2話 山賊退治
サミュエル・バーンがエドワルド・カインツ将軍の副官になってしまってから瞬く間に半年が過ぎた。
いくら何でも三倍規模になった領地を老境の父に丸投げすることは出来ず、カインツ将軍に帰ってくる事を確約して領地に戻り、色々片づけてから(もっとも、父は息子の活躍に刺激を受けて意気軒昂になって若返ったかのようになっており領地の経営を任せてしまっても何の問題もなさそうであった)半月後にサムは再び都にやってきた。
都ではすっかり準備が整えられていた。つまり王宮に儲けられたカインツ将軍の大将軍執務室にはきちんと副官というか副将みたいな扱いでサムの部屋も用意されており、彼用の侍従まで雇われていた。あまつさえカインツ将軍が男爵として新たに構えた屋敷の一室にサムの居室まで用意されていた。
準備万端、大歓迎と言えば聞こえは良いのだが、これでは朝から晩までカインツ将軍に監視されているようなものである。サムは少なからずゲンナリした。もっとも、挨拶に行くとカインツ将軍は超が付くくらいの上機嫌で、そこらの男の八割は誤解しそうな輝くような笑顔でサムを迎えてくれたので、歓迎しているのも嘘ではないらしい。
そもそもカインツ将軍は地方の騎士の出で、都にはまるで人脈が無かった。一人では大将軍業務はとても遂行出来ないため人材を集めなければならないのだが、カインツ将軍にはその伝がなかったのである。そのため、サムを副官に出来たのは事情は兎も角カインツ将軍には助かる出来事だったのだ。
さて、サムが都で勤務を初めてすぐに判明した事だがカインツ将軍曰く「秘中の秘」は結局ガバガバな秘密であることが判明した。即ち、カインツ将軍が実は女性であるのは周知の事実だったのである。
これはもう無理も無い事で、彼女が彼に見えるのは辛うじて鎧兜姿の時だけで、それだって辛うじてに過ぎない。男装とは言え普通の服を着ていたら全く男性には見えないのである。特に胸が。声も高く手指も細く、しぐさも粗野ではあるが女性そのもの。男性を演じる意図があるのかも疑わしいほど(一応は言葉使いなどは男性を意識しているようではある)女性にしか見えないのである。
では一体なぜ、エドワルドことエカチェリーナ・カインツが男性として大将軍にまで出世してしまったのかというと、そこには喜劇そのものというような事情があった。
まず、彼女の偽名であるエドワルドは彼女の兄の名前であった。しかし、その兄は数年前に病死。その直後に戦争が起こってカインツ家にも召集が掛かったのである。彼女の父親が健在であったので別に彼女が性別を偽ってまで出征する必要は無かったと思われるのだが、彼女は勇んで男装し、男だと言い張って騎士の列に加わった。
その姿があまりにも滑稽でいじましかったため、ついうっかり当時の大将軍の一人が彼女の参戦を認めてしまった。どうせ非力な女性の身、大したことは出来まいという腹だったのだろう。ところがこの戦いで彼女は獅子奮迅の働きを見せ、敵将軍を討ち取るという大手柄を立ててしまう。カインツ将軍は幼少の頃から剣術の修練を積んでおり、非力をカバーして余りあるほどの技量を持っていたのだ。男として参戦させてしまった以上彼女の手柄に報いない訳にはいかず、彼女は一躍フェルナンド王国軍の重要な騎士の一人に成り上がり、その後の活躍はご承知の通りである。
ちなみにカインツ将軍は当年とって20歳であり、初陣の時は下手すると15歳のサムよりも若かったと思われるので喜劇性がより高まるのである。その事情を聞いてサムはかなり呆れたのであるが、今や大将軍に成り上がった英雄にしてはどうも王国からの扱いがよそよそしいとは思っていたので納得する面もあった。王国の政治家や騎士、他の大将軍は明らかにカインツ将軍を持て余しており、サムがカインツ将軍の幕僚に加わり対外的な窓口になってくれてあからさまにホッとしているのが伝わってくる程だった。
カインツ将軍は端的に言って「戦バカ」であった。剣術大好き戦術大好き戦略大好き戦争はもっと好きという救いようの無いレベルの戦中毒で、戦争となれば大張り切りして実際に大活躍する反面、それ以外の部分は年齢相応の田舎の娘に過ぎなかった。つまり学問はせいぜい字が書ける程度、計算とか法律や神学などはまるっきりやったことが無く、興味も無い。一応男だという事になっているのでほとんど問題にならないものの、貴婦人としての嗜みはまるで知らない。ついでに言えば貴公子としてのマナーも不十分も良い所で、舞踏会や園遊会に出た時にはマナー違反をずいぶんやらかして周囲の冷笑を買った。
ぶっちゃけ田舎娘からほとんど進歩が無いと言って良く、なるほどそりゃ人目も気にせず水浴びなどするはずだとサムは大いに納得した。実はサムの方は領地の近くの有名な学校に数年通っていたため教養は多少あり、社交界のマナーにもそこそこ明るかった。そのため、カインツ将軍にその方面の色々な事を教える羽目になった。
エドワルド・カインツは大将軍の一人となった訳であるが、フェルナンド王国における大将軍とはいかなる地位であるのか説明しておく必要があるだろう。
まず、この時代、常備軍というのは少数の例外を除いて存在しない。少数の例外とは王国直属の近衛騎士団や国境の警備兵などで、それ以外の軍勢は戦争の無い時は解散してしまっている。いざ戦争という時には地方の領主などに召集を掛けて軍勢を集めさせ、合計して国家の戦力とするのである。例えばウエクケー会戦の時にはサムもバーン家の郎党5名を連れて召集に応じている。
しかしながら滅多に戦争が無い時代と違ってこの時代は、国家の間で何か揉め事が有れば戦争で解決するのが当たり前だった時代である。さすがにウエクケー会戦の様に数万人規模の大会戦はそうあるものではないが、数百人規模の小競り合いは毎年のように起きていたのである。
そのような小競り合いの時にいちいち騎士を召集して輜重を整えてなどやっていたら手間と時間が掛かって仕方がない。なのでフェルナンド王国は何人かの騎士に特別な権限を与え、独自に兵士の募集編成をする事を許していた。これが大将軍である。
要するに軍事に関わる権限を国が個人に丸投げしたものだと言って良かった。勿論兵士の徴募には国から予算が出るし、物資兵糧その他も王国に請求出来る権限がある。大きな権限がある反面、王国からの派兵命令には即座に応ずる義務があり、何事も無い時にも兵士を抱えていなければならず、しかも命じられた戦いの規模によっては即座に兵を増やすなどして対応しなければならなかった。
難しいのは大将軍の権限では地方の領主や騎士への召集は出来ないという事で、これには王命が必要だった(しかも王の威光が足りない時には往々にして無視された)。そのため、兵士は金銭で購うしかなく、継続的に兵士を雇い続けるには膨大な予算が必要で、大将軍に許された予算ではそう多数の兵士を抱えておくわけにはいかないというのがミソだった。
そのため、多数の常備軍を編成したければ自腹を切らなければならず、大将軍が等しく貴族である(=大きな領地を持っている)のはそのためであった。カインツ将軍は大将軍拝命と同時に男爵に叙任され、それなりに大領を抱える身になったのだが、男爵といえば貴族では下の方である。他の大将軍は皆伯爵以上の貴族であるので持てる兵力にはかなりの差が出ると思われる。ちなみにこの時、フェルナンド王国大将軍は4名しか居ない。
カインツ将軍は将帥としては大変優れているとは言えるが、政治家、官僚として優れているかどうかは未知数というしかなかった。サムの見るところ大将軍の地位には将帥の才能とは別に政治家としての才能、あるいは官僚としての実務能力が必要なのではないかと思われた。カインツ将軍は分かっていないようであったが。
とにかく彼女が欲したのは戦に関する権限で、大将軍になれば戦場の総司令官として存分に指揮能力を発揮出来るとほくほくしていたのだが、それ以前に兵力の確保とその算段、物資その他の手配配給方法、あるいはそのための各方面との折衝と交渉と契約もしくは命令をしなければならないんですよ、と言うときょとんとしていた。詳しく説明すると面倒くさくなったらしく「サムに任せるわ」などと言い出した。
程なく実際に大将軍府を立ち上げが始まると本当にありとあらゆる実務がサムに丸投げされた。カインツ将軍は無教養であり書類を書くにも読むにも難儀する有様だったのでサムに頼む以外に方法がなかったのであろう。サムとしてもカインツ将軍が悔しそうな表情に涙目で「すまないが頼む」などと言えば無視も出来ないのである。
サムだって経験の無い仕事でスムーズにとはいかなかったが、既に領地の経営にも関わっていた事もあり、また首都にそこそこ人脈があったこと、ウエクケー会戦の英雄の名前が良い方に作用したこともあり、なんとかこなすことが出来た。
カインツ大将軍府は当面、兵士を500名常備する事にした。カインツ将軍とサム以外は歩兵である。それを聞いて騎士団を編成するつもりでいたカインツ将軍は難色を示したのだが、騎馬の傭兵は値段が跳ね上がるので予算上無理だったのである。
しかし、サムはここで裏技を一つ用いた。ウエクケー会戦などでカインツ将軍と戦った経験を持つ騎士たちに個人的に連絡を取り、有事の際には駆けつけてくれる約束を取り付けたのである。彼らはカインツ将軍の武勇に心酔しており、戦うのなら彼女の元で、という意識が強かった。勿論ただではないが、傭兵を雇い続けるよりも安価でしかも頼りになる。
兵士は集めれば良いと言うものではなく装備を調え訓練を施し飯を食わせなければならない。そのためには各方面と話を付けて訓練場を借りるなり武器商人から武具を買うなり食堂と契約したり業者と契約したりしなければならない。500名もの非生産集団を抱えるというのはそういうことで、初めは「もっと兵を抱えたい」と言っていたカインツ将軍もサムがてんてこ舞いしているのを見て何も言わなくなった。
半年が過ぎる頃にはサミュエル・バーンはカインツ将軍の右腕である、いや、それ以上の存在であると言っても過言ではない様になっていた。というかカインツ大将軍府は事実上サムが取り仕切っており、対外的にはサムが将軍であるかのように誤解されている有様だった。
カインツ将軍はあからさまに悔しがり、何とか自分でも仕事をしようと頑張ったようなのだが、無理な物は無理だった。終いには諦めて「サムを見い出して部下にしたのは私なのだから、サムの功績は私の功績である」という所で納得したようであった。
実際問題としてサムが対外的な顔となってカインツ将軍は助かったのである。カインツ将軍が表立って色々やればまだまだ女性への偏見があったこの時代である。一悶着も二悶着もあったことだろう。サムが表立ってさえもカインツ将軍への嫌がらせじみた行為は一つや二つでは済まないくらいあったのだから。
こうしてカインツ大将軍府は立ち上がり、半年間無事に運営された。主にサムの尽力によって。
「サム~、暇~」
エドワルド・カインツは長椅子に横たわり大きく伸びをしながら呻くように言った。そういう事すると女性らしい曲線が強調されて目のやり場に困るので止めて欲しいとサムは思うのだが、口には出さなかった。ちらちらと見ていた。
「・・・なら訓練にでも行って下さい」
サムは自分のデスクに座り書類仕事に没頭していた。補給と予算と運搬と保管に係わる日常業務で、本来は将軍の仕事だったがサムが普通にやらされている。カインツ将軍はメクラで判子を押すだけだ。
「今日は休養日~」
そうだったか。そういうスケジュールを組むのもサムがやっていた。カインツ将軍に任せると当たり前に毎日地獄の特訓となってしまい、兵が逃げてしまう。サム自身もカインツ将軍にたまにしごかれるのだが、あれはきつい。彼女はあの小さな身体のどこに?と思う程の無尽蔵な体力を誇っており、おまけに意外に筋力もあるので殴られると痛い。
「じゃぁ自室で寝ててください」
「ここのが日当たりが良い~」
だからなんだ。仕事の邪魔だ。とは言えなかった。一応上司なので。
確かに、平時に彼女が出来る事は兵に訓練を施す事ぐらいで休養日に出来る事など無い。と断言してしまうと酷い扱いをしているようだが、実際、字も碌に読めない(読めるけど書類一枚読むのに半日掛かるくらい遅い)彼女に任せられるデスクワークなど無い。
それに大将軍府の業務は慣れてしまえばそう多い物では無い。まじめにやれば一人でそれなりに終わってしまう。そしてカインツ将軍がそんなところでゴロゴロしていたのでは真面目に仕事をするしかない。
「なんか、当てが外れたな~」
と長椅子で何やら手脚をばたつかせながらカインツ将軍が不満げに言った。
「何がですか?」
「大将軍になれば毎日戦争が出来ると思ったのに」
毎日戦争をし続けている国家なんてたぶんそれは滅亡寸前なのでは?とサムは思ったが慎み深く口には出さない。
「あ~つまんない。戦争したい!戦争!」
この戦中毒患者が。救いようが無い。それにしても最近気を抜くことが多いせいか口調がやや女性寄りだ。後で注意しなければならない。一応は男として大将軍に任ぜられている訳だから、あからさまに女性でいられては困るのである。サムはそう思いつつもチラチラとカインツ将軍を見る。
真っ直ぐできれいな金髪は肩まで伸ばされ、前髪は眉の少し下で一文字に切りそろえられている。その前髪が端正で流麗な顔に掛かっていた。大きくて切れ長の目は軽く閉じられて、青い瞳が金髪とまつ毛の間にうっすらと浮かぶ。唇は少し開いてかわいらしい前歯がちらっと見えた。白いシャツと薄手のズボンという軽装で、しかもかなりシャツのボタンを外していた。うなじから肩に続くラインだとか、豊満な胸とか尻とかが成す滑らかな曲線だとか、なぜか素足なので見える長めの足の指だとか、なんというか思春期真っ盛りのサミュエル・バーンには色々目の毒だった。しかもどうやら無防備にもその格好でそのまま昼寝しようという体勢である。
「ダメですよ。部屋に戻ってください」
「メンドウクサイ」
まるっきり駄々っ子そのもので、要するに油断しまくっているのだ。そこまで信用されたと思えば、サムとしては今までの働きが認められたと思うべきか、男としてそうまで油断されるのはどうなのかと判断に迷うところではある。
ちなみにこの王宮の大将軍府の侍従は全て女性にしていた。はっきり言ってカインツ将軍があまりにも迂闊過ぎて男性を入れるのが心配だったからである。この緩みっぷりを見ればサムの判断は正しかったと言う他無い。
その一人である侍従、つまりメイドが一人サムにお茶を出すために入ってきた。が、長椅子の方をチラッと見て眉をしかめ、サッと出て行ってすぐ戻って来た。サムよりは年上だがまだ年若いメイドは持ってきた上掛けをすっかり寝入っていたカインツ将軍に掛けると、サムをジロっと睨んだ。気が利かない奴めと言わんばかりだった。
「今、寝入ったんだよ」
「寝付く前にでも持って来させる事は出来たでしょう」
「いや、そこで寝られても困る」
「そう言いながらこの所毎日ではありませんか。お嬢様が風邪でも召されたらどうするのですか」
「お嬢様言うな」
「他に人が居ないときくらい女性として扱って差し上げないとお可哀想ではありませんか」
このメイドは名をフィアスというのだが、彼女に限らずメイド達のカインツ将軍に対する見方は大体こんな感じで「こんなに小さくて可愛らしいのに、家庭の事情で男装させられ戦場に駆り出された不幸な娘」と見做しており、周りの男性はそんな運命を彼女に強いている極悪人であり、その筆頭がサムだと思い込んでいるらしい。
いくらカインツ将軍がか弱い娘どころか敵味方を震え上がらせる恐怖の血塗れ将軍であり、むしろサムはカインツ将軍の野望に巻き込まれた被害者だと説明しても分かってもらえないのである。まぁ、普段の迂闊な田舎娘丸出しな彼女しか見ていなければ無理からぬ話ではある。
「兎に角、バーン様はお嬢様に対して冷たいですし、気が回らな過ぎます。レディを御守りしているのだという自覚をもっと持って下さいませ」
「・・・」
サムは色々言いたい事を飲み込んだ。
カインツ将軍をサムがレディ扱いするのは色々まずい。大体、本人が物凄く怒るだろう。あれで本人はそこそこ周りをごまかせていると思っている節がある。
一番まずいのはサム自身がカインツ将軍をレディと認めてしまうと、サムの中である種の歯止めが利かなくなりそうだという自覚がサムの中にある事である。歯止めが利かなくなるとまずい。物凄くまずい。そのため、サムはカインツ将軍に対して意識してぞんざいに振る舞っているところがあったのである。
カインツ将軍の念願が叶い、カインツ将軍に軍事行動の下命があったのはその年の10月で、王都の並木道が黄色く染まった頃の事であった。
内容は国境近くの山賊集団の殲滅で、よくある話らしかった。その周辺の領主には手に負えない勢力になったために王国政府に要請があったものである。
こういう場面で迅速に対処するために大将軍府は設置されている様なものである。新顔大将軍であるカインツ将軍としてはグズグズして他の大将軍の失笑を買うような事態は避けたい。しかしながら準備不足で敗北するような事になれば目も当てられない。
サムは情報を集める一方、軍勢の編成を行った。大将軍府で抱えている500名を準備させる他、カインツ将軍に書状を頼み、数人の騎士に参戦を頼む。情報によれば山賊は多くても300人。十分に対処出来る筈だった。
カインツ将軍の喜びよう張り切りようと言ったらそれはもう大変なもので、一人で今すぐにでも出立する勢いであったのだが何とかサムが引き止めた。半月ほどなだめすかしてようやく編成を終え、カインツ将軍は軍勢を引き連れて意気揚々と王都を後にした。実際に行軍や作戦計画、兵の運用などの場面になればカインツ将軍はやはりサムよりもずっと有能で、サムは何となく安心した。
フェルナンド王国の西の国境地帯は低い山地を森が覆っている上に国境が複雑に入り組んでおり、おまけに街道と裏街道が縦横無尽に張り巡らされているという正に山賊に巣くってくれと言わんばかりの地域だった。なので年中山賊は出現し、気が付くと定期的に大規模になってしまうのだった。
「私は根本的対策がいると思うの」
行軍中の休憩中、カインツ将軍はそう呟いた。サムは持ってきたコーヒーのカップをカインツ将軍に渡しながら尋ねる。
「どんな対策です?」
内心、ここらの森に火を掛けて見晴らしを良くしよう的な乱暴なアイデアでは無いだろうな、と疑いつつ。
しかしカインツ将軍は軍事について考えている時特有のギラギラ輝く目をサムに向けながら言った。
「ここらに山賊が多いのは、結局、国境が入り組んでいて、討伐軍が来ると他国に逃げ込めてしまうからよ。だから、討伐の効果を長く保つ気ならそれを防止することを考えるべきだわ」
「将軍、言葉遣い。まぁ、おっしゃることは分かりますが具体的にはどうするのですか?」
「ああ、うむ、つまり国境に向かって追い立てるので国境を越えられてしまうのだ。だから今回は国境を背にして山賊共の逃げ道を塞いで戦おうと思う」
「国境を背に?」
「そう、そして国内の方向に山賊を追い立てて殲滅する」
なるほど。と頷きつつもサムはちょっと理解が追い付かずに微妙な表情を浮かべた。
「敵の根拠地のおおよその位置は掴んでおります。そこを国境を背にして包囲する形にするという事ですか?」
「そう。今回の目的の第一は敵のせん滅。第二は敵に国境を越えさせない事」
ふむ。とサムはコーヒーを口に含みつつ考えていたが、ふと、気になるところを見つけた。
「しかしそうなると我が部隊も退路を断たれることになりますが」
何気なく言ったのだがそれを聞いた瞬間カインツ将軍は眉を跳ね上げて怒った。
「山賊程度の敵に敗れるつもりか愚か者!そんな間抜けは今すぐこの私が殺してやる!」
と怒鳴って躊躇無くサムにコーヒーカップを投げつけた。サムは悲鳴を上げて転げてそれを避ける。周りの兵たちが何事かと顔を上げ、見なかった事にしたかのように首を竦めた。
「や、敗れるつもりはありません!仮定の話ですよ。それにその作戦だと補給路も無くなってしまう。敵に持久戦法を取られると厄介では?」
サムに向けて更に何か投げつけようとしていたカインツ将軍はピタリと動きを止めた。怒り顔はそのままに眉の間の皺を深くする。
「おのれ小僧の癖に生意気な・・・」
という事はサムの意見が痛いところを突いたという事である。確かに山賊に比べれば討伐軍の方が兵力があるとはいえ、山賊が根拠地の山塞に籠って持久戦法を取った場合、それを力づくで落とすにはやや兵数が足りなかった。その場合、囲んで兵糧攻めするしかないが、補給ルートが怪しい作戦を取ってしまうと討伐軍の方が干上がってしまうかも知れなかった。
カインツ将軍は手に何やら金属製の危ない物を持って振り上げた姿勢のままぐぬぬぬと悩んでいたが、やがていい方法を思いついたのだろう。表情を輝かせて叫んだ。
「そうだ!」
叫びつつ手に持った危ない物をサムに投げつけたのだが、サムは既に盾を構えていたため無事だった。盾に凹みが出来た。
この時の山賊のボスは傭兵崩れの男であった。と言うよりは本人はまだ傭兵のつもりであったに違いない。なぜなら彼はフェルナンド王国の西にあるアポッカ公国の依頼を受けてこの地で山賊行為を働いていたからだ。
いわゆる公認の賊。公賊という奴である。つまりフェルナンド王国の西国境を不安定にし、侵攻の足掛かりにするために山賊をけしかけて治安を悪化させるための戦略だ。そのため、山賊としてはありがたいことに戦略物資の補給ルートも確保出来ていたし、略奪品の処分も簡単だった。もちろん、いざというときはアポッカ公国に逃げ込めばいい。そこまで詳しいことは知らなかったとはいえ、カインツ将軍の考えは当たっていた事になる。
恵まれた条件を得た山賊行為は大変上手くいき、大きな利益を上げて味を占めた山賊のボスは今ではすっかり山賊になってしまい、山間に砦まで築いていた。
そこへフェルナンド王国の討伐軍が接近しつつあるとの報告が入ったのは11月に入ってすぐのことであった。初冬、しかしまだそれほど寒くもない。しかしながら広葉樹の葉は落ち、下草も枯れている。森に隠れ奇襲を得意とする山賊には不利な季節だった。
斥候の報告では500名程の兵力が東から接近してくるとの事であった。山賊のボスは判断に迷った。
山塞はそれなりの防御力を持たせていて兵500くらいの攻撃ならかなり耐えられるが、所詮はにわか造りである。井戸の数も少なく、安定した補給ルートがあることが逆に災いして食料の備蓄も少ない。
接近してくる討伐軍がそれだけなら良いが、長期戦になった時、後方から援軍が来る可能性は否定出来ない。となると籠城戦は愚の骨頂ということになる。
となると後は砦を出て討伐軍と戦うか、戦わずに逃げるかという事になるのだが、これはもう考えるまでもない。山賊のボス自体は傭兵で、戦場の経験もあるが、子分達はその辺から集めてきたならず者ばかりで戦場の経験が有る者はほんの一部だ。訓練を積んだ正規軍と戦う事など出来ない。待ち伏せ、不意打ちが可能であればこそ勝負になるのであって、こう隠れ難い時期ではとてもではないが太刀打ちできないだろう。
つまりここはもう逃げの一手。砦とため込んでまだ換金を済ましていなかった略奪品が惜しいが命有ればほとぼりが冷めた辺りで戻ってきてまた山賊を再開すればいい。実際山賊のボスは何度か逃げては戻って再開を繰り返していた。
山賊のボスは逃亡を決意した。しかし、ここで彼は子分の全員には逃亡を知らせなかった。一部の幹部に密かに準備させたのである。他の子分には籠城の準備をさせる。これは全軍上げて逃げ出すと目立って討伐軍に見つかり、急激な追撃を招く可能性があるからだった。どうせそこらで集めたならず者である。討伐軍への人身御供にはちょうど良い。
そして討伐軍が接近し、砦への攻撃態勢が明らかになった段階で山賊のボスは50名の部下と共に密かに砦を抜け出し、夜間、裏街道を使って西へと走った。
裏街道を数刻も馬で駆ければ国境で、アポッカ公国である。公国に逃げ込めばフェルナンド王国軍は追撃出来ない。いつもの手順である。しかし、後少しで国境という所でそれは起こった。
先頭を松明を持ちつつ駆けていた山賊の一人が突然馬ごと転倒したのである。
驚いて馬を止める山賊達の前にむしろゆっくりと進み出る騎馬の姿。銀色の鎧に身を包む小柄な騎士。兜は被らず金髪を闇に輝かせている。大将軍エドワルド・カインツは山賊共の注目を十分に集めたと見るや腰に履いた剣を音高く抜き放った。
「我こそはフェルナンド王国大将軍、エドワルド・カインツなるぞ!知るものは恐れよ!知らぬ者はこの時より忘れぬようにせよ!」
あまりにも大仰な名乗りであるが効果はあったようだ。
「カインツ将軍だと?」
山賊共が目に見えて動揺する。かのウエクケー会戦の「血塗れ将軍」の名は山賊にも聞こえていたらしい。カインツ将軍は満足げに頷くと言った。
「貴様等に選ばせてやる!正当な裁きを受けてから首をはねられるか、それとも今ここで私に首をはねられるか!さぁ、選ぶが良い!」
確かに山賊は捕まれば斬首の刑が固いところではあるが、降伏勧告としては大変に不適当な口上である。山賊共は挑発と取ったようであった。
よく見ればカインツ将軍は単騎である。対する山賊は約50騎。カインツ将軍に如何に武勇に自信が有ろうとなかなかに埋め難い戦力差では無いだろうか。そもそも、将軍を倒すのに固執することはない。誰かがカインツ将軍と斬り合っている隙に脇を駆け抜けてしまえば良いのだ。
そう考えた山賊のボスは部下に命じる。自分が生き残るために。
「しゃらくせぇ!相手は一人だ。やっちまえ!」
山賊共も多勢の優位を信じておう、と応じる。そして手に持った武器を掲げ、馬を駆け出さそう、としたその瞬間。
山賊共の背後に静かに忍び寄っていた討伐群の騎馬部隊が槍先を揃えて突入してきた。
出鼻を挫かれた上に背後からの突然の攻撃である。山賊は大混乱になった。一撃で10騎、更に10という勢いで山賊はあっという間に数を減らす。さもありなん。たったの10騎ではあるがこの騎士達はサムを含めウエクケー平原で敵の司令部に突入した命知らずの騎士ばかりである。山賊共など鎧袖一触だ。
サムは槍で次々と山賊を屠りながら山賊のボスを探していた。彼はカインツ将軍より「必ず貴様が山賊のボスの首を取れ」と厳命されていたのである。理由は不明であるが、命令であるからには従うしかない。
そして見つけた。山賊の中でひときわ体格が良く、身なりもいい男。部下を盾にしながら何とか逃げられないか周囲を伺っている。時間を与えれば徒歩ででも逃げかねない。
サムはかなり強引にボスとの間に居た3騎を叩き伏せると馬を走らせる。そして手に持った槍を振り上げ、投じた。槍は過たず山賊のボスの腹に突き立つ。絶叫して落馬した男に馬を寄せると、サムは無言で片手剣を振り、男の首をはねた。
「敵将を討ち取ったぞ!」
サムが叫ぶと味方からは歓声が上がり、山賊達から絶望の悲鳴が聞こえた。
結局、さほどの時間も掛けずに山賊達は殲滅された。サムは、たったの10騎で待ち伏せするという作戦に異を唱えたのだが、鼻で笑って退けたカインツ将軍が正しかったようだ。それにしても総大将が単騎で囮を勤める作戦というのはどうかと思うが。
囮だけではなく自分も突入して散々に剣を振るったカインツ将軍は異名通りの返り血をたっぷり浴びた真っ赤な姿で満足げである。そして血塗れな笑顔で言った。
「さぁ、次は砦にこもった雑魚どもをやるぞ!」
カインツ大将軍府軍500は山賊の砦を包囲しつつある。そのまま包囲して頭がいなくなった山賊を殲滅するのはさほど難しくはないだろう。カインツ将軍は明らかに一兵残らず殲滅するつもりであるようだ。
が、サムは少し考え、言った。
「カインツ将軍。残りの山賊は降伏させ、捕らえましょう」
それを聞いてカインツ将軍はご機嫌な表情を一転渋いものに変えた。
「山賊は殲滅すると言っただろう!情けなぞかける必要は無い!」
だが、サムは首を振った。
「情けなどではありません。捕らえて、奴隷として売ります」
カインツ将軍は虚を突かれたような顔をした。
「どういう事だ?」
「売り払って、戦費の足しにします」
大将軍府の会計も預かるサムとしては、身も蓋も無い言い方をすれば金はいくらあっても良い。山賊討伐には成功して王国から報奨が出るのは間違い無いが、軍需物質の費用や騎士への報奨、兵達への賞与などを考えると多分報奨だけでは足りないのである。
カインツ将軍はむむむ、と唸っていたが、やがて残念そうに頷いた。
カインツ将軍が麾下の軍勢を引き連れて都に帰還したのは11月下旬。つまり、討伐に1ヶ月も掛からなかったということである。鮮やかな勝利に都の民衆は歓声を上げて将軍たちを迎えた。
フェルナンド王国国王、アーノルド二世はエドワルド・カインツ大将軍を引見し、直々に賞賛の言葉を与え報奨を下賜した。めでたしめでたしだ。
と思ったら、なんとサミュエル・バーンまでが国王の元に呼び出された。初めての拝謁に混乱しつつ跪くサムに国王は賞賛の言葉を与え、更に言った。
「サミュエル・バーンに将軍位を与える」
という事で、将軍位、正解には准将軍とも言うべき位がサムに与えられたのであった。これは将軍の中では最下級だが、騎士に対する指揮権を有する位で、戦争時には最大百騎の騎士を率いる事が出来る。
カインツ将軍がサムに山賊のボスを討ち取る事を厳命したのは、彼に手柄を立てさせ将軍にするためだったのである。曰わく「大将軍の副将がただの騎士では格好がつかない」との事。ちなみに16歳での将軍位は王国始まって以来の事らしい。カインツ将軍よりも早い。それを知ったカインツ将軍はかなり悔しそうな顔をした。
もっとも、自分の副将であるサムがただの騎士では格好が付かないという理由で彼の将軍位を望んだのはカインツ将軍なので喜んでもいた。将軍昇進に伴いサムは領地の他にも報酬を得る事になった。そのためサムの基準ではかなり懐に余裕が出たため、それまでカインツ将軍の屋敷に間借りしていた部屋を出て自分で王都のアパートメントでも借りようか?と考えた。ところがそれをカインツ将軍に言うと真っ赤な顔をして怒ったのであった。
「この恩知らず!私に一人で食事をさせるつもりか!」
・・・まぁ、確かにサムが来てから毎日の食事は一緒に摂っていたカインツ将軍にしてみれば、サムがいなくなって屋敷の大きな食堂で一人食事をするのにいまさら耐えられないという気持ちは分からないでもないが、それを面と向かって言わないで欲しい、恥ずかしいから、と思うサムであった。結局サムはカインツ男爵邸に住み続ける事にし、気を使ったカインツ将軍は彼用に部屋をいくつか増やした。もっともカインツ将軍もサムも知らない事であったが、未婚の男女、しかも共に将軍位を持つ二人が一つの小さな(貴族基準で)屋敷で同居している事は王都の人々、特に貴族階級の格好のゴシップの的となっていたのであり、それを知っていればサムは何としても屋敷を出た事であろう。
兎に角、エドワルド・カインツ大将軍は再び手柄を挙げ、サミュエル・バーンはその副将として地歩を固めたのであった。フェルナンド王国にとってその事は特に大きな意味は無い出来事であったのだが、歴史上で見ればサムがこの時点で将軍位を持っていた事には大きな意味がある。