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哀の千年闇士  作者: ふぇんねる
六章 三耀の術士
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10


 森の葉がかさかさと心地よく鳴るだけで、辺りは静まり返っていた。少し欠けた月の明かりが雲間から時々零れた。


 古木の塔から逃れてきた人々は話し合いの後、座ったままいつの間にかうたた寝を始め、ついには泥のように眠ってしまっていた。無理も無い。シアンはここ数日昼夜無く馬をかけらせていたし、騎士たちも丸一日戦い通しだったのだから。おまけに傷も深い。


 けれど、リュエルだけは眠っていなかった。


 荷台の上に、皆から陰になりながら体こそ横たえてはいたが、虚ろながらも目はずいぶん前から開いていた。それがようやく焦点を合わせる。シアンと騎士たちの話も、実は漏らさず耳に入っていた。

 ゆっくりと、物音を立てないようにリュエルは身を起こす。そして、自分の傍らで丸くなっているトゥキを見つめた。


 トゥキも眠ってはいなかった。リュエルが動き始めたことに気が付き、少し顔を上げ、大きな琥珀色の虹彩を瞬かせ、硬い毛の生えた耳をぴくぴくと動かした。


 何の変わりも無い。いつもの愛らしいトゥキだ。だが、見つめるリュエルの声が悲しげに震えた。


「……トゥキ……私は、あなたのことが分かってしまいました」


 トゥキがその瞳をリュエルに向ける。その白目の露出しない獣らしい目つきは、感情を感じさせない。残念そうにリュエルは小さく首を振り、微かな声で呟く。


「……あなたが帰るべき、私の望む場所に……案内してくれますね?」


 これが返事だとでも言うように、トゥキは濡れた鼻をリュエルに摺り寄せ、その頬に零れた涙をぺろりと優しく舐めた。そうして、さっと荷台を降りる。まるで、「着いて来い」というように。その後を、覚悟の顔のリュエルが追った。瞳を淡く光らせる。


 眠っていた騎士たちだったが、そのかすかな物音に気づいて目覚め始めた。シアンもだ。皆、緊張しているらしい。


「リュエル、もう大丈夫なのか?」

「もう少し横になっていたほうが……疲れも溜まっているだろう?」


 自分たちも疲弊しているだろうに、気づかう騎士たちの優しい言葉に、リュエルも一度は立ち止まり、振り返った。だが、やはり悲しげに瞼を伏せると首を横に振る。そうして皆を置き去りに、単身、獣道すら無い知らない森に分け入っていこうとする。


 様子がおかしい。シアンが首を傾げた。


「リュエル? そんな怖い顔して、どこに行こうっていうのさ?」


 けれどリュエルは足を止めない。


「……。あなたがたには関係の無い話です」

「? 関係無いってことは無いだろ? どうしたんだよ」


 立ち上がって近寄って来たシアンが、何気なくリュエルの腕を掴んだ。リュエルはシアンの手を乱暴に振り払い、過剰に張り詰めた悲鳴に似た声を上げる。


「離して下さい!」


 やはり変だ。その普通ではない様子に騎士たちも訝しがる。


「リュエル。何か隠してるのか?」


 シアンが再びリュエルの腕を掴んだ。リュエルは腕を解こうと振るが、シアンはそうなったら負けだとでもいうように強く握って離さない。


「シアンッ……!」


 リュエルの詰まった声があたりに響いた途端、いきなりシアンが後ろへどんと跳ね飛ばされた。勢いよく騎士たちの列の中に突っ込む。リュエルの腕力では到底そんなことはできない。訳が分からず、軽く打った頭を振るシアンの側には、その答え、たった今生成されたらしい氷の大塊がごろりと転がった。


「……!?」


 シアンに怪我は無い。魔術の氷塊を飛ばす勢いで、遠くへ追いやっただけだった。ただその圧迫感は少しの痛みとはなっただろうが。


 深手を負い、かつ疲れ果てていたはずの騎士たちが総立ちになる。


「リュエル!」

「リュエル!! 何を……!?」


 その目は揃って見開かれている。しかしリュエルはあくまで態度を変えず、寧ろ口調は前よりも冷たくなって背を見せた。


「……ついてこないで下さい」


 見ずとも分かる。騎士たちの唖然とした顔が。そうしてリュエルは一歩を踏み出す。


「ま、待て、事情を話せ……」


 騎士たちもシアンのように、止めようとリュエルに駆け寄った。が、瞬時に大人の男の胸ほどの高さもある水晶の結晶に似た形の氷の壁が地面から競りあがるようにいくつも出現し、行く手を完全に阻んだ。


 ここまでの拒絶は尋常ではない。シアンの表情が瞬時に曇る。


「……もしかして……マティアスの事が何かわかったのか? 居場所……とか? もしかして一人で行こうっていうんじゃないよね?」


 こういう時、手がかりが無くても、シアンの勘は占い師のようによく当たる。塔で懇意にしていた騎士たちも感じていたのだろう。ざわめいた。


「なっ……どうやって奴の居場所が!?」

「リュエル、そうなのか!?」


 しかしリュエルは、騒ぎにも動じず、なぜかシアンだけを一瞥すると、口を開くことも、表情を変えることも無く、氷の壁によって守られて、再び静かに森の奥へと進んでいく。


「待て! ともかく、我々も行こう!! 一人で太刀打ちできる相手では……」


 騎士の一人がその氷の壁を乗り越えようとした瞬間だった。急に腕ほどの長さの氷の矢が、振り向いたリュエルの手の振りの中から射られた。疑いようも無く、それはリュエル自身の術だ。どこかの弓兵部隊に射かけられたように、いくつもいくつも、隙間無く飛来する。


「うわあっ!!」


 騎士たちはとっさに皆その場に伏せる。リュエルが作った氷壁が盾として役立った。


 しかし静かになって顔を上げ見回せば、矢は全て途中で落ちて、てんでばらばらに地に突き刺さっている。責めることもできずに唖然とした騎士たちが、ただリュエルを見つめた。視線を集めた少女は感情の無い顔で呟く。


「……私一人すら止められないのです。一緒に来られても、足手まといなだけです」


 それはリュエルがずっと呑んできた言葉だった。まだオロフが生きていた頃、「今は言うな」と封じられた言葉だった。それを言う時がきた。リュエルはそう感じていた。


 騎士たちは愕然とし、肩をがくりと落とした。オロフが予想したとおりに。


 主君の敵討ちの僅かな力にもなれないばかりか、一見可憐なだけの少女に、手も足も出ない。無力感を味わっただけではない。力及ばずとも、仲間として四年間信頼し、信頼されて戦い続けてきた最後に、そんなことを言われたことが悲しかったのに違いない。誇り高い彼らだから余計だ。だがリュエルの言った事は、痛いほどに真実だった。


 シアンも騎士たちと同じ心持ちだったが、まだ体が元気な分、噛み付けた。


「いくらリュエルでもそんな言い方、無いだろ!?」


 リュエルとシアンの間に、術で生まれた氷のせいではない冷たさが流れ込む。今までエヴィアに対してすら見せなかった鋭いシアンの眼差しがリュエルを貫いていた。それを受けてリュエルはどこか哀しそうに、僅かに唇を震わせたようでもあった。しかし声が聞けることは無かった。長い沈黙ののち、やはり静かにそこを去っていく。


「くそっ!」


 シアンは憤りを拳で地面に叩きつけてその場に座り込んだ。


 どうすることもできずに、戸惑い、首を振るばかりの騎士たち。留めたそうに手は上がるが、伸ばされることはなかった。その有様を見ては、やはりどうしても居ても立ってもいられないらしい。多分、相手がリュエルだから余計に。シアンが立ち上がった。


「……やっぱり俺、行ってくる!」


 そう言い残すと、外套の裾を翻し、すでに闇と木立に隠れて見えなくなる寸前のリュエルの白っぽい影をシアンは追った。



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