10限目 教え子のピンチ
「ところで、玄蕃せ――じゃなかった、玄蕃さん」
白宮はくるりと振り返る。
ロングのウィッグが大きく揺れた。
白宮の地毛よりも濃いそれは、とてもよく似合っている。
いつもよりも清楚感が、1.5倍ぐらい増している気がした。
眼鏡と相まって、深窓の令嬢感を醸し出している。
それは落ち着いた色でまとまった私服のせいもあるだろう。
見た目のイメージとは違って、今日の白宮は活動的だ。
学校では常に上品に、しとやかに、楚々と笑う女子学生が、時折ステップを踏んだり、ターンをしてみたり、やたらアクティブなのである。
これは地なのか、それとも俺のために盛り上げてくれているのかわからない。
ただ白宮には悪いが、俺はただただ戸惑うばかりだ。
「なんだ、白宮?」
「設定をどうしましょうか?」
は? 設定?
ゲームかよ。
「私たちの設定ですよ。わかりやすくいうと、関係性です」
「すまないが、わかりやすい方からいってくれ。お前の言葉は高尚すぎて、教師の俺には理解ができないんだ」
「それは失礼しました。それで――?」
白宮は眼鏡越しに俺をのぞき見る。
いちいちあざといなこいつ……。
絶対からかってるだろ、俺のこと。
しかし、関係性か……。
白宮と俺は教え子と教師なわけだが、これは絶対NGだ。
バレれば、俺が社会的に終わる。
となると、別の関係性を考えねばならない。
「無難なところで、親戚の子どもとか……。近所の子どもを……」
「完全に不審者の言い訳じゃないですか。それでもし職質されたらどうするんですか?」
「う……。確かに……」
「もっと近い関係性でいって、信憑性を持たせないと」
「近いか……。きょ、兄妹とか……」
「恋人とか?」
うっ……。
俺の心臓は一瞬鋭い音を鳴らした。
心拍数が急激に上昇する。
落ち着け、我が心臓よ。
これは白宮が俺をからかっているのだ。
これぐらいで驚いていては、長い教師生活を勤め上げることはできないぞ。
明らかに動揺する俺を指差しながら、白宮はくすりと微笑む。
「教師をからかうのもいい加減にしろ、白宮」
「うふふ……。はーい。先生――じゃなかった、お兄様」
「お兄様!!」
俺は別の意味で、またドキリとした。
「恋人がダメなら、兄妹が1番無難ですよね。年はちょっと離れすぎてますけど。それとも、親子ってことにしておきますか?」
「やめろ。お前みたいな年の子どもがいたら、俺は一体何歳で結婚したことになるんだよ」
「ふふふ……。それじゃあ、行きましょうか? お兄様」
白宮は歩き出す。
その後をやれやれと頭を掻きながら、俺はついていった。
△ ▼ △ ▼ △ ▼
白宮のペースに俺は完全に飲まれていた。
一部の隙間もない。
ただただ彼女のペースで事が進む。
はあ……。教師としてもそうだが、男としてもどうなんだ、この状況は。
ただ当の本人は妙にご機嫌だ。
鼻唄を歌いながら、ショーウィンドーに飾られた服を見つめている。
色々回った挙げ句、ようやく携帯ショップにやってきた。
安くて、無難なデザインのものに決める。
ぶっちゃっけると、電話とメール、白宮のためにRINEができればいいのだ。
最近のは安くても多機能だし、俺はゲームが好きだが、置き型の信奉者である。
容量を圧迫しないので、かなり安い機種を選ぶことができた。
「こ、これは――――!」
シミュレーション料金を見て、驚愕した。
今のガラケーの基本料金よりも、1000円以上安くなるのだ。
年ベースでみると、1万円以上とかなりお得になる。
CMを見て、安いとは聞いていたが、まさかここまでとは……。
もっと早くやっておくべきだったな。
とんとん拍子で契約は進み、唐突に携帯ショップの女性店員は声のトーンを落とした。
「ところで、お客様。つかぬ事をお聞きするのですが、お客様方は恋人同士でいらっしゃいますか?」
「え?」
俺だけ声を上げる。
思わず横に座った白宮を見た。
白宮は「ふふふ」と微笑む。
明らかに驚いた表情の俺を見て、楽しんでいた。
こいつめ……。
「実は『恋人専用プラン』というものがありまして。特定の番号の通話料がタダに――」
「いいいいいいえ。ち、違います。兄妹です」
「まあ、それは失礼しました」
店員は頭を下げる。
「そう見えても仕方ありませんわ、お兄様」
白宮は絶妙なタイミングで兄妹アピールする。
だが、そのアピールを店員は見逃さなかった。
心無しが、その目がギラリと刃のように光ったような気がする。
「でしたら、『家族割り』というプランがありまして。今なら――――」
げっ! 今度はこっちか!
携帯会社ってどうしてこうプランばかり作るんだ?
そんなに消費者を、自分らの計画にはめたいのか。
冷静になれ。
ともかくこの窮地を乗り越えることが先決だ。
しかし、どうしよう?
どう言い訳すればいい。
嘘を吐くか。……いや、身分証とか提示されたら1発でばれる。
なら、真実を……。
それはもっとまずい!
どうする? いっそ白宮を店から連れ出すか。
健康的な太股に置かれた白宮の手を見る。
その手を握ろうとした時、白宮の方からすげなくかわされた。
すると、ボディバックのサイドポケットから自分のスマホを取り出す。
「そのプランだと、そちらの携帯会社と契約し直さなければならないんですよね。すみません。私、こっちの携帯会社の方が気に入っているので」
白宮はニコリと微笑んだ。
それはなんというか。
万人を圧する笑みだった。
二の句を許さないというか。
現に、抵抗しようと口を開きかけた女性店員だったが、「負けたわ」と軽く首を振り、あっさりと白旗を揚げた。
そして、俺の方を見ながら、小さく親指を立てる。
なんか凄いいい顔してたるんだが、それはなんなんだ。
かくして俺は格安スマホなるものを手に入れた。
△ ▼ △ ▼ △ ▼
俺たちは携帯ショップから出た。
まだ空は青いが、時計を見ると午後5時を回っている。
俺たちがいる駅前のショッピングモールは、人が溢れかえっていた。
「今日はありがとな、白宮」
「いいえ。私も楽しかったですわ」
「何かお礼をさせてくれ」
「お礼?」
「お? クレープとかどうだ?」
俺は移動販売の車を指差す。
ちょうど人の波が消えたところなのだろうか。
さほど待たなくても良さそうだ。
「お前はここで待ってろ。買ってくる」
「あっ……。玄蕃先――お兄様!」
俺はクレープ屋に並ぶ。
車体の側面に貼られたメニューを見つめた。
げっ! こんなに種類があるのか。
しまったな……。あらかじめ白宮に聞いておけば良かった。
俺は白宮が待っている方に顔を向ける。
「なっ!」
俺は絶句した。
視界に移ったのは、白宮と学生服を着た男2人。
しかも、二色乃高校の制服じゃないか。
どうやら、白宮は2人にナンパされてるらしい。
白宮は無視してるが、随分しつこいナンパのようだ。
やばい! まずい!!
白宮を助けたいが、今ここで出て行ったら……。
人生が終わる。
「ねぇ! 聞いてる? ちょっと?」
ナンパする男子生徒の声が俺の方まで聞こえる。
白宮の肩に、男の手が触れた。
小さく「いやっ」という悲鳴が聞こえる。
その瞬間、頭がカッと熱くなった。
気がつけば、駆けだしていた。
「おい。お前ら……」
男子生徒に声をかける。
2人は同時に俺の方へ振り返った。
「俺の大事な妹に何をしているんだ?」
自分でも驚くほど、冷たい声が口から出る。
完全に自分の職業とか社会的地位とか忘れ、男子学生の前に立ちはだかった。
すると――。
「あれ? 玄蕃先生じゃん?」
「ホントだ? 先生こそ何をやってるの?」
あ、こいつら!
よく見たら、サッカー部の部員じゃないか。
午前中試合だったのに、こんなところにまで遊びに来てんのか、こいつら。
明日も試合あるのに……。
元気なヤツらだ。
まあ、いい。
ちょっと灸を据えてやろう。
「俺のことはいい。お前らこそ、何をやってるんだ? 明日も試合があるんだぞ」
「いや、それはそのぉ。なあ……」
「な、なあ……」
痛いところを突かれたとばかりに、2人の男子生徒たちの顔が曇る。
俺は口角を上げた。
「試合の後も元気が有り余ってるみたいだな。これは猪戸先生にいって、追加メニューを付けてもらわないと」
「げげっ!」
「それは勘弁!!」
顔が真っ青になる。
人の威光を傘に来て情けないが、こいつらには猪戸先生の名前を使うのが、1番効果があるのだ。
「よし。なら、取引だ。お前たちはここにいなかった。そして、俺も美人の妹とここにいなかった。それでいいな?」
「しゃーないっスね」
「先生、絶対に言わないでくれよ」
「ああ。お前らもな」
「先生、いつか妹さんを紹介してくれよな」
「オレも! オレも!」
男子生徒たちは、最後には手を振って後にした。
はあああああぁぁぁぁぁああぁぁぁあぁぁぁあぁあぁ……。
俺は思わずしゃがみ込む。
なんとかなった……。
よく知ってるサッカー部の部員でよかった。
この時ほど、副顧問で良かったと思う日はない。
土日の休みを潰して、試合に引率する甲斐があったというものだ。
「玄蕃先生」
涼やかな声が聞こえた。
はっとなり、俺は振り返る。
「白宮、大丈夫か? 怪我してないか?」
「大丈夫ですよ。何もされてません」
「そっか」
俺は胸を撫で下ろした。
「玄蕃先生、ありがとうございました。心配してくれて。それに――――」
本当にお兄様みたいでした……。
「か、からかうなよ」
「からかってません。本当のことですよ」
その俺に向ける目が、すでにからかってるんだよ。
ま――。いっか。
白宮が元気になるなら、それで。
いくらでも道化を演じてやろう。
ぐぅ……。
腹が鳴る。
しっかりと……。横の白宮に聞こえるほどに。
どうやら安心したのは、俺だけではないらしい。
緊張状態を脱したお腹が、急に抗議の声を上げ始めた。
「何か食べていくか? 食べたいものはあるか、白宮」
すると、白宮は首を振った。
同時に長い髪も揺れる。
「ここで食べたら、また生徒に見つかるかもしれません」
「そ、そうだな。じゃあ……」
「帰りませんか」
「え? 帰るって二色ノ荘にか?」
「はい。それに約束したじゃないですか?」
「約束? ――あ、カレー!」
「ふふふ。今日も一緒に私の部屋で晩ご飯食べましょう」
そう言って、白宮は天使のように微笑むのだった。
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