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哀の千年闇士  作者: ふぇんねる
六章 三耀の術士
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 傾いた陽で、二頭の馬とその騎手の影が地面に長く伸びる。

 二人はようやく隠れ家のある、あの森への小道を馬で駆けていた。塔に辿り着くまでも無く、全てがそこで分かった。すでに遅かった。


 森が荒廃している。結界が破られているのが術師ではないシアンにでもわかった。

 せせらぎの行く先は踏みにじられて変えられ、森に点在していた小さな泉はことごとく泥の水溜りとなり、うっそうと暗く茂っていたのがまだ美しかったと思えるほど、木立は無残に引き裂かれ、倒され、乱雑に散らばっている。生き物の気配も消えていた。


 森だった場所は、数多あまたの梢の天蓋を失い、高いところに薄く流れたよそよそしい雲の下に伏している。そこの向うには、あの古い木の塔があからさまに曝け出されてた。くくりつけてあったはずの緋色の吹流しが見当たらない代わりに、すっかりくすんでしまった幹のいたるところから上がる黒々とした煙を幾筋もその身にたなびかせている。シアンが怖がったあの奇妙な風の音は、多分もう鳴らない。


 結界の無い森は、いつもの半分以下の時間で塔のそびえる湖畔まで辿り着く事を許す。馬を森の端に捨てるようにして住みかに駆け込んできたリュエルたちは、そこで、もっと見たく無いものを見せ付けられる。


 鎧を纏った大勢の騎士たちが倒れていた。湖畔が赤く染まっている。それは照る陽が傾き、茜色に変わったせいだけではない。


 リュエルが慌てて駆け寄って一人の手を取るが、驚くほど重かった。それに固い。そして、もう人形のように動かなかった。あたりに転がる者たちも、例外ないようだった。風が彼らの髪や衣服だけをはためかせていく。


「うっ……うう……」


 リュエルの口から呻きのようなものが漏れる。


 この塔に移り住んでから、ひとり、またひとりと王国の騎士が訪ねてきてくれた。四年前、滅びの時に、共に王国を逃れ、古木の塔を築いた騎士たちが、各地で同胞を見つけて連れてきてくれたのだ。全員が全員、王国で過ごした頃に面識があったわけではないが、同じ土地の同じ人々のことを記憶していた。懐かしくも新しい話を聞くことができた。はじめ塔しかなかったこの湖畔は、住むには不便で、故国やマティアスのこと以外にも、話し合うことは山ほどあった。

 そんなことが、自然と思い起こされた。


 溢れてくる思い出や感情はとめどなく、おまけにぐるぐると回り、尽きる事を知らない。靴が視界の端に見えるので、シアンもそばに立って呆然とあたりを見渡していることはわかっていたし、トゥキが肩から降りてきて小さな声で鳴きながら主の顔を見つめていたのだが、取り合うことができない。


 あまりにも現実感の無い現実。それでもようやくリュエルは頭だけでも認め始めた。他の騎士たちの死に顔を見つめるため膝を立てると、見計らったようにシアンがそっと肩を叩いてきた。顔を上げると、その人の指差す塔の入口に、扉にもたれかかる人影があることを発見する。それはリュエルにとって帰路の間ずっと頭を離れなかった顔だ。


「オロフ様!」


 手当てする間も無かったのか、額を血に染めたオロフが微笑みを浮かべ、呟くように出迎えた。


「……おかえり」








 何が起こったのかは、オロフが全てを語ってくれた。


「今朝のことだった。セレヴィアらしい獅子のような姿の強力な者が、数多のエヴィアを引き連れて、この湖畔に攻め入ってきた。……成す術も無かった。騎士たちはセレヴィアの前に赤子のように蹂躙され、エヴィアたちがその四肢を食んだ。生き残ったのは……」


 そう言い、ちらりとオロフがまわりの者たちに目をやる。

 ここは塔の入口を入ってすぐの集会場だ。ここに集った百人あまりの騎士たちが勢ぞろいできる広さがある。だが今は、そこにはたった、両手で数えられるほどの者しかいなかった。しかも皆、死ななかったのが不思議なほどの重傷だった。腕や足、どこかしらが無くなっている者ばかりだ。そこにはシアンと親しかった、あのハイゼはいなかった。


 獅子というのは、リュエルが旅の間頻繁に遭遇した〈獰猛なる爪〉のことだ。マティアスもそう言っていた。


 先ほどからシアンは難しい顔をして壁に寄りかかったまま腕を組み、一言も発しようとしない。リュエルも何も言わない。正確には言えなかった。塔に入る前、ハイゼの兜が、もしかしたら首そのものが、湖畔の浅いところに引っかかっているのを見てしまったからだ。オロフも察しているのか、ただ淡々と話を続けた。


「私もむろん戦った。だが、あまりにセレヴィアは桁外れだった。巨体ながら俊敏な爪の前には、術の発動すらままならなかった。……奴は私の息の根を止める事もできたと思う。しかし、しなかった。見逃されたのだ。理由は簡単だ。お前たちが帰って来たら事情を話す者が必要だからだ」


 オロフの傷は他の者と比べて圧倒的に軽い。だがその話を聞いては、逆に爪がいかに狡猾で冷酷かをまざまざと見せられている気分になって、いたたまれなくなった。否応無くも沈黙が支配する。だが、それを当のオロフが裂いた。


「リュエル、シアン。すぐにここを発とう」


 それに反対するつもりは無い。だがリュエルを引き止める想いがある。


「せめて皆の弔いを済ませてから……」

「多分、いや間違いなく爪はまた来る」

「ですが……」


 それにはオロフではなく、シアンが首を振った。


「きっと今度は確実に皆殺しにするつもりで来るよ」


 シアンに指摘されて、ようやくリュエルも我に返り、そう思った。いくらリュエルがあの岩獅子と対等に渡り合えるとしても、手負いの者たちをかばいきれる自信は無かった。大量のエヴィアをひきいてくるからだ。

 いつもならそんな酷なことを言うのは、きっとリュエルの方なのに。横ではオロフが自嘲している。


「……ふふ、レヴェロの再来と言われた私も落ちたものだ」


 それでリュエルは分かってしまった。自分は、どこかで期待してしまっていたのだと。オロフなら、セレヴィアが再び攻め入って来たなら、今度は食い止めることができるのではないかと。この姿を見たときから、すでにそうではないことはわかるはずなのに。


 これ以上問答を続けることは、オロフの傷口に塩を塗りこむ事にもなる。尊敬する師にそう言わせてしまったことを、リュエルは心の中で深く悔いた。



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