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昭和35年  謎の秘密基地?宮ノ下科学模型店   小夜物語 第65話

作者: 舜風人

ああ少年の日の、理科オタクな日々は、果ても無し。


しばらく前のことになります。押し入れから私の古い日記帖(大学ノート50冊ほど)が大量に出てきてそれを整理したのですが、、

その中にこんな記述、、というか短編が出てきました。書かれたのはおそらく、今から20年以上の昔ではないかと想像されます。私自身はこのような文章を書いたという気億は在りませんが、

私の日記ですから、まあ、私が書いたにはまちがいないでしょう。

もちろん、

宮ノ下科学模型店についての記憶はちゃんとありますよ、ねんのため。

あくまでも日記に書いたという記憶がないというだけですからね。

以下がその文章の全文です。





「宮ノ下模型店の思い出」


昭和35年だった。人口7万のとある地方県の地方都市の街中に

宮ノ下理科実験模型店は、町の裏小路にひっそりとまるで秘密基地のように、、あった。


理科に興味を持った、私は、そこで蓄電池、変圧器を買って私は実験した。店主が今でいう理科系おたくでして面白い人でしたよ、宮ノ下昭さん。推定年齢49歳?

かなりの肥満体です。頭は丸刈りでして。

今でいえば、マッドドクター系ですね。いろいろ聞きました。珍奇な発明品も?店に飾ってありました。なんに使うのか意味不明な発明機がいろいろありあしたね。


「これなに?」と、、僕らが聞いても「教えたら世界が吹っ飛ぶよ」とか言ってにやにやして教えてくれないんですよ。「ボタン一つで世界が吹っ飛んでしまうような危険な機かいなのさ」

そしていつも言ってました「俺はねえ、君には言えないようなすごい秘密の発明があるんだ」ってね、

「じゃあこの機械の名前だけでも教えて」って言うと、、


店主はおもむろに

いちいち指さして「これは時間逆行機、これは異種生物融合機。不老不死有機電燈機、」

などと真顔で語彙まで解説して説明してくれました。

「おじさんノーベル賞だね」って言うと、

「僕が交信してる宇宙人から決して発表しちゃあだめって言われてるんだ。だから発表できないんだよ」って教えてくれました。なんでも宇宙人との交信によって設計図が伝送されてくるそうでそれにもとずいて作ると簡単にできるのだそうです。


昭和30年代、、おもちゃ屋なんかない時代。その模型店はたぶん学校教材なんかを学校に下ろしてたんだと思う、。そして店では模型とか、実験教材とかを市販もしてた。

私は理科実験が好きで変圧器を買い、炭素棒で炭素棒電球をつくったりした。

というのは、父は遠い街で電気工事の出稼ぎもしていて、その種の免許?をとるために独学で勉強したの理科実験の本がいっぱい残ってた。でね。炭素棒の電球を作ったり、

虫とかありに電流を流してどうなるか見たり。

でもそれって?当然、虫は即感電死?ですよね。

なんでも店主が言うには、昆虫に変圧器で偏圧した微弱な交流電流を流すと元気になり、、というか不死になるっていうんですよ。で、やってみたわけですが、虫は感電して即死でしたよ。

でも、楽しかったなあ。まあ変圧器を売りつける方便だったのでしょう。

あの変圧器は理科実験用でして、15センチ四方の箱型でして、大きなダイアルが付いています。

そのメモリが、1~130まで刻んであってですね。

家庭用の交流電源を自由に変圧できる優れものなんですね。

これは理科の実験とか加熱器の温度調節に使うものなのです。

學校の理科室にもあったはずです。

さらに理科実験用の蓄電池も買って、それに蓄電するんですがそのためには交流を直流に代えなければならないんですよ。

で、、セレン整流機も買ってさっきの変圧器とセットで蓄電したりしたのでした、

なんかわくわく感で楽しいの極致でしたね。


これらの蓄電池や整流機、変圧器で私は家庭用の電源からさまざまな理科電気実験をしたのです、

その一環で私は炭素棒電球とかも自作したわけです。

電磁コイルも作ったり、さまざまな金属の通電実験や、

電解液を作ってメッキの実験、電気分解による酸素と水素の発生実験、

もちろん自作モーターや発電機も作りました。

そして無線通信機も挑戦しましたが、これは小学生にはムリでしたね、

グラハムベル式の電話機は出来ましたね、

モールス通信機も自作しました。

母屋と物置き小屋の間に架線して通信の練習もしました。

すごい田舎ですから母屋と小屋の距離は、、30メートルくらいあります。

ハムの勉強も独学でしてみましたが、通信機が高価で無理なので諦めました。

少年雑誌には当時無線技士の通信教育の広告がよく出てたものでした。

電磁式エジソンバンドも自作してみました、

これは頭に巻くと知能が増すという優れもので?

雑誌に広告が出てたものを私なりに工夫して自作したのです。

手ぬぐいに細い銅線をびっしりと配線します、それに微弱な電流を通します。

そしてそれを頭に巻くだけです。

これで頭よくなるんだろうか?


炭素棒電球は、もちろん店主の教えによります。

これは2本の炭素棒をフィラメントにして、ビーカーにおじさんがくれた気体を封じ込めて、

変圧器で徐々に電圧を上げてゆくと、やがて不気味な青白い発光を始めるんですよ。

この光を浴びると、神の様な知恵が得度されるらしいんですね。

確かに何かこう陶酔感にみたされるんです。

おじさん(店主)はこれを「有機交流電燈」って呼んでました。

こうして

宮ノ下科学模型店は昭和の子にとって欠かせない存在のお店であった。

当時竹ひごの模型飛行機が大流行していました。

竹ひごをアルミ管で接続してそれで翼の骨組みを作りそこに紙をはる。

そして機体はバルサ材の棒でそれに翼を取り付ける、動力は太いゴム糸で、それをプロペラと尾翼に張り渡して巻き上げる、

それを水平に持ち、抑えていたプロペラを手はなすと、ぐんぐん飛んでゆくという塩梅、

ドローンなんてありえなかった当時には画期的な飛行機模型でしたね。

店主はこういう飛行機には無頓着?でして。組み立て方なんかは教えてもくれません。

当時何もなかった時代、こんなものも飽きもせず買っては組み立てて遊んだものでした。

上級生ですごい作るのがうまい子がいてその子が作るとすごいよく飛ぶんですよ。

調整とか、、企業秘密の?尾翼のセッティングとか工夫がすごいんです。

憧れましたね。


この模型飛行機、長ぼそいビニール袋に一式部品が入っていてそのバラバラな部品をセメダインでくっつけて作るんですが初心者はなかなかうまくいかなかったです。コツがあるんですよ。

翼の竹ひごはまっすぐですから、、それをろうそくの灯で徐々に曲げてゆくという職人技が要求されるんですね。

下手するとポッキリ、、と折れるし、、難しかったです。

火を使い、もちろん小刀(肥後の守)も使う。

今だったら禁止?商品でしょうか?

まあおおらかな時代だったんですよね。


鉛筆削り用に、みんな小刀を学校に持ってってましたし。

今小刀持ってって學校行ったら、そりゃあもう大変でしょ。



宮ノ下科学模型店は、当時の科学少年たちのたまり場だった、宮ノ下科学模型店には模型だけじゃなくって、、バルサ飛行機だけじゃなくってもっと面白いものがいっぱい置いてあった、、

そもそも店主の宮ノ下さんはハムの免許(アマチュア無線)も持っていて店裏に別当の実験小屋【倉庫)?があってそこにハム通信機一式がデンとすえられてるんですよ。そうして、、実験小屋のもう一方の側には大小の茶色い試薬ビンが並んだ棚があって、その前には実験台の机には乳鉢やビーカー試験管、アルコールランプもありましたね。

そこで夜ごと店主は怪しげな実験に励んでいたのでしょうか?

それからさらには、、、実験室の隅には作りかけのブリキロボットも置いてありました。

胴体部分が未完成で頭部が出来ていて何やら電気配線がびっしりとクリップで止めてあり、、

そのロボットの目が来訪者の方を追うのです、不気味でしたね。

さらには実験機?という名札の下がった、球形の子供一人くらいは入れるようなノリもの?も置いてありました、いったいなんの実験機だったのでしょうか?今思えばもしかしてこれが時間逆行機?

しかしながら

ごく親しいような、、と言うか店主の気に入った子供だけをこうした別棟の秘密部屋に引き入れて見せてくれてたんですね。もちろん店主は変な趣味?はないですから、子供にいたずら?なんかは全くありませんでしたがね。世間では、子供好きの親切なおじさんが実は、、〇〇、という猟奇事件は良くあるはなしですがこの店主に限ってはそういうことは皆無です。


店主は毎夜世界の秘密の情報機関と?交信して秘密情報を分析してるんだそうです。

時には宇宙人とも交信してるって自慢してましたね。

ベガ、オリオンの宇宙人はすでに地球に先遣隊を派遣してるんだそうです。

先日その特派員?が宮ノ下科学にも来訪したそうです。

それで地球の崩壊にかかわる重大な秘密のキーワードを受理したというのです。

それはなんでも小さな腕時計に組み込まれてるんだそうですが、、、、。

って?いくら子供相手でも嘘でしょう?

まあそれはそれとして

私ももちろんハムが興味津々でして「あー何時か免許、取りたいなあそして世界の人と交信するんだと夢をはせてたんですよ。

当時ネットがあるわけでなし、通信手段はせいぜい電話ですよ。

それがハムなら全世界と交信できるんですよ夢のようでしょう?

ハムはそういうわけで当時の理科系少年にはあこがれの的だったんです。

そんな少年向けに超高価なハム通信機ではなくてもっと安価な

例えば、、

色々な電子キットの組み立て部品が置いてあった。トランジスタ、抵抗機、コイル、

真空管、バリコン、可変コンデンサ、イヤホン、などなど、

まさに理科系少年たちのワンダーランドでした。

電子キットではなんといっても鉱石ラジオが人気です。

これはほんと簡単にラジオ受信機が作れましたね。

私は送信機も手作りしようと挑戦しましたがまあ失敗でしたね。

100メートルくらいの距離のモールス信号送信機は出来ましたがそれ以上は小学生には。無理でした。、私もこうしたキットを買っては実験したものです。

そういう少年には半田ごてとハンダが必備品でしたもちろん宮ノ下科学に売ってます。

いかんせん小学生の私には財力と知力が追い付かず手作りの通信機は作れませんでしたがね。

電池は乾電池をはじめ科学実験用の鉛蓄電池もあった。

夏休みの理科研究では

マブチモーターで動く水車とか、扇風機とかそんなのを作る子もいましたね。

、マブチモーターもあったし、動力変化ギヤ、自動車や船の模型用の板材もあった、

おもちゃのタイヤもあるし、スクリューもある。

板材を削って自動車の車体を手作りし、、あるいは船の船体を削りだして

それにマブチモーターを買ってきてタイヤやスクリューをつければ船や自動車のおもちゃができるのである。

店主によるとマブチモーター一個でもそれを特殊な加工と、時計を組み合わせることでコンデンサの工夫で簡単なタイムマシンが作れるんだそうです。ほんとかな?

でも、それらのほら話も含めてこの店は

ああ、楽しかったなあ。懐かしさと思い出の陶酔感で気絶しそうですよ。

車は電池を入れて走らせたり、船は近くの池に浮かべてみたり


科学少年の郷愁と思い出は脳内に満ちあふれてしまいそうですよ。

宮ノ下科学の店主は、「僕はね。何時かすごい発明でノーベル賞を撮るんだよ」なんて田舎少年を前に吹いてましたが、さて、そんな話は一向に聞こえてきませんでしたがね。

まあでもおも白い人物であったことは確かでした。

船の模型は

これを夏休みの一研究にする子もいたりして、

ラッカーを買ってきて(これも宮ノ下科学模型店に売ってます)塗装してきれいに仕上げる楽しみ、と言ったらもう最高でしたよ、


宮ノ下科学模型店には様々な理科実験器具も売っていた、

というか、、今思えば、、こういう学校納入理科備品で商売してたのが本業?だったのでしょうね。

たださすがに薬品は(塩酸とか硫酸とか)売ってなかったので、

試験管やビーカーなどを買ったとしても、せいぜいが花のしぼり汁の混合?くらいが関の山だったのです。

もし当時売ってたら塩酸とか実験してみたかったなあ、

噂によると深夜宮ノ下科学では店主が妖しい理科実験をしてるそうです。

近くの子がそっと見に行ったところ、店裏の小屋で異臭がして、青白い光が空に向かってゆくのを見たそうですから、、。

その後、、ある日私が行くとおじさんは店のおくから試験管を出してきて、

「おい君、この液体なんだと思う?」って聞くんですよ。

見ると紫色のどろんとした液体が、、

そして花を近づけると甘ったるい芳香が、、酔ったようないい気分になりましたね。

「これが万能薬なんだよ、がんでも結核でもこれらでも即座に治るんだよ」って。

「おじさんじゃあ売りだせば大儲けだね」って私が言うと。

「薬事法と医者の妨害でダメなのさ」ってケロッと言ってましたね。

ところで、

夏休み前になると理科の一研究で題材探しにくる子でにぎわっていました。普段は私のような理科オタク?の少年しかたむろしてなかったのにね。

そういう子には結局昆虫採集がすすめられてたようでしたね。

まあそのころ田舎町は自然が満ち溢れていたし昆虫ななんて腐るほど身近にいましたからね。

そういう子には例の「昆虫採集セット」です。今でもあるでしょう?

おじさんの帳のコレクションを見せてもらったことがあります。

なんでもインドネシアに行ってとってきた世界最大のチョウだそうです。

でもなんか紙で作ったような感じ?

偽物だったんでしょうか?今となっては確かめようもありませんが、、、。

ところで、昆虫採集キットには

展翅版とか昆虫保存用の赤い毒液(ホルマリン?)それを昆虫に注入する注射器、

虫かご、メス、虫眼鏡、ピンセット、などが入ってるのである。

もちろん私も毎年夏休みが近づくと宮ノ下科学模型店に出かけては、買い求めて、

ある年はハチのコレクション、ある年はとんぼのコレクション、ある年はチョウチョのコレクションと

テーマを定めて採集してそれを赤い注射液で殺して、展翅版にきれいに花を伸ばしてならべて、乾燥させるのです。それを最終的には大きな菓子箱に虫ピンできれいにセッティングする、小さな紙片で解説ラベルも作る。そして、、透明ビニールを箱全面に貼れば、、、、、


さア夏休みの一研究の完成です。うれしかったなあ


その充実感たるや無比でしたね。


夏休み明けに持ってきた、友達たちのその手の昆虫採集の研究はとんぼとかカミキリムシとか蝶とか蝉とか、ごちゃまぜなんですよ。

私のは系統的に集めてますから次元が違いましたね。得意でしたよ。

夏休み研究以外にも、

昆虫系ではもっとマッドな実験もしましたが、、まあ、、ここでは触れません。

でも、、ちょっとだけ触れさせてもらうなら、

毒虫の毒素の生体実験とか、、

今でいえばクローンを自作?したり?

昆虫の捕食の研究?とか

あとは解剖ですね。川魚、カエル、ヘビ、昆虫、

毒草から毒素を抽出、生体実験。

子供の好奇心ってとどまるところを知りませんよね、

だからこそ、いわゆる無邪気な犯罪?が無邪気に罪の意識なく行われるっていう怖さですよね。

私の場合は幸いにも、毒液を友人に飲ませるなんてところまでは暴走はしませんでしたがね。

実際そんな事件が三面記事で出ることもよくあるじゃないですか。

子供は罪の意識が未発達だから、どこまでも残酷になれるコワサですよ。

そこから猫の解剖、人間の解剖までいくばくかのディスタンスがあるというのだろうか?

でもそれは超えてはならない零地点なのであろうが、、、。

幼い子がなんの罪の意識も自覚もなく、殺人を行う、、という事件がある。

そこには罪と自覚との未成熟なイノセントの号罰がおそらくは神によって

ある種のワナとして人生道を照らしているのであろうか?


さて、、、その後、、、

中学生になるころからは次第に足が遠ざかり高校生になるともう全く寄り付かなくなりました。だって店主のウソ話が、耐えられないじゃないですか?


今も宮ノ下科学模型店は存在するらしいが、、もちろん私はふるさと遠くに離れて

そこへ帰ったこともないのでわざわざ宮ノ下科学模型店に行くこともないです。


が、、、、風の便りに聞いたところによると、、

いまでは宮ノ下科学模型店は完全な,学校理科備品の卸店になってしまってもう店頭販売なんかはしてないそうですね、あのマッドドクター?宮ノ下昭さんももうご存命ではないでしょうね。


でも店はあるらしいんですよ?、だから子供が後を継いでる?んでしょうか。

でもあの特異な風貌と言動で子供たちを煙に巻いてたあの人は

なんだか今でもどっかで生きてるんじゃないだろうか?


そんな気がするんですよ。たぶん?ある日彼はすごいノーベル賞級の発明をして

その発明機でどこか異界へとたった一人でタイムスリップしていったのではないだろうか?

今でも私はそんな気がして仕方ないんですよ。

もともと異界からの来訪者であり束の間この地球で仮の姿(模型店店主)という隠れ蓑で過ごして

やがてこの地球での任務を終えて彼はその電送機で再び異界へと帰って行ったのではないだろうか?


そんな気がして仕方がないのである、、、。


、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、




以上がその日記に記された全文になります、。






ところで、、、、、

その日記の後日談になるかと思うのですが、、、



今から10年くらい前に、、、後にも先にも、たった一度だけ当時の中学校の同窓会があって、こんな遠方の私にも案内状が来たんですよ。

でそのころは私もまだ元気だったので指定の民宿会場へ行ったんですよね。

そうですね。20人くらい集まっていたでしょうか?

みんなチリジリバラバラで地元に残ってる人は5人くらいでしたね。

で、、そのなかに、小学校から仲良かったK君も来ていて、

けっこう話がはずんだんですよ。

「ところでK君、、ほら、昔、良く君も行ってた「宮ノ下科学模型店」があったじゃない?

 あの店主がおもしろい人でさあ。変な実験や、発明品や無線もやっててさあ、面白い人だったよねえ」

と、、私が言うと、K君は怪訝な顔をして、

「なんのことそれ、?宮ノ下科学模型店?そんな店この街にあったかなあ?」っていうんですよ。

私は一瞬。ドキッとして、頭が真っ白になり、「でもさあ、そういう店あったはずだよ」

っていうと、

「ああ。それって三藤模型店のこと?あれならおばさんが店主で。プラモとか昆虫採集セットとか売ってたよね」っていうんですよ。

「そうじゃないよ、宮ノ下科学模型店だよ」っていくら私が言っても

K君はそんな店はなかったというのです。

私は頭がこんがらがって、、呆然とするばかりでした、

いったい?

これって私の妄想的な仮想記憶?だったとでもいうんでしょうか?


で、、最近グーグル地図で検索してみたんですがその街のそのあたりには

そんな店は在りませんでしたね。

いったい真相は、、いずこに?

私の妄想なのか?

それとも本当にあったのか?


もう今では私にも全く、区別がつかないんですよ。

20年前に何を思って私はこんな文章を日記に記したのか?

その意図は今となっては全く不明というしかありません。

もちろん宮ノ下科学模型店の記憶はこれこの通りに今でもハッキリとと残ってるんですよ。

でも?

一切がもしかしたら、、私の夢と妄想記憶だった?という可能性も否定できないのかもしれないですよね?










(注)この物語は完全なフィクションです。


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私の作品で、、続き物、連作、シリーズものを、すべてお読みになりたい場合には、「小説家になろう」サイトのトップページにある「小説検索」の欄に、読みたい連作シリーズ作品群の「共通タイトル名」を入力して検索すれば、全作品が表示されますので、たやすくお読みになれます。

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