神秘の湖
渓流に沿いながら一行は目的の場所へと向かう。
段々と気温も高くなり、陽が頂上を過ぎた辺りで森を抜けた。
光に遮られていた木々を掻き分けてタブルスが先に出ると、眩い光に照り返される。
「うわっ、なんだ? …もしかして、あれは?」
「よっこらせとの。おお、そうじゃ。深き森を守る神秘の湖、フロロス湖じゃ」
「神秘の湖か…」
青々とした木々に囲まれ、豊かな水が煌めいていた。
湖面を覗くと、かなりの透明度で、魚が泳ぐ姿もはっきりとわかる。
遠くの方で魚が飛び跳ねた。
「さて、近くに村があるはずなんじゃが…」
「じゃあ、湖をぐるっと一周してみようぜ!」
「これ、あんまり急いで走り回るでない!」
「大丈夫ですって! もう、ザミアさんは心配性だなあ…とと、アテッ!」
ザミアに気を取られていたタブルスは、何かにぶつかって尻餅をついた。
「イテテ…なんだよもう!」
「なんだ、貴様は?」
タブルスが見上げると、目の前に布の服と獣の毛皮を纏い、黒髪を束ねた男が現れた。
「あ…すみません。僕らは旅の者で、村を探してて…」
「村に、何用だ」
その様子を見つけたザミアとリスイアは、急いで二人の側に駆け寄った。
「すまん、この辺りの者かね? 儂はこの子らと共に旅をしているザミアと申す者じゃ。実は道に迷ってしまってのう。この辺に村などがあれば、少し休ませて頂きたいのじゃが」
黒髪の男は三人の姿をじっと観察して、しばらくすると口を開いた。
「いいだろう。武器などは預かっておく。それでいいなら付いて来い」
「すまんのう」
「ありがとうございます!」
三人は言われた通りに武器を預け、その男に従った。
湖畔に打ち付けられた杭に繋がれた小舟に乗り込み、一行は湖の対岸へと向かった。
「お前たちはどこから来たのだ?」
男が舟を漕ぎながら話しかける。
「儂は遥か東の国からやって来た。彼らとは先日、アダルナピスで知り合ったのじゃ」
「ほう。それで旅の目的は?」
「昔は旅商人に憧れてのう。周辺諸国巡りというのを一度やってみたかったんじゃ。また、その土地の特産物を食すのも年寄りの楽しみでのう。荷物持ちの若者を雇い、遥々やって来たというわけじゃ」
「そうか。もうすぐ着くぞ。あれが、我らの村フロスだ」
湖の向こう側に集落が見える。
奥のほうには祭壇のようなものが見えたので尋ねた。
「あれは…?」
「今、精霊祭の準備をしているところだ。まずは村長に謁見願う」
舟が岸に到着すると、一行は荷物を下ろして村の中心部へと向かった。
村の者たちは皆忙しなく行き来し、祭りの準備に追われているようだ。
中には他の街から訪れた商人や旅人らしき姿も見えた。
「ここが村長様の在わすところだ」
男に案内され、続いていく。
「村長様、旅の者が謁見に伺いました」
三人は横に整列する。
「おお。良く来られた旅の者らよ。私はこの村の長、カシウスと申す。見ての通り、この村は今、精霊様を祀る準備に追われておるところじゃ。祭儀後は盛大な宴もあるのでの、是非ご緩りとして行かれるが良い」
「寛大にお迎え頂き、誠に感謝致します」
ザミアは片膝をついて礼をしたので、タブルスとリスイアもそれに続いた。
「この村に滞在中は争いごとは禁じられている。武器はお預かりするので、お帰りの際、またこちらに訪ねられよ」
「承知致しました」
三人は宿を借り、村の様子を見て回ることにした。
「儂はちょっと調べ物があるのでのう。夕飯頃にまた宿で落ち合おう」
「了解です!」
「あ、くれぐれも気をつけるのじゃぞ?」
「はい。分かりました」
タブルスとリスイアはザミアと別れて、村をブラブラしていた。
「おう、にいちゃん! フロロス湖産の魚の塩焼き食ってかねーかい?」
「飴細工もあるよー!!」
「獣の丸焼きも焼き立てだぜ!」
屋台も出ていて、村人や旅人問わず人集りができて賑わいを見せていた。
「うまそーだな! おい、リスイア。俺、あっち見てくるわ」
「うん」
村の子どもたち同様に、タブルスは目を輝かせて並んでいる屋台目掛けて駆けて行った。
「さてと、少し歩いてみるか」
リスイアは、村の喧騒から離れて湖の側まで歩き出した。
アダルナピスにいた時は記憶も失い落胆していたが、緑も水も豊かなこの土地で生き生きと暮らす人々を見ていると、心が少し落ち着いていた。
ふと、湖の近くで釣糸を垂らしている老人を見つけた。
リスイアは驚かせないように近付いてみる。
老人の近くにあった桶には、数匹の魚がいて泳いでいた。
「こんにちは。ここは良く釣れるんですか?」
「ああ。これも精霊様のお陰じゃて」
老人はニコニコと穏やかな表情を浮かべて言った。
「とても美しい湖ですね」
「ああ。今日は風も穏やかで雲一つなく、魚たちも飛び跳ねておるわい。君は旅のお方かね?」
「はい」
「儂はこの土地のことしか知らんがの。我らフロスの民は先祖代々、毎年祭儀を行い、この豊かな森と湖をお守りくださる精霊様へ感謝し、争うことなくこうして暮らして来たのじゃ」
「村の人々を見てるとわかります」
「旅のお方。人や大地を慈しみ、無いものを数えず、今あるものに感謝するのじゃ。欲することなく愛で満たせば、それはいつか自分に返ってくる。あ、ほれ。また魚が寄って来たわい」
釣竿をあげた老人は、小ぶりの魚だったせいか針を取って離してやった。
「今はまだ幼く力がなくともな、生きていれば良いことがあるやもしれん。さて、これを少し持っていきなさい」
老人は小さな桶に三匹ほど魚を入れて寄越した。
「ありがとうございます!」
老人は気にするなというふうに手を上げ、リスイアは礼を言った。
夕刻、店に戻るとザミアが部屋に戻っていた。
「おや、リスイア、おかえり。ん? その桶は何かね??」
「湖で取れたお魚です。近くの釣り人から頂きました」
「おお。では、遠慮なく頂くかの」
「ぐがー。ぐがー」
タブルスは屋台を満喫したのかニヤニヤしながら眠りこけていた。
「ホッホ。楽しんで来られたようじゃのう。さて、そろそろ起こすとするか」
店の外で村人たちと一緒に夕食を頂く。
川や湖で取れた魚料理や、森の獣の肉料理、山菜や木の子の炒め物など豪華な食卓だ。
「うっめー!!」
「ホントだ! この魚も美味しいや」
「ホッホ。喉を詰まらせないようにの。ふむ、これはどれも美味じゃわい」
ザミアも前菜を摘みながら酒を流し込む。
「そういえば、精霊祭は明日らしいですね」
「うむ」
タブルスも一応は情報収集をしていたようだった。
「村の人によると、なんでもご先祖様が帰ってくるんだとか」
「えっ? ご先祖様??」
「まあ、明日になればわかることじゃて。そう、明日は皆で一緒に行きたいところがあるんでの。二人とも早めに寝るんじゃぞ」
「ザミアさん、どちらへ行かれるのですか?」
「それは明日のお楽しみじゃよ。ホッホ」
ザミアはニッコリ微笑むと酒を飲み干した。