豊かな森
アダルナピスを出てから半日程、順調な旅を続けてきた一行は、国境付近の深い木々が密集した森へと入り込んでいた。
陽が落ちる頃、辺りはザワザワと木々の揺らめく音と、巣に帰る鳥たちの羽音が聞こえる。
空も覆い尽くすような深い森。暗闇は何故だか人を不安にさせるものだ。
「今日はこの辺りで休むとしようかの」
一行は荷物を下ろし、天幕と火をおこす準備をした。
森の中の少し開けた場所で、屋根代わりに伸びた木々の間から僅かに空も見える。
近くに小川が流れているのか、水音も聞こえてきた。
「僕、水汲みに行ってきますね」
「ああ、頼むの。気をつけて行くんじゃぞ」
膝下くらいの草むらを掻き分けながら、リスイアはせせらぎの音の方へと向かった。
「あ、やっぱり」
予想した通り、緩やかな流れの澄みきった小川を発見した。
両手で一掬いし、喉を潤す。
「はあ、美味しい」
渇いた体の隅々まで行き渡る大地の水。
水が綺麗なのは、土地が豊かである証拠だと誰かに聞いた気がする。
記憶は失っているはずなのに、そういう雑学的な知識だけは覚えていた。
「変なの。そんなことだけ覚えている…ん?」
何か川の向こうで光ったような気がした。
なんだろう。
ただふんわりと浮遊した光のようだった。
それはほんの一瞬だったので特に気にせず、ひとまず水を汲み、零さないように気をつけながらその場を後にした。
三人は買ってきた食材を鍋に入れ、グツグツと煮込んでいた。
「ホッホ。さあ、熱いからゆっくりお食べ」
「おー! やっと飯だー!!」
「頂きます」
「うわっち! …ふうふう、おお、うめー!!」
タブルスはお腹を空かせていたのか勢いよく食い付いた。
「そんなに慌てんでも、まだまだ沢山あるからの」
「ザミアさん、料理上手なんですね」
「まあ、慣れたもんじゃろ。お主たちも料理の一つや二つできんとモテないぞよ」
ザミアはホッホッホと笑いながら、汁を啜った。
「俺は釣りや狩のほうがいいや。なあ、リスイア?」
「うん…」
男なら皆そうなんだろう。
自分はどうかと聞かれれば、料理も面白そうだと思うのだが…。
「腹が膨れたらゆっくり休むんじゃぞ。明日は夜明けと共に村を探しに出かけるぞ」
「はい!」
天幕の中でタブルスが鼾をかいている。
ぼんやりとしながら眠ろうと試みたものの、なんだか落ち着かずリスイアは外へ出た。
小さくなった焚き火の側で、ザミアが考え事をしている。
「ザミアさん、寝ないの?」
「おや、リスイアも眠れんのかね」
リスイアはザミアの隣に腰を下ろした。
「まあ、無理もないわい。記憶を失くし、不安ばかりじゃろうからのう」
「いえ、不思議とそこまで不安ではないです。きっと、ザミアさんやタブルスがいるからかな」
「ホッホッホ。それはよかったわい」
「それにここ、こんなに真っ暗なのに、あの街より怖く感じない」
「そうじゃのう。この森は大地の女神様が守ってくれておるからのう。星の瞬きもほれ、綺麗に見えるじゃろう」
「はい。大地の女神様?」
「この世界を見守り続ける神様の一人じゃよ。しかし昨今、闇が天を覆っておる。今の儂らはまだ弱い光じゃが、再び輝き集まる時、世界は清らかで優しい大気に包まれるじゃろう」
「神様か…」
「ああ、すまなんだな。ジジイのたわ言じゃ。ほれ、明日は早いぞ。休みなさい」
「はい。ザミアさんもね」
「ホッホ。お休み」
「お休みなさい」
リスイアは寝床に戻って瞼を閉じた。
大地の女神様か。リスイアは前に夢の中で見た絵画を思い出していた。
薄っすらと霧に包まれた朝。
小鳥たちの鳴き声や穏やかな川のせせらぎ、そして動物たちが動き出す物音が聞こえる。
隣のタブルスはまだ眠りこけていて、遅くまで起きていたらしいザミアも毛布を被って横たわっていた。
リスイアは二人を起こさないように天幕を抜け出した。
柔らかい陽の光が木々の間から差し込んでいる。
小鳥たちが木の枝で挨拶を交わし、草むらからは小さな白い兎が顔を覗かせた。
「やあ、おはよう」
キョトンとした顔の兎はしばらくじっと見つめていたが、踵を返しピョンピョンと跳ねていく。
森の匂いを嗅ぎながら少し散策してみると、太い木の根元に、フサフサした尾を持つリスを見つけた。
驚かさないように側で見守っていると、木の実を抱えて巣に戻っていった。
木の穴の中には数匹の子リスが顔を覗かせる。
そのうち二匹が出てきて、木の枝の上で追いかけるように遊び回っていた。
薪を拾い集めていると、天幕の方から声がした。
「おーい、リスイア!」
「はーい! 今行きます!」
ザミアが起きたようで手を振っていた。
「おはよう。よく眠れたかね?」
「おはようございます。ええ。いい朝ですね」
「朝支度を整えたら出発するぞ。これ、タブルスも起きんかい!」
「んにゃ? あれ、もう朝??」
タブルスは小突かれて寝ぼけながら起こされていた。
朝食を取り身支度を整えると、一行は森の中心部へと向かった。
近くに流れていた小川は、中心部の方から流れてきているようだった。
ザミアが地図を広げて位置を確認する。
「この川が山の上の湖へと繋がっておるはずじゃ。その付近に儂らが目指す場所がある」
「なるほど。少し険しくなってきましたね」
「これは山登りだな。ザミアさん、俺、荷物持つよ」
タブルスがザミアの荷物を半分引き受けた。
「ホッホ。すまんのう。若者たちを連れてきてよかったわい」
「足元、気をつけてくださいね」
「おお、すまんのう。さて、もう一踏ん張りじゃ」
三人はお互いに助け合いながら、目的地を目指して歩みを進めた。