3話 作戦会議
サミュエル・バーンはこの年17歳になる。カインツ将軍に引っ張られて彼女の大将軍府に勤め始めて二年目を迎えていた。
焦げ茶色の癖毛が目立つ以外はあまり特徴の無い容貌で、目鼻立ちは悪くないものの強い印象を残さない。長身ではあるがいわゆる豪傑風の迫力がある体躯でもない。性格も物静かで慎重。強く自分を主張しない方であった。
もっとも、槍を持たせればカインツ将軍も舌を巻く技量を誇り、文官としても非常に有能であった。カインツ将軍の大将軍府を彼女の我が儘を聞きながら運営して特に大きな問題も起こした事はない。
そのサムは目下悩んでいた。彼も将軍位を得てそれなりにフェルナンド王国内部で地位も上がり、そもそもウエクケー会戦の英雄として有名であった。年齢は17歳と立派な成人。そうなるとどうなるかというと、そろそろ結婚の話が舞い込み始めたのであった。
実家の両親からも勿論、つき合いのある騎士や貴族などから縁談、もしくは縁談を紹介したいという話がひっきりなしに持ち込まれるようになってきたのである。特に両親にしてみれば二年も中央勤めをやって箔も付いた事であるし、そろそろ領地を継いで結婚してくれないかと手紙に書いてくるわけである。
これにはサムは困った。領地を継いで結婚するというのはサムだってそのつもりであるから問題無い。そもそもカインツ将軍に引っ張られていなければ既にそうなっていた可能性は高い。
しかしながらおいそれと領地に帰るわけにもいかない。もちろん、大将軍府の事実上の責任者として忙しく、無責任に投げ出す訳にもいかないということがまずはある。だがそれ以前にもしも自分が結婚するなどと言い出したらカインツ将軍がどういう怒り方をするか、恐ろしくてとても言い出せないのであった。
エドワルド・カインツ。本名エカチェリーナ・カインツは21歳になり、正直、この時代の女性としては結婚適齢期が終わりつつある。身も蓋も無い言い方をすれば嫁き遅れに成り掛かっている。彼女は男装して男として大将軍になっている事もあり、そもそも果たして結婚する気があるのか分からないのだが、それは兎も角、嫁ぎ遅れになりつつある 上司をさておいてサムが結婚してしまうというのはどうなのかと気にしている訳である。
しかしながら「将軍は結婚しないのですか?」などと聞くことは獅子の尾を踏みにじるような行為でありとても不可能である。
という事でサムはまだ自分は結婚する気は無いということにして、次々やってくる縁談から身を避けていたのだった。
それは兎も角としてサムは多忙であった。フェルナンド王国はこの時期、宿敵である帝国への侵攻を検討していたからである。
帝国。後世にはアレント帝国とか神聖帝国とか呼ばれる国であるが、同時代には自他ともに単に帝国と呼ばれているこの大陸の三分の一を領する強大な大国で、大陸の統一を目指して周辺諸国への侵攻を繰り返していた。
サムが初陣を踏んだ一昨年のウエクケー会戦も帝国が一方的に侵略してきたことによって起こった戦いである。フェルナンド王国は危ういところで侵攻を撃退した訳だが、同じ様な戦いは過去に何度と無く起こっていた。フェルナンド王国にとって帝国は災いの源であり、それ有る限り安眠を許されない悪夢の温床に他なら無い。
しかし、帝国と王国の国力差は圧倒的であり、本来であれば逆に王国が帝国に侵攻するなど自殺行為だと考えられて不思議はない。しかし、この時は情勢がフェルナンド王国に有利だった。
まず、先年の戦いでフェルナンド王国は帝国を撃退した訳であるが、その時の軍事的損失を帝国が埋め切れていないという事があった。兵力よりもむしろ指揮官の喪失が顕著で、この手の人材というのは簡単に育成出来る性質のものでは無い。これはウエクケー会戦でカインツ将軍が敵の司令部に乱入するという事をやらかしたからで、帝国は兵力の損失の割に上級指揮官を多数討ち取られていたのだ。
更にウエクケー会戦を見た帝国の周辺諸国から同盟の誘いがあり、帝国包囲網とも言うべき同盟連合が完成していた。帝国の周辺諸国はどこも帝国からの侵攻を恐れているという意味では同じであり、協力の余地があった。
この情勢を鑑み、フェルナンド王国の王アーノルド二世と貴族会議は長年の禍根の元を断つべく帝国への侵攻を決断したのだった。
とは言っても、帝国へ深く侵攻するような事はしない。幾ら何でも不可能である。フェルナンド王国が狙っているのは国境の帝国側にある城塞の奪取であった。カスパール城というその城塞は帝国がフェルナンド王国に侵攻する際は必ず橋頭堡になり、強力な補給基地として機能した。本来有利で有る筈の防衛側のフェルナンド王国が押されてしまうのはこのカスパール城が有るために補給線を短くされてしまうからだと言い切って良い。
カスパール城を奪取出来れば帝国の侵攻を遠ざけることが出来る。このため、フェルナンド王国の作戦目標はカスパール城奪取に絞られた。
もっとも城一つの奪取に絞ってさえ難事であることは間違いが無かった。なんとなればフェルナンド王国はこれまでに何度もカスパール城を攻めており、その度毎に撃退されていたのだった。
カスパール城は帝国との国境である湿地に望む岩山の上にある城であり、難攻不落の名を欲しいままにしていた。湿地は使いようの無い土地であると帝国からも王国からも放置された通行も難儀な土地で会ったのだが、帝国は岩山に城を築き、帝国側の湿地に土橋を建設して街道を通したのである。ここからフェルナンド王国に侵攻する時には木製の仮橋を築き、撤退時には焼き払う。
つまりフェルナンド王国から見れば湿地帯の中に浮かんだ城であり、攻めるに難しく、帝国側には土橋があるので補給も増援も容易であるという守り易い特徴を有していた。フェルナンド王国の奪取作戦が何度も失敗したのも無理からぬ話で、そもそも湿地帯に土橋なり仮橋なりを掛けるのは高度な技術力が必要であり、フェルナンド王国の技術力では難しく、湿地を無理矢理進もうとすれば馬は疲れ人は倒れる有様でようやく城塞にたどり着いても戦にもならなかったのだ。
そのため、フェルナンド王国がカスパール城を陥さんとするならこの難点を克服する何らかの方法を考えなければならないのだった。
侵攻作戦はフェルナンド王国の総力を挙げる事になっていた。そのため侵攻の作戦を検討する会議にはそうそうたる面子が集まった。
国王が臨席した大会議室には国務大臣サマル・エイケス筆頭に閣僚全員が整列していたし、大将軍も4人が勢ぞろいしていた。その部下である出席を許された将軍位持ちは15名に上る。新米将軍であるサムは頭がクラクラするような緊張に見回れたが、大将軍の特権で円卓に付いたエドワルド・カインツはふんぞり返って座って鼻の穴を大きくしていた。
国王のお言葉の後、まず既に決められていた編成の発表から会議は始まった。大将軍一人に付き1000の軍勢を編成する。当然領主、騎士は全て召集。作戦期間は1ヶ月。目標はカスパール城の奪取。そこまでは既に内々に決められ大将軍の間に共有された情報であったのでサムも知っていた。しかしここに聞いていない一つ重大な事が付け加えられた。
「総大将は内親王アレシア・フェルナンドが勤める」
意外な情報に議場は軽くどよめいた。これほどの作戦であれば王族が名目上の(歴代の王族の中には軍事的な能力のある人物もいたのでその場合は実質的な意味も持つが、通常はお飾りである)司令官になるのは普通のことであったが、女性の王族がそれになるというのは異例の事であった。
アレシア・フェルナンドは19歳。女性にしては破格の長身と腰まで届く金髪が特徴の迫力のある美女で、黄色というやや派手なドレスを身に纏って歴戦の騎士達の前に堂々進み出た。
「私が総大将になりましたアレシアです。まさか知らぬ者はいないと思いますが、一応は名乗っておきます。よろしく」
は、はあ。という反応が大半であった。サムも同じで曖昧に頭を下げた。例外の一人がカインツ将軍で、不満をあからさまに表情に表してそっぽを向いていた。サムはそれを見て嫌な予感を抱く。
しかしながら会議は順調に始まった。諜報部隊からの現状分析及び現地調査の報告から始まり、各領主への招集状況や傭兵の募集状況、食料武具その他物資の集積状況や見通し、部隊編成の見通しなどが次々と報告された。
やがて、エイケス国務大臣よりカスパール城攻略の作戦案の提案を求める発言があった。そこで「はい!」と元気良く手を挙げたのが大将軍エドワルド・カインツであった。
が、その瞬間ざわめいていた会議室は水を打ったように静まり返ってしまった。
なかなか指名されないカインツ将軍も戸惑ったがサムも戸惑った。大将軍という身分からしてカインツ将軍が発言を求めるのはおかしい事ではない。しかしながら会議を進行していたエイケス国務大臣はわざとらしい無表情を浮かべたままカインツ将軍に発言を許可しない。周囲の閣僚将軍も無言で冷笑を浮かべているだけだった。
やがて違う将軍が発言を求めると、エイケス国務大臣はカインツ将軍の挙手を無かったかのようにして彼に発言を許可した。ああ、サムは理解した。
つまるところカインツ将軍にはこの作戦で手柄を立てさせるわけにはいかないという事なのだ。
変な言い草になるが、今この場でカインツ将軍が大将軍として座っている事自体がフェルナンド王国としては想定外なのであろう。何しろカインツ将軍は男性名を名乗ろうが男装しようが本人がどう言い張ろうが、女性である。昔の誰かの気まぐれで男性としての従軍が認められた事自体がイレギュラーなのであり、甘く見ていたら次々と手柄を立ててどんどん出世してしまい、遂には大将軍になってしまったのは完全無欠に想定外の出来事なのだ。
サムも後から気が付いたのであるが、ウエクケー会戦でのカインツ将軍の率いる重装騎兵部隊は敵の守りが一番硬いと思われていた方面に配置されており、常識的な指揮官であれば戦端を開くのも躊躇する様な部隊配置であったのだ。この時から、いや、おそらくその以前からフェルナンド王国としてはカインツ将軍には手柄を立てさせたくなかったのであろう。まさかその分厚い敵の壁を突破すれば敵の司令部を陥れることが出来るじゃない!などとカインツ将軍が考えるとは思ってもみなかったに違いない。
サムは思わずため息を吐く。さもありなん。フェルナンド王国の貴族社会秩序を思えば、田舎の貧乏騎士から女性の身で成り上がり、王国に四人しかいない大将軍に上り詰めたエカチェリーナ・カインツは異分子そのものだ。同じく貧乏領主の息子であったサムですらそう思わざるを得ない。その彼女が大将軍として大軍を率いて更なる大手柄を立て、大将軍序列一位にでもなり今は男爵に過ぎない所が伯爵にでも叙任されれば、もうこれは冗談では済まされない。血筋も後ろ盾もない女性がそこまで成り上がるなど保守的になりがちな貴族社会に許せる筈が無い。
サムはそっとエドワルド・カインツを盗み見る。案の定彼女は怒っていた。歯をむき出しにして唸っている。犬か。テーブルに乗せた両手は握りしめられ小刻みに震えている。激昂して立ち上がり大声を出さないだけ良く自制しているというべきだろう。
と、サムはそこでカインツ将軍の眼を見てしまう。
悲しそうな眼だった。怒っている時には常につり上がり炎のように燃える青い瞳は、今は暗く沈んでいる。諦めと寂しさと、悲しみ。
う…。サムは思わず胸を押さえた。この何日か、カインツ将軍とサムはカスパール城攻略のために二人で攻略作戦を話し合い練ってきたのだった。その時のカインツ将軍は物凄いハイテンションで瞳はスパークしたように輝き、常に輝くような笑顔だった。大きな作戦に大将軍として大きな権限をもって参加できるのが嬉しくて仕方が無いという感情を体中で表していた。
そのカインツ将軍が見るからにしょぼくれている。戦争に参加するのが何よりも楽しみで喜びというのは女としてどうなのよ、と思わないことも無いサムであったが、女性であることは本人にはどうしようもない事である。それにサムとしてはこのまま何も出来ないで会議が終わってしまうと、彼女の八つ当たりが炸裂して自分が物理的に酷い事になるのではないかという危惧もある。もう一つはこれでカインツ将軍が王国から排斥される流れになってしまうと、腹心中の腹心と見做されているサムも同時に排斥され、自分の将来と故郷の領地が不利益を被るのではないかという懸念もあるのだった。
仕方が無い。色々とこちらも問題があるのだが、と思いながらサムは挙手をした。
会議室はざわめいた。この会議において発言権があるのは大臣と副大臣、そして将軍位以上だけである。つまり末席とはいえサミュエル・バーン将軍には立派に発言権があるのだ。カインツ将軍は目を丸くして見上げているのを感じながらサムは手を下ろさず、エイケス国務大臣を見つめた。大臣は少し躊躇した後サムを指名した。
「お許しを得て、発言させて頂きます。カスパール城攻略方法について提案がございます。これまで出た案では何度も撃退された戦役と作戦としてはほぼ変わりますまい。失敗するであろうと思います」
サムは涼しい顔で言うとカインツ将軍の後ろを離れ、カスパール城周辺の絵図を掲げている壁に近付いた。
「カスパール城攻略においての問題点は城の前面のこの湿原をどう乗り切るかだと思います。これまで出た案、夜襲、筏を持ち込む、騎兵を無くして歩兵に絞る等の案では以前の作戦と大差ありません。必ず失敗するでしょう」
サムが先輩将軍各位の作戦案をバッサリ切って捨てると、方法から怒りの唸り声が上がった。しかしながら発言が許されないのに反論するような無作法者もいない。サムはゆっくりと会議室を見渡した。カインツ将軍のキラキラと輝く瞳をあえて無視する。
「何か画期的な作戦案が必要でございましょう。そうでなければこの湿原にあまたの戦士の命と身体が沈むことになります」
一人の将軍が挙手して発言許可を得た上でサムを睨みつけた。
「そう簡単に行くものか!あの城を難攻不落たらしめているのは正にその湿原だ。歴代の将軍が頭を悩ませてきた難題が早々解けるわけがない!」
サムはふんふんと頷いた。
「そうでありましょうな。しかしながら同じ失敗を繰り返すわけには参りますまい。新たな作戦案が無いのなら侵攻自体を取り止めた方がよろしいのではありませんか?」
国王の決定である侵攻作戦そのものに疑義を表明したサムの発言に会議室がざわめく。カインツ将軍が焦ったように手を振っているがサムは無視した。そこに細い優美な手が上がる。
アレシア内親王は許可を得て席から立ちあがると口元を扇子で隠しながらサムを見た。茶色の瞳が意外なほどの鋭さで視線を飛ばす。
「サミュエル・バーン。まわりくどい言い方は無しにしなさい。その言い方なら其方にはその画期的な作戦案とやらがあるのでありましょう?」
意外な人物からの意外な指摘にサムは内心驚きながらも、表面上は作り笑いを保つ。
「さて、どうでございましょう。非才なる私めにはなかなか身に余る難題ではございますが、ここにお集まりの歴戦の将軍たちの中には解ける方もいらっしゃるのではないかと愚考する次第でございます」
再び会議室がざわめく。つまりはサムは、カインツ将軍ならその画期的な作戦案を持っているのではないか、と言ったのだ。その意図は正確に伝わったのだろう。何人かの将軍がチラチラとカインツ将軍を見ている。当の本人は鼻息も荒くフンフンと頷いているが、サムが指名する訳にはいかない。国務大臣の方を見るが、彼は渋い顔をしてサムを見つめるだけだった。
「バーン将軍」
アレシア内親王が扇子を閉じてこれ見よがしに首を振った。
「其方の作戦案なら聞きましょう。あなたのなら。其方自身が持っていないのなら下がりなさい」
むう。サムは流石に閉口した。ここまで徹底してカインツ将軍を無視する方針だとは思わなかった。どうしたものか。サムはちらっとカインツ将軍を見た。カインツ将軍は怒りに震えているようであったが、サムと視線が合うと僅かに頷いた。
仕方が無い。サムは軽く手を上げて会議室の注目を集めると、話し始めた。
作戦会議は終わった。サムの出した作戦案について多数の意見が出され、紛糾したものの、概ね採用された。他に画期的な作戦案など無かったからである。そしてその作戦責任者にはサミュエル・バーン将軍が任命された。
サムの出した作戦案は前例が無く突拍子も無いという意味では非常に画期的であったが、何しろ軍事作戦としては色々と常識外であったために会議室に集った将軍たちの半数くらいは内容が理解出来ない代物であった。そのため、反対するにも難しく、賛成してやってみろと言われるのも困るというような扱いで、将軍たちは遠回しに責任を押し付け合った挙句、サムが全責任を負うならと許可が下りたのだった。
もちろんだがこの作戦案は本当はサムの発案ではなく、カインツ将軍の案である。それに、サムはカインツ大将軍府所属である。故に実質的にはカインツ大将軍府が作戦を実行する事となる。しかしながら国務大臣始めフェルナンド王国首脳部は頑としてカインツ将軍ではなくサミュエル・バーン将軍に対して権限を与える事に拘ったのだった。建前というのは面倒くさい物である。
大将軍府の執務室に戻ったカインツ将軍は顔を真っ赤にして怒りながらも笑顔であるという器用な表情であった。つまり会議で何も出来なかった事には怒り、実質的に自分主導で自分の考えた作戦案を実行出来る事に喜んでいたのだった。サムの思いは複雑である。まるっきりカインツ将軍の考えた作戦案をカインツ将軍が実施するにも関わらず、すべての責任とおそらくは手柄が自分の身に降りかかるのだ。
「細かい事はどうでも良いわ!」
カインツ将軍はテーブルの上にカスパール城周辺の絵図面を広げながら叫んだ。
「私は戦えれば良いのだもの!いいわよ!手柄は譲ったげる!」
「そういう問題ではありませんよ。将軍」
「じゃあ、どういう問題なのよ!」
腰に手を当てた姿勢でサムを睨みつけたカインツ将軍をなんとなく頭から足先まで見て、サムはもう一度長くため息を吐いた。
「…まぁ、良いですよ。全ては作戦が終わってからにしましょう」
終わったら面倒になる事請け合いであるのだが。
そうして作戦の細部について話し合っていると、扉がノックされメイドが書状を持ってきた。サムが手に取る。…封蝋が王族のものだった。王族は個人個人で紋章が違うが、王族に共通の意匠以外はサムには分からない。開けてみるとそれはアレシア内親王からの呼び出しであった。
「私と、閣下に三日後の昼食会へのお誘いですね」
サムが言うとカインツ将軍はあからさまに嫌そうな顔をした。会議の時から気が付いていたが、カインツ将軍はアレシア内親王にあまり良い感情を抱いていないようだ。
「なぜですか?」
「何度か社交で会ってその度に男装について嫌味を言われたのよ!」
なんでも「女性としての誇り云々」というような詰り方だったらしく、そんなこと知るか!それより戦争だ!と考えているカインツ将軍には理解さえ出来ず、それ以来犬猿の仲であるらしい。
王族からの呼び出しであるからには行かない訳にはいかない。当日、サムとカインツ将軍は礼装を整え、指定された王宮の一室に向かった。
侍従が開けた扉を潜るとそれほど大きくは無いテーブルがあり、その脇にアレシア内親王が立っていた。今日も黄色基調の目に優しくないドレスだ。黄色が好きなのだろうか。豪奢な金髪を軽く結っているが特に格式ばった格好ではない。私的な昼食会である証明と言えた。もっとも、碌に関係性も無い王族から私的な会に招かれるというのは、なかなかにキナ臭い話ではあるのだが。サムは片膝をついて胸に手を当て、頭を下げた。カインツ将軍も一瞬遅れてそれに習う。
「お招きありがとう存じます。姫殿下。サミュエル・バーン、エドワルド・カインツ参上仕りました。王都アサカリに春の風が吹きます良き日に御一緒出来ますは身に余る光栄でございます。無骨なる騎士なれば礼を逸する事もございましょうが御寛恕下さりませ。殿下に神のご加護がございますように」
本来は主賓であるカインツ将軍が言うべきだが、彼女はこの手の挨拶が苦手なのでサムが代行する。それを見てアレシア内親王はほんの少し眉を顰めた。
「まずは食事にしましょう。座りなさい」
まずは食事と来たか。つまりは本来の目的は食事ではないという事だろう。サムとカインツ将軍は引かれた席に座る。
スープから始まる食事は型通りで特に珍しいものが出るわけでは無かった。主菜は魚のクリームソース掛けで、これもそれほど高価な料理では無い。勧められたワインも王族の食事会としてはという意味だが特別なものでは無かった。サムはそこから、アレシア内親王がこちらを特に歓迎している訳では無いという事を読み取る。交わされる会話も王都の出来事やサムの所領の話ばかりで当たり障りが無い。アレシア内親王は特にカインツ将軍に話は振らず、サムとばかり話している。そのせいでカインツ将軍は多少むくれているが、別にアレシア内親王と話したいわけでは無いので怒るまでは行かないようだった。
食後のお茶が出ると、周りに控えていた侍従たちがスッと下がった。本題が始まるのだろう。サムは姿勢を正した。アレシア内親王は一口お茶を飲むと、カップをソーサーに置いて、わざとらしく顔をサムに向けた。
「サミュエル・バーン。其方は何を考えているの?」
身構えてはいても返答に困る問いであった。サムは思わず首を傾げた。
「どういう意味でございましょう」
「其方はカインツ大将軍の副将でありましょう?その其方がなぜ出しゃばってあの会議で独自の作戦案などを出したのですか?」
意外な言葉であった。あの時、カインツ将軍に発言させたがらなかったのはアレシア内親王ではないか。
「あのまま何も言わなければ、非常に失敗する可能性が高い作戦に駆り出される可能性が高かったからです。カインツ将軍が発言出来ない以上、私が言うしかありませんでした」
アレシア内親王が首を振った。
「其方が控えておれば、最後にわたくしがカインツ将軍に発言を許しましたものを。其方のおかげで台無しになりました」
その言葉にサムだけでなくカインツ将軍も目を丸くした。アレシア内親王は眉間の皺を隠そうともせずに続ける。
「其方にも分かっていたでしょう?大臣たちや将軍たちは女性であるカインツ将軍に手柄を立てさせないために無視していました。ですがあの場にはもう一人女性であるわたくしがいたのです」
「一応、カインツ将軍は男性として列席していた筈ですが」
「もはやそのような誤魔化しをそのままにしてはおけなくなったという事です」
アレシア内親王の言葉には容赦が無い。
「今回の作戦における最上位者であるわたくしならあの場でカインツ将軍に発言させる事が出来ました。さんざん女性であることだけを理由に無視していたあの場で、わたくしが指名して発言させることが出来れば、カインツ将軍が女性であるという事を周囲に認めさせた上で軍権を与えることが出来ましたものを」
サムは良く理解出来なくて目を瞬かせた。
「つまり殿下はカインツ将軍を女性として周囲に周知させた上でそのまま将軍位に置くことをお考えなのですか?
「その通りです。其方の提案のような画期的な作戦とセットであれば、あの会議の場でそれが出来ましたものを。其方が余計な事をしなければ」
そういう事は早く言ってくれとしか思えないのは俺の察しが悪いのか?とサムは深刻に考え込んだ。考え込むサムを放置してアレシア内親王はカインツ将軍に視線を向ける。
「カインツ将軍はどうなのです?其方はこのまま男性として将軍としているつもりなのですか?」
明らかに何も考えていなかったであろうカインツ将軍は頬を膨らませてアレシア内親王を睨んだ。
「私は男性です」
「もうそのような誤魔化しは通じないと言ったでしょう。エカチェリーナ・カインツ。このままですと其方は遠からず将軍位を追われ、おそらくは爵位も何もかも取り上げられるでしょう」
「どのような理由でですか?」
「其方が女性だからです」
「理不尽では無いですか」
「理不尽に決まっています。本来であれば其方が軍権を持つ身分になる事がそもそも無かったはずなのです。それが女性の立場です」
女性であるアレシア内親王はきっぱりと断言した。カインツ将軍は唸っているがサムには理解出来無い話では無かった。しかし、アレシア内親王の先ほどの言葉を鑑みれば、彼女がその男性視点の考え方を是としている訳ではあるまい。
「其方が男性と偽っている以上、これは防ぎようがありません。しかし、其方が自分が女性であることを認め、女性として剣を持ち、わたくしに味方するなら違う未来を其方に与えられる事が出来るでしょう」
アレシア内親王の強い視線を受けてサムはこの会食の目的を悟った。
「わたくしに協力なさい。エカチェリーナ・カインツ、サミュエル・バーン」
まったく話について行けていない感じのカインツ将軍の代わりにサムが尋ねる。
「協力とは何でしょう。何に対して何をすれば良いのでしょう?」
アレシア内親王は傲然と顎を上げ、二人を見下ろしながら言った。
「わたくしが王位に就くのに協力なさい。そうすればエカチェリーナ・カインツを女性のまま大将軍に就任させられます」