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哀の千年闇士  作者: ふぇんねる
六章 三耀の術士
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「オロフ様!」


 自分のことは構わず、術はオロフ自身のために使って欲しい。リュエルは再び声ではないものでオロフに訴えた。これは伝わったのだろうか。わからないが、オロフが笑ったように見えた。


「死にぞこないが、どうした? 名だけの賢者に何ができると?」


 マティアスの弟子たちがせせら笑う。

 出立の準備をしながら手当てしたオロフの頭の包帯が、赤く染まっていた。おそらく激痛が走っているだろうにもかかわらず、本人は先程よりもずっと淡々としていた。


「死に行く者だからこそ、できることがある」

「オロフ……様?」


 元々通る声の持ち主だが、ずいぶん離れているのにその言葉はよく聞こえた。


「リュエル、これまですまなかったな。だが、もういい。これからはお前の好きなように生きろ。限られた時間なのかも知れないが、そうしたいというのなら、マティアスのことも忘れて構わない」

「な、なにを急におっしゃるのですか!?」


 唐突な言葉にリュエルが驚かないはずがない。だがオロフの意見は変わらない。


「まだ年若い娘のお前に、こんな無謀な戦いを強いるわけにはいかない。今更、と思われるだろうがな」

「そうです、今更です! それに年なんて関係ありません。私はオロフ様の弟子なのですから!」


 オロフは首を振った。


「確かに、お前は私の弟子……しかし私はそれ以上に、いつしかお前を自分の娘として見ていたよ。なるべく、顔には出さないようにしていたつもりだったがな」

「……!!」


 リュエルの顔にさっと赤みが差した。オロフはその顔を儚い微笑みで幸せそうに眺める。


「この戦いは私たちの負けだ。間もなく、この世界も終わるのかもしれない。だが、お前をここで奴らに引き裂かせはしない」


 そう言ってオロフがリュエルに目配せをした。さっきオロフが言っていた。例の策だ。リュエルはとっさにそう思った。


 ではこれは芝居なのか? だが、この状況で何ができると? 

 先程リュエルがオロフに、自分に構わず術を使って欲しいと目配せした時と違うのは、オロフの立ち位置が塔に近くなった事くらいだ。今は空から降りてきて、傍で同じように〈硬質なる翼〉に捕縛されているシアンとリュエルは偶然目が合った。〈硬質なる翼〉もオロフが何をしているのか興味があって、降りてきたのだろう。リュエルとシアンはお互いに目しばたたかせる。

 だが、ともかくもオロフのすることだ。今はまだ、黙ってなりゆきを見守る。


 ひと呼吸おいたオロフはおもむろに、無理にというぎこちない様子で大手を振った。傷が痛むのかもしれない。だがそのまま、大仰な台詞を読むように声高にセレヴィアたちに呼びかける。


「さあ、寄木細工に堕ちたマティアスの愚かな弟子ども。取引をしようじゃないか」


 セレヴィアたちは大口を開けて、あたりに響き渡るけたたましい笑い声をあげる。


「お前が我々に差し出せるものなど何一つない」


 ふん、と〈獰猛なる爪〉が鼻を鳴らす。だがその嘲笑も、オロフの次の言葉で即座に止んだ。


「そうかな? マティアスにも伝授しなかった秘術を、今ここで渡す、と言ったら?」


 三人の中では最も兄弟子なのだろう、〈獰猛なる爪〉が目玉をぎょろりと回して仲間を見渡す。無言のうちにも、おそらく自分と同意見であろうことを確認してから、言う。


「……苦し紛れに何を言い出す?」

「ふっ。とは言いつつも気になるのだな」


 弟子たちは揃って黙ってしまった。


「堕ちたとはいえ、未だ忠誠だけは厚い弟子たちだ。マティアスに報告したいのだろう?」


 答えないが、その表情が答えを物語っていた。満足してオロフが懐に手を忍ばせる。


「ここに、私の奥義を秘めさせた宝珠がある……マティアス去りし後、いつかリュエルにのみ伝えようと封じていた秘伝の奥義だ。……お前たちの主は存在すら知らん」


 オロフが取り出した物は、手の平にすっぽりと収まる大きさの濁った金色の玉で、ところどころに別の鉱物の欠片らしい緑黒色の物質が混入していた。その宝珠のせいなのか、確かに先ほどから奇妙な魔力がどこからとも無く沸いてきて、辺りを漂い始めていた。


「奥義? 奥義とはなんだ。どんな術だ」

「それは入手した後、紐解けばいい。マティアスには造作も無いだろう」


 その玉を見たリュエルには、オロフと〈獰猛なる爪〉とのやりとりすら耳に入らなくなった。


「それは……!」


 駄目だと、激しく体を揺らしオロフに訴える。だが、オロフは首を振り、見たことが無い厳しい目つきでこちらを見据える。言うな、ということだろう。仕方なくリュエルが唇を噛み締めると、僅かに頷いた。


 その間中、セレヴィアたちは遠間から食い入るように宝珠を観察していた。だが最終的に、〈獰猛なる爪〉が、やはり訝しい顔を返した。


「質の悪いただの屑石にしか見えん」

「そうか。そう見えるなら、それでも構わない」


 あっさりとオロフはその宝珠を元の懐に戻そうとした。それを〈硬質なる翼〉が止める。


「待ちなさい。もう一度よく見せてみなさい」


 オロフはゆっくりと頷く。


「いいだろう。……だがその前に、リュエルとシアンを離してやってくれ」


 リュエルを逆さに吊り上げたままの〈獰猛なる爪〉は首を振った。


「それはできない相談だ」

「ならば私もこれを滅する他ない。もはやこれで取引できないのなら、私も諦めるしかないからな」


 オロフは顔色も変えずに宝珠を懐に戻してしまった。それで〈硬質なる翼〉が焦ってシアンを解き放った。今まで縛っていたものが突然無くなって、シアンはよろけてつんのめる。


「え? あっ?」

「さあ、行くがいい。元々あなたを傷つける事はマティアス様の命によってできない」


 その言葉に戸惑うシアンを放って、〈硬質なる翼〉は〈獰猛なる爪〉のより傍に立つ。


「いいではないですか。オロフの話をもう少し聞くくらい」


 きっとオロフの宝珠の真偽を確かめ、その後は、本物か偽物に関わらず、三人かがりで再びリュエルを捕らえるのに違いない。そしてオロフ共々引き裂くのに違いが無い。その目の悪質な輝きが物語っている。そんなことは気づいているだろうに、だが、オロフは口を挟まなかった。


 説得されて、唸りながらもついに、〈獰猛なる爪〉は静かにリュエルを草地に下ろした。

 ずいぶんと長く吊り下げられていたので、リュエルはすぐには立ち上がることができなかった。掴まれていた足をさする。手足が久方ぶりに血流を取り戻して、かじかむようにじんじんと痛んだ。


 まだそこから離れていなかったシアンが、無理矢理リュエルを引っ張ってくれて、弟子たちとの間合いをいくらか作る。


「とりあえず、オロフの出方をみよう」


 シアンもこのまま逃げる気は無いようだ。だが、こんな距離が三人のセレヴィアにとって何の意味があるだろうか。しかしオロフは二人がいくらか退避したのを見て、それでよしとしたらしい。口元が微かに弛んだ。リュエルにはそれが、妙にひっかかってならない。


「……オロフ様?」


 マティアスの弟子たちとオロフの取引は、これからが佳境というかのように緊迫感を増す。〈獰猛なる爪〉が手を開き、右手の岩のように硬そうな肉球をオロフの方に向けて見せた。


「こちらにそれを投げてよこせ」

「取りに来るといい」


 さらりとそう言うオロフの傍に、三人の弟子たちが睨むような警戒した目つきで、そろそろと集まってくる。それがあと数歩というところ、駆け出してきて奪取されるにはまだ遠いというくらいの距離になった時、オロフがまた口を開いた。


「奥義を授ける代わりに、我々の安全を確保してくれないか?」

「それはできないな。あんたは危険だ」

「ふむ。では私のことは諦めよう。リュエルたちだけでもいい。均一化、という滅びまでの間かもしれんが、今後、手出ししないと約束してくれ。私の言葉を聞いただろう? 私が死ねば、リュエルはきっと、マティアスを忘れていいと言った私の遺言を守る」

「いいだろう。リュエルさえ、そうするのならばな」


 オロフは頷き、そうして本当に宝珠を渡してしまった。そんなものは口約束に過ぎないということが、リュエルにすらわかるというのに。


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