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「半紫顔の術師?」
案の定だった。
一刻も歩かないうちに、リュエルと伴獣はこの街の情報屋を名乗る男に出会うことができた。頭にぐるりと布を巻きつけ、袖口の広がった着た男で、珍しい事ではないが、腰には曲がった剣を帯びていた。全てこの土地の様式だ。少々気になるのは、染み付いた甘い煙草の臭いがきついことだ。
その中年にさしかかり始めたほどの怪しげな男と、一見ただの少女とが、貧民たちの集う薄汚い吹き溜まりの路地で向かい合う。
「はい。それは痣の色です。顔だけではなく点々とまだらに、右半身を覆っていると聞きます。普段は髪で……直毛の長い黒髪で隠しているかもしれません。左目は琥珀の瞳、右目は義眼。言葉にはラクィーズ地方の訛りがあるはずです。年頃、二十八、九で、背がひょろりと高く、痣からして一瞥して印象に残る、極めて薄い褐色肌の男です」
うーんと唸って情報屋の男は腕を組んだ。煙草の煙でいぶされたのか、燻製のように、てかりがあるのにしおれた顔には、皺が深く刻まれている。やおらあってから、ようやくその口を開く。
「……聞いた事が無くもない。ただ小話程度でしか無いんだが……」
それでもいい、というように少女が頷く。ちらりとそれを確認して男は続けた。
「四年前、ラクィーズ王国が滅びた時、そんなような男がエヴィアのような気味の悪い生き物と一緒に、夜闇に紛れて北の荒地に進んでいったという話を聞いたことはある。それを見たという奴は、北の方の街道の守り人だったという。つまり、ここから言うと、大陸の北西の方角に向って行ったってことだ。言葉訛りについては知らん」
「その話をした方に直接お会いできますか?」
「いんや、無理だな。何週間か前に近くに腐沼ができちまっただろ? ずいぶん大量のエヴィアが生まれて町三つ呑まれたもんでな」
死んだ。ということだろう。それでも奇妙にひん曲げた顔で笑う男の真ん前で、リュエルは自らの華奢な顎に指を添え、神妙な顔を作った。
「北西……」
それに気づいて情報屋が嫌な声で笑った。
「おいおい。真に受けるなよ。俺が言うのもなんだが、こんなものは所詮、酔っ払いの与太話だ。なにせその男は、酒のためには自分の娘すら売るような男だったからな。街道の守り人というのも臨時でだ。だいたい、こんな話を俺が知っているのも、酒代を工面するために無理やり聞かされたせいだ。てんで情報とは言えない。それにエヴィアと人間が仲良く散歩するなんて、聞いた事が無い。本当にそう見えたのだとしても、遠目でだ。まあ、そんな変な容姿の奴が二人といるはずもないかもしれんが、別人かも知れん。それどころか人間じゃないかもしれん」
けれど、それを聞いて、むしろリュエルは微笑んだ。
「人間ではなかったのかもしれないなら、かえってその話は信頼できます」
あんぐりと情報屋が口を開けたままになっている中、少女はその男の汚らしい手に上等の大銀貨をひとつ握らせた。西の方で流通するもので、この国の発行する貨幣とは違うが、金属自体の価値のお陰で、これは通常、各国の普通銀貨の五枚から八枚の価値で取引される。たいていどこでも、銀貨数枚でだいたい一日を暮らすことができる。だからこれは、リュエルにとっては情報としての価値があったということだ。
男はまがいない正真正銘の銀の鈍い光を眺めた後、険しい顔を上げた。低い声がさらに低くなって掠れた。
「お前、何の為にこんなこと調べてるんだ?」
年若い娘が噂話程度のものに躊躇無く大銀貨を差し出す背後にある理由とは何か。気にならない者の方が少ないだろう。だがリュエルは当然、問いには答えずに軽く会釈する。
「ありがとうございます。お礼はこれくらいで十分でしょう? では……」
長い髪を揺らして、くるりと背を向けた少女の背を、男の鋭い目つきが刺す。空気が変わった。
「……待ちな。金は返そう」
言葉とは裏腹に、急に立ち込めた妖しい気配に、リュエルはそっと目だけで後ろを伺う。
男は組んだ腕を揉んでいた。か弱い子猫でも眺めていたぶるように少女を観察している。
「さあて……その代わり、お嬢ちゃん。無事にここから帰れると思うかい?」