11限目 はじめての贈り物
私は今、カレーを作っていた。
現在日本は初夏。
すでに午後7時を迎えようとしている。
玄蕃先生は自分の部屋だ。
明日までに作らなければならない書類があるらしい。
ただし私に1つだけリクエストを残していった。
『白宮、カレーは辛い方が俺は好きだ』
なんだか告白されてるみたいで、少し嬉しかった。
よし。
なら、玄蕃先生が唸るぐらいの辛いカレーにしましょう。
お肉はひき肉、野菜はチンゲンサイ、しめじを使う。
さらにそこに、無臭ニンニクと生姜を2欠片ずつ。
普通にカレーを作る要領で炒め、昆布で取っただし汁を入れて、低温でゆっくりと温めていく。
この具材だけでは食感が物足りないので、私はここで少し大きめに切った豆腐を、市販のカレールーを入れるタイミングで投下。
ゆっくりと鍋をかき混ぜていった。
実は、唯一カレーだけは家で習わなかった料理だ。
白宮家は基本的に和食だからである。
ただ賄いでは、よく作っていた。
余った材料を消化するのには、ちょうど良いからである。
定番のジャガイモや人参、玉ねぎに、豚バラもいいのだけど、色々試すうちに、この組み合わせに行き着いた。
ネットを探っても、あまり見ない組み合わせだから、さぞ玄蕃先生も驚くだろう。
慣れているとはいえ、心を込めて作る。
いつも通りに丁寧に作るだけだ。
だから、どうしても思い浮かんでしまう。
今日の玄蕃先生の顔が……。
にへへへ……。
「お嬢さま、何をニヤけているんですか? 気持ち悪いですよ」
「ひっ!」
私は思わず背筋を伸ばす。
翻ると、金髪の少女が、私の方に青い瞳を向けていた。
「ミネア、驚かさないでよ。てか、気配を消して立たないでくれる」
「失礼。これも忍びの性なので」
「だから、あなたは忍びじゃなくて、私のメイドでしょ」
「まあ、それはさておき。良かったですね。デートは大成功だったようで」
「おかげさまでね。玄蕃先生も無事スマホを買えたし」
「それは良かった。お嬢さまの服選びに、4時間も付き合った甲斐があったというものです」
ミネアは振り返る。
キッチンの惨状に目を落とした。
そこには大量の服、靴、あるいはアクセサリーが散らばっている。
その惨い状態は、扉の開いた奥の部屋まで続いていた。
「わ、悪かったわよ。片付けは私がするから……」
「反省してるならいいです。でも、良かったですね。玄蕃先生の部屋が片付いていて。あっちの部屋で食べるんでしょ」
「い、いい口実になったことは確かね」
誘っておきながら、玄蕃先生の部屋で食べることになったのは、我ながら情けない。
「ところで、お嬢さま」
「何よ。今、急いで料理を作ってるんだから、あまり邪魔をしないでくれる」
「なんで玄蕃先生のことを、“進一”と呼び捨てにしなかったのですか?」
「ぶぅ!!」
私は思わず味見していたルーを吐き出してしまった。
ミネアに言われるまでの間、今の今まで忘れてた。
そういえば、そんなことがあった。
「だ、だって――……。そ、それは…………」
「堂々と呼び捨てにするチャンスでしたよね」
「う、うん」
「あわよくば、そのまま進一と呼んで、緊密な関係になることも可能」
「うん……」
「では、何故?」
「だ、だって――――」
し、仕方なかったんだ。
その……。なんというか。
自分には敷居が高いというか。
まだレベルが足りていないというか。
いざ言おうとしたら、すごい小っ恥ずかしくなってきて。
「言えなかったのぉぉぉぉぉおおおお!!」
「おお、よしよし。まあ、仕方ありません。彼氏を呼び捨てで呼ぶのは、恋愛ゲームでいうと、中盤に入ってからですから。まだまだ序盤でうろついているお嬢さまには早かったかもしれません」
「うぅぅぅ……。あ、あなた、私のことをけなしているのか、励ましているのかどっちなのよ」
「わかりませんか? けなしているんですよ」
「励ましなさいよ! あなた、うちのメイドでしょ!!」
もうやだぁ……、このメイドぉ。
「とにかくご無事でようございました、大事な妹さま」
「くっ! 舌の根が乾かないうちに、主人が気にしていることを……。というか、あなた見てたの?」
「割と近くで……。ああ、あそこのクレープはなかなか美味ですよ。出店したのは、最近ですが、たぶん今度雑誌の取材が来ると思います」
「滅茶苦茶近くにいたわね。そう。あなたも列に並んでたの。気付かなかったわ」
「いえ。クレープ屋の車両の中から見ていました」
「客じゃなくて、店員の方なの! ていうか、うちのメイドって副業していいの?」
「………………今のは忘れてください」
「ダメなんじゃない!」
「ダメなのはお嬢さまも一緒でしょ?」
急にミネアは真剣な目で私を見つめた。
「嘘でもいいから恋人ってことにしておけば良いものを。嘘から出た誠という言葉を知らないのですか?」
「そんなのわかってるわ。……でも、先生に迷惑がかかるのはいや。好きな人の迷惑になるのは、絶対やっちゃいけないと思うから」
「それを言うなら、玄蕃先生と一緒にご飯を毎晩食べてる事の方が、迷惑になると思いますね」
「それはそうだけど……。だけど、やっぱ恋人はダメなの。それは嘘とか夢とかじゃなくて……」
本当になってほしいことだから……。
私がそういうと、ミネアは面倒くさそうに金髪を掻いた。
そしてその通りの言葉を呟く。
「わたくしが思っていたよりも面倒くさい人ですねぇ、お嬢さまは」
「いいのよ、それで……。今は、この関係で。――――さ、できたわ」
私はカレーにかけていた火を止める。
煮えたぎったマグマのように濃いめのカレーが、火が消えた今でもぐつぐつと音を立てていた。
△ ▼ △ ▼ △ ▼
今日の夕食は俺の部屋で食べることになっていた。
時間は20時を回っている。
そろそろ白宮が来る頃だろうと思い、テーブルの上の書類を片付け始めた。
布巾で丁寧に拭くと、ちょうど良いタイミングでノックが聞こえる。
「はいはい」
俺は小走りで廊下を走る。
瞬間、重層的な香りが鼻腔を衝いた。
胃を直撃するような匂いに、足が止まる。
――いる……。
まるで異世界で魔物にでも遭遇したかのように、俺の身体は強ばった。
そして自然と垂れてきた涎を拭う。
再びノック。
いかん。いかん。
一瞬、意識が遠のいてしまった。
よっぽどお腹が空いたとみえる。
胃が雑巾のように絞り上げられ、ぎゅっと悲鳴を上げた。
――今日は色々あったからな。
軽く遠い目をしながら、俺はいよいよ扉を開ける。
ぶわっ……。
それは熱砂を吹き抜ける風のように広がった。
香辛料の匂いが鼻を突き刺す。
思わず腰砕けになりそうになったのを、俺はなんとか堪えた。
立っていたのは、美少女だ。
天女みたいな神々しい笑顔の下には、その両手によって底の深い鍋が握られていた。
「お待たせしました、玄蕃先生」
「お、おう」
ごくり、と唾液を飲み込む。
冷静に反応できた自分を褒めてやりたい。
だが、目が離れない。
白宮の胸の前で掲げられた鍋から視線を逸らさないでいた。
くすり……。
白宮がこちらを向いて、微笑む。
「入っていいですか?」
「あ、すまん」
1歩引いて、白宮の入室を促す。
キッチンに来ると、ダイニングテーブルに置かれた鍋敷に、鍋を着地させた。
白宮が待っている時はなんとも思わなかったが、この鍋もまた変な重厚感がある。
今にも、変形してロボットにでもなりそうだ。
「ご飯はできてますか?」
「ああ……」
俺の家にあった炊飯器を開く。
白宮の提案で、ご飯はこちらで炊くことになったのだ。
例によって、俺は特に何もしていない。
洗米したのも、炊飯器のスイッチを押したのも、白宮である。
さらにご飯をよそい、いよいよ鍋の封印が解かれる。
蓋を少しずらした瞬間、鍋が荒い息を吐き出した。
直後、爆発的に香りが部屋の中に充満する。
ますます食欲がそそられ、胃がねじれて、潰れそうだった。
ご開帳……。
現れたのは、馴染みのある濃い茶色だった。
思えば不思議だ。
冷静に考えれば、その色はちっともおいしそうに見えないはずである。
なのに、細胞レベルで自分の身体が歓喜に震えているのがわかる。
俺のすべてが叫んでいた。
カレーだ!
目を輝かせた俺を見て、白宮は笑う。
お玉を使い、すでに白米を載せた皿にカレールーをよそった。
瞬間、ごろりと現れたのは、ジャガイモでもなければ、人参でもない。
豆腐である。
他には肉はひき肉、シメジ、チンゲンサイの青がルーの中で映えていた。
「おお。豆腐カレーか」
噂には聞いたことがあるが、食べるのは初めてだ。
カレールーに浸った白い豆腐が、ぬらりと光っている。
俺のお腹がキュッと疼く中で、最後に白宮は定番の福神漬けを付け足した。
「いっぱい作ったので、いっぱい食べてくださいね」
今日はカレーオンリーらしい。
でも、十分だ。
すでに皿の上だけで、今日の食卓が完成していた。
「「いただきます」」
俺は白宮と手を合わせる。
マイスプーンを握り締めると、まずは豆腐を頬張った。
「ほふ……。ほふ……」
熱い。
でも、うまい。
豆腐のとろっとした食感と、カレールーがよくマッチしている。
カレー味になった豆腐が、口の中を滑っていくようだ。
故に味が満遍なく広がっていく。
俺はふと前を向く。
白宮はちょっと変わった食べ方をしていた。
豆腐を軽く潰し、白米と一緒に食べる。
――おお……。うまそうだ。
早速、実践してみる。
豆腐をくしゅくしゅにつぶし、白米と豆腐をスプーンの皿に載せた。
もちろん、ルーもたっぷり付けてだ。
はむっ!
「うん! うまっ!」
いい。
潰した豆腐が白米に絡んでいく。
少し硬めに炊かれたご飯と、柔らかい豆腐の食感も絶妙だ。
とろとろの豆腐のおかげもあって、ツルツルとカレーが飲めてしまう。
チンゲンサイもいい。
程よい苦みが、カレーに良い刺激を与えている。
ひき肉と細かくちぎられたしめじも悪くない。
ごろっとしている具材もいいが、スプーンの皿の上に、1度に色々なものが載せられるのがとても良い。
カレーの中のものを、いっぺんに食べられる。
なんとも贅沢だった。
そして忘れてはいかないのは、辛さである。
その点で、白宮は俺の期待に見事に答えていた。
舌にひりつくような辛さではない。
全身で刺激を受けるようなこの辛さがいい。
「今日は少し生姜とニンニクを多めに入れてみました」
なるほど。
生姜とニンニクの独特の辛みが、この味を生んでいるのか。
普通の香辛料では、この味は出ない。
舌に刺激するというよりは、辛さそのものが口内にしみ込んでいくようだ。
しかも、生姜は食欲増進の王様とも言うべき食材だ。
それは1度火が付いた俺の食欲に、油を注ぐような行為である。
俺は当然、おかわりを所望する。
いつもよりペースが速い。
よっぽどお腹が空いていたのだろう。
「はあ……。食った食った」
ぽんぽん、と膨らんだお腹を叩く。
生徒の前だろうと、行儀が悪かろうと、お構いなしだ。
結局、丸2皿平らげてしまった。
それほど、白宮が作ったカレーがうまかったのである。
「今日もおいしかったよ、白宮。自分で『おいしい』っていうだけあるな」
「それは良かったです」
「でも、なんか悪いなあ。付き合ってもらったのは、俺の方なのに……。今度、なんかお返しするよ。何かほしいものはあるか?」
「欲しい物ですか……。そうですね、例えば玄蕃先生の――――」
そう言って、白宮は自分の唇に指を当てた。
その動作を見て、俺の頭はカッと熱くなる。
「し、白宮! お、おおおおお前のほしいものって……」
「あら……。まだ私は何も言ってませんよ」
「お前……」
また善良な教師をからかいやがって……。
といっても、自分の部屋で教え子と一緒に教え子が作った料理を食べてる時点で、善良とは言いがたいがな。
しばらく考えた後、白宮は今欲しい物を俺に告げた。
「ん? なんだ、それは? そんなんでいいのか?」
「はい。それだけで十分です」
「欲がないっていうか。まあ、いいや。お前がそれで満足するなら」
「よろしくお願いします、玄蕃先生」
白宮は本当に嬉しそうに微笑むのだった。
△ ▼ △ ▼ △ ▼
片付けて終え、学校の課題を終わらせると、すでに深夜0時を回っていた。
私は寝間着を着替え、家からそのまま持ち込んだベッドにごろりと転がる。
今日起きたことを思い出しながら、私はベッド脇のサイドテーブルに置いたスマホに手を伸ばした。
すると、ちょうどRINEの着信音がポーンと鳴る。
心拍が一気に跳ね上がり、慌てて身を起こした。
何故か反射的に正座をすると、慎重に画面を確認する。
送信者には「せんせー」と書かれていた。
私が登録している人で、その名前の人は1人しかいない。
玄蕃先生である。
タップして開く。
時間にして1秒もなかっただろう。
でも、5秒ぐらい待ったような感覚があった。
スマホのブルーライトに照らされた私の眼孔に、メッセージが映る。
『白宮このりさんへ。今日はスマホを買うのに付き合ってくれてありがとう。あとカレーおいしかったです。今度、また作ってください。それじゃあ、また明日もよろしくお願いします。玄蕃進一』
「このりさんって」
私は思わずプッと噴き出してしまった。
そのよそよそしく、明らかにメッセージを送るのに慣れてない文章だったが、私の胸はいっぱいになる。
「遅いですよ、玄蕃先生。これだけのメッセージを打つのに一体何時間かかってるんですか?」
スマホ相手に格闘する玄蕃先生が思い浮かぶ。
それとも文章に苦労したのだろうか。
スマホを自分の胸に引き寄せる。
初めてくれた玄蕃先生の贈り物を抱きしめながら、私はそのまま深い眠りにつくのだった。
前話からのカレーのくだりって後から付け足したもので、
この回の料理は元々がんもどきでした。
がんもどき回を読みたい方は、是非ブクマ、下欄の評価をお願いしますw





