日記
一階の瓦礫付近。
「これ、あいつのだよな」
赤いお守り。琴音は秘密にしているらしいけれど、時々テスト前や大事なイベントの前に手に持っているのを良く見る。神にでも祈ってんのかと目で追っていたから、よく覚えているし、恐らく大輝以上に親密な仲にある若葉も知っているだろう。
「あいつのって」
「園村と言う奴だ。俺と榊原と皆川ともう一人、園村琴音ってやつが来てるんだ」
その名を口にした途端、赤座の不安げな表情が引きつった。
「園村……。その人って、もしかして、姉がいたりするかい?」
「姉?」
聞いたことは無い。そもそも琴音は自分の環境を多く語らないため、よくわからない。琴音は知的な印象を持つと同時に、どこか周囲の人に対し僅かな壁を作っている奴だ。
「聞いたことはねーな。だけどお前三年前にここにきてんだろ? 時空間的に。どうして心当たりあるようなそぶりができるんだ」
「……俺も、園村と一緒にここへ訪れてるんだよ」
赤座はしばしの間逡巡していたが、やがて大輝に打ち明けた。
「園村花音。君と初めて会った時、司書室で死んでた彼女だよ」
「……マジかよ」
まさか、そんなはずは無いと思いたい。琴音に姉がいて、その人は既に死んでいる――。偶然ができすぎている。そんなこと信じたくないし、第一琴音が壊れてしまう。
「……残念だけど、本当。よくあいつから、妹の話をよく聞いてた。……名前は、はっきり覚えてる。いつも琴音は、琴音はと言っていたから」
そんな。じゃあ。
『私はやらないといけないことがあるから』
琴音と会った時の言葉が脳裏をよぎる。
やらないといけないことと言うのは、姉の花音を探すため?
「出来すぎだろ、ホント」
……どうしようもないことを悩んでも仕方がない。早くいない者の部屋に入らないと。
赤いお守りをポケットにおさめ、大輝達は瓦礫を登る。
登った先には、いない者の部屋があった。鍵はかかっていないようで、簡単に扉が開く。
瞬間、むわりと饐えた臭いが鼻をついた。
「……マジかよ」
見覚えのある女性の死体が転がっていた。その死体が握っているナイフは、真っすぐ己の腹を貫いている。ワイシャツは赤く染まり、地面に黒い水たまりを作っている。
リビングほどの大きさの部屋だ。中央に死体が転がり、壁には愛読本と思われる小説や机があるだけの、がらんどうな部屋。
「ミツキの死体か」
無表情に、死んだ目。死後の顔を見られたくなかったのか、タオルが掛っている。しかしそこから肌蹴た、死んだ瞳は虚空を見つめ続けている。
「ひどい」
「ミツキの腹部の断裂痕はこれが原因なのか……」
ミツキの死体を避けつつ、大輝は本棚を見やる。芥川龍之介や小林多喜二、太宰治などの文豪がほとんどだ。どれも埃をかぶり、文字は左右反転している。
「このノートは文字が鏡写しになっていないみたい」
「どれだ?」
見れば、机の上には『日記 No.14』と記された大学ノートが残されていた。傍に転がるボールペンは血が付着しており、既にインクは切れている。
「ミツキが書いたものなのか……」
ノートは三分の二が埋まっていて、少しかさばっている。大輝は最初のページを開いた。
『8月21日
私の売られた先が決まった。神月村の加賀美館らしい。知らない場所だ。怖い。誰か助けて。お父さん、お母さん』
「売られたって……」
「昭和の裏ビジネスだよ」
赤座はため息を漏らす。
「昭和初期、日本が急速に近代化を進める背後で、最低貧民層はずっと貧困と飢餓に苦しんでいた所もあったんだ。そこで始まったのが人身売買。両親が娘を売ったり、娘が自ら志願する身売りがあったんだよ」
「それなら知ってるぜ。身売り、相談してくださいという看板が出回ってたんだよな」
「ああ。いわば奴隷や娼婦などになったりすることが多いケースだ。古い文献では日本書紀から人身売買の記述が存在してる。昭和初期はかなり多かったみたいだ。今でも数は減ったとはいえ、水面下ではひっそりと行われている」
胸糞悪い、と大輝は吐き捨て、紙面に視線を走らせる。
『8月22日
怖い。怖い。大人達のべたべたした視線が怖い。友達の元に戻りたい』
『9月4日
痛い。痛い。執拗に殴られて蹴られた。どうしてこんな辱めを受けないといけないの。苦しい。苦しいよ。こうして思いを吐き出さないと壊れてしまう』
『9月12日
何度めだろうか。こうやって体を弄ばれるのは。初めては大切な人にあげたかった。こんな体じゃ、もう、生きていても意味なんていないのかもしれない。今日も偉い人による呼ばれている。行かなきゃまた折檻される。なんであんな人が高官になれるの』
『9月21日
一か月が経つ。もう、だめかもしれない。ずっと働かされて、睡眠もろくに取れない。ずっと悪夢にうなされる。一緒発狂してしまえればどれだけ楽なのだろう』
『9月27日
助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて』
『10月2日
体が痛い。喉が渇いた。何時間通して働いたのだろうか。まだ仕事がある。体がだるいし、信じられないほど自分がやせてきた』
信じられねーと大輝はつぶやく。
人の勝手で、お金のためとかで、誰かの自由を搾取することなんて許されることではない。一体どういう神経でこんなことをしているのか。はらわたが煮えくりかえる記述に、大輝は舌打ちを禁じえない。今の平和な時代に生きていては分からない、むごたらしい現実は、昔だけではなく、今も行われている。
精神が衰弱している過程は、十一月まで延々と続いていた。暴力、強制奉仕、性的暴行……。
しかし、十一月十九日、突然日記の中身ががらりと変わった。
『11月19日
この日、突然私は主人から呼び出されて通告を受けた。何でも、忌子奉りの世話役が田舎に引っ込んだと言うため、私に役が回ってきたのだ。正直これ以上の負担を負いたくない』
「忌子奉りって……」
「ああ。忌子奉りが行われた後、惨劇が起きた」
手掛かりは、すぐそこまで来ている。
『11月20日
初めて、彼と会った。彼は、私と同じだった。世界に失望し、人間に絶望した、私と同じ目。聞けば人間として最低限の生活しかさせていないらしい。そうすれば生贄の純度が上がるからだと言う。
……まるで、今の自分のようだった。こんな面倒な責任を負いたくない。けれど、そんな感情と相反した感情が、私を取りまえてた。
救いたい。どうせ彼を自分に重ね合わせて憐れんでると分かっていても、私に残された、擦り切れた体に残る良心は、そう訴えてた』
『11月24日
彼はとても冷たい。人に対して過度に距離を開けてる。正直悲しいけど、育った環境が環境だから、仕方がないのだろう』
『11月30日
冷たい。少しだけ態度を軟化させてほしい。けれど私がただ話す言葉を相槌打ってくれるようになった。仕事や夜はとても辛いけれど、彼と話すことが今の唯一の楽しみだ』
『12月18日
風邪をひいて倒れてしまい、今日はお休みになった。しかしやはり風邪はどこか、気分が弱くなる。自分はいらない存在とか、結構自己否定が多くなってしまう。そんな中、彼が見舞いに来てくれた。彼が来るとはびっくりだ。
風邪は私を狂わせ、気なしに自分の生い立ちを彼に語ってしまった。すると彼も応えてくれた。彼も、私なんかよりひどい人生を歩んできたんだ。彼の意思を組み、これは記さない』
『12月23日
完全復活した。仕事とかはものすごくきついし、先ほどストレスかな、出された食べ物を全部吐いてしまった。
けれど彼とは少しずつ打ち解けてきた。彼もポツリポツリとお話ししてくれる。とても嬉しい。』
『12月29日
私が彼に、最近良く笑うようになったねと言うと、彼は君のおかげだよ、と笑顔を作ってくれた。嬉しい。絶望していた彼をはげますことができた訳じゃないけど、そうやって、一時でも楽しそうにしてくれるのは悪くない。』
『1月1日
新しい、くそみたいな年が始まった。年明けの瞬間、私は彼と一緒にいられた。その時、彼は私に交際を申し込んできた。いずれ生贄としてささげられる彼と、奴隷として生きるしかない私。とてもお似合いだ、と彼は皮肉をついていた。嬉しかった。
誰からも否定される、最低な恋情。けれど、これ以上の幸福を、私は知らない。』
幸福。
大輝は振り返り、既にこと切れたミツキの亡骸を見る。
彼女は、幸せだったのか。惨劇が起きる前、ミツキと彼女の言う『彼』は幸せになったのだ。なのに……。
『1月19日
恋人同士になった。……と書くのに未だににこにこしてしまう自分はやはり自分がちょろいのだろうか。けれど、とても嬉しいのは事実。二人とも地獄のような待遇を受け続けているけれど、二人だけの時間はとても嬉しかった。初めて会った時には想像できないほど、彼は私を大切にしてくれる。とても幸せ。』
『2月8日
私の誕生日を、彼は覚えていてくれた。ささやかだけど、食堂に残っていた、食べられそうな残飯をかき集めて、一緒にご飯を食べた。『良く覚えていたね。驚いたよ』と言うと、彼はにっこりと笑って『誰も知らない、世界一大切な日だから』と言ってくれた。この嬉しさを、私は筆舌に尽くすことができない。それに今日、初めてプレゼントというものをもらったんだ。ずっと、これから一緒にいたい。もちろん、きっと、すぐ目の前までに別れが迫っているということも、知っているけれど』
『2月25日
彼と付き合い始めてから結構経った気がするけれど、まだ三カ月。けれど、とても幸せだ。毎日がこんなに楽しいなんて、知らなかった。
彼は、どうせ殺されるならあなたに殺されたいと言っていた。もう少しで、忌子奉りだからかな。本当に、不吉で、くそみたいな世界だよ。
これからも、ずっと一緒にいたい。永遠に』
後半につれ、ミツキの日記はやや影が出始めた。奴隷に似た境遇の中、彼との関係はとても嬉しかったのだろう。けれど彼を失うことが怖い。その気持ちが前面に押し出されていた。
そして、三月を越え、下旬には行った直後、物語は動きだした。
『3月25日
生贄の儀式がもうすぐであるという。彼はそれを受け入れている様子だった。いつか来るとは分かっていたし、それ相応の覚悟をして交際してるつもりだった。けれど、そんなのは甘かった。いやだ。死んでほしくない』
『3月29日
逃げよう、と私は提案した。こんな村なんかにいたくない。薄汚い大人の集まりのこの村から逃げてしまいたい。そうすれば私達はずっと幸せにいる事が出来るのだ。どうしてこんな村に縛られ続けなければならないのか。
彼も承諾した。
明日、私達はこの村から逃げる。絶対に、二人で幸せになってやる。』
次のページは血糊に覆われて開くことができなかった。
無理に開けようとすると破れるため、さらに次のページを見る。
そこには、先ほどの落ち着いた文字とは違い、書き殴ったかのように乱れた文体になっていた。
『4月4日
この村は終わり。彼の仕掛けた影永呪縛は発動し、今ここは血の海だ。
私も、そろそろ死ぬだろう。黒い影になってしまうのだろう。
外への道は分断され、完全に異界へと取り込まれている。脱出は不可能なのだから。
きっと、この惨劇の後、これは世間では猟奇的な大量殺人として処理される。魂だけ、ここに残りつづける。延々と死んだ時の激痛を与え続ける呪いらしい。彼は一人だけでも逃げろと言ってくれたけど、そんなことはできない。
私は彼を守り切れなかった。
誰かに殺されるくらいなら、自分の手で人間らしく死にたい。
私はただここに居続ける。
いつか、彼が生まれ変わったら、再び巡り合えることを信じよう。
彼の魂が救われるまで、私はここの番人となろう』
日記はここで終わっていた。
「後は全部白紙か。これを書き終えた後、ミツキは……」
少しだけ、分かる気がする。好きな人とともに幸せになりたい。例え、どんな辛いことが待っていたとしても。強引に難所を突破して、想い人と一緒にいたい。
「……あの馬鹿野郎も、そう思ってんのかな」
連想されるのは、鉄棒を握り彷徨う晴美の姿だった。彼も、彼なりにそう言うことを考えているのかも。
……俺もだ、と大輝は思う。未だに琴音と合流できていない。
「一体どこにいるんだよ、園村は」
彼女のことだ、何だかんだ無事にきりぬけているだろうけれど……。
「まずは、司書室に行こう」
「どうしてだよ」
「日記に書かれた日付に、ミツキの誕生日があったでしょう」
……なるほど。
「あの錠はミツキの言う『彼』が付けたもん。そして、四桁の番号を入力しないといけない番号式」
彼はミツキのことを大切にしていたならば、ひょっとしたら……。
「あの奥の蔵書室で、影永呪縛を止められる」
もう少しで、黒い影の襲撃から解放される。




