13限目 はい、あーん……。
最初に箸をつけたのは、タコさんウィンナーだ。
弁当の定番。子どもの頃、うちの母親もよく入れてくれていた。
ついつい懐かしく、最初に箸を伸ばす。
やや生意気そうな目玉がついていて、俺の方を睨んでいた。
こんにゃろう。お前なんてこうしてやる!
パクッ!
うん。うまい。
普通の市販のウィンナーなのだけど、タコさんにするとなんかうまいんだよな。
足の辺りとか。
細くなっているからか、コリコリして普通のウィンナーの食感とは違うのだ。
「ふふ……」
白宮は唐突に笑った。
「まるで男の子みたいですね。タコさんウィンナー好きなんですか?」
「白宮、忘れたのか。俺は元男の子だ。それにその子どもっぽいタコさんウィンナーを入れたのは、白宮だぞ」
「私は子どもっぽいなんて言ってませんよ」
「うぐっ!」
「タコさんウィンナーに目を輝かせる玄蕃先生が可愛いと思っただけです」
「23の教師を捕まえて、可愛いとかいうな。お前の美的センスを疑う」
「そう言いながら、赤くなってる玄蕃先生も可愛いですよ」
「ぬぐっ」
相変わらず口では白宮には勝てないらしい。
さすがは学校一の才女だが、これって教師としてはどうなんだろうか。
さて、次は何をしようか。
弁当って何を食べるか悩むんだよな。
汁物がないから、スタートがなかなか決めにくい。
生ものも少ないから、割とメインを張れる料理が多いのも理由だろう。
甘酢あんかけは最後にして、卵焼きだな。
俺は何気なく箸で摘まんだが、それだけで驚いた。
軽い、そしてふわふわだ。
箸で軽く押すだけで、凹んでしまう。
作ってから時間が経っているのに、まだふわふわ感を維持していた。
口の中に入れる。
また食感が軽い。
卵のふわふわ感が口の中に広がっていく。
同時に卵の黄身の甘さが口内に滲んでいった。
過度に甘くなく、食材の味だけで勝負している。
「この卵焼き、凄いな。冷めてるのにふわふわだし、おいしい」
「マヨネーズを使ってるんです。マヨネーズに含まれている油とお酢が、加熱すると結合するタンパク質の性質を抑制するんです」
「すごいな、白宮。お前、料理の博士か何かなのか?」
「…………」
「ん? どうした?」
「あ、いえ。なんでもありません。満足していただいたようで何よりです」
白宮は微笑んだ。
満足したというが、ちょっと顔が浮かない。
というか、ちょっと怖い。
褒めたつもりなのだが、何か白宮にとっては地雷だったのだろうか。
今後は気を付けておくか。
「次は、甘酢あんかけだな」
ずっと気になっていたのは、揚げ物だ。
おそらく肉だと思うのだが、それがこうして今目の前にあっても判然としない。
定番なのは豚なのだが、白宮が作る料理としては捻りがない。
きっと何か別のものだろうと、俺は予測し、そして期待する。
まずは揚げ物から手を付ける。
粘りけのあるあんをたっぷり絡め、俺は口に入れた。
「お、おお。この食感は……」
鶏だ。
鶏の甘酢あんかけだ。
肉自体は胸肉を使っているのだろう。
さっぱりとして、それが甘酢あんかけとよく合ってる。
甘酢もひどく酸っぱいわけではない。
ピリッと効いていて、甘さもちょうど良かった。
周りの野菜もシャキシャキとしてうまい。
赤いパプリカは苦みがあって、甘いあんと好相性だった。
最後は梅干しだ。
大振りの梅干しを一気に口の中へ放り込んだ。
「くぅぅぅううう! 酸っぱい!」
頭の上まで突き抜けていく。
でも、いい酸っぱさだ。
俺の細胞の隅々まで刺激する。
おかげで、ちょっとだる重かった身体が軽くなったような気がする。
中に入っている塩分のおかげだろうか。
夏には1番これが効く。
とりあえず、一回り。
どれもこれも絶品だ。
小悪魔教え子の態度は気に入らないが、ご飯のおいしさにだけは、毎度頭が下がる。
俺の前で弁当を食べる白宮の方を見る。
いつもながらも、上品な箸の動かし方だ。
口の動きにさえ、雅さを感じる。
「うん」
白宮がある食材を摘まんだ時、俺はそこでようやく気付く。
弁当に入っている料理が違うのだ。
卵焼き、タコさんウィンナーと梅干しは一緒だが、甘酢あんかけの食材が違う。
俺は鶏の唐揚げだったが、今白宮が食べているのは、別の食材だった。
「白宮、それって」
「ああ。これですか? 肉団子ですよ」
「肉団子?」
腹の収縮だけは抑えたが、ずるりと涎を飲み込んでしまう。
「実は、鶏肉が足りなくて。挽肉が少し残っていたので、玉ねぎを刻んで丸めて、肉団子にしてみたんです。こっちの方が良かったですか?」
「いや、そういうわけではないのだが……」
鶏の唐揚げもおいしかった。
さっぱりしていたし、ジューシーだ。
けれど、白宮が食べている肉団子もおいしそうに見える。捨てがたい。
あんがしたたり、弁当の中の白飯に1滴垂れている。
「ひ、1口くれないか? 俺は鶏の方を出すから」
と取引する俺だが、そもそもどっちとも白宮が作ったものだ。
「いいですよ。じゃあ――――」
そう言って、白宮は今まさに自分の口に運ぼうとした肉団子を俺の方に差し出す。
それは俺の弁当に向かうものかと思われたが違う。
俺の口に直接向かっていった。
「はい。あーん」
「ちょちょちょちょちょちょっと待て、白宮」
「どうしました?」
「じ、自分で食べるから。弁当の上に置いてくれ」
「ダメです。じゃないとあげません」
「そ、そんな!!」
え? ええ?
どうすればいい?
肉団子は食べたいが、そのためには白宮の「あーん」を……。
いや、別に嫌な訳じゃない。
むしろ光栄…………いやいや、何を考えているんだ。
俺と白宮は、教師と教え子というわけで。
そ、そうだ。しかも、ここは学校で。クーラーが効いた中で……いや、それは関係ないか。
ともかく、そんな不埒なことをしていいのだろうか。
俺はちらりと白宮を見る。
白い歯がこぼれ、悪戯小僧のように笑っている。
――謀ったな、白宮!
やられた。
ここまで計算尽くだったとは。
絶対、鶏肉を切らしていたなんて嘘だろ。
俺に「あーん」するために、わざと肉団子に……。
白宮、恐ろしい子!!
教師をからかうために、ここまでするか!
しかし、四の五いってられない。
ぬらぬらになったあんと一緒に、肉団子は目の前まで迫っていた。
「……あ、あーん」
俺は口を開けた。
白宮の料理に敗北したのだ。
そろそろ肉団子が俺の舌にのる。
ゆっくりと蒸気機関車の車輪のように顎を動かし、俺は咀嚼した。
「うまい……」
使っているのは、合い挽き肉だろうか。
おそらく牛と豚だろう。
なかなか豪勢な肉団子だ。
肉の旨みが咀嚼する度に染み出してくる。
甘酢のあんかけと絡んで、味に深みが出ていた。
合わせた玉ねぎもシャキシャキしている。
食感はよく、玉ねぎ本来の甘みもしっかり感じることができる一品だった。
クーラーの効いた部屋。
うまい弁当。
目の前にはそれを作った美少女。
なかなか望めない展開だろう。
学校でなければ、120点を上げたいところだ。
「じゃあ、次は私ですね。はい。あーん」
「な! 俺もやるのか?」
「私がやったんですから。おあいこです」
「おあいこですって……」
小っ恥ずかしい。
だが、白宮は準備万端だ。
口を薄く開け、顔をこちらに向ける。
そして、そっと目を閉じた。
――お、おい。何故、目を閉じる必要がある。
これじゃあ、まるでその……。
キスをせがまれているみたいじゃないか。
いかん。
考えたら、余計に恥ずかしくなってきた。
「玄蕃先生、まだですか?」
「ちょ、ちょっと待て。今――」
慌てて、俺の方にある弁当箱の中から鶏の甘酢あんかけを取り出す。
だが、手が震える。うまく掴めない。
おかげで1個取り逃し、俺の指先を伝って、弁当箱からこぼれ落ちてしまった。
拾い上げようとした時、俺はあることに気付く。
もう1度、目をつむったままの白宮を見つめた。
――待てよ。
俺の中でちょっと悪魔的な発想が思い付く。
白宮の方にある弁当箱にそろりと箸を忍ばせた。
俺はまだ白宮が手を付けていない梅干しを拾い上げた。
これを油断している白宮に食べさせて、驚かせてやるのだ。
――ふふふ……。たまにはこういう悪戯心もいいだろう。
最近、散々俺をからかっているのだ。
たまには教師の恐ろしさを思い知らせてやろう。
「玄蕃先生、まだですか?」
「おう。ちょっと待て」
俺は梅干しを白宮の唇に近づけていく。
ぐふふふ……我ながら悪い笑みが浮かんだ。
いよいよ梅干しが白宮の――。
「玄蕃先生、ダメですよ」
すると、白宮の目が開く。
ちょうど目が合った。
純真なブラウンの瞳が、俺を射貫く。
瞬間、俺は金縛りにかかったように動けなくなった。
「うっ――――」
――くそ! あと一歩というところで。
「私が食べたいのは、甘酢あんかけの方です。だから――――」
すると、白宮は首を伸ばす。
俺の箸ではなく、俺の手に顔を近づける。
「ここにあんがあるじゃないですか?」
それは先ほどのトラブルで俺の手に付いたあんだった。
白宮はそれを――。
ぺろり……。
まるでリスのように小さく舌を出し、舐め取ってしまった。
「うわあああああ!!」
思わず仰け反る。
箸で摘まんでいた梅干しが転々と転がった。
「ダメですよ、玄蕃先生。食べ物を粗末にしちゃ。もったいないお化けがでますよ」
がおぉ、と怖さの欠片もないお化けが、俺の前で小さく吠える。
「お、お前、今……そそそそ、そのぺろって……」
「ええ。しましたけど」
「そ、そそそそういうのは、彼氏ができた時とかに取っておけ!」
「何を言うんですか? 一緒にデートした仲でしょ」
「あれはスマホを買いにいっただけだ」
と抗議するのだが、白宮はますます微笑むだけだ。
慌てふためく俺を見て、楽しんでいた。
全く……。
白宮は一体俺に何をさせたいんだよ。
△ ▼ △ ▼ △ ▼
「じゃあ、俺は先に戻るわ」
そう言って、玄蕃先生は生徒会室を後にした。
引き戸が隙間なく閉まり、先生の足音が3階の階段にさしかかる。
その瞬間、私は心臓を抑え深く息を吐いて、蹲った。
「な、なめちゃった……」
今、思い出すだけでも顔が熱くなる。
きっとあの時の私は正気でなかったのだ。
場所は学校。
主たる生徒会役員がいないとはいえ、決して生徒が来ないわけではない。
その中で、いつも通り玄蕃先生と2人で食事した。
そして、あの……。
“ペロリ”
ああ! あああああああああああ!!
恥ずかしい。
恥ずかしすぎる。
我ながらよくやったものだわ。
でも……。
でも!
「我ながらよくやったわ」
思わず私は、玄蕃先生の皮膚を撫でた舌を指で触れた。
自分とは明らかに違う。
それは確かに人の皮膚だった。
「お嬢さまにしては、なかなか大胆でしたね」
どこからともかく声が聞こえる。
すると、いきなり掃除用具が入ったロッカーが開いた。
ぬらり、と現れたのは、ミネアだ。
「み、ミネア! なんてとこに隠れているのよ」
「何を言うんですか。私が生徒会で涼んでいたら、あなたたちが勝手に入ってきて、空気を読んでずっと隠れていたんじゃないですか」
「なんでクーラーが付けっぱなしになってるかと思ったら、あなたが……。勝手にクーラーを使うんじゃありません」
「何を言っているのですか、お嬢さま。わたしくも生徒会の役員であることをお忘れなく。ところでお嬢さま。玄蕃先生を舐めるなんて高度プレイ――」
「そういう言い方やめてくれる」
「お嬢さまにしてはなかなか大胆でしたが、少々詰めを誤りましたね」
「え? それは――」
ミネアはスマホを取り出す。
画面に映像を流した。
そこに映っていたのは、弁当を食べる私と玄蕃先生だ。
どうやらロッカーの隙間から撮影していたらしい。
「あなた、盗撮を……」
「お忘れですか? わたくしの任務はお嬢さまの監視役ですよ。これぐらいは当たり前です」
「う……」
実はミネアは決して私の味方というわけではない。
私の素行や態度を報告させるために、白宮家が雇った使用人なのだ。
とはいえ、本人がそれを真面目にやっているかといえば、微妙だろう。
教師と一緒にご飯を食べていることも、どうやら白宮家には伏せているようだし。
「ほら。ここですよ、お嬢さま」
「何よ、もう……」
「ほら……。玄蕃先生のほっぺ」
「玄蕃先生のほっぺ…………が、…………なに………………」
な、なんですって!!
私は心の中で叫んだ。
玄蕃先生のほっぺにあんがついていたのだ。
おそらく食べているうちについたのだろう。
「ほっぺの方を舐めればよかったのに……。お嬢さまも、まだまだですね」
ミネアはスマホをスリープ状態にする。
画面は真っ黒になった。
そして私の頭は真っ白になった。
「ほ、ほっぺを舐める」
そそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそそ、それは――。
「ほっぺにキス……」
……きゅうっ!
私はその場に倒れるのだった。
おいしそうっていう感想を多数おみかけしていて、めちゃくちゃ嬉しいです(≧▽≦)





