僕らの青春しりとり
僕らの会話は、なんか変。
ふとしたきっかけから始まる、ちょっとだけ不思議な話。
空気すら凍ってしまいそうな程の冬の寒い朝。街路には葉も蕾もなく裸のままの桜並木の小道を、僕らは並んで歩いていた。
道すがら、僕は白く吐かれた息と共に彼女に言葉を返した。
「り、リオのカーニバルってそろそろだっけ? 『け』」
実に突拍子のない言葉ではあったが、彼女は何という風でもなくすらっと返事をする。
「け、今朝のニュースでそんな事言ってたような。『な』」
彼女と僕のこんな感じのいつもの会話。もう随分長い事しりとりのみで会話をしている。
いや正確に言えばしりとりではない。普通ならば単語のみだが、僕らの場合短い会話文のしりとりを続けているのだ。
「な、何だか早いものだね。付き合い始めて、もう5年だ。あっという間。『ま』」
「ま、まあ、当真君たらお爺ちゃんみたい。でも本当早いわね。『ね』」
5年。こんなに長く付き合う事になるとは思わなかった。いや、もちろん幸せであるから、何の不満もない。あるはずもない。
思い出すなぁ。付き合い始める前の事。
彼女、馬越真琴は大学の同級生で、第一印象は「何の特徴もない地味な子」だった。講義を受けるのも端の方。講義が始まるまでは誰かと群れる事もなく一人静かに本を読んでいた。
講義の中で、ある時に同じ班となり、一緒に作業する事になった。余り話した事もなかったから、改めて自己紹介をする事となる。
「戸川当真です、よろしく」
「どうも、馬越真琴です……なんだか、しりとりみたいな名前ですよね、私達」
おぉ本当だ、と思った事を覚えてる。そしてしょうもない事に気付く人だなとも思った。
そういう一つ心に残るものがあると、何となくその人の事が気になってしまうもので、同じ教室にいれば何となく視線は彼女を追いかける。いつも端の方で本を読んでいる。何だか難しそうな本で、僕にはよく分からない。
視線を感じれば彼女も何となく振り返る。視線が合えば何となくお互いに笑ってしまう。
そんな事を繰り返している内、何となく話し出し、そのまま付き合う事になったのだ。
とても楽しい日々だった。初めての彼女、初めてのデート、初めての……まさに僕らは青春の真っ只中にいた。
しかしそれも、徐々に綻びが見え始める。
「今日はどこに行こうか?」
「う~ん……本屋、行っても良い?」
またか、と僕は少しだけげんなりとする。
付き合い始めてはみたものの、致命的な程にお互いの趣味が合わない。本屋へ行っても、僕は漫画、真琴は小説。せっかく一緒に出掛けてるのに別々に時間を潰す。どこかに誘っても、う~んと悩んでそれっきり。結局どこへ行く訳でもない。いつもの本屋。
そりゃそうだよな。名前がしりとり、ってだけで付き合い始めたようなものだから。
彼女だってそれは分かっていて、時折気まずそうに黙る。僕がして欲しいのは会話なのに、彼女は黙ってしまって会話を上手くしてくれない。時々僕は苛つき、きつくあたった。
「だから、なんで分かってくれないのさ!」
「だってそれは……」
「そんな難しい話じゃないでしょ!? 何でこんな簡単な事も分かってくれないんだ!」
言い縋る彼女の言葉にかぶせ一気に捲し立てる。そうなると彼女は多弁な方ではないから、当然黙る。黙られると、僕だって黙ってしまう。そして気まずい空気のまま、別れる。
家に帰ってメールする。
「冷静に考えれば、僕が悪かった。ごめん」
「私の方こそ、ごめん」
そうして一応仲直り。最近ずっとこの繰り返しばかりだ。自分でもこのすぐにカッとなってしまう自分自身がイヤになる。
もうダメなのかも知れない。
そんな事を心のどこかで感じながら、今日もまたいつものようにケンカをしてしまった。いや、ケンカなんてたいしたものでもない。僕がただ一方的に捲し立ててしまうのだ。
重苦しい沈黙。彼女に怒りを覚えてはいるが、僕は僕で悪い所があると分かっているので、どう言葉を続ければいいのか迷っていた。
重苦しい沈黙の中、唐突に真琴が呟いた。
「パスタ」
は?パスタ?余りにも脈絡もない単語にポカンとする。
呆然としている僕の目を見て、もう一度彼女は一文字ずつ、ゆっくりと繰り返した。
「パ・ス・タ」
何かを伝えたいらしい。が、僕には何にも分からない。
「パ~ス~タ~」
「……食べたいの?」
僕の呆れた回答。それが気に入ったらしく、彼女の顔はぱあっと華やぐ。……え、何で?
笑顔のまま、両手で大きなバッテンを作りながら、「ノウ!」と答えた。
頭にハテナを浮かべたままの僕を見て、彼女はもう一度「ノ・ウ!」と繰り返した。
何が何だか分からない。
「食べたくないって事?」
僕の言葉に、彼女は大きな溜息と共に露骨にがっかりしてみせる。そしてまた繰り返す。
「ノ・ウ~!」
う~、と口を尖らせながら、しかししっかりと僕の目を見ている。何かの意図があるんだとは思うけど……うん、全く分からない。
食べたいとか食べたくないとかじゃない?
……「パスタ」の返事が「食べたいの?」。これで満面の笑みだったから、合ってる?
そんで「食べたいの?」の返事が「ノウ」。しかも笑顔で。う~ん……
パスタ、食べたいの、ノウ。……んん?
……もしかして、しりとりをしたいのか?
「……うどん食べたい?」
適当な言葉。別に僕はうどんが食べたい訳じゃない。きっと真琴もそうだ。
だが彼女はうんうんと満面の笑みで頷いた。
「いらな~い!」
言葉とは裏腹に、彼女は上機嫌だ。この珍妙なやりとり。そして上機嫌な彼女。なんだこの状況。おかしくって僕は思わずふふ、と口から笑い声を漏らす。
「……イカ焼き?」
「嫌い~」
「……イタ飯?」
「し……ししし……し~? ……仕方ないなぁ?」
果たしてそれは本意なのか。苦笑いを浮かべる彼女。つられて僕も笑ってしまう。
その後、結局パスタを茹でて二人で食べた。遠回りして結局最初の結論、何だかバカバカしいけども、こんなに穏やかに会話出来るのは、素直にとても嬉しかった。
その後も別に続ける必要なんてないだろうけども、何とな~くしりとりの止め時が見つからずずっと続いていった。
「どこ行こう?」
「海とか?」
「海水浴かぁ……」
「あんまり、かな?」
「なしで」
「……出島?」
「まじで?」
「でまかせ」
「……」
あ、膨れた。
「……背に腹は代えられぬ……」
行く気かっ!?彼女の目はマジだ。
そんな感じの、日常会話。内容はともかく、会話そのものが楽しい日々。幸せである。
だがここで二つ、大きな問題が起こる。
一つ。基本的に単語だけでの会話なので、意志疎通が難しい事。最初の内はお互いの心中を察する、と言う意味で大変面白かったが、一事が万事そうなってしまうと疲れてしまう。
もう一つは、僕の残念な語彙。普段からたくさん本を読んでいる彼女は色々な単語を知っている。マニアックな単語まで知っている。辞書で調べて確かにあって悔しい思いをする。
要は、僕が苛ついてしまうのだ。
彼女も薄々それに気付いていて、解決策を提示してきた。
「ねえ」
「え?」
「えぇと……単語は短すぎるから、短い文章でしりとりしない?」
これなら、単語でしりとりしている時よりも長く続けられる。彼女からの助け船。
「いいね。多分その方が気楽」
僕は彼女の提案をあっさり受け入れた。
そうして今の今までそんな感じの会話を続いている。
長く続けていると、はっきり言わずともルールがはっきりしてくる。
一つ。会話したくないくらい疲れている時は、「ん」で終わらせる。ケンカでも無い場合には、空気を読んでその日の会話はお終い。
で、二つ。次の日は「おはよう」から必ず始める事。メールでも、会話でも。
三つ。なるべく相手の続けやすい語尾で終わらせる事。「い」や「え」等。次の言葉の候補は「いいや」とか「えぇと」等になって、言葉を続けやすくなる。
四つ。和やかに会話ができていても、お互いにぶつかる事だってある。そんな時は「ら行」で嫌がらせ。特に「る」が有効だ。相手が次の言葉を悩む様をニヤニヤしながら眺めるのだ。僕の方は特に語彙がないから、最初の内はこの手に悩まされたが、猛勉強のお陰で少しは返せるようになった。
いや、単純にしりとり以外の言葉で返せば良いだけの話なのだが、ここまで続いた二人の言葉をそんなつまらない理由で途切れさせるには惜しくなっていたのだ。
他の奴らには異常だなと笑われるけども、そんな事は構わない。しりとりでの会話で、僕らはいつも笑い合える。その幸せと何を比べようと言うのか。
僕らの会話のリズム。ゆっくりと、確実なやりとり。とても、とても心地が良い。
そして五年。随分長く続いたと感心してる。
「ね、ねぇ? 『え』」
僕は彼女に声を掛ける。
「え、え? 『え』」
彼女は僕を真っ直ぐに見る。
「え、えぇと……あの時何でしりとりだったんだ? 『だ』」
あの時というのは、例の「パスタ」だ。今の今まで、大して疑問にも思わず続けてきたが、あの不自然な導入が今になって気になる。
大体しりとりなんて普通思いつかない。会話が途切れてしまった時に使う遊びであって、僕ら二人はいよいよ話す事が無くなってしまったのかと不安にもなったものだ。
彼女は僕の質問ににやりとしてから答えた。
「だ、だって、しりとりっていうのは、相手の言葉を最後まで聞かなきゃ次の言葉を話せないじゃない? 『い』」
すとん、と心に何かが落ちた。あの頃の僕は、彼女の言葉を最後まで聞こうともしなかった。捲し立て、お互いに傷ついて。
気まぐれなんかじゃなくて、話が不得意な彼女なりに考えた結果だったんだ。
そうはっきり気付くと、彼女がこれまで以上に愛おしい存在に思えた。
「い、今まで気付かなかったよ……『よ』」
「よ、良い良い。こうしてゆっくり会話できて、この日を迎えられたんだからさ。『さ』」
全くその通りだ。今日この日この場所に彼女といられる。こんな幸せがあるだろうか?
二人で出す婚姻届。先日のプロポーズを無事受け取ってもらえ、付き合い始めたこの日にこの書類を届ける事を決めた。
ただ一枚の紙切れ。だけどこれから人生が終わるまで、彼女と歩み続ける誓いそのもの。
「さ、最高に幸せな気持ち。『ち』」
「ち、違いないわ。私だってそう。ううん、きっと負けないくらい。『い』」
「い、いいや僕の方が上。『え』」
「え、え~? そんな事ないよ~だ。『だ』」
続いてく日常会話。間違いなく本心で語っているし、彼女の言葉は一字一句僕の幸せだ。
同時に僕は今、一つの狙いの元に彼女の言葉を、彼女の言葉の尻を彼女に気付かれないように誘導しようとしている。
う~ん、どうやったら上手くいくだろうか。
「……だ、だけど僕の字は、相変わらず下手くそだな。『な』」
今朝方一緒に書いた、婚姻届に並ぶ僕の字を思い出す。少しいびつで、曲がっている。隣の彼女の欄に書かれた美しい文字と比べると、そのダメさがいよいよ引き立つ。
彼女は笑う。
「な、名前くらい綺麗に書こうよ。……思い出すね、このしりとりみたいな名前。『と・が・わ・と・う・ま』。『ま』」
空中を指さし、僕の名前を1文字ずつそこに書き出しながら読み上げる。冷たい空気を切り裂く彼女の字は、見えなくたって美しい。僕もそれに倣って、空中に文字を書き始める。僕のはやっぱり、少しいびつな文字で。
「ま、『ま・こ・し・ま・こ・と』。今日からはもうしりとりみたいな名前じゃなくなるけど。『ど』」
「ど、どうって事ないよ。二人の関係が変わる訳じゃないし。『し』」
来た!
し。僕はこの言葉を待っていた、と言うより、そう言うように仕向けていた。今この瞬間、『し』に続けるには、この言葉しかない。
僕は、改めて彼女に向き合い、手を差しだし、そしてはっきりと口にした。
「し、幸せになろう」
僕の渾身の言葉に、彼女は少しの間きょとんとし、そしてくしゃっと笑う。
「う、うん!」
僕らの誓いの握手。寒い冬の空気が、彼女の体温をより温かく感じさせた。
この先僕らの会話は、「ん」がついたって途切れる事はない。ずっとずっと続いていく。ゆっくりと、同じリズムで。
会話に行き詰った時、ケンカした時。
しりとりしてみませんか。
ゆっくりと言葉を紡いでいけば、まぁるく収まる事だってあるはずですよ。






