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哀の千年闇士  作者: ふぇんねる
四章 マグァの遺跡
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 シアンはまた腕を撫でる。先ほど、昔レヴェロの班があったと言った右腕だ。今はそんなものの欠片も無い。


「海の向こうから来たっていう可能性も、完全に否定できるわけじゃないけど、元の顔もそこまでかけ離れた顔つきじゃない気がするんだよね。本当に海の向こうから来た人の肖像とか見たら」

「あなたの名前から出身地をいくらか推測できないでしょうか」


 シアンは首を振る。


「実はさ、この『シアン』って名前も、本当の名前じゃないんだ」

「えっ……」

「介抱してくれた遊牧民たちが、行き倒れてた俺が身に纏ってたシャーン染めの肩掛けを見て、『シアン』……あー、つまり北方では『シャーン』は『シアン』って訛って発音されるから、だから、そう呼ばれてたから俺もそう名乗ってるだけ。……そう、それで、多分そのシャーンの薄紫色の肩掛けはマティアスが俺にくれたんだ。何かの術をかけたあとに。気を失う前に、そんな感じがしたから。きっとそう」


 マティアスがシャーン染めの肩掛けを持っていた理由は、リュエルにはなんとなくわかった。それはマティアスが好んでよく羽織っていたからだ。それを初めに言ってくれたら、マティアスに会ったことを疑わなかったかもしれない。だが話の邪魔をしないよう、今は黙った。


「なんで『シアン』って名乗ったかっていうと、しばらく自分の名前も思い出せなかったからさ。でも今はわかるよ? 本当は俺、ウラグァって名前なんだ」

「ウラグァ……」


 変わった名前だった。とりあえず、これまでにリュエルは聞いたことが無かった。その、マグァ風の名前なのかもしれなかった。この大陸、であると思われるが、そのどこにも存在しない国の。


 何か言わなければ、と思い、リュエルは言葉を探す。が、何も見つけることができずに、ただシアンを見つめるだけになってしまった。けれどシアンは、さして気分を害した様子も落ち込んだ様子もなかった。もしかしたら、ずいぶん悩んだ過去もあったのかもしれないが、とっくに吹っ切れているらしいような風だった。それはもしかしたら、少しの諦めなのかもしれなかった。


「あ、そうそう。それで、この弓の文様なんだ」


 シアンは背負った弓を引き抜き、リュエルに見せる。それはシアンと出会った初めに唐突に見せられたものだ。


「オロフにも聞いたかもしれないけど、つまりこれ、〈マグァ〉の文様なんだ。俺が大陸を回ってるのは、ずっと自分の過去を探してたからでさ。偉い学者に話を聞きに行ったり、大陸一だっていう図書館に行ってみたりもした。ま、今は腐沼に沈んだって聞くけど。でも何にも手がかりが無かったからさ、誰かこれを見て、なんでもいいから手がかりを教えてくれたら、って考えて彫ってみたけど、誰もやっぱり知らなかったよ。珍しいな、って。いつもそれで終わり。……でもオロフだけが違った。手がかりを見つけてくれた。さすがレヴェロの再来って言われる人だな」

「それで私にもこの弓を見せたんですね……」

「うん。それに……だけじゃない。リュエル、すごく似てたから。見間違えるくらい」

「誰にですか?」


 それは偶然過ぎる。リュエルもシアンをレグリスに見間違えた。


「俺の双子の妹。あんまり俺とは似てなかったみたいだけど」

「妹……?」

「いや、でもさ、よく考えたら妹が魔術を使えるはずがないし、本当なら別人だってすぐに分かるはずなんだけど……なんか、気が動転しちゃって、疑わなかった。だって、こんなに似てるんだもん」


 それは少し分かる気がした。リュエルも、今は亡きはずの王子が生きていたと思った。


「あの……でも、私がそんなに似てるんですか……? だって、あなたは元は褐色人種だったのでしょう? 双子なら妹だって……」

「妹はね、どうしてか白く産まれたんだ。動物とかでも時々いるだろ? 白い虎とか。でも完全にではなかったから、ほんとね、ほんとにリュエルみたいな髪と目の色をしていたんだよ?」


 そう言ってシアンは、リュエルの白金の髪と灰紫の瞳を、目を細めて愛しそうに見つめた。こんな風に見つめられたのは初めてではないような気もする。


 それが恥ずかしいような居たたまれないような、耐え難いものを感じて、リュエルは顔を逸らした。見えない領域から、シアンの呟きのように静かな声が聞こえる。


「だからさ、君がこの弓の文様を知らないってことが分かった時、すごくがっかりした。ああ、リュエルのせいじゃないけどね。でも……そう、だからあの時は、つい抱きついちゃったりしてごめんね」


 つまり、シアンは妹とリュエルを見間違っただけだったのだ。


 途端にリュエルは、心の奥から申し訳ない気持ちが滲んで苦しくなった。思えば、シアンを苦手にしてきたのは、最大の理由はレグリス王子に瓜二つであるということだが、もうひとつはそんな容姿でありながら軽薄であるということだった。しかしその印象は、最初に出会ったときに抱きつかれさえしなければ、もう少しましだったかもしれない。そう、思った。


 そういえば、シアンが街中で女性に軽々しい行動をしているのは見たことが無い。誰にでも簡単に抱きつくような男なのなら、これまでにもそんな行動は見かけられてきてもおかしくないはずだ。今まで大きく誤解していたのかもしれない。


「でも不思議な偶然だねー。俺が探してた男とリュエルに関係があって、それに、お互いによく似てる人を知ってるなんて」


 シアンがどうしてもリュエルについて来たがったり、やたらと親切だったりしたのも、マティアスのことも理由なのだろうが、リュエルがシアンにレグリスを重ねて見てしまい執着してしまうのと同じだったからなのだろう。


 そう思うと、リュエルには急に、心に寒い風が入り込んでくるような気がした。それが何故なのかは分からなかったし、あまり踏み込むと、もっと苦しくなるようにも感じたので、務めて見ないことにする。


「しっかし、なんで遺跡なのかねー。俺、一体何者なの?」


 うつむくリュエルの耳には、シアンがけたけたと声を立てて普段と変わりなく笑う声が届く。


 シアンはいつもふざけている。

 けれど、その鼻につく道化のようなふるまいは、もしかしたら、過酷な現実に耐えるための苦肉の策として始められたのかもしれない。務めて楽しく、明るく。そうせざるを得なかったのかもしれない。気を紛らわせたり、奮い立たせたりしなければ、押しつぶされそうだったのかもしれない。本当の自分が分からず、今を演じるように生きているのかもしれない。

 シアンの過去を知った今では、リュエルにはそう思えた。


「どうしてそんなことになってしまったのでしょう……」

「さあねえ。気づいたらさあ、そうなってたんだ。〈マグァ〉で暮らしてたのに、いつの間にかこんな顔になってて、腐沼なんてものができてて、エヴィアだらけになってた。そう、それに、マグァよりもずいぶん寒い気もするね。ハンターやってるのは、まあ、だから、呪術のためだったけど、親父仕込みで弓が上手かったからさ。剣をやってた憶えは無いんだけど、なんか初めからまあまあ使えたし。忘れてるだけかもしれないけど。……でもね、それでも、記憶のこと、手がかりが全く無いわけじゃないんだ」

「というと?」

「そうなったのは、だいたい四年前なんだ」

「!」


 四年前といえばラクィーズが滅びた頃だ。その頃のシアンは……。シアンが、リュエルにもわかりやすいように、もう一度整理してくれる。


「マグァで暮らしてた記憶の次は、荒野でマティアスに術をかけられるところから始まるんだ。そして気を失ってたらしい俺を遊牧民が助けてくれた……世話になったその人たちが言うには、変な音がしたから警戒して見に来たら、俺が倒れてた、って。それが四年前」


 リュエルの目がおのずと厳しくなる。


「そう、だからマティアスが関わってると思うんだ。マティアスってオロフの弟子だったんだし、当然、忘却術を使えるんだろ? それに熟練の魔術師なら変形術を使えても珍しくないって聞いた」

「え、ええ。忘却術以外の、記憶に関する術もマティアスは習得しています。それに変形術ももちろんです。当然、複雑な手順と特別な準備の必要な高度な技術で、攻撃術のように、咄嗟に行使できるような類のものではありませんが」


 マグァからやって来たシアンは無理矢理姿を変えられ、記憶を失わせられたのだろうか。それともシアンの語るマグァでの記憶が術によって作られたものなのだろうか。




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