬱だ。それを悟られないようにしつつ、琴音はとめどなく鉛筆をノートに走らせる。


 「けれどね」


 ポンポンと頭を撫でられ、琴音の心拍音が一気に高鳴る。


 「琴音も私の命より大切だよ」


 「……ありがと」


 「なーに? 照れてるの?」


 「お姉ちゃん、他の人にこんな感じのことを言うと勘違いされるから気をつけて」


 私みたいに。ニマニマする花音を前に、多分耳まで赤くなってる。いつからだろう、この人が姉じゃなくて、その上女じゃなければと思い始めたのは。そうすれば、人並みの恋愛ができたはずなのに。


 「そうね。でも琴音だし。……そうだ、あげようと思っていたものがあったんだ」


 「なに?」


 花音はごそごそとポケットから何かを取り出した。


 取り出したのは、一つの赤いお守りだった。


 「これは?」


 「お守りよ。学業成就の。私の高校を受けたいんでしょ。お姉ちゃんパワーを入れておいたから」


 花音からの、贈り物……!


 うわあああ! やったぁあああ!


 「ありがとう、お姉ちゃん!」


 「めっちゃ喜んでくれて嬉しいわ」


 満足気に微笑む花音に、琴音はまた魅了される。大好きなんだと再確認し、そして再びこの恋は百パーセントかなえられないもので、許されない物なんだ、と無力感に打ちのめされるのだ。


 けれど、ずっと傍にいてくれる。それだけで十分だと思おう。願わくは、彼氏さんと仲良くして欲しい。そう思っていた。


 けれど、現実はゴミだ。


その矢先、花音は失踪した。琴音が中学三年生だった時のことだった。





 黒い影がフラフラしているのを見、琴音は物陰に身を隠す。二階廊下。奴はゆっくりと向こうへ徘徊していくため、よほど物音を立てない限り大丈夫だろう。


 「どうなっているの……先ほどから黒い影が多い気がする」


 武器があれば。いや、そもそも腕力がないため、武器があっても駄目だろう。吹奏楽部と何か運動部と兼部しておけばよかった。


 「……もう少しで、司書室だったはず」


 先ほど黒い影に殴打された場所に出た。もう少しで司書室、そして滞りなく行けば三分ほどで行ける。けれどその間に黒い影は確認できる限り二体いる。


 「迂回するか? いや、地形が完全に分からないし……」


 お姉ちゃんは剣道部だった。お姉ちゃんなら、こんなのすぐにくぐりぬけられたのに。


 「……お姉ちゃん」


 ずっとさびしかった。三年近くも、お姉ちゃんのいない家のリビングを見、寂しさが募っていった。


 お姉ちゃんがいないと駄目。ここにきて、お姉ちゃんに会えるかもしれないという希望が生まれたことで、会いたい衝動が抑えきれない。


 自分が抑えきれない。焦ってしまう自分がいる。あの赤いお守りが、今日までの、命よりも大切な物だった。あれがないと、お姉ちゃんの痕跡が完全に消えてしまう。


 「こんな所で、阻まれてる訳にはいかないのよ」


 黒い影はさらに奥へ消えていく。それを見計らい、琴音はすぐに廊下を突っ切ろうとするが、黒い影が入れ替わりに現れ、反射的に琴音は元いた曲がり角に身を隠す。歯ぎしりが止められない。


 そう言えば、お姉ちゃんは良く言っていた。私には極端にいら立ったら周りに当たる癖がある、と。確かにその通りだ。お姉ちゃんがいないと、自分がセーブできない。壊れてしまう。


 「お願い……お姉ちゃん。どこにいるの? 私を、一人にしないで……」


 黒い影が去っていく。今度こそ確認を怠らず、再び琴音は前進する。


 角を曲がると、司書室が見えた。司書室の扉は開け放たれ、女性の死体が転がっている。


 先ほど琴音が凌辱した死体。


 もう少しだ。もう少しで……。


 ザザ……ザ……ザザザ……。


 不意に、琴音のポケットから騒音が鳴り響く。


 「……! 完全に壊れたはずじゃないのか」


 ポケットから急いで取り出すと、何故か動画が再生されていた。先ほど琴音が記録用として撮った動画だ。撮影している時には気づかなかったが、手ぶれがひどい。


 画面に映されたのは、死体だった。丁度今目の前にいる、死体。琴音がそれを執拗に蹴りつけている所だった。琴音の狂った奇声と、びちゃびちゃと血の音が鳴り響く。


 「本当に、異常者ね、私は」


 ……大輝はいつも私のことを好き好きと言ってくれる。こんな動画を見せたら、さすがの彼も幻滅するでしょうね。


 「けれど、どうしてこの部分なんだ?」


 ここに到達してから三時間、ずっと琴音は撮影を続けていた。この部分は撮影で言えば最後のはず。どうしてここから始まっているんだ?


 「……ん?」


 急いで琴音はストップボタンを押す。


 画面の端の壁に、何かが映っていた。


 文章だ。


 ブレがひどく、判別はできない。


 ……少し、胸騒ぎがした。


私はこの文字を知っている。論理的ではない、それは直感に等しい物だった。


 プツンと動画が切れた。数秒ほど、嫌な沈黙が流れる。


 琴音はすぐ目の前にある、うつ伏せになった女性の死体に近づく。司書室の奥は真っ暗で、動悸がバクバクと嫌に鳴り響く。


 「……お姉ちゃんは、さっき生きてた」


 本当に?


 ……本当にお姉ちゃんだったら、私を見たらすぐに助けてくれるはずではないのか。どうして逃げて行ったんだ?


 どうして。


 あれは、イキテイルオネエチャンダッタノカ?


 ……嫌な予感が胸につもる。肺が潰れたみたいに、呼吸ができない。


 否定すればするほどに、それが事実なのではないかという疑惑が様々とよぎる。


 死体の、濃厚な臭い。震える腕が、その死体の肩に触れる。ひんやりとした、冷凍肉のような感触。


 いつの間にか耳鳴りがしている。吐きそうなほどの緊張。腕ががくがくと震える。


 見なかったことにしたい。けれど、そんなことできない。確かめなければ、私は、先に進めない。


 先なんてないのかもしれないけれど。


 死体を仰向けにし、琴音はひざまずき、その顔を確認した。


 血が琴音のスカートに付着し、スマホが地面に転がる。


 「あ……ああ……あああああ……」


 両目両目を繰りぬかれ、既に動かないそれは、紛れもない、ずっと、ずっと追い求めていた、変わり果てた花音の姿だった。その死体は、琴音が蹴りつけ、凌辱したものだった。


 「お……ねえ……ちゃ……」


 戦慄いた声が、虚無に反響する。花音は、あの時琴音に自分の死体を見つけさせようとした。だから、幽霊として現れたのではないか。そしてここまで、私を導いた。


 なのに、私は、その意図に気付かず、花音を残酷にいたぶった。死してなお、体をいたぶり、ぐちゃぐちゃにされ、撮影した。自分の精神の均衡を保つために、私は最低な事をしたのだ。


 大好きだった姉を、私が。


 壊した。


 ひしひしと絶望による無力感が、体を駆け抜ける。


 苦悶に歪み、涙の跡が残った、姉の惨殺死体。夢だと何度言い聞かせても、それは変わることなく地面に転がっている。


 「あは……はは、ははははは……」


 視界が歪む。


 自分がやった愚かな所業の結果は、こうやって証明された。


 大きな絶望を孕んで。


 「あああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 両腕で自分の頭を引っ掻きながら、琴音は絶叫した。


 視界の隅に、先ほど読めなかった文字が浮かび上がった。


 『ごめんね。お姉ちゃんは先に逝きます。東山高校、受験、頑張ってね』





 どれくらい歩いただろうか。


 「……若葉? 大丈夫か」


 「なんとか」


 そうは言いながらも、考えてみればここにきてからずっと歩きっぱなしだ、疲労は刻々とたまっている。結局人形の左手も、琴音も姿を見せない。下に降りた大輝と赤座は無事だろうか。懸念要素と最悪の予想が頭をちらついて仕方がない。


 ……けれど、これ以上晴美の足を引っ張ることなんてできない。守ってもらって、探してもらって、戦ってもらって、何もかも晴美だよりなのだ。今も血に染まった晴美のワイシャツの下に、負傷した肩に包帯が巻かれている。


 ちらりと晴美が若葉に視線を送る。……その数秒後、彼は休もうか、と宣言した。


 「でも」


 「万一に疲れているとなったら死ぬかもしれないし。休める時には休んでおこう」


 大人だな、と若葉は思う。私はこんな人に優しくできない。自分で精一杯なのだ。


 幸い、黒い影はいない。晴美は若葉を地面に座らせ、彼はひたすら立ちながら警戒していた。冷えた、湿り気のある木材の床が、スカートから露出した肌を心地よくさせる。


 「晴美君は座らないの」


 「黒い影が来たら対応しないとまずいからね」


 彼の方が、私の何倍も疲れているはずなのに。ずっと無休でギリギリの死闘を繰り広げ、おまけに怪我も負っているのに。


 「……すごいね、晴美君は。私足手まといだよ」


 「君がいなかったら、僕は何もできないから。……僕からしたら、君の方がすごい」


 晴美は微笑し、若葉を慰めてくれる。彼も鉄棒に手をかけたまま、壁に寄りかかる。


 「若葉はそのままでいて。君は、ずっと変わらないでね。若葉がいてくれれば、僕は何だってできるんだから」


 彼らしい語り口に、若葉はつい笑みをこぼす。彼こそ、ずっと変わっていない。無償の愛をずっと捧げ続け、自分をずっと守りつづけてくれる。


 「結婚しても、絶対幸せにしてあげるから」


 「……したら、ね」


 仮に彼と結婚したら、笑いの絶えないよい家庭になるのだろうな。暴走しないように抑える事さえできれば。狂っているのには変わりないけれど、好意を抱いてしている人に対しては、一途で、優しいのだ。


 「ねえ、晴美君」


 「なんだい」


 「恋愛感情とかよくわからないんだけど、それ抜きで、ずっと私の傍にいてほしい」


 恋人とかは置いといて、傍にいてほしい。我儘だろうけれど、これは本心だった。


 彼はしばし目を丸くしていたが、やがて柔和な笑みをこぼした。黒い影を殺戮している時とは違う、人間味に溢れた表情。


 「もちろんだ。ずっと一緒だ」





 つかの間の安息を満喫していた時だった。


 晴美が突然、若葉が寄りかかっている壁に目を向けた。


 「どうしたの?」


 「何か書いてある」


 若葉も立ちあがる。疲労感は先ほどよりはましになっていた。


 後ろにはくぼみがあった。カッターナイフか何かで壁を削ったのだろう。丁度若葉の身長――百五十センチ当たり――と、それより十センチほど上の所に直線が引かれていた。


 「何だろう」


 「……背比べの印かな。大黒柱でやったりしたじゃん。それじゃないかな」


 「ふーん」


 この印を書いた人も、館の惨劇で命を落としたのか。


 何の気なしに、若葉はぴたりとそれに手を当てた。掌に凹みがある感覚がした。


 瞬間、後頭部を殴られたような、壮絶な頭痛が襲った。


 「うう!」


 脳が急激に膨張したみたいな、頭蓋骨が圧迫される痛み。呼吸ができない。食いしばった歯の間から涎が滴り落ちる。


 「若葉!」


 カランと乾いた音が鳴った。鉄棒を手放し、晴美が駆け寄ってくるのが視界の背後に映る。


 「おい、大丈夫か?」


 晴美の呼びかけにこたえる余裕は無く、視界がチカチカと点灯した。


 前触れもなく、脳裏に映像が流れ込んできた。セピア色の掛った、とぎれとぎれの映像。例えるなら、粗悪な映画。


 場所は、今若葉らが立っている場所だった。そこで、若葉は自分より低い場所に、カッターで線を引いていた。誰かの視界をジャックしている。体を支配されている気がして、ひどく気持ちが悪い。


 そして、印を刻んだ場所の背後には、一つの扉があった。晴美が寄りかかっていた場所。


 傍にいたのは、可愛らしい、ポニーテールの女性。十六、七歳くらいの子だ。


 何かを喋っているらしく、女性は口をパクパクさせていたが、耳鳴りがひどすぎて聞こえない。けれど、その大きなつぶらな目は、少し憂いを抱いているようだった。


 しかし、やがて二人は笑い合う。女の子はピョンピョンと飛び跳ねる。若葉はその子の頭を撫でてあげる。


 「大好きだよ!」


 その言葉だけが、やけにはっきりと若葉の脳裏にこびりついた。


 直後に、若葉の頭痛が嘘みたいに治まった。既に映像の幻覚はない。ひどい汗をかいており、服の中がびちゃびちゃだ。


 「若葉……!」


 ほどなくして、視界の商店が合う。目の前に心配そうな顔をした晴美がいた。


 「晴美君……」


 「何があった? 突然どうしたの」


 「変な映像を見てたの。男の子と女の子がいて、雑談してた」


 ……男の子?


 どうして私は、男の子だと分かったのだ。目の前にいたのは女の子だったのは間違いない。けれど、自分は自分の姿を認識できていなかったはずなのに。


 「……とにかく、早くここから立ち去ろう。嫌な予感がする」


 「待って」


 若葉は印がある所と逆の壁に触れる。トントン、とノックをすると、僅かに響いたのが確認できた。


 「この音……奥が空洞になっているのか?」


 「みたい」


 どうして扉を塗りつぶして壁にしたのかは不明だが……。


 「若葉、少しどいていて」


 彼は思い切り鉄棒を振りかぶり、壁を何度も殴りつけた。鈍い音が響き渡り、想わず耳をふさぐ。


 二回、三回、四回――。突然、木材が裂ける音が響き渡った途端、パァンと鉄棒が折れ、遠くへ飛んで行った。


 しかし、対価として現れたのは、破れた扉だった。こちらからはドアノブがないため、晴美が腕を突っ込み、内側から鍵を開く。


 扉はあっけなく開け放たれた。埃の臭いが鼻につく。長い間開け放たれていなかったようだ。死体も転がっていない。しかし、蠅が飛びまわる耳障りな音だけが、やけに鳴り響いている。


 「……誰かの部屋みたいだな」


 晴美が警戒しながら先頭を切る。


 ただの小さな部屋だ。先ほど若葉が目を覚ました書斎と同様、小さな机と、本棚があるだけだった。ただし、そこにはトイレらしき設備も同梱されている。地面には食器類が割れ、残された食べ物が異臭を放っていた。蠅はそこに引き寄せられていたらしい。


 破損した扉の端にはプレートがあった。『嫩芭』とだけ記されただけの、白いプレート。……確か、忌子奉りに使われた、生贄。


 だとしたら、これは嫩芭の部屋なのか。忌子奉りと言う狂った儀式に翻弄され、生贄として差し出された彼が、最後までいた場所。


 どうして、ここに導かれたのだろう。


 「何もない、みたいだね」


 彼は机を物色していたが、やがて引き出しから何かを取り出した。


 「若葉、これを持って置いて」


 晴美が若葉にそれを渡す。


 それは、、一丁の拳銃だった。ずっしりとした重量に、ギラギラと銃口が光を帯び鈍色に光っている。持ち手には、N.Mと彫られていた。誰かのイニシャルだろう。


 ……少し、頭の奥で何かが突っかかっている気がした。


 「なんでこんな物騒なものがここにあるの」


 「さあ。けど、万一の時のために持っておいて。無いよりはましだよ」


 「けど、晴美君は?」


 鉄棒が折れたため、これでは晴美も丸腰のはずだ。


 しかし彼は微笑を浮かべ、先端が折れた、三十センチほどの鉄棒を握りしめる。


 「これで充分だ。黒い影はどうやら動きが単純だから、コツさえつかめば対処できる」


 妖しく微笑する晴美は、クルクルと器用に鉄棒をまわす。しかし、これからは先ほど以上に黒い影に注意を払わないといけないだろう。


 けれど、どうしてこの部屋は封鎖されているのだろう。大輝から聞いた話によると、忌子奉りの直後に惨劇が起こったと、司書室の冊子に記述されていたという。それと関係があるのだろうか。


 いや、今ここで考えるべきではない。安全ピンが掛かっているのを確認し、若葉はポケットの中に突っ込んだ。


 「そろそろ、一時間だね」


 大輝達と再び階段で落ち合う時間が、刻一刻と近づいている。


 「階段に戻る?」


 「うん。琴音ちゃんも来ているかもしれないし」


 晴美はそうか、とうなずき、部屋から出る。階段までの距離はそこまで遠くない。きっと、すぐ到着するだろう。





 「時間だな」


 スマホを見、赤座が宣言する。約束の時間まで、後十分もない。しかし、司書室は見つからない。しかも黒い影がうろついている姿が良く見かけるようになっている。


 早く見つけないと。引き返している余裕なんて、無い。


 「赤座、悪いんだけど、別行動を取らないか」


 大輝の提案に、赤座は眉をひそめる。


 「どうして?」


 「お前は戻って、皆川らに俺が司書室に行ったことを伝えてもらいたいんだ」


 「リスクが高いよ。単独行動は危険だ。それに、司書室の場所も未だに見当ついていないんだろう」


 赤座は暫しの間黙考していたのだが、やがて溜息を洩らす。


 「一緒に行こう。一人より二人のほうがまだ安心できるでしょ。数分ほど遅れても影永呪縛を止めるほうが先決だし」


 「……そうだな」


 確かに、そのほうが安心できる。理知的に考えれば別行動し、若葉らに報告するべきだ。しかし感情的に、一人になりたくない。


 「さっさと司書室に行って影永呪縛を終わらせんぞ」


 「そうだね」


 大輝らは再び司書室へ歩を進める。正直どこにあるのか見当がつかない。けれど、暫く二階をうろついていたため、探索範囲は限りなく絞られていた。


 「もう少しだ」


 自分を鼓舞するように言い聞かせ、黒い影を回避しながら歩き続ける。



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