18.5限目 大家ともう1人の同居人(後編)
「まさか……。白宮の他に、うちの生徒が住んでいるとはな」
麦わら帽子に、さらにタオルを頬被りし、長袖長ズボンという出で立ちで、すっかり農業するおっちゃんみたいな恰好になった俺は、軍手をはめた手で雑草を引き抜いている白宮の横に座った。
白宮はニコリと笑う。
麦わら帽子に、首から巻いたタオル。
地味な長袖のポロシャツに、ベージュのパンツと長靴。
すっかり農作業衣装であるが、それでも白宮の美しさは変わらない。
白い肌は汗ばんでも綺麗で、ブラウンに近い瞳は相変わらず美しく輝いている。
クスリと笑う姿も、いつもながらも雅だ。
果たして同じ恰好をした小野小町でも、ここまで美しいだろうかと思うほどである。
俺は白宮の反応を見て、すべてを理解した。
「お前、知っていたな?」
「同じ二色乃高校の生徒で、私の友人なのですから、知ってて当たり前ですよ。むしろ、玄蕃先生が知らなさすぎです」
「…………」
ぐぅの音も出ないとは、このことである。
宮古城も白宮に負けず劣らず目立つ人物だ。
そんな教え子と一緒に住んでいたことを、2ヶ月以上知らなかったとは……。
くっ……。
なんでだろう。
今、なんか無性にもったいなく思っている自分がいる。
「良かったですね。両手に花ですよ」
「お前が、それを言うのかよ。それよりも、俺がお前と一緒に夕飯を食べていることを知られていないだろうな」
「――――ッ!」
ちょっと待て。
なんだ、その今「あっ」という顔は。
マジか? バレているのか? 俺たちの関係……。
「問題ありません。ミネアが知っていようが知っていまいが……」
「いや、普通に問題あるだろ」
「たとえミネアは知っていても、他の人に喧伝するような子じゃないですよ」
「まあ、それはそうだが……」
宮古城はどちらかといえば、口数の少ない生徒である。
校内でも、白宮と話している時と授業の時ぐらいしか口を開かない。
人は宮古城のことを、「お人形さんみたい」と良く形容するのだが、まさしくその表現がぴったりな生徒だった。
白宮が言うとおり、俺たちの関係を知ったからといって、他人に言いふらすようなタイプには見えない。
「そもそも……。それなら宮古城と一緒に食べればいいじゃないか? それなら、お前も寂しがることないだろ。俺なんかより、同性の同級生の方がよっぽど……」
「何々? 君たち、随分と仲が良さそうじゃないか」
そう言って、間に入ってきたのは、ほのめさんだった。
手には何故か、缶ビールをぶら下げ、ちゃぽちゃぽと音をさせている。
割とさっきから気付いていたのだが、店子に任せておいて、ほのめさんは現場指揮という名のサボりモードに入っていた。
とはいえ、人手は足りている。
草刈り機を操る宮古城によって、大半の草がすでに狩られつつあった。
「人に美化清掃活動をさせて、自分はビールかよ。お気楽な大家だな」
「そうだぞ、シン。悔しかったら、大家になれ、君も」
ごきゅごきゅと喉を動かしながら、缶ビールを呷る。
なかなかいい飲みっぷりだ。
こう暑い日だとビールもおいしいだろう。
下戸の俺でも、金色に光る飲み物がおいしそうに見えてくる。
突然、白宮はすっくと立ち上がった。
巻いていたタオルを解き、麦わら帽子を取る。
「ちょっと部屋に戻ります」
俺の方に振り返ることなく、白宮は自分の部屋に戻っていった。
△ ▼ △ ▼ △ ▼
白宮が部屋に引っ込んだ理由はすぐにわかった。
美化清掃が終わった後に、簡単な軽食を用意してくれていたのだ。
中にはビールのつまみになりそうなものもあり、ほのめさんは「わかってるねぇ、このりちゃん」とご満悦だった。
俺も卵サンドをチョイスし、頬張る。
「うまい!」
さすがは白宮だ。
一見ただの卵サンドに見えるのに、市販で売ってるものとは違う。
マヨネーズと半熟卵、そこに刻んだキュウリが入っている。
前者2つの相性はいうまでもないが、半熟卵のとろりとした食感に、キュウリのシャキッとした食感が合わさるのは最高だ。
味も甘すぎず、粗挽きの胡椒がピリッと利いている。
そしてなんと言ってもパンだ。
レンジだけで作ったという自家製パンはモチモチしていて、パン職人が真っ青になるぐらいうまい。
耳まで甘く、もちろんカリッとした食感も素晴らしかった。
この卵サンドを作るのに、一体どれほどの手間がかかっているのか。
想像もできない。
まさしく珠玉の一品だった。
が、どうもおかしい。
いや、料理に関しては問題ない。
ただ――白宮がおかしい。
俺が食べてると自然と笑顔を向ける彼女が、今日は何か大人しい。
いつもなら何かと教師である俺をからかう口も、今日は機能を停止していた。
黙って、自分が作ったサンドウィッチを食べている。
ほのめさんと宮古城がいるから遠慮しているのか、と初め思ったが、そうではない。
事実、場の空気は悪い方へと向かっていく。
元凶はわかっている。
白宮だ。
ほのめさんが話しかけると、答えこそ返ってくるのだが、何か素っ気ない。
打てば音こそ鳴るが響かない鐘――そんな印象だ。
いつしか周りが気付きはじめた。
「このりくん……」
「は、はい。なんですか、ほのめさん」
「すまないが、雑草を入れる袋を買ってきてくれないか? どうやら、もうちょっといりそうなんだ」
「わ、わかりました」
ほのめさんは、白宮にお金を渡す。
白宮は二色ノ荘の敷地内に敷かれたシートの上で立ち上がった。
そのまま靴を履いて、二色ノ荘から出て行く。
すると、飛んできたのはほのめさんの鋭い眼差しだ。
「シン、君は一体何をやったんだい?」
「え? いや、俺は――」
「君と白宮くん……。どう考えたっておかしいぞ? 彼女、明らかに君を無視してるし。男が苦手というわけでもないだろう?」
質問の相手に選んだのは、宮古城だった。
こっちは先ほどから紅茶とスコーンを淡々と口に運んでいる。
特徴的な青い瞳が淀むことなく、空気などお構いなしといった感じだ。
「おそらく、玄蕃先生に問題があるかと」
「ほら……。宮古城くんもこう言ってるぞ」
「いや。俺にはさっぱり――」
「私だってさっぱりさ。なんで彼女が君に対して――――」
怒っているのか……。
そうだ。
白宮は怒っている。
明らかに。俺に対してだ。
ただ俺にはさっぱりだった。
何故、彼女が怒っているのか。
いや、原因はなんとなくわかる。
きっと俺が不用意にいった言葉が原因なのだろう。
しかし、わからないのは、何故あいつは宮古城ではなく、俺とご飯を食べることに、こう――怒ってまでこだわっているかということだ。
「とりあえずだ」
ほのめさんは、俺に缶ビールをかざした。
「きっかけは作ってあげた。あとはなんとかしてこい」
「いや……。でも、俺は――」
「君は教師だ。そして、その前に男だろう」
薄く笑いながら、決してほのめさんの瞳は笑っていなかった。
△ ▼ △ ▼ △ ▼
「白宮!」
俺は声を上げて、呼び止めた。
運動不足の身体があちこち悲鳴を上げている。
膝に手を突き、とにかく息を整え、「待って……」とかろうじて言葉を絞り出す。
やれやれ……。
こんなことなら、サッカー部に混じってランニングでもなんでもするべきだったな。
一方、白宮はぴくりと肩を動かす。
しかし振り返ることはない。
目玉焼きの黄身みたいに、トロトロになった夕日の方向を見つめている。
長い影法師が、まるで俺を刺すように伸びていた。
人通りは少なく、1台のバイクが駆け抜けていくだけ。
妙に静かだ。この世に俺と白宮しかいないというよりは、世界が静かに熱気を失っていくような感覚を覚えた。
「なんですか?」
いつも通りの白宮の声だった。
けれど、これまで聞いた事のないほど、その言葉は寒々しく俺の耳朶を打つ。
ようやく息を整えた俺は、言葉を吐き出した。
「ああ……。ホント何なんだろうな。こうやって、なんでお前を走ってまで追いかけてきたのか。俺にもわからねぇよ。でも、もっとわからないのはお前だ、白宮」
「…………」
「お前がなんで俺みたいな冴えない教師とご飯を一緒に食べたいかなんてわからねぇ。けど、お前がそれにこだわっていることだけはわかった。普段、仙人みたいに心穏やかなお前が、人前で感情をむき出しにするぐらいなんだから、それは相当なものなんだろう」
「…………」
「だから、俺が宮古城と一緒に食べたらっていう発言に対して、お前が傷ついたなら謝る」
「そうですか……。私は別に気にしてませんよ」
思いっきり気にしてるじゃないか。
そう思うんだったら、こっちを向けよ、白宮。
全く……。
意外とややこしいヤツなんだな。
いや、最初っからか。
ただ部屋の蜘蛛を追い払っただけで、ご飯を食べさせてくれて。
さらに寂しいからといって、毎晩ご飯を一緒に食べてほしいとせがまれて。
それから部屋の掃除をしたり、スマホを一緒に買いに行ったり。
そうだ。
白宮このりは才女でも、美少女でもない。
男の俺からすればややこしい。
1人の女の子なのだ。
そう理解しても、白宮の態度は変わらない。
醸し出す空気も、些か衰えはあるものの、踵を返し、綺麗なショートが揺れることはなかった。
はあ……。
俺は思わず息を吐き出す。
やっぱこれを言わないとダメか。
ダメなのか。
仕方ないよな。
「なあ、白宮。俺はお前の心を察せられるほど、お人好しでもエスパーでもない。けど、俺は俺の心だけは理解してる。だから、1回しか言わないから、よく聞け。俺はな――」
白宮と一緒に『いただきます』が言いたいんだ。
「お前と一緒に、お前が作る料理が食べたい。そう思ってる」
あーあ。言っちまった。
これで逃げられなくなっちまったな。
俺はずっとどこかで言い訳をしていた。
白宮を孤独から救うためだと。
でも、違うんだ。
俺はたぶん、白宮と一緒にご飯が食べたいんだと思う。
教え子を救うとかそういうは抜きで。
ただ純粋に……。
白宮と。
もう引き返せない。
俺から一緒に食べたいっていっちまったんだ。
「玄蕃先生……」
そう言った白宮の声は、何か久しぶりな響きがあった。
やっと俺が知る教え子が帰ってきたような気がする。
すると、ゆっくり白宮は振り向く。
まるで天岩戸が開くように。
「私が先生と一緒に食べたいって思う理由を知りたいですか?」
真っ直ぐに俺を見つめる。
逆光にあっても、そのブラウンに近い瞳は奇妙なほど輝いていた。
半分は笑顔。半分は緊張してる。
そんな微妙な表情だった。
事実、その時の白宮の唇はかすかに震えていた。
そして、白宮は心を整えるようにそっと胸に手を置く。
抜き身の真剣を抜いたような緊張感が、場を貫き、俺の身体も自然と揺れていた。
ごくり……。
白宮の料理を前にしたかのように、俺もまた大きく喉を動かす。
「玄蕃先生、私は先生のことが……す――――――」
お嬢さま……!
鋭い。
鞭を打つような声が、静かな道路に響く。
ヘッドライトを付けた車が2台、側を横切り、自転車に乗った小学生たちがキャッキャッいいながら、車と同じ方向へと走っていった。
まるで世界の時が、再び動き始めた――そんな気分だった。
俺は振り返ると、宮古城が立っていた。
シートの上に座っていた時と同じ恰好をしている。
しかし、アスファルトの上に立つ彼女の姿は、どこか中世ヨーロッパの騎士のような雰囲気があった。
かつっ……。
靴音が響く。
ハッとした時、すでに白宮は俺の脇を抜け、宮古城の方へと歩いていた。
すると、ニコリと宮古城に向かって微笑む。
「宮古城さん。その呼び方は止めてください、と言ったでしょ?」
「…………。すみません、白宮さん」
たった2つの台詞なのに、何か無数のやりとりが行われたような凄まじい重厚感があった。
白宮は俺の方へと振り返る。
「玄蕃先生、ほのめさんに頼まれたおつかいですが、先生に頼んでいいですか? それで今日のことは許してあげます」
「お、おう。それでいいなら」
「私もですよ。先生」
「え?」
「私も玄蕃先生と一緒に食べるのが、大好きなんです」
キュッ……!
一瞬息が詰まる。
何か身体の中で音がしたようが気がした。
それは腹音なのか。
それとも俺の心臓なのか。
何か判然とはしなかった。
「だから、『俺なんか』なんて言わないでください。玄蕃先生は、私にとってヒーローなんですから」
「ひ、ヒーロー? 大げさだろ。たかだか俺は子蜘蛛を退治しただけで……」
悪の結社から守ったわけでもなく。
世界を救ったわけでもない。
そんなものでヒーローを呼ばわりされたら、世の男性の半数はヒーローに違いない。
「ふふっ……」
白宮はただ笑うだけだった。
明らかに俺を小馬鹿にしたような笑みだ。
だが、その顔を見て、何故か俺は心底ホッとしていた。
毎日更新はここまでになります。
書籍化作業のため、一旦更新を止めさせていただきます。
再開につきましたtwitterや活動報告などでお知らせさせていただきます。
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